第28筆 公務員試験
「お久しぶりです」
画面越しに聞こえてきた先輩の声に返事をする。
『去年の文化祭以来だったっけ?』
「多分そうです」
『そっか。んで、公務員試験について聞きたいんだったな』
「はい。今からやって間に合うのかなって」
『うーん・・・俺の周りの同級生で公務員試験受けてた奴いるけど、もっと早くから勉強してたとは思う。でも、公務員って一口に言っても、いろんな種類あるし、職種によって試験日程も違うらしいから、とりあえず自分がなりたいと思ってる公務員の試験調べてみ』
そうか。自衛隊も警察官も、市役所職員も官僚もみんな公務員だもんな。
「分かりました」
電話を繋いだまま、俺の住む市の地方公務員試験の日程をインターネットで調べてみる。見慣れない試験区分の用語が並んでいるが、おそらく俺がなろうとしている公務員は、上級Ⅰ<一般方式>(大学卒業程度)という区分だろう。
「見つけました。試験日程は・・・第1次試験が6月20日って書いてあります」
『あと2か月ちょっとか。時間ないな』
「やっぱりそうですか・・・」
『いやいや、間に合わないとは言ってないから。本気で勉強すれば何とかなるかもよ。頑張ろうぜ』
「銀行への就活もしようと思ってるんですけど・・・無理ですかね」
『それは厳しいと思う。日程的に時間ないし。まあ就活と公務員試験両立する奴もいるけど、今からなら公務員試験に集中した方がいいだろうな。倍率も高いみたいだし、舐めプして受かる試験じゃないっていうのは友達見てて分かった』
「そうですか・・・」
あと2か月で全然内容も知らない試験の合格を目指さないといけないのか。今更ながら就職という行為を舐めていたと思う。プロ作家を目指す、それに集中する、という目標を、いつの間にか就職のための努力をしない言い訳にしていた。『夢』に甘えすぎていた。
「ありがとうございます」
俺は色々と教えてくれた浅野先輩に感謝の意を伝えた。とにかく、やるべき事は見えたのだ。先輩の言う通り、公務員試験に集中しよう。銀行は公務員試験に落ちたら改めて就活を考えよう。元々別に銀行の仕事に興味があるわけではないし。
『いや、全然いいよ。っていうか、今まで進路考えてなかったん?コットンは真面目だから、早めに就活の準備してると思ってたけど』
痛いところを突かれる。
「あー・・・実は俺、作家目指してたんです。でも、最近自分には無理だなって思うようになって。親から就職しろって言われてたのもあるんですけど。それで、つい最近諦めて就職しようと思ったんです」
『えっ、そうなん!?全然知らんかった。そっか、ガチで作家目指してた人、うちのサークルにいたんだな』
浅野先輩は心底驚いたようだ。声がところどころ裏返っている。
『そっかそっかー、なるほどなー。それで進路考え始めたのが最近ってことか』
「はい」
『コットン的にはどうなん?そんなすぐ、頭切り替えられるもん?夢だったんだろ、作家になんの』
「まあ・・・そうですね。なんかちょっと、どうでもよくなってきちゃって。こないだまで書いてたはずなのに、もう遠い昔みたいに思えます」
『んー・・・まあ、しゃーないんじゃない?夢なんて叶う奴の方が少ないじゃん。何なら俺だって小学生ん時はサッカー選手になりたいとか言ってたけど、すぐ無理だって思ったし。そんなもんだろ』
「でも、作家になりたいとか言って、結局今こんな感じになってんの、すげえダセえなって自分で思ってます」
西野の言葉が鎌首をもたげる。
『全然ダサくねえよ。だってコットンは就職しようとしてるんだろ?現実を見て見切りをつけられるのは、コットンが大人になったってことじゃん。安定を取るのは全然間違いじゃない。実際、親の収入が安定してるから、大学も通えたんだしな』
俺は黙って聞いた。浅野先輩は続ける。
『俺さ、こないだ入社式やって、まだ仕事始めたばっかなんだけどさ。平日の朝から夕方まで毎日働いてさ。ああみんなこんな毎日頑張って働いて、自分の生活費稼いでさ。すげえ偉いと思ったんだよ。普通の社会人って、すげえなって。本当に尊敬したんだ』
「・・・」
『だからさ、胸張って就職しろよ。お前は今から、俺の尊敬する社会人になろうとするんだからさ』
「・・・ありがとうございます」
喉の奥が少しだけ熱を帯びた。
『おう!また何かあったらいつでも連絡してこい』
「はい」
『じゃ、またな』
「先輩も頑張ってください」
通話が終了し、画面がもとに戻る。相変わらず明るい人だ。話していると気が楽になる。
先輩の言葉に背中を押されるように、俺は締切間近の公務員試験の申し込み手続きを始め、それを終えると本屋に直行してテキストを買いに行った。
長袖を着ていると暑いと感じる日が増えてきた今日この頃、木漏れ日のさすキャンパスの広い道を寒竹館に向かって歩いていく。土曜日だからキャンパス内を歩いている学生は少ないが、駐輪場には自転車が大量に置いてあった。何日間も放置して取りに来ない者もいるが、そういう場合には撤去予告シールが貼られる。市内には無料の駐輪場はほぼ存在しないため、近くの地下鉄の駅を利用するために停めることも多い。
建物の中に入り、向かって右手奥にある広い机とその周りに椅子が置いてある場所に向かう。良志館のラウンジでも勉強できるが、オレンジ色の照明が若干薄暗いため、白い蛍光灯を使っているこちらの方が勉強に向いているのだ。まだ朝早いせいか、学生の数は多くない。
教養試験用のテキストを開いて勉強を始める。高校で出題する程度の内容を問う分野と、思考力や応用力を見る分野とがあるとのことだ。受験勉強なんて、大学受験以来だな。
それからは、昼ごはんを食べに食堂に行ったり、トイレに立ったりした以外はずっと机に向かっていた。不思議と集中していた。もう試験まで時間がなくて切羽詰まっているからだと思う。そうして夜の8時頃にようやく寒竹館を出て帰宅した。
毎日勉強するのは結構疲れる。大学受験とは違って、一緒に受験する仲間もいないし。でも他の公務員試験の受験生も頑張っているに違いない。小説を書くことから離れても、いつだって何らかの形で誰かと競争させられている。なんでこう、社会ってこんなに人間同士を競わせるのだろうか。
世知辛い世の中だ。
梅雨入り宣言がなされて雨続きとなった6月があっという間に到来し、ついに試験の本番日を迎えた。試験会場は市内の大学であり、受験生らしき人達が続々と建物内に入っていった。
さあ、一次試験が始まる。約2か月とはいえ努力はしたのだ。合格できるかどうかは分からないし、もちろん不安だ。それでも、今できる全力を、ぶつけるしかない。ですよね、浅野先輩。
『それでは試験を開始してください』
マイクを通したくぐもった声で、試験官が指示した。
ページを一斉にめくる音が、教室内に響き渡った。




