第5章 ⑦
おそるおそる瞳を開けば、闇の中を射照らす金色の髪が視界に飛び込んできた。
「大丈夫か。ミヤカ!?」
「リカルト……王子?」
いつの間にか、ミヤカと大教統の間に、リカルトが割って入っていた。
大教統の拳を捕らえたリカルトは、力一杯に大教統を振り飛ばす。
祭壇に頭をぶつけた大教統に向かって、大股で駆け寄って行ったリカルトは大音声で一喝した。
「くそジジイ! 貴様、一体ここで何をしていたんだ!?」
「お前は、リカルト……王子。どうして、ここに? 教父たちは?」
「なかなか使い勝手が良い剣でな。教徒たちを脅して入ることは簡単だった」
「脅した……だと、そんなことをして、ただで済むと!?」
しかし、次第に大教統の視線は、彼が片手に持っている長剣に移っていった。
「それは神……剣? まさか?」
「……申し訳ない。僕が渡しちゃったんだ」
「クラウト王子」
大教統は、いよいよ蒼白になった。
(あの人が……クラウト王子?)
ミヤカは目を見開き、リカルトより少し背の高い華奢な青年に注目した。
リカルトが話していた一つ上の兄。
病弱と噂には聞いていたが、不敵な表情は薄幸な王子を感じさせないものがある。
じっと、クラウトを見つめていると、にっこりと微笑されてしまった。
「ああ、そっか。ミヤカさんは記憶喪失だから、僕が分からないのか。残念だな。リカルトと僕と貴方は、三角関係だったのに……」
「はっ?」
「兄様、嘘を教えないでください」
リカルトはあからさまに、不機嫌に突っ込んだ。
「まあ、それはおいおい、話すこととして……」
ぎりぎりと唇を噛み締めている大教統に、クラウトは焦点を定めた。
「どうして、僕が貴方を裏切ったのか分からないのでしょうね。貴方は……。僕は最初から、神剣にも、貴方にも興味もなければ、希望だって持っていなかったのに……」
くすくすと笑ったクラウトは、一つ空咳をすると、再び語りだした。
「大体、神具を揃えたら、健康を取り戻すことができるなんて、それを純粋に信じるほど僕は夢を見てはいませんよ。第一、貴方という人間が信用ならない。大切な弟子を、こんなふうに縄で縛りあげて、犯人に仕立てようとするなんて、ひどい話じゃないですか」
「猊下……」
そうして、クラウトによって縄を解かれ、猿轡を外してもらったルーセンが勢いよく立ち上がった。
「貴方はやはり、私利私欲のために神珠と神剣を欲していた。平等な世の中を作るために神剣を欲しているという貴方の望みをわたしは信じておりました。それなのに、貴方はわたしの気が緩んだ隙に、捕えて罪をなすりつけようとした。……貴方を信じようとした、わたしが愚かでしたよ!」
「ルーセン、貴様……。ルミア神国の血が流れているお前を、リーラ教の大教堂にまで招いてやったわたしに、そのような態度を取るのか? この裏切り者がっ!」
「…………愚かな」
クラウトが嘲笑し、リカルトが語気を強めて言い放った。
「大教統……。いい加減、観念したらどうだ。大方、ミヤカに神事をやらせることで陛下を信じさせようとしたんだろうけど、あんたが怪しいことは、とっくの昔から陛下もご存知だ」
「ご存知……だと? 仮に陛下がわたしに疑念を持たれていたとして、証拠はどこにあるのだ?」
「そんなの簡単だろう。俺たちが証言すれば良い」
「…………では、その証言者がこの世からいなくなったら、どうする?」
「はっ?」
「おいっ! 誰か!! 出てこい!!」
大教統が手を叩きながら、叫んだ。
「神の名において、この者たちを成敗するのだ!」
だが、周囲はしんとしたままだ。
何も起こらない。
大教統は何度も強く手を叩いたが、拍手の音が高らかに地下室の中に響くだけだった。
「……陛下に兵を動かすよう、要請したんだ。シモンさんに、俺の手紙を持って、陛下のところに行ってもらった。どうやら、無事に動いてくれたらしいな」
「そんな……すぐに兵士を用意など」
「だからさ、貴方のことは、すべて兄上にバレていたんだよ。事前に準備していたんだろうね。あの腹黒は……」
「大聖堂は不可侵でいたかったけれど、こういう場合は不可抗力だよな。大教統?」
兄弟の言葉によって、容赦なく大教統は追い込まれていく……。
そして…………。
「くそっ!」
神剣を奪おうと、リカルトに向かって捨て身で突進してきた。
「リカルト王子!」
ルーセンが魔術で、大教統の動きをその場に留める。
……と、すかさず、リカルトは足を振り上げ、大教統を容赦なく蹴り飛ばした。
「…………っ」
壁に打ち付けられた大教統は、強く背中をぶつけた後、がくりと首を垂れ、失神してしまった。
「…………あっけないの」
クラウトがぼそっと呟く。
顔色一つ変えていないのは、彼にとっては、予定調和の展開だったからかもしれない。
「もう少し楽しませてくれると思ったんだけど」
「一体、何が楽しいんですか? クラウト王子?」
「…………まあ、まだ祭りは終わったわけじゃないからね」
おおよそ、良心からかけ離れた台詞だったが、彼の言葉はその次の出来事を想定していたらしい。
再び、地面が揺れた。
「次は君の番だろう。ミヤカさん」
「あっ」
地震が再び発生したということは……。
(また、逆戻り……てこと?)
「リカルト王子……。神珠がっ!?」
「分かてるって……」
もはや、切り株だけになってしまった大樹を、リカルトは静かに見下ろしていた。
その間も、揺れは絶え間なく続き、天井から、ぱらぱらと小石が降り注ぎ、ただでさえ、ふらふらしているミヤカの足元の自由を奪った。
すぐさま、リカルトの力強い手がミヤカの腰に回る。
…………ぎこちない手つきに、ミヤカの方が落ち着かなくなった。
だからといって、揺れている間は離れることもできない。
「…………お前、神事をやったんだろう? 顔色も悪いし、ふらふらしているじゃねえか?」
「まあ、そうした方が良いと思って。結局、無意味になってしまいましたし、神事自体、中途半端なものになってしまったようですけど?」
「俺はあそこで大人しくしてろって言ったよな……。よりにもよって、こんなジジイの誘いにのこのこついて行きやがって」
「……大教統がこんな人間だとは思ってもいませんでしたから」
「ふん。ちゃんと、相関図を絵にでもして、教えてやれば良かったな」
リカルトが暗い溜息をこぼす。
しかし、怒っているわけではないようだった。
むしろ、自分を責め立てているような苦悶の表情を浮かべている。
「俺はお前の大切な時に、いつも遅れてばかりいるな。いつも……気づくのが遅いんだ」
「別に、そんなこと……」
「また遅れてしまった。お前がこうして生きていたから、良かったけど……。もし、いなくなってしまったら……俺は」
くすくすと肩を震わせ、忍び笑いながら、クラウトとルーセンが傍観している。
彼らの存在を忘れかけていたミヤカは、恥ずかしさに声を裏返した。
「でも!! カネリヤ山が噴火したら、私たち二人とも危ないんですよ」
「……火砕流が城を飲み込むまでにいいかないかもしれないけど、可能性は否定できないな」
「じゃあ、いっそ、わたしがもう一度、神珠に触ってみましょうか? もしかしたら、ちょっとの力で、もとに戻るかもしれません」
「それだけは、やめてくれ」
伸ばしかけたミヤカの手を引き留めたリカルトは、きつく握りしめる。
クラウトが腕組みをしながら、訊いた。
「……で、どうするの。リカルト。もしかして、覚悟は消えた?」
「やりますよ。それしかないと、俺が考えたんですから」
「ふーん」
「リカルト王子、何を考えたのですか?」
ミヤカが上目使いに問うと、リカルトはミヤカの手をそっと離し、無言で剣を鞘から抜いた。
「これが……」
………………神剣?
大教統がくだらない策を弄するほどに欲しがった、大陸の神宝で三種の神具の一つ。
しかし、これは……。
「リカルト王子、本気ですか?」
問わずにはいられなかった。
何しろ、リカルトが神剣と呼んでいる剣の刀身は、錆が浮かんでいて、とても使い物にならないような代物であったからだ。
きっと、長い間、神剣と認識もされずに、たいした手入れもされてなかったのだろう。
脅し程度の力を発揮することが出来ても、魔界の入口などという得体の知れないものを封じる力なんて、こんな鈍らが本当に持っているのだろうか?
「なあ、ミヤカ。クラウト兄様に聞いたんだけど、神剣と神珠の効果は、大体同じようだ。思い通りに、相手を吹っ飛ばしたり、四代元素のそれぞれの力を扱うことができる。少し疲れるが、神珠と比べれは危険は少ないだろう?」
「でも、その剣が使いものになるか分かりません。もう一度、わたしが……」
「それだけは、絶対に認めない」
強く念押されると、ミヤカは黙り込むしかなかった。
二度成功していからだろうか、神事に対する抵抗も薄くなっているのかもしれない。
危険な行為には変わらないのに、それもやむなしと思っている自分がいる。
「俺は鈍感で空気が読めなくて、学生時代、お前とまともに向き合おうとしなかった大馬鹿者だけど、今度こそはちゃんとやり遂げたいんだ。まあ、一種の賭けにはなるだろうけど?」
「何を……考えているのですか?」
「別に、深い考えなんてないけどさ。でも、お前、言っていたじゃないか。今こそ、サンマレラとルミア神国の融合の時だって。俺は、まさしく、今がその時だって、思ったんだよ。神珠と神剣の融合……。それを、今からしたい」
「しかし……上手くいくかどうかは」
「神事だって、上手くいくか分からなかったのに、二度ともお前は生還して、一時でも噴火を抑えることができたんだろう。きっと、今回だって、大丈夫さ」
悪戯を企む子供のように、弾んだ声に、ミヤカも引きずられた。
「……そうですか。分かりました。それなら、わたしも一緒にやります」
「はっ?」
「サンマレラとルミア神国の融合の儀式に、わたしが参加しなければ意味がないじゃないですか」
「馬鹿言え。危険は少ないと思うけど、絶対に安全とは言えないんだぞ。お前は逃げとけって……」
「それだけは絶対に認めない……はわたしの台詞ですよ」
ミヤカはにやりと口角を上げた。
その言葉は、逆効果だ。
素直でないミヤカを、逆に焚き付けてしまう。
「しかしだな」
「わたしは、この国の救世主になるなんて、だいそれたことを言って、ここに来たのでしょう。その救世主が逃げてどうするんですか?」
「それは…………」
痺れを切らしたクラウトが話に入ってきた。
「……いつまで、痴話喧嘩が続くのかな。リカルト。よく考えてみなよ。もし火砕流が発生したら、一瞬だ。幸い、ここは高台だし、そう簡単に死にはしないと信じたいけど、死ぬ時はあっという間なんだ。どうせ、駄目元なら、二人でやったら、どうなの?」
クラウトは腕を組んだまま微動だにしない。
ルーセンも、そんなクラウトの隣にいるだけだ。
二人だって逃げる気なんてないのだ。徹底的に見届けるつもりでいるらしい。
「分かったよ……。仕様がないな」
「リカルト王子……?」
「……一緒にやってくれるか? 救世主殿」
リカルトがミヤカに手を差し出す。ミヤカは吸い込まれるように、その手を強く握りしめ、大きくうなずいた。
彼の照れくさそうな微笑が、ミヤカのすぐ上にあった。
(わたしは、……やっぱり、リカルト王子のことを知っている)
出来ることならすべて思い出したいと、ミヤカは切実に願った。
彼のことを忘れたいなんて、ミヤカが思うはずがないのだ。
「いいか、ミヤカ?」
そうして、ミヤカの背後に回ったリカルトは、剣を握ったミヤカの手に、自分の手を重ねた。
「………………はい」
心地よい一体感が全身に伝わって行く。
恐怖心は、微塵も抱かなかった。
二人で力を合わせ、おもいっきり剣を振い上げ、深々と切り株に突き入れる。
鈍らだった剣は、いつの間にか輝きを取り戻していた。
「何だ。一体……?」
ルーセンが息を呑んでいるのが分かった。
次の瞬間には、光は放射線状に弾け飛び、薄暗い地下を真昼の陽光よりも明るく照らした。
剣が柄部分まで刺さったところで、一気に成長した太い幹が剣を飲みこみ、先ほどとは比較にならないほど見事な枝葉を作りあげていく。
地底から、噴き上がった生温かい猛風が天井を抉りながら、吹きぬけていった。
「…………成功……なの?」
ミヤカがゆっくりと結果を確かめていると、突然、頭上から瓦礫が落ちてきた。
「ミヤカ!!」
リカルトがミヤカの頭を抱いて、直撃するのを護ってくれた。…………が、しかし、実際傘となったのは、謎の発光体だった。
「あれ……は?」
風の中から逸れた光の結晶は、旋回しながら、ミヤカの方に飛んできた。
「何だ。これ……」
気づいたリカルトが掌で受け取った。
その瞬間…………。
「…………あっ!?」
脳内で、眩い光がぱんと弾けた。
「ミヤカ?」
自ら封じてしまったリカルトとの思い出。
ミヤカの記憶は、その一瞬で完全に復活した。
「わたし……」
あの時……神事を行った後の自分の気持ちがよみがえる。
――素直になりたい。
もう一度、何も知らないまま、やり直したい……と。
ミヤカは、ただそんなことを、考えていた。
(愚かだな……。わたし)
それが「叶えたい願い」と見なされてしまうなんて、どれだけ間抜けなのだろう。
リカルト以上の大馬鹿だ。
「すごいぞ! ミヤカ! やったな!! これで当分は、持つんじゃねえか!?」
感極まったリカルトが全身覆い被さるようにして、ミヤカを抱きしめた。
あれほど、遠かった人が、今自分の背中に手を回している。
その奇跡が信じられなかった。
「どうしたんだよ? お前、泣いてんのか?」
ミヤカの肩に、顔を埋めていたリカルトが勢いよく顔を上げた。
ミヤカは涙を拭きながら、懸命に笑顔を作ろうとしていたが、なかなか上手くできない。
泣き顔が見られたくなくて、だから精いっぱい虚勢を張った。
「……よくまあ……サンマレラ王国とルミア神国の融合の時って、わたしが最初に言った、そんな適当な台詞を覚えていたね?」
「…………ミヤカ……お前……もしかして」
ごくりと息を呑んだリカルトに、ミヤカがきちんと記憶が戻ったことを報告しようとしたところ………………。
――ガシャン。
崩れかかった入口付近で瓦礫が音を立てた。
驚いて、視線を向けるてみれば、そこには見知ったひとたちがずらりと並んでいた。
「あっ、そのまま、そのままでいいから……」
「レ……レナート兄様!?」
「まったく、我が弟君はこの状況で節操がないらしい」
国王夫妻がにやけながら、リカルトとミヤカを見守っている。
「ごほっ」
手前にはクラウトが陰気な咳をしていて、ルーセンがその背中を擦っていた。
沢山の教父たちが狭い入口から顔を出し、固唾を飲んで二人を凝視していた。
「…………あっ、これは、その」
それでも、リカルトは腕に抱えたまま、ミヤカを離そうとしない。
「王子、いい加減離れてくれる?」
ミヤカは、どんとリカルトを押した。
「うわ! ばかっ!!」
その拍子に、リカルトの掌から丸い珠が転がり落ちて、石床を転がっていく。
『すべて、終わったのね……』
そう呟きながら、小さな丸い珠を拾い上げたのは……。
「叔父さん? ……いや」
手にした珠を、うっとりと見つめている妖艶な立ち姿は、シモンではない。
「巫女姫」
……イリアだった。
『お久しぶり。リカルト王子。ほら、これ神珠の欠片じゃない。……神剣が神珠を砕いた時に飛び散った一つ』
色っぽい男の声が、がっしりした体格のシモンの口から零れ落ちる。
「ああ、さっき神剣で神珠を砕いちまったったからな。結果的には良かったと思ったんだけど。これは、まずい展開なのか?」
イリアはリカルトの前に立ち、微笑みで応えた。
『別に悪くはないわよ。リカルト王子。神珠はすべてが砕かれた訳ではないもの。おそらく、一部は神剣と同化して、もう一部は弾け飛んだってところでしょう。わたしの時代の……神殿にあった御神木に形態が戻った。きっと、赤い龍は封じられたということね。…………神事は、無事に終わったのね』
イリアは肩を竦めて、感慨深げにミヤカを見下ろした。
(………………これは、つまり?)
四百年に一度の神事が終わったということだ。
そして、その時点で、巫女姫の存在意義もなくなった……ということだ。
『ミヤカの願いごとは神珠が戻ったことで、無効となった。記憶が戻ったんでしょう?』
「まあね……」
「本当なのか! ミヤカ!? 俺のこと、ちゃんと思い出したのか!?」
リカルトが肩に手を置いて、ミヤカを激しく揺さぶる。
本人よりも、はしゃいでいるようだった。
「……リカルト王子、病み上がりにキツイから、やめてくれる?」
『あら、王子らしくて良いじゃない』
イリアがくすくすと笑っている。
『安心したわ。これで思い残すもないってことよ。……お別れね。ミヤカ』
そっと、ミヤカの髪を撫でる。
その仕草が亡き母親を彷彿とさせて、ミヤカの涙腺を刺激した。
『貴方に会えて良かったわ。わたしの願いごとはね、未来の子孫に会うことだったの。思いがけず願いが叶って嬉しかったのよ。ミヤカ……」
「イリア……」
『出来れば、もう少し一緒にいたかったけれど、貴方には、ほら、シモン以外にリカルト王子もいるじゃない。ねえ、王子。ちゃんと、この子の傍にいてくれるんでしょう?』
「当たり前だろう。そんなこと」
リカルトがミヤカの肩を抱いて、得意満面に応えた。
まったく、だから、この人は信用できないのだ。
「…………うーん、なんか、その場の雰囲気で適当に同意しているような気がするんだけど?」
「相変わらず、お前は可愛くないな」
イリアは、その光景を泣きながら、笑ってみていたはずなのに……。
―――気が付いたら、消えていた。
小さく開いた横穴から垣間見えたカネリヤ山は、完全にいつもの悠然とした佇まいを取り戻していた。




