プロローグ
ヒヤリとした空気が空間を覆っていた。
室内温度は10℃。
冷蔵庫の中にいるような冷気のなか、少女ー楢崎こよりは部屋の中心に置かれたソファに寝そべって目を閉じていた。
長いまっすぐな黒髪はソファの上に広がり、白い膝丈のワンピースから覗く素足はすらりと細く傷一つ、アザ一つさえない。
目を閉じていても整っているのがわかる相貌は10人いれば7人が美少女、3人が美人、というだろうもの。
血管が透けて見えそうなほど白い肌。
ソファの上で丸まった背筋の、ワンピースの襟から覗く白いうなじ。流れる黒髪の隙間から覗くそこには、薄紫色のアザがうっすらと浮かび上がって見える。
薄紫の、複雑に絡み合った棘と薔薇の紋章のようなそれ。
薄く浮かび上がったそれはうなじからワンピースの襟元へと一筋伸び、左の袖口へと這いずるようにうねり続いていた。
もしも誰か見るものがその場にいれば、息を飲まずにはいられなかっだろう。
薄紫のアザに見えるそれは生きているように蠢き確かに動いていた。
『・・・・・・』
ぴくりと閉じていた目蓋が震え、投げ出されていた腕が宙へと伸ばされた。
『・・・・・・っ』
伸ばされた左腕、その指先。
中指の爪先が音を立てず静かに割れて、赤い血が滴り落ちる。
ポタリ、ポタリと落ちた血はこよりの着ている白いワンピースを赤く染め、床に落ちた一滴は白い床に模様を付けた。
『・・・・・・失敗』
白い肌の中でそこだけが色鮮やかに赤い唇が無感情に言葉を紡ぐ。
『追尾失敗。識紙が消失しました』
壁も天井も床もドアも全てが真っ白な部屋の中に機械的な抑揚のない声が響き渡る。
『・・・・・・アクセス不能。再試行失敗。アクセスを終了します』
ぱちり。
こよみは目を開けた。
くっきりと大きな紫紺の瞳には、はっきりとした意志が宿り、無機質な声音を裏切っている。
「んー。壊されちゃいましたか」
うって変わった口調の声音は明るく舌足らずで少し子供っぽさも感じさせるものだ。
こよりはソファから勢いよく身を起こすと、裸足のまま床に足をつけた。
軽く強張った身体を背伸びをしてほぐし、あらためてソファに腰を沈める。
上質なソファは柔らかくこよりの身体を受け止めた。
「さてさて、どうしますかね?」
ひとりごちクスクスと笑う。
細められた紫紺の瞳にはいたずらっ子が悪巧みを考える時のような愉悦が浮かんでいた。




