別れのとき
第28章
パオロが王直との面会を終えたころ、マテオたちは福江の港からアユタヤに直行するポルトガル船に乗りことが決まり、修道士たちも船員と協力して飲料水や食料の積み込み込み作業をしていました。
「マテオ様、誰かここに残ったほうが良いのではないでしょうか? 信徒の方々も不安でしょうし、状況の変化をアユタヤへいち早く知らせる係が必要だと思います。」
作業を手伝いながら、ジョルジョがマテオに提案しましたが、マテオは首を横に振りました。
「いや、それは危険だ。ここだっていつ領主の宇久氏が考えを変えて、我々に対して厳しい態度をとるかわからない。今のところは布教活動をする宣教師たちには目をつけられているだけで、信徒たちを迫害するようなことはなさそうだ。キリスト教徒でもパオロのような商人は引き続き交流を望まれているという状況なのだから、状況連絡ということであれば、パオロ殿にお願いすることができる。ジョルジョ、お前もしかして、伊都さまのところで仲良く暮らしたいだけじゃないのか?」
「いいえ! そんなことはありません! ただ、何かとても不安で、心がざわついてしまうのです。パオロ殿の日本語もまだ充分ではございませんし…。」
「それなら、パオロも新しい通辞を正式に雇ったから、心配ない。あのアユタヤ人の青年とも気が合いそうだったし。我々だって、これからアユタヤに向かい、それからマラッカまで無事に到着できるかどうかわからないのだぞ。」
「そうでした。」
「アラン殿がアユタヤまで来てくださるかもしれないが、商人であるパオロ殿と別行動となると、修道会としては金銭的なことについても問題が出てくる。今はこれが最善策だ。」
「分かりました。明日、伊都さまにお別れの挨拶に行ってきてもよろしいですか?」
ジョルジョが伊都を姉のように慕っていた事を知っているマテオは
「昼前には戻りなさい。」
と許したのでした。
*****
翌日の朝、福江の教会での礼拝のあと、アランはマテオに声をかけました。
「もう荷物は積み替えたそうだな。今日中にアユタヤへ出発するのか?」
「風の状況次第だが、明日朝には出航する予定だそうだ。まあ、我々はあまり急ぐ必要はないのだが。アユタヤからマラッカへの船は、秋にならないと出ないだろうから半年近くはアユタヤに滞在する予定だ。貿易風としてはマラッカからアユタヤに来るほうが順風の時期だから、逆にアラン殿にマラッカから来ていただくことになるかもしれない。」
「そうだな。今の季節ならマラッカからアユタヤは1週間もかからないかもしれない。ジョルジョに渡した私からアラン殿への状況報告書は受け取っているだろうか?」
「ああ、そうだった。すまない、パオロ殿、もう一度必ず確認しておく。」
「これから上様と商売の交渉をするが、義彰殿の近臣だった高盛殿とはもう話がついている。アラン殿が所望された鉄砲を仕入れ次第、私もすぐアユタヤに向かう予定だ。遅くとも10月までにはアユタヤに到着できると思う。」
「ああ、待っているよ。」
「そういえば、ジョルジョは?」
「さっき飛び出していったよ、伊都殿のところに。お別れの挨拶だそうだ。」
「では、私も彼女にお別れのご挨拶をしに行こう。」
「パオロ殿も、明日出航されるのか?」
「ここでの用事は済ませたから、これ以上滞在する必要はないんだ。今は少しでも早く上様との交渉を進めなければ。私には、のんびりとしている時間などないからね。」
「パオロ殿、何か、急がれているのか?」
「いや、こうしているうちに上様が心変わりしたり、この国の状況が予想外に変化してしまったら、こちらの目論見がご破算になってしまう。商売はタイミングが全てなんだよ。」
「そういうものなんだね。私にはよくわからないが、上手くいくことを祈っているよ。」
「マテオ殿、世話になった。あのヴェネツィアのサンマルコ広場で偶然出会っていなかったら、私は今ここにはいなかったよ。お互い身体だけは気をつけて、アユタヤでまた会おう。」
*****
パオロが伊都に別れの挨拶をしに行くと、伊都とジョルジョととよが、三人でまるで一家団欒の親子のように楽しく話していました。伊都はパオロの姿を認めると、穏やかに微笑んで、上様との交渉の間の滞在先として、自分の屋敷を自由に使って欲しいと切り出したのです。
「高盛殿が、私の不在中の屋敷を管理してくださっています。おそらく礼拝堂や、それに付属する修道士の方々やパオロ殿たちが使っていた施設は、見せしめのため取り壊しになっているはずですから、パオロ殿が五島から戻られたときは,私の屋敷で暮らしていただけるようにと、取り計らってくださることになりました。召使いや下男も数人、そのままおりますので、簡単なご指示なら彼らも対応できるかと存じます。」
『あのような脱出劇のさなかに、そこまで冷静に配慮していたとは…』
改めて伊都の聡明さに驚いたパオロでしたが、新しくアユタヤ人の通辞を雇ったことを話し、ありがたく提案を聞き入れることにしました。
そのあと、伊都とパオロとジョルジョの三人で、しばらくの間、あの昔の稽古のときにように言葉の稽古をしたあと、パオロはジョルジョとともに伊都のもとを後にしたのです。この最後の稽古の時間が、三人にとって最後の、穏やかで楽しい時間になったのでした。
*****
宇久氏の居城では、当主の純定と王直がいつもの情報交換を済ませた後、酒を酌み交わしながら談笑していました。
「ところで王直殿は、パオロ殿をかなり評価されていらっしゃるようですな。」
「私は国とか王とかの後ろ盾や権威などをないがしろにしてここまできたからな。まあ利用できるものなら利用するが。そういったものの威光をカサに着て、自分の実力で勝負しない奴らが大嫌いだ。その点、あのヴェネツァア人は面白い。わざわざ国家権力の中枢に食い込める立場にいながら、それを捨て、ポルトガル王を口説いて支援を取り付け、一人勝負しにわざわざ何ヶ月もかけて、こんな島国までやってきた。まあ国家権力の内部なんて、古今東西どこも欲と嫉妬で腐敗しているもんだが、よほど耐えきれない目にあったんだろうな。」
「きっとまだお若くて、自分の属していた組織の不正とか腐敗をやり過ごすことができなかったんでしょう。」
「しかも、単なる中央のエリート官僚ではなく、外地で戦闘の最前線に立ち会った経験がある点も気に入った。商人だろうが兵士だろうが、現場経験の豊富な奴が一番強くて優秀だ。理論や戦略も大切だが、結局は体験でしか得られない胆力がどれだけあるか、に尽きる。」
「どういう決断を下すでしょうかな。上様に気に入られるか気に入られないかで、また変わってくるでしょうが。」
「ああ、また2,3ヶ月後にはここに寄るから、そのときが楽しみだ。」




