パオロの独白
第27章
王直の突然の登場と、あまりに予期せぬ提案。パオロは宇久氏当主の純定から、紅珊瑚の独占採集権確約のための交渉に持ち込むことができませんでした。それに、宇久氏がここまで王直と親交を深めているとは考えていなかったのです。
何より、王直からの挑発ともいえる言動に、パオロは表面的には何とか冷静さを保っていたものの、ひどく動揺してしまったのでした。
宇久氏の城からの帰り道、黙り込んでしまったパオロの様子に心配したデーンは、市場で何か少し食べていきませんか、と誘ったのですが、パオロはいろいろ考えたいことがあるから、しばらく一人にして欲しい、と答え、海岸のほうに歩いていってしまいました。
福江の港から少し離れた静かな浜に座り、潮騒の音を聞きながら、パオロはこの国に来たころから徐々に感じはじめていたけれど、わざと考えないようにしていた感情に向き合うことにしたのでした。
ーー-王直はジェローム王のことを聞いていたのだな。確かに彼はもはや伝説的な人物なのかもしれない。
キプロス王ジェローム。“死ぬときは自分が信じる『義』に従って死にたい”と乱入したムスリム兵数名と戦い、私をかばって亡くなったジェローム。
あのとき俺は、もう元老院の駒として汚れ仕事をこなし、裏切られるのはまっぴらだ、ジェロームのように自分の信じる道を生きたいと渇望し、地位も身分も捨て妻子までおいて、東の果ての島国までやってきた。それなのに今なお、ポルトガル王の手先として「鉄砲という死の道具」を売る商談に明け暮れている自分は何なんだろう。
あのキプロスでの戦闘でジェローム王や副官だけでなく、多くの兵士や島民が傷つき、亡くなった。それなのに、その戦闘のための道具を扱う死の商人として、自分は今ここにいる。
あの戦闘のとき、ジュリオは、外科医として多くの負傷兵たちを救った。そして誰に頼まれたわけでもなく自分の意思でパドヴァ大学で医療施設を創設に奔走し、見事成し遂げた。元老院議員だけでなく、市民たちから絶賛され、さらに多く人々を救っていることだろう。
ジュリオは命を救う場所を創った。俺は命を奪う道具を運んでいるだけだ。
カテリーナだって、ひとりでこんな遠くに逃げてしまうような男より、周りを巻き込みながら自分の力量を発揮できるジュリオと結婚したほうがずっと幸せだったのではないか。
そう、それに二人には、医学と音楽という素晴らしい才能をそれぞれ持っている。俺は特別な才能など、何も持ち合わせていない。
この焦燥感、閉塞感は何だ? これからの人生を切り開くには、王直が言うように、生き直すべきなのか?ーーー
ぼうっとしながら陽が落ち始めた海岸を眺め、潮騒の音が大きくなりはじめたと感じたき、パオロはブレンダ運河沿いの別荘で、最後にマリアンヌと会ったときの言葉が聞こえた気がしたのです。
『始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる』
・・・そうか、良かれと思って始めても、駄目だと思ったら、やり直すしかないのだな。あのカエサルでさえ、悩んだり苦しんでいたのかもしれない・・・。
陽は水平線に沈もうとしていました。パオロは何かが吹っ切れたように勢いよく立ち上がると、腹がひどく減っていることに気がつきました。
そして、自分が何をしたいのか、そのためにまず何をすべきかを論理的に考え始めました。
「まずは腹ごしらえだな。」
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「ずいぶんと嬉しそうでございますね。パオロ殿からの贈り物、何度も取り出してみていらっしゃるなんて。」
「ええ、とよ。これは紅珊瑚というものなの。義彰様のところに献上された舶来品でも、こんなに立派で美しいものは見たこと無いわ。きれいな箱を作って、しまっておきたいわ。」
「安産のお守りとか、おっしゃっていましたね。」
「南蛮では、そういう風習があるのね。以前、義彰様から伺ったのは、武運長久を願う縁起物というお話だったけれど。戦いでの負傷を避け、無事に帰還するためのお守りとして珊瑚のかけらを懐に忍ばせる武将もいらっしゃるのですって。」
伊都がこのパオロからの贈り物をことのほか喜んだのは、紅珊瑚という贈物が、あの出立した朝に、後朝の文として彼に渡した手紙に書いた古今集の贈り歌の返し歌のように感じられたからでした。
仮名ではパオロはきっと読めないだろうと分かっていても、どうしても気持ちを抑えられずに書いた和歌でしたが、その和歌にある「紅」の文字が、この紅珊瑚を指しているとしか思えず、お互いの気持ちが通じ合った証にしか思えなかったのです。
贈り歌
人知れぬ思いは苦し紅の 末のつゆ霜おきあかしつつ
返し歌
紅の色にいでなむと思へばぞ 人知れぬこと苦しかりける




