六・王女と虚実 2
「まず――百年前に英雄ハウィンによって倒されたというメイヴスの邪竜ですが、どうやら完全に力を失ったわけではなく、封じられただけのようなのです」
「封じられた?」
「はい。竜は百年前から今までの年月で少しずつ力を蓄え、この世界に竜の卵を産み出しました」
「そしてメイヴスの信者達が竜堕としの儀式を始めた。魔の力に共鳴しやすい魔族に呪詛をかけて、その力を卵に集めていくっていう悪趣味極まりない儀式だ。そのせいで魔族は理性を失って、親族友人見境なく襲い掛かるようになった。おまけに、儀式を進めている信者達の尻尾はどうにも掴めない」
ロイヒテンは全てを諦めた顔で普段の口調に戻り、シグルドの説明を継いだ。シグルドは大きく頷いた。
「一年前、そのせいで大勢の魔族と人族が命を落としました。力の強い魔族は一握りながら未だに理性を保っていますが、それでも少しずつ蝕まれ、犠牲者は増え続けています」
「あぁ、そこまでは俺達も承知だ」
シグルドの言葉でリーゼロッテを思い、ロイヒテンは僅かに顔を歪めた。シグルドは少し間を置いてから、思い切ったように口を開いた。
「ただ――魔族達に呪詛をかけたのはメイヴス信者ではなく、ローズガルドの王なのです」
「……は?」
ロイヒテンは思わず絶句して、彼を凝視した。しかしシグルドの目は、嘘や冗談を言っているようには見えなかった。
「ローズガルドの王だと?」
静かに頷いたシグルドに、ロイヒテンの身は微かに震えた。しかし彼が怒りに任せて声を発するよりも早く、風花が彼を制するように前へ出た。
「それは王の裏切りというわけではないのよね?」
「断じて」
冷静な風花の声音とシグルドの返答に、ロイヒテンは低く唸って唇を噛んだ。例え裏切りでなくとも、それでは自身の仕えてきた王が、リーゼロッテを死に追いやったということになるではないか。
「この国をメイヴスから救った先代の王が御隠れになる際、竜の復活の可能性は告げられました。我々はそれを受けて、策を尽くし手を尽くし、竜の卵を探したのです。しかしいくら探しても卵は見つかりませんでした。そこで竜殺しの一族に打診したところ、卵を探す術は無いが、竜を抑える術ならばあると」
「私達に……!? そんな話、聞いたことないわ」
「えぇ。メイヴスの竜の復活など、不安を煽るだけ。王と族長の間だけで交わされた話です」
「そんな……」
呆然とする風花に、ロイヒテンは険しい表情で眉を寄せた。シグルドは首を横に振った。
「残念ながら竜殺しの一族はメイヴスに滅ぼされてしまったようですが――いや、事情をご存知ないとは言え、族長の娘さんが無事に生き残ったというだけでも心強い」
そう言ったシグルドに、ロイヒテンは尋ねた。
「竜を抑える術というのは?」
「魔の力の吸収に長けた少女がいるのです。かつては奴隷として過ごしていたようですが――彼女はシャドウの現れる闇の裂け目を見出す能力を持ち、シャドウの力を自らのものとしていくことができる、特別な少女です」
「!」
思わず目を見開き、ロイヒテンと風花は顔を見合わせた。
「闇の裂け目を見出す? おいおい、それって……」
「まさか……」
――カナタだ。
二人の脳裏に、ほぼ同時に一人の少女の姿が過ぎった。
「王は信頼できる配下を使って彼女を保護させ、まずは彼女自身に戦う力を付けさせました。しかしそれもメイヴスに見つかり、彼女を育てていた配下は、その周囲の者達諸共殺されてしまいました。少女が生き残ったのが、不幸中の幸いでしょうか」
シグルドは言うと、ロイヒテンの目をじっと見つめた。
「魔族が理性を失う理由をご存知ですか?」
挑むように覗き込まれ、ロイヒテンは僅かに怯んだ。
「肉体から魔力を引き剥がそうとすると、肉体と精神の調和が取れなくなり、非常に攻撃的な性質となります。そしてその状態で肉体が死ぬと、暴走した魔力だけが未熟な意思として現世に残ります。それがシャドウです。力の強い者では例外として、肉体とシャドウが分離しないままの場合もありますが――……かの少女は、そのシャドウの力を吸収し、竜を倒す力に変えることができるのです」
「ふざけないで。そんな方法を私の父が勧めたなんて信じると思う? やっていること、メイヴス信者と同じじゃない!」
「えぇ、そうです。――それでも、そうやって彼女に賭けるしかない。竜の卵に与える魔の力を先にこちらが奪うという意味でも、これは必要なことなのです。王が魔族に呪詛を用いずとも、いずれはメイヴスが、魔族の持つ強大な力を彼らの命諸共奪っていくことに違いはありません。それならば、彼らがメイヴスに奪われる前に、せめて竜を倒す力に変えるのが精一杯だったのです」
ロイヒテンの顔は青ざめ、唇は小刻みに震えていた。風花は大きく顔を引き攣らせ、少しの敵意と多大な軽蔑を込めてシグルドを見ていた。しかし二人のそんな視線に動じる様子もなく、シグルドは彼らをじっと見つめ返していた。
ロイヒテンは自分を落ち着かせるように、努めて冷静な声音を装って尋ねた。
「その少女というのが、実は竜の卵だという可能性は?」
「それは私も考えたことはありますが、恐らく可能性としては低いかと思います。彼女が身を寄せていた砦の人間は全員、魔法陣によって一瞬のうちに竜の生贄にされました。そこから彼女が逃れたのは、ただの偶然でしかありません」
「それで生き残ったのは、その少女とやら一人じゃない。もう一人いる。……生贄の儀式に彼女が巻き込まれないように、そいつが上手く誘導したんじゃないか?」
イチのことをチラつかせると、シグルドは大きく頷いた。
「それは有り得るかもしれません。ただ、その『もう一人』は、メイヴスの者ではありません。我々の味方です」
断言したシグルドに、ロイヒテンと風花は訝しげに目を細めた。シグルドは言った。
「彼女は王の命を受けて少女を守っている、ローズガルドの王女なのです」