七・竜と真実 8
その時、自分がどうしてそうしたのかはよくわからない。ただ、そうしたいと思ったのだ。
「イチ……」
口の中で小さく彼女を呼びながら――私はイチの前で両手を広げ、彼女の刃を受け入れた。
「!?」
繰り出された剣の一閃は、私の身体にずぶりと突き刺さった。
唇が触れそうなくらい近付いたイチの顔は、今までで一番、驚いた顔をしていた。
「イチ……変な顔」
掠れた声で言うと、イチが大きく瞳を震わせた。それはまるで、潤んだエメラルドの宝玉――とても悲しそうで、綺麗だった。
剣の柄を握るイチの手に触れると、イチの手はひやりと冷たく、微かに震えていた。
「イチ。今度は私が、きっとイチを助けるよ。だから一緒にメイヴスを倒そう」
「……馬鹿言わないで」
「だってイチ、嘘ついてるんだもん。どうしてイチがメイヴスに関わることになったのか、ちゃんと本当のことを教えて」
「はぁ? だから私は――」
うんざりしたように言いかけたイチを遮って、私はイチの手を掴んだ自分の手に力を込めた。
「髪飾りの子……誕生日に、メイヴスの儀式で殺されたんでしょう?」
「……っ!」
イチは目を見開くと、驚いたように私を見た。
「どうしてそれを……?」
「イチが持ってるメイヴスの髪飾り、その子のだよね? 前に言ってた、イチの友達……」
イチの手を離すと、銀の剣がするりと私から抜け落ちた。力無くイチの腕から垂れ下がったその刃は、風花達竜殺しの一族のみならず、私にも意味を成さなかったらしい。
「誰かを犠牲にして力を得るなんて、イチがそんなことを望んでいるとは思わない。助けが必要なら、私も一緒に戦う」
「ふふっ……刺されても平気だって、計算済みだったわけ? こうすれば私が動揺するって? 君、最高にうざいなぁ!」
イチは苛立ったように声を荒げると、剣を握った拳で自分の額を押さえた。
「死んでもらわなきゃ困るの……今更私だけ引き下がるわけにはいかないのよ!」
イチは目を見開いて激昂した。しかし引き裂くようなその叫びとは裏腹に、イチの手からは銀の剣が滑り落ち、カンッと軽い音を立てて床の上で弾け消えた。イチはドサリとその場に膝を折り、肩を震わせながら俯いた。
しかし私がイチに手を伸ばしかけた時、不意にぞくりと、足元から這い上がってくるような寒気を感じた。張り詰めた空気に全身の毛が一気に逆立ち、自分が思わず息を止めた音が聞こえた。
「まったく、世話の焼ける王女だな」
聞こえたのは、低い男の声だった。揶揄するようなその響きに、心臓が不穏な脈を打った。
イチの傍らに突如闇が口を開き、そこからずるりと抜け出すように、大柄な黒ずくめの男が姿を現した。
「ハウィン……!」
紅の顔が獰猛な狼のように歪み、彼の喉から呻くような声が漏れた。
「やはり貴方が黒幕か」
「黒幕? ふむ……捉え様によってはそうなるのかもしれないな」
ハウィンは深く息を吐くと、俯いたまま震えているイチを哀れむように見下ろした。
「イチよ、何を悪役ぶっているんだ? 話してやればいいじゃないか。おまえの知っている、この世界の真実を」
ゆっくりとした口調で、しかし明らかにこの状況を愉しんでいるような声音で、ハウィンは言った。
「それとも、安い挑発で逃げ道でも探していたのか?」
探るようなその問いに、イチの肩がビクリと揺れた。ハウィンはその反応に満足でもしたかのように、ごつごつした手で自分の顎を撫で下ろした。
「なるほどなぁ? 自分にできないことを人に強いるとは、やはり人間の考えることは姑息そのものだな」
ハウィンの口にしていることの意味がわからず、私達は全身を張りつめた糸のように緊張させている一方で、困惑を覚えていた。
「世界の真実……?」
呟いた私に、ハウィンは大仰に頷いた。
「暗き法によって成り立っているこの世界には、竜の存在が不可欠だ。その理を代々守ってきたのが、本来は竜殺しの一族だったのだよ」
「どうやら俺達竜殺しの使命を勘違いしているようだが、それはメイヴス教の説法だ。『炎、氷、風、雷、水、土、光、闇、そして無の力。世界は全ての魔によって廻り、世界の命は竜が統べる』……だったか」
鼻を鳴らした紅に、ハウィンは顔の片方だけをニヤッと吊り上げながら続けた。
「まぁ、まずは聞くがいい。竜はその力の源として生贄を欲する。暗き法によって定められた周期の下、たった一つでいい。竜を宿した魂を、竜に還してやればいい。それで世界は廻る。……だがその流れを破ったのが、百年前のおまえ達竜殺しの一族だ。おまえ達は与えられた使命を放棄して、世界の理を変えてしまった」
「英雄の名を騙るだけでは事足りないか。我ら竜殺しの一族を侮辱するとは」
紅はバキバキと音を鳴らして手指を握り込み、拳を構えた。
「ははは! 盗人の血筋の者は相変わらず面白いことを言う。竜殺しの一族とは、百年前にメイヴスの竜を封じたが故に〝竜殺し〟ではないぞ? 竜の魂を宿した者を殺すことで世界を巡らせる役割を担っていたからこそ、竜殺しの一族なのだ。その役目を放棄して世界の崩壊を招いたのは、他ならぬおまえの祖父なのだぞ?」
「……いい加減にしないと、叩き潰すぞ!」
紅は低く唸ると、床を強く蹴ってハウィンに殴りかかった。しかしハウィンはひらりと後方へ跳躍して紅の拳を躱すと、続く彼の追撃をものともせず、私に視線を移して言った。
「カナタ、竜を宿したおまえは感じているだろう? 竜に眠る記憶の中に、その男と哀れな王女の面影を持つ人間がいたはずだ」
「……!」
竜の記憶――先刻から魔法を使う度に垣間見える情景が、それなのだろうか。