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救国の条件  作者: 森戸玲有
第5章
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第5章 ⑥

 たとえ、ルミア神国の血筋を引いていたとしても、生まれた時には、サンマレラ国民だったミヤカは、当然リーラ教の信者でもある。

 リーラ教の一番偉い人が、大教統だということは知っていた。

 だが、突然呼び出され、面と向かって会う機会がやって来るなんて、一度だって思ったこともなかった。


「呼び出してしまって、すまなかったね」 


 大教統は長い白髭が特徴の小柄な老人で、紫の法衣をまとっていた。

 こんなふうに、宝石をじゃらじゃら身に着けている教父は、近所の教堂にはいない。

 やはり、この老人はリーラ教の一番偉い人なのだろう。


「いいえ。そんなことはありません。いずれにしても、近いうちに、ここに呼ばれることは分かっていましたから……」


 あくまでも、リカルトやレナート立会いのもとだと予想をしていたが……。

 しかし、こんな日が来ることは、昨日、レナートが直々にミヤカに会いに来た時点で感じ取っていたのだ。


「さあ、こちらに……」

「えっ?」


 大教統の命令口調に、恐縮して動けないミヤカを、案内人の教父は投げ込むように、室内に追いやった。


「……と、と」


 転びそうになったミヤカを無視して、大教統に一礼した教父は、重々しい戸を静かに閉めてしまった。

 まるで、罪人扱いされているようだった。

 無理もない。

 リーラ教は、元々他宗教を排斥しているのだから……。

 ルミア神国の巫女姫など、忌むべき対象として蔑まれて当然なのだ。


(……だからこそよね)


 大教統の満面の笑みが、罠のようで逆に怖いのだ。


 しかも、地下ここの礼拝堂は、白い息が出るほど冷たい空気が部屋一杯に充満していて、窓一つないので、日中でも、仄暗かった。

 そんな寂しい空間に、老人と二人きり……。



「…………て?」


(何、あれ?)


 大教統ろうじんと目を合わせたくない一心で、周囲に目を向けていたミヤカは、真正面の光景を目の当たりにして、息をのんだ。

 視界が暗いせいで、気づくのがすっかり遅れてしまったらしい。


「何で?」


 …………以前、ミヤカが持っていたと話に聞いていた「箒」。


 立派な神木のように成長したと耳にしていたのに、そんなものは何処にもなかった。

 無残に枯れた樹が横倒しになって祭壇を潰し、礼拝堂の半分くらいを占拠している。

 神聖である空間を一層、暗く淀ませているのは、この大樹が原因のようであった。

 ミヤカは呆然と呟いた。


「これは、一体……?」


 礼拝堂に大樹が生えているだけでも、驚きの光景なのに、それが今、朽ちかけてミヤカの前に転がっているのだ。

 恰幅の良い体を引きずって、大教統が樹に近づいたミヤカの真横に並んでいた。


「驚かせてしまったかな? 急に枯れてしまったみたいでね。わたしも驚いたのだよ」

「そんな……はず」


 ――違う。


 ミヤカには、分かった。

 証拠なんて、何処にもない。

 植物のことに詳しいわけではない。


 ……けど。


 ルミア神国の巫女姫として、何かがミヤカの心に訴えかけてくるのだ。


 違う……と。

 これはすべて、人為的な仕業なのだ……と。

 少し力を込めれば、簡単に折れてしまいそうな弱々しい木は、神珠の力不足が招いた惨状とは思えなかった。


「大教統さま、これは絶対に誰かが故意に抜こうとしたんですよ。間違いありません」

「分かるのか……?」

「神珠の力不足で、このようになるはずがない。そう……感じるんです。誰が、どうして、こんな酷いことを……。わたし、このことを陛下に報告して……!」

「それには、及ばない」


 大教統は鼻をかきながら、ばつが悪そうに告げた。


「一応、そなたたちのために、黙っておいてやろうと思ったのだが……」


 大教統は、薄ら寒い愛想笑いを浮かべながら、祭壇の前にある長椅子の前まで歩いて行くと、縄で縛った男を引っ張り出し、その場に転がした。


「あっ……?」

「そなたも見覚えがあるだろう? 実はこの男が大教堂に忍び込んで、神珠を盗もうとしたのだよ。わたしはすぐに気づいて、取り押さえたのだが、こんな有様になってしまって……」

「その人が……引き抜こうとしたのですか? 神珠を?」


 額から血を流している男は、気を失っているようだった。


(この人って、もしかして?) 


 大教統の指摘通り、見覚えがある。

 ミヤカは、この男と何処かで会ったような気がしていた。

 その男は、シモンより少し年下くらいだった。

 茶髪の短髪に、大陸風の魔術師の黒い外套をまとっている。

 大教統は、ミヤカの反応をうかがいながら、早口で喋った。


「先日、大教堂に忍び込んだ罪で罰しようしたら、陛下が責任を持って処分をすると止めたので、渋々返したのだが……、結局、この有様だ。しかし、一応クラウト王子の従者だった男だ。穏便に済ませようと、配慮したのだよ」


 ルーセン?

 シモンから聞いたクラウトお抱えの魔術師の名前がそれだった。

 確かに、三種の神具について、この男が何か知っているのではないかと、シモンが口にしていたが、そこまで、悪名高い人物ならば、もっと警戒しろとミヤカに念を押しても良いのではないか?

 どうして、誰も何もミヤカに言わなかったのだろう……?


「そこの……ルーセンは、そこまでして、神珠を欲しがったということですか?」

「おそらく、大陸のサンクリスト王国が仕組んだことなのだろう。この男は大陸系の魔術師だ。サンクリストはサンマレラの繁栄を妬んでいるらしいからな」

「よくご存知ですね?」

「当然だ。サンクリストもリーラ教を国教としているので、情報が入ってくるのだよ」


 大教統はしたり顔で、ぺらぺらと答える。

 リーラ教で一番偉い人に対して、不敬かもしれないが、ミヤカにはどうにもこの老人が胡散臭くて仕方なかった。



「このことは、陛下もご存知なのですか?」


 試しに問いかけてみると、大教統は間髪入れずにうなずいた。


「もちろんだとも。ちゃんとお伝えしている。陛下は公務中で、遅れて見えるとのことだ。先に神事を行っておいて欲しいとのことだよ」

「……そうですか」


 疑う要素は沢山ある。

 直接、レナートと話をした方が早そうだが、しかし、ここでミヤカが一度レナートと謁見したいと告げたところで、この老人は外に出してはくれないだろう。


(だけど、何とかして外に出ないと……)


ミヤカは懸命に頭を働かせるものの、ミヤカの思考を妨げるように、刹那


 ……………………ゴゴゴゴゴ…………と地面から音が響いた。


「なに!? 地震!?」


 こんな不気味な音を聞いたのは、初めてだった。

 地の底が悲鳴を上げているかのように、激しく大地を揺さぶる。

 枯れた木の葉が頭上から降ってきた。


「わっ!」


 ミヤカはよろめきながら、長椅子の縁に掴まった。

 激しい揺れだ。

 ごくまれに、サンマレラに地震が発生することはあるが、立っていられないほどに揺れたのは初めてだった。


「いよいよ……か」


 大教統が淡々と呟いた。

 もはや、一刻の猶予もないのだ。

 今までどこか他人事だったミヤカも、今の揺れで身をもって危険が迫っていることを知った。

 じたばたしている余裕もない。


(覚悟を決めるのよ……わたし!)


 人生には、絶対に起こり得ないと思ったことが発生することが間々あるものだ。

 火が噴いて、犠牲になることを考えたら、このジイさんの怪しさは抜きにして、ここで一か罰、神事を試してみる価値はある。



「分かりました。陛下からのご命令ということでしたら、仕方ありません」

「やってくれるのか?」

「時間がないような気がしますから」


 ここからカネリヤ山が見えないので、最終の刻限は読めないのだが……。


(やってやろうじゃない……)


 大教統から離れて祭壇に向かったミヤカは、地面を這うように枝がしな垂れかかっている樹のもとに行き、ひざまずいた。


(記憶はないけど、一度は成功しているんだから、二度目も大丈夫なはずよ……)


 よしっと、気合を入れたミヤカは、目をつむり、樹の幹にそっと触れた。

 …………まさにその時だった。


「つっ!?」


 途端、指先から爪先まで雷が走ったような刺激があり、全身がカッと熱くなり、息苦しくなった。

 血液がすべて逆流して、樹に流れ込んでいく感覚。淡い光が幹全体を包み、枝にまで波及する。

 激しい力の奔流に意識が飛んでしまいそうな恐怖を、歯を食いしばって耐え抜く。


「素晴らしい……!」


 大教統が必死なミヤカをよそに、感嘆の声を漏らしている。


(冗談じゃないわよ……)


 こちらは、命懸けなのだ。

 怒鳴ってやりたい気持ちのミヤカであったが、そんな余裕もない。

 傾いでしまいそうな身体と、遠退いていきそうな意識に危険を感じて、ミヤカは薄ら目を開けた。


「これ以上は……」


(……駄目……だ)


 これ以上、触れていたら命を鵜幅われる。

 ここまでかと、手を離そうとした、その瞬間……。


「なっ!?」


 目を見開いたミヤカは、自分の下で大樹の幹を掴み、引き抜こうしている大教統の姿を見つけてしまった。


「ちょっと、いったい、何をして!?」


 大教統を樹から離そうと、後ろから引っ張ろうとするものの、力がまったく入らない。

 ミヤカを振り払った大教統は、独り言のように呟いた。


「これで、神珠はわたしのものになる」

「貴方は神珠を狙ったのは、ルーセンだったと言いましたよね?」


 それが本当かどうか、ミヤカはほとんど信じてはいなかったが、絶対的な国教であるリーラ教の大教統がここまで堂々と嘘を吐くことも想像していなかった。


「本当はそれで通すつもりだったが、今の神事を見て気が変わった。どうせなら、お前の生命力すべてを捧げた神珠をもらった方が良さそうな気がしてな……」

「…………どういう意味ですか?」


 わざと、ぼけてみたのは、時間稼ぎのつもりだった。

 要するに、ミヤカに死ねと言いたいのだろう。


「……大教統。貴方がこんなことしてリーラ教の神様は怒らないのですか? 今まさに、噴火しそうなんですよ。せっかく持ち直せるかもしれないのに」

「ばかばかしい。四百年に一度の噴火を神珠で止める? そんなこと知ったことではない」

「でも、このままじゃ、貴方だって死ぬかもしれないんですよ!」

「わたしが神珠と、神剣しんけんをものにしてしまえば、絶対に死なない。それだけ、神具には巨大な力が秘められているのだ。天災を防ぐための楔として使うには、惜しいではないか」

「しん……けん? それって、神具の一つの?」

「三百年前、サンクリスト王国から出奔した際、密かに盗み出した神具の一つ、神剣だよ。(なまく)らだという噂だが、神珠と二つ揃えばきっと力が出るはずだ。クラウト王子は、自身の健康に執着している。ルーセンは盗み出すことに失敗したが、王子に先に使わせてやるだの甘い言葉をかければ、喜んで神剣を差し出すだろうよ……」

「ばかげている……」


 神珠はミヤカにしか扱えないと話に聞いていた。だから、当然神剣だって持ち主を選ぶかもしれない。

 そんな使い勝手の悪いものを収集して何が欲しいのか……。


(大教統の地位があれば十分じゃない?)


 そんなミヤカの気持ちは、顔にまで出ていたのだろう。


「うるさい! お前は黙って命を差し出せばよいのだ!」


 苛立った大教統は、ミヤカを強引に立たせて、樹の根元で乱暴に放り投げた。


(……これって、神事なんかより、はるかに危険な状況よね)


 ミヤカの命は、噴火でも神事でもなく、この男に奪われかねないのだ。

 助けを呼ぼうにも、相手は大教統で、ここは地下だ。

 ミヤカの味方になってくれる教父は、誰もいない。

 おもけに、気を失いそうなくらい、体がだるいのだ。

 もはや、抵抗することのできない体をそのままに、ミヤカは視線だけあちこちに向けた。

 床で横たわっているルーセンがミヤカの視界の端に映る。


(…………えっ?)


 その時になって、ミヤカはルーセンの目が開いていることに気が付いた。

 意識ははっきりしているようだった。

 琥珀色の瞳がこちらをじっと見ながら、こくりうなずく。


 大丈夫だ………と、彼がそんなことを言っているような気がした。


 落ち着かせようとしたのだろうか……。

 ……いや。


(一体、何が大丈夫なわけ……?)


 絶望的ではないか。

 もしかして、一緒に死のうとでも言っているのか?


「くくくっ、捕まえたぞ!」


 ルーセンに期待をしていたわけではないが、結局どうにもならなかった。

 赤子の手を掴むように、あっさり大教統に捕えられてしまったミヤカは、乱暴に樹の幹に体を押し付けられた。

 必死でもがいて抵抗するものの、大教統の力は老人とは思えないほど強い。

 背後で欲に塗れた老人の笑声が響いていた。


(……ここまでか?)


 しかし、樹の幹と大教統に挟まれて、意識が遠のきそうではあったものの……。


「……あれ?」


 体に力が入らないのは事実だが、しかし、状態が悪化したわけではない。


 …………生きている。


 疲労困憊だが、死に直結するほど、体力は消耗していなかった。


(どうして?)


 原因を知るために、ゆっくり顔を上げたミヤカは、大樹を仰いで、途方に暮れている大教統の姿を発見した。

 枯れた葉が、ミヤカのもとに降ってくる。

 復活したはずの大樹が枝先から空気の中に溶けて消え出していた。


「…………これは」


 消えていく。

 太い幹も、青々とした葉もすべて……。


 ――神珠が形を失おうとしているのだ。


 まるで、確固たる意志があるように、神珠は大教統に利用されることを避けているように。


(歴代の巫女姫の想い…………)


 潔い覚悟を目の当たりにしたようだった。

 …………けれど。


「でも、待ってよ。ここで神珠がなくなってしまったら……?」


 ミヤカは口元に手を当てた。

 もし、このまま神珠がなくなってしまったら、カネリヤ山はどうなってしまうのか……。

 この時のために、代々、ルミア神国の巫女姫たちは命を懸けてきたのではないのか?


「貴様! これはどういうことだ? (はか)ったのか!?」

「今はそれどころじゃないでしょう。神珠が完全に消えてしまったら、カネリヤ山は!?」

「黙れ!」


 大教統は訊く耳持たずに、拳を振り上げる。

 ミヤカは防御する間もなく、あわてて瞳を閉じたが……。



 ………しかし、その拳は、ミヤカのもとにやってくることはなかった。


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