終章 ①
「家族だけで過ごす時間はいいね。とても、穏やかな気持ちになる」
「レナート兄上は、今日も健やかなようで何よりです……」
「ありがとう。お前も、今日は顔色が良さそうで安心したよ」
「こういった誘いは、貴方からはありませんからね。這ってでも、参加したかったのです」
はははっと、クラウトが笑うと、あっははと、レナートも返す。
クラウトの穏やかそうで、毒のある言葉が怖くて……。
レナートの笑ってない目も恐ろしかった。
(……仲の良い兄弟じゃなかったの?)
二人の間に挟まれて、ミヤカは縮み上がる思いをしていた。
――明日、ミヤカとシモンは自宅に戻ることとなった。
リカルトが長期休暇を終え、学校に戻ると言うので、日程を合わせてみたわけだが、なぜかレナートに慰留されてしまったミヤカは、それでも何とか自宅に帰ることを認めてもらったわけだが、しかし、なぜかレナートから条件を出されてしまった。
帰る前に、食事会を開くので、絶対にそれだけには、参加して欲しい……と。
(まあ、本当に家族の食事会で済んだだけ、マシなのかもしれないけど……)
お馴染のクラウトの離宮の庭で行われることになった食事会には、クラウトとレナート、シモンとミヤカかしかいない。
ノエルとリカルトは私的都合で遅れるとのことだった。
だからこそだろう。
誰も仲裁役がいない、食事会は、真冬の吹雪の中で行われているような、寒々しい空気が発生していた。
(何か、違う話題を用意して……)
面倒事に発展するのは、迷惑だ。
そうなる前にと、ミヤカは懸命に頭を働かせるものの……。
しかし、余計な口を挟んで、矛先を自分に向けたくないために、なかなかきっかけをつかむことができなかった。
葛藤しているうちに、気まずい沈黙を破って、クラウトが核心を突いた。
「それにしても、レナート兄上。あの時、僕を説得するのに、リカルトを寄越したのは、貴方の……それとも、姉上の策でしょうか?」
「策なんかじゃないよ。事情を話したら、リカルトがすっ飛んで行ってしまったんだ。わたしの立場上、怪しい神事の延長に、神剣を使うことを許可できるはずがないじゃないか」
「…………はっ?」
…………それは、つまり。
(王の立場上、神剣の使用許可を出せないから、リカルト王子を使った……と?)
何となく、ミヤカも気づいてはいた。
リカルトを信じて欲しいと謎めいた一言をミヤカに告げた。
レナートは、最初から今回のことを見越していたということか?
クラウトも、それを指摘したいのだろう。
口元に笑み残しつつも、質問は執拗だった。
「カネリヤ山が危ないときに、どうして兄上はリカルトより遅れて大教堂に来たのでしょうかね。本来であれば、すぐに兵を率いて大教堂に行ってもおかしくない。だいたい、大教統がミヤカさんを連れ出すことだって、黙認でしょう。いくらなんでも、城に使者が来たら、兄上の耳に届くはずだ」
「酷い言い方だな。それじゃあ、わたしがすごい腹黒い人間のようじゃないか。お前だって、不健康なことを餌にして、大教統が神具の話を持ちかけて来るのを待っていたんだろう? 理由は面白そうってだけで。かわいそうにね。ルーセンは釣った魚かな。不憫なのは、ルーセンの方じゃないか」
レナートの言葉に、クラウトが忌々しげに舌打ちをした。
(…………怖い)
彼の素顔は、本来これなのだ。
(これだったら、わたしの方がまだマシな方かも……)
ミヤカの場合は、素直になれないだけだ。
そこに計算も駆け引きもない。
誰かを貶めようとか、望み通り動かそうとか、裏の意図なんてないから、後々困窮していくのだ。
そんな根が小心者のミヤカには、この毒々しい応酬は胃に響くだけで、何の利点もない。
(早く、帰りたい)
欲求が高まるばかりだ。
いくら庶民が味わうことのできない高級料理が並んでいたとしても、食べた心地がしないのでは、意味がないではないか。
急に具合が悪くなったと言って、消えることはできないだろうかと、真剣に考えはじめた時……。
ミヤカの思考を妨げるような絶妙の瞬間で、突如、黒い外套の魔術師が現れた。
「あれ、貴方は……?」
ミヤカが問いかけると、ルーセンは無言でうなずいた。
「一体、どこから?」
「相変わらず肝心なころで、鈍いですね。離宮の庭であれば、簡単な魔術が使えます」
「……ああ」
……て、いや簡単ではないだろう。
突然、現れたのだから。
呆気にとられているミヤカとは違い、レナートもクラウトも落ち着き払ったものだった。
「役者がそろってきたようじゃないか……。君だって招待していたんだ。席に就いて、食事を堪能していったらいい」
レナートがいつものように、鷹揚に言い放つ。
しかし、ルーセンは直立したまま、皮肉気に口元をゆがめた。
「すべてを知った上で、わたしを泳がせている貴方に比べたら、クラウト殿下は遥かにマシだと思いますけどね?」
「あははっ、ルーセンも言うねえ」
クラウトが声を上げて、笑った。
新たな人間が参入したことで、少しは険悪な雰囲気が晴れるかと思いきや、かえって、下り坂まっしぐらである。
(どうしよう。食事に夢中の叔父さんを覚醒させて、自宅に直帰する方向に向けてみようか……)
それは、ミヤカの最終手段だった。
ミヤカの向かい側の席には、こちら側の会話を一切遮断して、ひたすら食事に邁進しているシモンがいるわけだが、しかし、シモンを我に戻すということは、更にとっくみあいの喧嘩をしでかすような人材を増やす行為にもつながる。
ミヤカは横目でちらちらシモンを監視しつつ、凍えた環境の中に身を置くしかなかった。
「陛下……。あのジジイ共々、わたしを罰しないのはなぜですか?」
ルーセンの言う「ジジイ」とは、言わずもがな大教統のことだろう。
結局、大教統は、自ら退位したのだと、侍女たちの噂話で、ミヤカは知った。
レナートが神剣の存在をおおやけにしたことで、教父たちが神木を抜こうとしていた大教統の私利私欲を告発したことが原因である。
あの日、レナートは火山の噴火に備えて編成していた兵団を使って、大教堂を占拠した。
今まで政教分離が鉄則だった「リーラ教」にとっては、有り得ない事態ではあったが、元々悪名高かった大教統を失脚させるための手段で、火山の噴火兆候がきれいさっぱり消え失せた奇跡を教父に訴え、何とか彼らに受け入れられた。
民衆は全面的に、若き王を支持している。
サンマレラ王国は、一見平穏だった。
だが、渦中のルーセンの内心は荒れているのだろう。
一応、あんなジジイでも、この男の育ての親にあたるのだ。
「処分ね。……君はして欲しいの? 罪状は何?」
「わたしは、毒を盛りました」
「わたしたちは、ぴんぴんしているからね。君が毒を盛った物証もない」
「……しかし」
「君を処分したと知ったら、リカルトが怒るもの。人種差別だって、噛みついてくるよ。わたしは正直リカルトが一番怖いんだよ。ね? ミヤカちゃん」
「はっ!?」
ここにきて、突然、話を振られたミヤカは、手にしたまま固まっていたフォークとナイフを、落としそうになってしまった。
「怖い……ですか。リカルト王子が?」
「ああ、リカルトは僕達兄弟の中で、一番怖いんだよ。たとえ、わたしが計算高い策略家であったとしても、鈍らな剣を神剣だと信じこんで、それを、たった一人の女の子のために、魔界の入口に突き刺すような、謎の勇気は持てないからさ」
もちろん、レナートはある程度リカルトの行動を予想していたはずだ。
しかし、あんなに短時間で、何の逡巡もせずに、今回のことを、あっさりやってのけたリカルトに対しては、正直、驚倒したに違いない。
ミヤカだって、今にして、後々思うことがあった。
(上手くいったから、よかったものの……)
あんな大それたこと、絶対に一人ではできない。
「リカルト王子は、普通ではできないことを、なぜか、あっさりできてしまう人なんです」
溜息と共に本音をこぼす。
クラウトが子供のように、大笑した。
「あっ、それ、同感だよ。僕もそう思うもの。あいつさ、昔から、いつも何も考えていないくせして、いざとなると、おいしいところを掻っ攫っていくんだよ。それが、本当に腹立たしくてね。だから、眩しく見える。大嫌いなのに、あいつの言うことに、つい耳を傾けてしまうんだ。そんな自分が嫌になっちゃうんだよねえ」
「…………それ……よく、分かります」
リカルトとの付き合いがミヤカより長い分、クラウトの言葉は重みがある。
(そういう奴なんだよね。リカルト王子って)
「……でしょ? やっぱり、僕の心の内を分かってくれるのは、君だけのようだ」
ミヤカの答えに気を良くしたクラウトは、椅子をずらして、こちらに近づいてきた。
「やっぱり思った通りだ。君と僕は似ているよね。どう? リカルトなんて、やめて僕にしておいたら? 体調には波があるけれど、気遣いはできる方だと思うけどな?」
「ごほっごほっ!」
そこで、吸い込むように、食事をしていたシモンが食べていたものを喉に詰まらせて、派手にむせた。
……が、ここは人払いされていて、給仕の人間がいない。自分で卓の中心にある水差しを引き寄せてカップに注ぎ、それをぐいっと呷ったシモンは自分が皆からの注目を浴びていることに気づいたのだろう、いきなり会話に入ってきた。
「はっ、どうせ、クラウト王子の目的は、リカルト王子に対する嫌がらせでしょう。くだらない。騙されるなよ。ミヤカ」
一国の第二王子に向かって、不遜どころで済まない言い草だ。
ルーセンではなく、シモンが処分されても仕方なさそうな暴言なのに、しかし、クラウトは気にしたふうでもなく、言い返した。
「嫌だな。それだけじゃないよ。僕は今回のことで、ますますルミア神国の魔術に興味を持ったんだ。僕の虚弱体質も治るかもしれないしね。治してくれないかな。ミヤカさん?」
「神珠はわたしの手元にはもうないんですよ。治せるはずが……」
「三種の神具のあともう一種類は見つかってないじゃないか? ルミア神国側に資料があるかもしれない」
……結局、それか。
なんだかんだで、虚弱体質を治す気満々ではないか……。
呆れるミヤカの肩に、クラウトが手を回そうとしたところ、ぱしりとその手を払いのけた人間がいた。
新たな登場人物だった。
紅蓮のドレスが、どんよりとした雰囲気の中で、ひときわ眩しく映る。
「ノエル……様?」
「お前の虚弱体質は、気合で治せ! ミヤカちゃんを巻き込むな」
今日もノエルは、元気いっぱいで、こちらが疲れるような勢いに溢れている。
ノエルはドレスをたくし上げながら、ずんずんとミヤカに近づいてきた。
「こんなところで腹黒い男どもに、毒されてはいけない。行こう。ミヤカちゃん」
「はっ? 一体何処に……ですか?」
食事会に参加するのが目的だったはずだ。
それなのに、まだ続きがあるらしい。
急に登場して、この言動だ。
もはや隠すこともなく、眉をひそめるミヤカの腕を、ノエルは容赦なく引っ張った。
「さあ、一世一代の大舞台に行くんだよ!」
「……大舞台? わたし、芝居は下手なんですけど?」
「そういう意味じゃ……ないんだけどな」
本当に何がなんだか分からなくなってしまった。
呆然としている男たちを尻目に、ノエルは豪快に真紅のドレスの裾を割って、露台から繋がっている庭に、あっという間にミヤカを連れ出してしまった。
「あの、ちょっと、ノエル様」
ミヤカと同じ、動きにくいドレスに高い踵の靴を履いているノエルなのに、その動きは恐ろしいほど速い。
慣れないミヤカは、ひたすら彼女に引きずられるようにして、歩かされた。
……そうして。
ようやく、解放されたのは、ほどよく剪定された芝生が広がっている庭の中心だった。
「あっ」
噴水の前に、落ち着かない金髪青年の姿を発見したミヤカは、そこで初めて、ノエルの思惑に気が付いたのだった。




