五・過去と鎖と薔薇の毒 7
「えっ……」
驚いて彼を見上げると、シオウは素肌に上着を羽織りながら、小さく笑った。
「私ので悪いけど、今夜だけでも着ていたらいいよ」
更にシオウは、私にベッドを譲り、自分は床に寝るなどと言い出した。一応断ったが固辞すれば怒らせるのではないかと思い、一緒に寝るというところで落ち着いた。
「こんなの初めてです。オークションの日は、最低でも一度は気絶する覚悟が必要なのに」
シオウのシャツを着てベッドに潜り込みながら言うと、シオウは眉を顰め、窺うように私を見た。
「気絶って……一体普段どんなことをされているんだ?」
「……そこの棚。引き出しの中を見てもらえれば、わかると思います」
シオウは私の示した棚の方を振り返ったが、少し迷って、首を横に振った。
「やめておくよ」
「そうですか」
シオウは穏やかに笑い、私の頭を撫でた。
「もう寝なさい。どうせ、普段からゆっくり休めていないんだろう?」
「…………」
私は答えず、目を閉じた。――あぁ、一体どんな痛みか苦しみで、目を覚ますことになるんだろう。何もしないというのはかえって身体が強張り、緊張した。
「信じられないだろうけど、本当に何もしないって」
「ごめんなさい……」
「いやいや、何も謝ることはないよ。もし私の動向が心配なら、私は君より先に眠ってしまうことにしよう」
シオウは言うと、目を閉じて大きく息を吐いた。
「あぁ、そうだ。私は君をここから連れ出そうと思うから、そのつもりでね」
「……は?」
思わず素に戻ってシオウを凝視したが、シオウは目を閉じたまま口元に笑みを刻んで、しばらくすると寝息を立て始めた。
「…………」
この男、一体何を言っているのだろう。ここは金持ち達がお互いの駆け引きを楽しみながら、奴隷の少女達を虐殺する為の場所だ。口のきけるうちは逃げられるわけがない。ここを出るのは、赤札が付いて無惨な死体になった後だ。
……あまり関わりたくない。
それを本能で感じたから、私は最初に嘘を吐いたのかもしれない。いや、それでも関わらざるを得ないから、あわよくば彼に殺してもらうつもりで。
赤札が付くのは、四週目ではなく三週目だ。
静かに夜が更けた後、終りの刻は少しの緊張と安堵を孕んで訪れた。シオウは彼の言葉通り、私に一切手を出さなかった。私は驚愕と共に少しばかり拍子抜けした気分で、シオウと別れた。
「次もまた来るね。その時は、君の話も聞かせて欲しいな。恐らく君が受けるはずだった傷のことは、私が自分で治してあげたことにするから、心配無用だよ」
「はい……」
魔具による治療を受けずとも傷一つない自分の姿に驚きながら自室に戻ると、先にアイラが戻ってきていた。彼女はとても青白い顔をして、ベッドの上でぐったりとしていた。
オークションの翌日は、みんなこうだ。傷だけはすぐに消すことができる。けれど味わった恐怖に磨り減った神経と体力までは戻らない。重い身体を引きずりながら自室に戻った後、しばらくは死んだように動けない。
「……元気そうね」
アイラは私の姿を見て、掠れた声で不思議そうに言った。
「あの新しい客?」
「うん」
まさか何もされなさったとは言えず、私は頷くだけにとどめた。
「よかったね、ぬるい人で。私、先週カナタを刺した奴に当たっちゃってさぁ。……嫌な話聞いたんだ」
アイラは眉間に皺を寄せると、何かを迷うように口ごもった。
「大丈夫、言いにくいなら言わなくてもいいよ」
「……私を恨まないでね」
アイラはそう言い置いてから、呟くように言った。
「カナタ、次だって」
「え?」
「あいつが手を回してるらしいよ。カナタに赤札付けて、あいつが落とすって」
「…………」
「規定額以下でカナタを落とす条件で、新しい客にあと二回は譲ってやるんだって言ってた」
「……そっか」
私は曖昧に笑い、ベッドに寄りかかった。
「私達、何の為に生まれたんだろうね」
呟くと、アイラが噴き出した。
「やめてよ、そういうの」
「あはは……ごめん」
私は目を閉じて、大きく息を吐いた。
「――殺してあげよっか」
私の方を見ないまま、不意にアイラが言った。少しの沈黙の後、今度は私が噴き出す番だった。
「やめてよ、そういうの」
先刻のアイラと同じ言葉を返すと、他の皆がパラパラと部屋に戻ってきた。皆一様に暗い顔をして、ぐったりと重い身体を投げ捨てるようにベッドへ倒れ込んだ。
……そうか、私はあの男に殺されるのか。
「残念」
ポツリと呟いた私の言葉に反応した子はいなかった。あの男が相手なら、まだルールも知らないようなシオウは競り負けるだろう。もしできるなら楽に死ねたらいいと思っていたけれど、こんなところで生きている以上、それは叶うわけがない。
あぁ、でも……本当に、残念だ。




