第5章 ③
結局、自宅に戻ることは許可されなかった。
ミヤカと叔父も事件の関係者だから……という理由らしいが、そもそも、事件が何であるのか、最初、ミヤカにはよく分からなかった。
そんなミヤカの一日の目標は、リカルトと二人きりになることを避けることだった。
(だって、あんな綺麗な人と二人だけでいるなんて、耐えられない……)
じっと眺められると、どきどきして、逃げ出したくなってしまう。
……しかも、二人きりになること自体、恐れ多いと思っているところなのに、リカルトはミヤカを目にするたびに、謎の口説き文句を用意してくるのだ。
(交際はおろか、出会った記憶すらないのに、どうして、いきなり結婚になっちゃうんだろう……?)
絶対に、裏がある。
そうでなければ、リカルトの記憶だけが抜け落ちる訳がない。
シモンから、掻い摘んで事情を聞いたものの、リカルトの言葉ほど信じられないものはなくなってしまった。
とりあえず、朝一番で、城のすぐ隣の王宮図書館で、資料に埋もれているシモンのもとに逃げ込むのが日課となっている。
――もっとも、たまに、リカルトがシモンを手伝っていることもあって、油断ならないのだが……。
ミヤカはおそるおそる訪れた図書館で、リカルトがいないことを確認してから、シモンの向かいの席に腰をかけた。
シモンはそんなミヤカの複雑な胸中を知ってるのか、知らないのか、いつもどおり奇声を発して、元々のくせ毛を更にくちゃくちゃにかき乱していた。
「…………あーっ。絶対に、あるはずなのに見つからない!」
シモンはサンマレラ王国の古書と、ルミア神国の古い文献を読み比べているようだった。一見、昨日と同じものを読んでいるようにも見えるが、細長い机の上に乱雑に広げられ、積み重ねられた資料は格段に増えている。
(自宅の古書店より酷くなってきちゃったな……)
入館を許されただけでも、奇跡的なのに、こんなに散らかしてしまって良いのだろうか?
「叔父さん、そんなに根を詰めなくてもいいんじゃないの?」
「今、この時に根を詰めないでどうする。他の神具の存在が分かれば、もしかしたら、神珠の代わりとして噴火を抑える切り札になるかもしれないだろう? お前の命も助かるし、記憶喪失だって解消されるかもしれない!」
「いや、でも明日明後日のことじゃないみたいだし、命がかかってるなんて、大げさだよ」
シモンにつられて、ミヤカもルミア神国の文献に目を落とす。
だが、字がまったく読めない。
近代のルミア神国の本ならともかく、古代文字は読める気がしなかった。
ミヤカがシモンを唯一尊敬しているところは、この見慣れない記号の羅列を、文字として認識できることだった。
(カネリヤ山を鎮める方法って言ったってね……?)
シモンと巫女姫から、大体のことを聞いたミヤカだったが、いま一つ信じられなかった。
自然の為すことだ。それを、強制的に止めることなどできるはずがないではないか?
「お前が言ったんだぞ。リカルト王子に……」
「……わたしが?」
「神珠以外の神具が近くにあるんじゃないかって。……まあ、そのことについては、わたしも同感なのだが?」
「叔父さん、確か、三種の神具って、神珠と神剣と神鏡だっけ?」
「ああ、そうだ」
それを何度も懇切丁寧に説明してくれたのは、シモンだった。
けれど、記憶のないミヤカにとって、その話はあまりに現実離れしていて、いまいち実感がわかない。
「一体、何処にあるんだろうな……。教堂とか、遺跡とか、祠とか、湖の中とか……。さっぱり分からん」
「そこまで手掛かりがないんじゃ、本当に神具が近くにあるかどうかも分からないよね?」
「いや、ルーセンが怪しい」
「ルーセン? その人って、クラウト王子の従者? 地下牢にいるんじゃなかったの?」
「今は陛下の許可を得て、クラウト王子預かりになっているよ。しかし、あれだけ神具のことについて詳しいくせに、今回、一切口を挟んで来ないのが怪しいよな。不可解だ」
「直接、訊いてみたらどう?」
「無理だよ。クラウト王子に拒否された。あの王子、具合が悪いと言って、誰とも会っていないようだしな。……巫女姫に訊いても、神珠のこと以外は、よく分からないの一点張りだし。……困ったものだよ」
最近、巫女姫は眠ってばかりいて、シモンを通して現れることが少なくなってきているようだ。
ミヤカの封印が多少働いている証拠らしいが、訊きたいことが山ほどあるのに、ここまで頼りないと、いっそ清々しい気持ちにもなってしまう。
どんよりとした溜息を吐いたシモンは、目頭を押さえた。
「悪かったな。ミヤカ……」
「何が?」
「わたしは、学生時代から今まで、お前がリカルト王子に向けている複雑な感情なんて、気づきもしなかった」
「複雑な感情って、言われても?」
「イリアから聞いたが……神珠に忘れたいと祈るほど、真剣なものだったって?」
「いや、……それ、覚えていないから、分からないんだけど?」
本当に、そんなことをミヤカは祈ったのだろうか?
覚えていないだけに、深刻に指摘されると、むず痒い。
―――神珠は、願い事を一つ叶える。
巫女姫からは、そう訊いた。
それが事実だとするのなら……。
(……やっぱり、わたし自身がリカルト王子のことを忘れたいと願ったんだよね?)
毎回、ぎこちなく彼が提示する話題は「結婚」のことだが、しかし、いくら学生時代リカルトと同級生だったからと言って、結婚を前提に付き合っていた訳ではないだろう。
だけど、復讐で結婚なんて、そんな大それた痛いことをミヤカが迫ったことが事実だとしたら、本当に現実を忘れたかっただけかもしれない。
大いにそんな気もしていた。
物思いに沈んでいると、突然、背後に人の気配を感じた。
「……誰?」
「わたしだよ。ミヤカちゃん!」
「…………陛下?」
「何で、ここに?」
シモンの問いに、レナートはにこやかに答えた。
「偶然通りかかってね」
(そんな馬鹿な……)
図書館は、ミヤカが通っていた聖チェスタ学園の校舎並みに大きな造りをしている。
ここは五階の最上階だ。
偶然ではない。明らかに、レナートはここを目指してやって来たのだろう。
(それにしたって、不用心な……)
正装をきっちりと着込んでいるから、公務の間に違いない。だが、見るからに国王と察せられる派手な装いにもも関わらず、従者を一人もつけていなかった。
「それで? ほほう……。今日も叔父君は、頑張って文献を調べているようですね。神具の件はどうなりました?」
「見て分かりませんか? わたしの邪魔をするつもりなら、速やかに公務に戻って下さい」
「はははっ、さすが……叔父君は、熱が入っている。可愛い姪っ子のために、厳重な警備が敷かれている大教堂にまで押し入って、わたしを人質にしてしまうくらいだからね。凄まじい」
「あれは、主にルーセンが魔術で脅して入っていたのですが……。今更、罪に問うおつもりですか?」
「その逆かな……。再確認したかっただけですよ。……それと」
レナートは図書館の奥に視線を向けて、ぽつりと言った。
「この図書館、隠し部屋があるんですよね。ご存知でしたか?」
「はっ?」
意味深に呟くレナートに、シモンが怪訝な目を向けている。
しかし、レナートはシモンの反応を待たずに、ミヤカの方に向き直った。
「ミヤカちゃん、どう? 体調はだいぶ良くなった?」
「体の調子は戻ってきましたが、頭が……何とも」
「そうだったね。ゆゆしき問題だよ。わたしにとっても、リカルトにとっても……ね」
レナートは、神妙に眉を顰めているようだが、その口元は緩んでいた。
弟の迷走ぶりを、楽しんでいることはバレバレだった。
「あの年になって、ちゃんとした口説き方も分からなくて、ごめんね。あいつは、思い込んだら一直線だから、君も困っちゃうよね?」
「いえ、別に……」
「突然、襲うのはよくないと、ちゃんと言っておいたからね……」
「……………………はっ?」
「下準備と雰囲気作りは、必要なことだと思う」
「……………………?」
――それは、つまり?
(……下準備と雰囲気作りができていれば、良いということ?)
一体、どこまでレナートの耳に入っているのか?
何より……。
「ミヤカ……。お前、どこまで王子と……?」
「叔父さん、おかしな想像をしないでくれる?」
シモンが凍えた瞳で、ミヤカを睨んでいる。
割と深刻に、ミヤカはレナートとリカルトの命の心配を始めていた。
「あー、それにしても、この部屋暗いね。少し明るくしたら、どう?」
殺気を受け流すように、レナートが分厚いカーテンを開けた。
暗がりに慣れていた目に、日差しが染み込むように降り注ぐ。
窓の外には、サンマレラの市街地と夕日の中に浮かんで見える三角形の山があった。
(綺麗な景色……)
市井で暮らしていたら、絶対、目にすることのできないだろう絶景だ。
山頂には薄ら雪があるようにも見えた。
こんなにはっきり見えているカネリヤ山に、触れない訳にもいかなくて、ミヤカはやんわりと言い放った。
「……カネリヤ山は、今日も異常がないようですね……」
「えっ、あっ、うん」
「陛下?」
「そうだね」
…………おかしい。
今までの飄々としたレナートの対応とはかけ離れた、歯切れの悪い口調だった。
「一応、人をやって調べさせてはいるけどね……」
レナートが初めてみせた真面目な面持ちに、ミヤカは首を傾げた。
(これは、本当に、もしかすると……)
…………状況は、良くないのかもれしない。
だとしたら、ミヤカはどうなるのか?
神事の記憶が抜け落ちているミヤカには、想像がつなかなった。
「ああっ、ほら、ミヤカちゃん。今年は温かいから、花がまだ綺麗だよね」
あからさまに、レナートが話題を変えた。
…………やはり、突っ込まれたら、疾しい何かがあるのか?
しかし、それを尋ねたところで、レナートが答えをくれることはないだろう。
ミヤカにできるのは、レナートの心中を察して黙っていることくらいなのだ。
「ええ、そうですね……。学園の卒業式の花を思い出します」
レナートの視線を追って、ミヤカは窓の外で微風に揺れている大きな赤い花に、目を細めた。
「聖チェスタ学園の卒業式って、独特なんだよね。そういえば、リカルトが真っ赤な花束を持って帰ってきたな……」
「……ああ、でしょうね。本当に、聖チェスタ学園にリカルト王子が通っていたとしたら、赤くなって帰って来ると思います」
「どういう意味?」
「…………それは」
「はいはい、陛下! いい加減、仕事に戻ったらどうです」
「叔父さん……」
がっつり話題を断ち切るように、シモンが口を挟んできた。
「なかなか手厳しいね。君の叔父君は……」
あっけらかんとしているレナートが救いだった。
本来なら、その不敬な発言だけで、シモンは犯罪者になっているはずだ。
「陛下。叔父が大変申し訳ないことを……」
「いいよ。君に謝罪される方がむしろ怖いから……。でも、そういった謙虚な部分だって、ミヤカちゃんの一部なんだよね。本当に君がリカルトの相手で良かったと思うよ」
「一体、どういうことで?」
レナートは、ミヤカを初めて真っ直ぐに見つめた。
リカルトと同じ空色の瞳が微妙に揺れている。
外見はリカルトと似ていた。
だが、彼の中に得体の知れない何かがいるような気がして、どうもミヤカは馴染めない。
それは、一癖も二癖もありそうな、妃のノエルも同様だった。
「………………ミヤカちゃん。何があっても、リカルトを信じてくれるかな」
ふわりと落ちてきた一言もまた、意図されたものだろう。
よく分からない一言だが、レナートは、ミヤカにそれだけを伝えたかったらしい。




