第5章 ②
聖チェスタ学園では、卒業式に卒業生が下級生から花束を貰うのが習わしだった。
男子が青い花束を貰い、女子が赤い花束を貰う。
どうして、男女で色が別れたのかミヤカには分からないが、その花を別れ際、男女で贈りあうのが愛の告白の仕方だった。
義理ですべてを受け取る人もいれば、たった一人の花を大事に持ち帰る人もいた。
そして、例によって、リカルトは前者の方だった。
生徒が談笑する中、学園の大木の下で、一人ぼっちでいたミヤカに、屈託ない笑みを振りまく。白い最正装に身を包んだリカルトは、おとぎ話の王子様そのものだった。
「はい、どうぞ」
彼は既に大方、赤色に染まった花束の中から、青い花を一輪ミヤカに手渡そうとした。
「…………わたし?」
(本当にわたしなの……?)
疑いながらも、ミヤカは、リカルトから花を受け取る前に、自分の花束の中から一等綺麗な赤い花を差し出そうとした。だが、彼の取り巻きの女生徒たちがそれを制した。
「何やっているのよ。ミヤカ?」
「殿下……。あの子に、花をあげる必要なんてないと思いますよ」
「あれ? 迷惑だったか。でも、せっかくだから……さ」
リカルトは律儀に、その場にいた全員の女生徒に花を配っていたのだ。
優しい人だ。
それなのに、ミヤカは彼が差し出してきた花を彼の方に押しやった。
「いりません」
強い口調で拒否をした。
女生徒の冷やかすような、憐れむような眼差しが怖かったこともある。
だけど、何より、彼女たちと同列に扱われることを嫌う、身の程知らずな自分が存在していたのだ。
「あっ、そう。…………じゃあな」
リカルトは何てこともないように、あっさり、ミヤカのもとから去って行った。
(…………わたし、最低だ)
リカルトの後ろ姿を眺めながら、彼の思いやりを、大切にすることのできない自分に幻滅した。
どうして、いつも、こんな自分になってしまうのだろう。
(もし、再会する機会があったら、まっさらな自分で会いたいな……)
そんなふうに、ずっと夢見ていたはずなのに、奇跡が起きても、ミヤカはリカルトを前にすると思っていることと逆のことをしてしまうのだ。
強がって、傷つけるようなことばかり言って、礼の一つも告げることが出来ない。
『貴方は、何を望むの?』
聞き覚えはないけれど、温かな女性の声がした。
――わたしは。
ミヤカは深い眠りの中で、涙をこぼしていた。
◆◆◆
「あ……れ?」
――朝だ。
カーテンの隙間から差し込む薄明かりに、ミヤカは気怠く目を開いた。
しかし、ここは見慣れた叔父の家ではない。
「あっ、起きたのか……。ミヤカ」
自分のすぐ横で、眠っていたらしい青年がさらさらの金髪を掻き分けながら、顔を上げた。まさかの笑顔だ。
透き通った青い瞳に、高い鼻梁、整った唇。
夢の中でしか会えない完ぺきな王子様を前に、ミヤカは息を飲みこんだまま、硬直した。
ようやく捻りだした言葉はたった一言。
「………………何で?」
それ以外、出てこなかった。
「はっ? 一体、どうしたんだよ。ミヤカ? 俺以外、誰もいないから、安心しろ」
「安心……? 一応、頑張ってみます。……それで、叔父さんは一体何処に?」
「お前の叔父さんだったら、就寝中だな。俺がついているからって、休んでもらった」
「……貴方が叔父さんを?」
「貴方って? ミヤカ、お前変だぞ。眠り過ぎたのか?」
――変……なのだろうか?
しかし、なぜ、この綺麗な青年が自分の傍にいるのか、ミヤカにはさっぱり分からない。
(……ここは何処?)
天にも届きそうな高い天井には、大輪の真っ赤な花の絵が描かれていた。
しかも、自分が寝かされている寝台は、ふかふかで天蓋付きの豪奢なものである。
可愛らしいサテン地のナイトドレスは、お姫様のようだ。
まるで、夢のような世界だった。
「あの、いまいち状況が分からなくて。……どうして、わたしはここにいるのでしょうか? 貴方様は一体誰なのです?」
「ミヤカ、俺はリカルトだろ。それで、ここはお前に宛がった城の一室だ。それは何だ? 新しい嫌がらせを、俺で試しているのか?」
「めっ、滅相もない。でも、本当によく分からなくて。だけど、リカルトという御名前には、心当たりが……って。…………あっ」
途端に、ミヤカは顔面蒼白となった。
(リカルト……って、確か……)
この国の住民として、知っておかなければならない名前の一つではないか。
「リカルト様って、もしや、この国の王子様の御名前では? 城って、まさか!?」
「…………はっ?」
リカルトのきょとんとした顔。今更気づいたのかと言わんばかりに見えた。
(…………まずい!?)
ミヤカは、平身低頭、寝台の上で謝罪した。
「申し訳ありません! お名前をうかがった時に、一国民として頭を下げるべきでした」
「ミヤカ、お前、まさか本当に……。本当なのか?」
勢いよく立ち上がったリカルトに、ミヤカはただ肩を竦ませて、下を向くしかなかった。
「す、すいません……。叔父が何かしたのでしょうか? それとも、わたしが?」
「何言っているんだよ? 俺たちは聖チェスタ学園の同級生だろうが?」
「…………同級生?」
ミヤカは、首を傾げた。
聖チェスタ学園に通っていたのは事実だが、こんな有名人の同級生は知り合いにはいないはずだ。そもそも、王子が庶民の学園になど通うはずがないだろう。
「驚きました。高貴な方でも、冗談を仰るのですね?」
少しだけ苦笑してみせたら、リカルトが青筋を立てて、仰け反っていた。
「冗談……だって?」
「あっ、申し訳ありません。でも、わたしの通っていた学園に、いくら何でも、リカルト様のような御方がいらっしゃるはずがありませんから」
「何も覚えていないのか?」
「リカルト様の御名前は、耳にしておりますけど……」
自信を持って答えたら、リカルトは今にも泣きだしそうな顔で、拳を握りしめていた。
何がそんなに不快なのだろうか?
(……もしかして、わたしの存在自体が嫌だったとか? だいたい、わたしがいるには、分不相応もはなはだしい場所だし、叔父さんが寝てるって……)
「あっ、そうか!」
ミヤカは、ぽんと手を叩いた。
(きっと、叔父さんが何かしてしまったんだ……)
そうに違いない。
日頃、ルミア神国復興などと、危険思想を声高に叫んでいる人なのだ。
「不届きな叔父は、必ず回収して帰りますから、ご安心下さい」
「帰る……だって?」
まずい。本格的にシモンが危ないことをしてしまったらしい。
(一刻も早く、ここから逃げなくては……)
「はい。色々とお世話になりました!」
――が、勢いよく立ち上がろうとしたミヤカは、豪快によろけてしまった。
「…………っ!?」
足腰にまったく力が入らない。
(一体、わたしは、どうしちゃったの?)
そのまま、後ろにひっくり返りそうになったミヤカを、がっしりとした手が支えた。
「馬鹿っ! 何しているんだよ!? いきなり動くな。安静にしてないと駄目だろ!」
「はっ、はい! リカルト殿下。ありがとうございます」
「…………ありがとう? ありがとうって、お前……」
彼は何度も言葉を反芻し、ミヤカを抱く手の力を強くした。
「ぐっ。一体、どうなさったんですか!?」
助けてもらって、疑うのも酷い話だが、やはり、怒っているのではないか?
すでに支えるというより、抱擁のような形になっている。背中に回った手が痛いくらいに、ミヤカをきつく締めつけてきた。
「リカルト王子……。一体?」
「ミヤカ=ファーデラ!」
「はい!」
「俺は、お前のことをよく知っているぞ。六年間、俺はお前と同じ学級にいたんだからな。お前は二カ月少し前に俺のところに突然やって来た。お前は、俺に国を救ってやる条件として、結婚をしろって迫ったんだぞ!?」
「…………はっ、まさか」
ミヤカはすぐに否定したものの、リカルトは美しい顔を、おもいっきり歪めていた。
「事実だよ!」
「ひっ、申し訳ありません」
身に覚えが一切ないのだが、今回はシモンではなく、ミヤカの方に問題があったようだ。
「本当に、同じ学校出身だっていうのも、記憶にないのか? ……本当に?」
さきほどから「本当に」を何度も念押されて、ミヤカは必死に頭を横に振った。
こんな美丈夫が学園にいたとしたら、忘れるはずがない。
「ああ、そうだ。ミヤカ。ヌエル先生っていたただろう? お前が蜜蝋を階段に塗って撃退しようとした。あの……」
「ああ、確かに、いましたけど……」
「ほら、俺はあの先生にいつも、怒られていた。お前が覚えていて、指摘したんだぞ?」
「そうなんですか。でも、あの先生は、いろんな人を叱っていましたからね。まさか、王子様を叱るような先生がいるはずがありませんよ」
「………………どうやら、記憶がないのは事実らしいな」
リカルトは、愕然と呟いた。
「それって一時期的なものだよな? 体力を使ったから、少し混乱しているだけだろう。俺はお前に聞きたいことも、言いたいことも山程あるんだからな!」
「よく分からないのですが……。その……気分を害されたのなら、色々と申し訳……」
「謝るなよ……。頼むから」
リカルトがミヤカの口元に手を押し付けた。
目と目がぶつかる。
リカルトの手が熱くて、息苦しかった。
早く放して欲しいともがいたら、手は外れたものの、代わりにリカルトの顔が目の前にあった。
おかしいだろう。この距離感は普通ではない。
「お前は国を救うために力を使ったんだ。だから、俺は救国の条件を果たさなければならない。…………俺は、お前と結婚をするんだ」
「…………結婚? わたしと王子がですか?」
「言っただろう。お前が出した条件だ」
明らかに怒気の孕んだ声が、ミヤカの耳元で炸裂している。
(それは、怒るよね……)
よりにもよって、相手がミヤカなのだ。
(一体、わたしは何がしたかったんだろう?)
国を救うなんて、そんな大それたこと、ミヤカに出来るはずがない。
口から出まかせか……。主犯格はシモンか……。
「そうでしたか。分かりました。じゃあ、それ、即刻取り消しましょう。そんな条件、破棄しますから。まったく、迷惑も甚だしいですよね」
「おい、待てよ。誰が迷惑だなんて言った?」
「はっ?」
真正面から、覗きこまれると、リカルトの透き通った青い瞳の中に吸い込まれてしまいそうで、ミヤカは必死に目を逸らすしかなかった。
「さっき、カネリヤ山に調査に行かせていた偵察隊が戻ってきた。今のところ、異常はないそうだ。あと、大教統の方からも、さしあたって神珠に変化はないと報告が来ている。巫女姫の存在だけは怪しいけれど、明日明後日、いきなり噴火するようなことはないと思うんだ」
「…………はあ?」
リカルトは真面目な顔で力説しているが、ミヤカにはその欠片も話の内容が頭に入ってこない。
一体、カネリヤ山がどうしたというのだろう?
「だから、お前が巫女姫を降りても良いと思うんだ。兄様たちには悪いけど、俺と結婚することが、お前を救う手立てになるかもしれない」
「さっぱり意味が分からないのですが……」
ミヤカが目を丸くしながら言い返すと、リカルトはミヤカの肩の上に顔を乗せて、うなだれた。
「……何なんだよ。想像を越える存在だよな。お前」
「も、申し訳ありません」
「謝るなって言っただろ。普段のお前は意地っ張りで、謝罪も礼も言えない奴なんだから」
「…………は、はあ」
そんな最低な奴だったのか……。
「でも、記憶が吹っ飛ぶくらい危険なことだったんだな。そんなことを、お前にやらせた方は最低だ。……俺のせいだ。くそっ」
「よく分かりませんが、そんなふうにご自身を責めなくともいいと思いますけど?」
慰めながらも、ミヤカはリカルトから距離を置こうとする。
しかし、リカルトはその手をぐいっと引っ張ってしまった。
「えっ? ちょっ……ちょっと?」
間髪入れず、吐息がかかるほど、リカルトが近づいてくる。
「もう、危険な目に遭わせるつもりはない。…………だから、ここは俺で妥協してくれないか?」
「はっ?」
言っている意味が、さっぱり分からない。
しかし、リカルトがしようとしている行為については、想像がついた。右手でミヤカの顔を上向かせ、左手はミヤカのドレスの首元を探っている。
一体、どこでどうなって、こんなことになってしまったのか?
(それとも、すべて夢?)
そんな気がしてきた。その線が濃厚だ。ミヤカの都合の良い夢に違いない。
「悪い。……ミヤカ」
それなのに、なぜ、彼の方が謝るのだろうか……。
(かわいそうに……)
何がなにやら分からないが、これは、リカルトの本意ではないのだ。
こちらに伸びるその手の指先が少し震えていることに、ミヤカは気づいている。
(誰かの思惑で、仕方なくなのか……?)
だったら、それこそ、こんな愚挙を彼にさせてはいけない。
ミヤカは、ゆっくりと目を閉じた。身体の力を抜いて、リカルトにすべてを任せる。
それは一見、覚悟を固めたように映ったようだが、唇と唇が触れ合う寸前で、さすがのリカルトもミヤカの異変に気付いたようだった。
「ミヤカ……?」
「…………」
失神と勘違いされないために、穏やかに寝息を立てているふりをする。
―――と、リカルトがミヤカの頬に手を置いた。
「……もしかして、眠った……のか? ここで……?」
「…………」
ミヤカは答えない。
必死に眠ったふりを続けている。
リカルトは安堵とも、疲労とも取れない溜息を落として、ミヤカを寝台に運んだ。
「…………さすがに急ぎすぎだよな。俺、焦って…………ごめん」
そして、ばたばたと逃げるように、部屋から出て行ったのだった。
(…………って、一体、何だったの?)
未だにミヤカの鼓動は速いままだ。
リカルトの温もりが体全体に残っている。
完全に、リカルトが行ったことを確信してから、上体を起こしたミヤカは、力いっぱい自分の頬を叩いた。
「あり得ない。しっかりしろ! わたし!!」
一体、ここで何が起こっているのだろう。
一人でルミア神国を復活させることができないシモンが、サンマレラ王国を懐柔するために、媚薬の製造でも始めたのか?
……だけど。
あの手の温もりを、ミヤカは知っているような気がしてならなかった。




