ポルトガルの企み
第6章
すでに客間の窓から差し込み陽は陰り、少し肌寒くなってきました。しかしパオロが感じはじめた寒気は、もっと身体の奥をも冷やすものでした。
「アラン殿、ポルトガル王は明を制圧しようとまで考えられているのですか? まさか、明は広大な領土を持った大帝国です。統治機構も人民も全く異なる、長い歴史を持った国です。そこまでのことをする意味が…。」
「やはりパオロ殿はサンマルコ共和国のご出身だな。そもそも交易ができれば、相手国の領土など必要ないと思われているのであろう。しかしエスパニアはどうだ。すでに新大陸に進出して広大な領土を得ている。彼らに対抗するには、広大な植民地が必要なのだよ。」
「しかし制圧するには武器をはじめ、兵士の食料など多くの物資を運ぶ必要があります。ロジスティクスはどうなさるのですか?」
「だから、現地調達するのだよ。」
「え?」
「最新式の銃をこの国の領主たちに渡したら、こぞってそれらを解体し、研究し、そしてあっという間にレプリカを作り上げてしまうだろう。我々はそれを取り締まるつもりは毛頭ない。逆にどんどん作らせるつもりだ。上手くいけば彼らが勝手に技術開発して、さらに優れたものを量産するかもしれない。それを利用するのだ。それにこの国は、森林も豊富だ。ということは銀の精錬だけでなく、鉄の鋳造のための火力エネルギーも豊富だということだ。」
何も言えなくなってしまったパオロに、アランはたたみかけるように告げました。
「彼らが新しい鉄砲を作り上げたら、いち早く購入し、私のところに届けるように。品質が良ければ、今度は我々が購入することになる。代わりに彼らには鉛を大量に供給しよう。この国の刀剣や漆器などの工芸品も魅力的だが、彼らの技術力が証明されたら、銀の次に、いやそれ以上に鉄砲が重要になってくるだろう。」
「しかし、アラン殿、たとえ優れた武器が大量にあったとしても、それを使いこなせる優秀な兵士も大量にいなければ意味がないのではないですか?」
食い下がるパオロに、アランは静かに答えました。
「それも現地調達だよ、アラン殿。優秀な兵士とは、どういうものかご存じかな。今、戦っている現役の兵士だよ。どんなに体力があっても、体格が優れていても、戦闘訓練を受けていても、今、実戦で戦っている兵士より強いものはない。そしてこの国は今、群雄割拠の戦乱の世の中だ。どの領主がこの島国をまとめるのかは、まだ分からないが、いずれにせよ、当面の間は彼らの力を上手く利用するほうが得策だと王は判断なされた。」
*****
――『君が帰国したときは、パオロ、ぜひナポリに立ち寄って欲しい。そのときはマリー=ルイーズと夫婦となっているはずだから、二人して歓迎する。いや、もしかしたら親子で歓迎することになるかもしれないな。』――
アランとの会話のあと、呆然としたまま自室の戻ったパオロのところに、ジュリオから婚約を知らせる手紙が届いていました。その文面からは素晴らしい伴侶に出会えた喜びが溢れ、商売や新たな病院建設などの将来への展望が生き生きと語られていましたが、パオロはアランとの会話からなかなか頭を切り替えることができず、ジュリオの手紙を読み終わってもしばらくの間、考えがまとまらず、返事を書くことができませんでした。
ジュリオからの手紙を手にしたまま、寝台に寝転ぶと、パオロは天井を眺めながら一人鬱々と悩みはじめてしまいました。
『全面的な支援者であるポルトガル王の指示に背くことはできない。今だって、鉄砲やら銃弾やらを扱っているじゃないか。でも、この先、この国の中だけの内戦が、外へと拡大していくことになる。あのキプロスでの戦闘どころの規模の話ではない。そんなことに私は加担していいのだろうか?
この国はいずれ経済的にも政治的にも文化的にも侵略され、領民たちは大陸への戦争にかり出されることになる事態を、私はただ傍観することになるのだろうか?
自分が祖国で積み上げてきたことを捨てて、自分を信じていた妻と幼な子を置き去りにしてまで、ここに来た自分は、果たして正しかったのか。今の自分は、己が信じる義に従って生きているだろうか…、もし今ジェローム王がここにいたら、どう行動するだろうか…』
そのときふと、パオロはあのクリームを持ってきていたことを思い出しました。ヴェネツィア出発前に、薬草院に『長期間旅に出るのだが、何か良い万能薬はないか』と尋ねたところ、薬草院内の薬局にいた係が熱心に話してくれた解説にいたく感心し、マリアンヌ特製の、あのラベンダーのクリームを大量購入し持ち込んでいたのです。
--“ちょっとした傷や肌荒れや乾燥にも効果があり、頭痛、筋肉痛、そして火傷や虫さされにも有効ですよ。さらにラベンダーの鎮静効果で、リラックス効果、安眠効果もあります。ストレスと感じたときや、なかなか眠れないときもぜひ使ってみてください。” --
「今こそ、使うべきだな。」
そう呟くと、パオロはのろのろと寝台から起きて、荷物の中からクリームを探し出しました。蓋を開け手に少量とっただけで、実によい香が鼻孔をくすぐり、首筋に塗り込んだだけで、ほっと心が落ち着いたのです。
「ジェローム王が愛用しただけのことはあるのが、よく分かるな。」
ラベンダーの香りに包まれながら、昼間の緊張感から解放されて、その日のパオロは久しぶりに深い眠りに落ちることができたのです。




