全銀河『人でなし』艦隊
恐るべき『ゾエラ』を倒す手段とは……
三の章
ガルド系第七惑星の連盟本部にある彼の私室で、チャーリィ・オーエンは、テクタイト・ガラス越しに、ガルドの美しい夕焼けを見ていた。
ガルドの二重星、若々しい青いガールと赤い巨星ダールが織りなす光は、ガルド各惑星の空に一つとして同じ空を与えなかった。常に変化し続ける美しい色彩の乱舞となって、それらの空を満たしている。
今、青く強い光輝のガールが没して、ダールが上がるにはまだ僅かに間がある深い紺の空で、西には急速に薄らいでいく赤紫の帯、東には段々と明るく濃さを増す輝きの前兆のオレンジ色の縞が地平線から広がっていた。
執務用のデスクには、シャルルから届いたばかりの最新情報。
彼は天才的な操船で、これまで幾度も『ゾエラ』の鼻先をかすめ、避難の遅れた住民を誘導し、奇跡的な超感知能力で、荒廃した絶望的な世界の情勢を調査していた。
「どうする気だ? チャーリィ」
勇が背後で、三回目の問いを発した。太陽系連邦宇宙防衛庁長官近藤勇は、年々威厳の増すがっしりした身体をガルド製の大きな椅子に半ば埋もれさせ、組んだ足の先を見ていた。
チャーリィは答えず、空を見続ける。
ここにライルがいてくれたら、どんなにいいだろう、とつい考えてしまう。彼が友の傍らから旅立って、もう十年が過ぎていた。
その間、チャーリィも、仲間達も、目まぐるしいばかりに活躍してきたので、今思えば、その年月は瞬く間に過ぎてしまったような気がする。
だが、チャーリィはライルを考え想わぬ日はなかった。彼恋しさに、気も狂わんばかりの思いで過ごした夜も数え切れない。
その苦しさから少しでも逃れようと、仕事に打ち込み、手当たり次第に女と遊んでみるのだが、どうやっても、心の中にぽっかりと口を開いた哀しみは消えなかった。
チャーリィはライルがいつ帰ってきてもいいように、常に友の場所を空けておき、ライルの家も管理人を置いて毎日掃除させ、食糧庫には新鮮な食品を絶やさぬようにしていた。だが、ライルは、いまだに帰ってきてはくれない。
そして、今、銀河の全生命が危機に瀕する事態が起きていた。今日日、何処へ行っても安全な場所などなかった。
あのおぞましい霧の塊、子供達の変形した成れの果てである怪物は、宇宙空間をさ迷いながら、次々と合流し、その身を拡大していく。
それに襲われた世界は、瞬く間に死の惑星となる。暗く絶望の渦巻く終末世界だった。
――ここに彼がいて、あの自信に満ちた光り輝く笑顔が見られさえしたら、俺はどんな不可能事でもやり抜くだろう。
だが、ライルはここに居ない。そして、チャーリィは決断に迫られていた。
チャーリィは窓から振り返って勇を見た。
「脅威の全ての要因は、子供だ。まだ、無事な子供を全て狩り出し、レダ二十二のトライアングルに集める。そして、そこに銀河で最も優れた艦隊を待機させるんだ」
勇はぎょっとした。
「つまり、子供を囮にするのか? そして、子供ごと……」
「ナンセンスなセンチメタルは止せ。どんな子供も、いいか? 子供である限り、どんな子供も、あの変容を免れることはできないんだ。子供は生まれ落ちた瞬間から、その胎内に『ゾエラ』の芽を育てている。今、愛らしい子供の形をしていても、次の瞬間には、化け物に変わるんだよ。こんな凄まじい事をやってのける相手がどんな奴等かは知らない。病気だなんて、冗談でも言えない。だが、とにかく、俺達は、誰でもその運命から逃れることはできないんだ。銀河中の生物が、知らぬうちに、代々育ててきてしまったものなのかもしれない。俺には解らん」
チャーリィは苦々し気に端整な貌を歪めた。
「だが、一つだけ、確かに解ることがある。遅かれ早かれ、変容した子供達と『ゾエラ』は、一体化しようとするんだ。怪物はどうやら、自由に別次元に潜り込めるらしい。追いかけることができないのなら、手段は一つだ」
「おびき寄せる」
勇も心を決めた。
そうだ。チャーリィの言う通りに違いない。奴の判断はいつも正しいが、今回も的を得ているのだ。
ただ、種族としての本能が、それでも、この作戦に嫌悪感を与えるのはやむを得なかった。部下の多くも嫌がるだろう。
だが、任務は遂行されねばならない。
「この指揮はお前がやれ。勇」
勇は親友の顔をまじまじと見た。
「今、冷静かつ機敏に指揮を取れる者は、銀河広しと言えど、お前しかいない。連盟の実質的指導権が俺にあるようにね。子供を持つ親達は、多かれ少なかれ、打撃を受けた。まだ持っていない者達でも、この現象に充分に対処できるほど強い精神力を持つ者は多くない。トゥール・ラン大提督でさえ、第五番目以後の子供達を皆失って、ショックを受けている。それに、だいぶ、年だ。勇、事実を事実として、受け止めようではないか。今、この銀河を救えるのは、俺達なんだ」
チャーリィは決して誇大妄想狂ではないし、権力を夢見る自惚れ屋でもなかった。自信家ではあるが、徹底した現実主義だった。
彼がこう言い切ったからには、連盟の現状は、まさしくその通りなのだろうし、言外の含みを汲み取れば、もっとひどい状況なのだろう。
勇は立ち上がり、親友に握手を求めた。
「引き受けよう」
「頼む。全銀河宇宙艦隊総司令官」
その瞬間から誕生した全銀河宇宙艦隊が編成されるには、予想通り大変な困難があった。
銀河連盟宇宙艦隊が中心となって編成されているが、連盟そのものが前代未聞の恐慌の為に崩壊寸前となっており、各世界の指導者達は、まず自分達の世界を守ろうと苦渋していた。
しかし、利己的な本能を克服できる克己心の強く賢明な武将や政治家は、大抵どの世界にも、一人や二人はおリ、また、勇敢な男女達もいた。
そういった者達が、チャーリィ・オーエンの説得力ある提唱に応え、近藤勇の武勇と人徳のもとに集まってきた。
艦隊の維持のための財政問題は、全てチャーリィが引き受け、その政治手腕に物を言わせて確保した。事実上、無制限の予算を勝得する。
集まってきた者達のそのほとんどは、当然ながら歴戦の勇士たちであったので、一度、艦と人員が揃うと、直ちに臨戦態勢に入れた。
そこで、勇はレダのトライアングルに前線基地を設ける一方で、情け容赦なしの子供狩りを開始した。
人類、非人類を問わず、酸素系、非酸素系を問わず、定型、不定形を問わず、まだ子供としての形を保つ子供なら、それが例え、卵の殻をまだ破っていなくても、母親から一秒前に生まれでた赤ん坊であろうとも、徴収し、さらい出し、強奪した。
この絶望的な事態にあっても、なお、子供を産み続ける母親は後を絶たず、そして、産まれた子供が、今度こそ正常な我が子だと信じた。
理屈や理論など大抵の種族の母性には無意味だった。彼女達はひたすら信じ、我が子を守るのだ。そして、欺かれても欺かれても、彼女達はその度に泣き叫び、次の子こそはと信じて産み続けるのだ。
彼らは『人でなし部隊』とか『悪魔の軍隊』とか、そのほか百にも余る呼称で呼ばれ、当の『ゾエラ』よりも、忌み嫌われるようになった。
艦隊の兵士達にとっても、この任務は心を引き裂かれるような苛酷なものであった。
母親の手の中から、無理やり奪い取って来た兵士は、彼女の泣き叫ぶ哀願の声を、一生忘れることができまいと思った。
母親の目が離れたすきを見計らって、盗み取って来た者は、激しい罪悪感に一生、心をすり減らすだろうと思われた。
多くの者達が耐え切れずに除隊して行った。勇は彼らを止めなかった。
レダのトライアングルで待つ任務は、それ以上に神経に堪えるものとなる事を知っていたから。
その時、砲の発射ボタンを押すものは、宇宙でも最高に神経の強い者達でなければならないだろう。
そして、その子供達が、実は悪魔よりも恐ろしい『ゾエラ』の一部なのだと知っていても、きっと彼らは、死ぬまで自分を許すことはできないだろう。
レダ二十二のトライアングルに浮遊泡基地が現れ、そこに百七十万人に及ぶ子供達が集められた。
レダのトライアングルとは、白色矮星二個と末期太陽が三角形の頂点を結ぶように並んだ宙域で、その距離は最長距離で三十八億五千キロメートルを越えない。その重心は、激しい歪みのたわんだ地点で、空間的にも物理的にも不安定だった。
航宙船は必ず避けて通る宙域であり、観測船ですら二光日以内には近づこうとしない。
全銀河宇宙艦隊はそれを承知で、敢えて、この特異な地点を作戦宙域に指定した。
フォンベルト位相重層効果を狙ったのだ。かつて、ミルキーウェイ戦争の『至上者』殲滅作戦で、ライル・フォンベルトが取った手段である。
その効果を、重力物理的圧力に依って人為的に引き起こす代わりに、自然の状態を利用しようと計ったのだ。
宇宙艦隊総司令官の勇も、連盟委員長チャーリィも、空間の狭間という怪物を自らの手で現象現へ放つ勇気はなかった。
あの時、銀河中の全知性生命体の中であれを扱える者は、ライル・フォンベルト・リザヌールしかいなかったし、それは、今も同様だった。
そして、彼はこの十年間、突如、姿を消して以来、連盟加盟世界の範疇には現れず、今では恐るべき暗黒の宇宙間の闇を超えて、別の銀河へ行っているのではないかと言われている。
浮遊泡はトライアングルの重心に僅か一億二千キロメートルしか離れていない。そして、毎秒二百メートルの速度で、ゆっくりと重心に向かって落ちつつあった。
それに重砲の焦点を合わせて、艦隊が取り巻いていた。最前二列の二千の戦艦は、自動コントロールによる無人のロボット艦である。
これらの艦は、攻撃のさい、泡とともにトライアングルに生じる超重力場に飲み込まれる。
その後ろに続く五千の戦艦も、超重力圏内にあり、カタストロフィーに巻き込まれる可能性が強い。
しかし、この五千の戦艦に乗り組む乗員を募るに当たって、勇は希望者に不足することはなく、むしろ彼らのうち誰を選んで、最小限の人員に抑えるかに苦労した。
そして、総勢七十万の戦艦が、トライアングルに集結した。
銀河中の軍艦があった。
ザザト人の箱型火器ユニットが連結した艦、ガルドの超弩級球型軍艦、アルファン人の繊細な鳥の羽のような軍艦、クルンクリスト人のリング式軍艦、カルタス人の円盤型軍艦、メタン系イェララル人のダーツ型軍艦、そしてソル人太陽系艦隊の黒い楕円体型超ド級軍艦。
それらの全砲門が、浮遊泡に向けられていた。
待機の時間は刻々と流れて行き、トライアングルの泡の中では、平均毎秒に一人の割合で変異が起きていた。
既に科学者達は、子供達が個々に離れている時よりも、集団化している時のほうが、より変化の発生度が高まる事を突き止めている。あと、数分もすれば、毎秒三人の率になるだろう。
毎秒八十七人に増えた頃、泡の中の半数に近い子供が変化し終わり、一つの無形凝集体に纏まろうとしていた。その一部が、泡の壁を突き抜けて、宇宙空間に飛び出して蠢いている。
艦隊の二十%が砲を熱くさせた。エネルギービームも原子核ミサイルも、この飢えた肉雲塊に致命傷を与えることはできない。しかし、それを若干怯ませ、後退させる事はできた。
熱線や実弾は、素早く霧散する微薄な肉霧体の一部を消滅させる事ができる。それは、その『ゾエラ』にとっても不快なものらしい。
待機している前線部隊は、破滅的なエネルギービームで新しい肉霧体をトライアングルの重心付近から離すまいと務めた。
やがて、その塊は三分の二の子供達を融合した。のたうち伸縮するそれは、肉の実質と霧の不気味さで、おぞましく膨れ上がった。
その時、宇宙の虚空から滲み出すように現れた。
美しい星空を汚す巨大な染みのように、栄養液の中で触手を伸ばして増殖する原生動物のように、微速度撮影のフィルムに見る結晶体の成長のように、それは彼等が見守る中、次元の境界を超えて、現象現へ現れ出た。
半実体を持つ『ゾエラ』は、新しい肉霧体と子供達が混在する泡ドームの方へと漂い出した。
艦隊の全兵士達は、一本の鋭い針金のように緊張した。
勇も、己のうちに激しい緊張感がきりきりと高まるのを感じている。
千載一遇のチャンスなのだ。一度失敗したら、同じ手は二度と使えない。
そして、あの泡の中には、まだ変化していない子供の姿を保つ子供達が……紛れもない子供達が、五十万人近く居るのだ!
肉塊の霧は、此方の策略を知ってか知らずか、ドームの方へといっそう接近していった。『ゾエラ』の知性の有無は、まだ科学者達の間で解決されていない。
『ゾエラ』は大きく拡がった。薄く巨大に拡がり、ドームをすっぽりと覆うまでになった。
黒い霧が浸すように、泡ドームは『ゾエラ』に覆い尽くされ……、勇が叫んだ。
「撃て!」
ドームに焦点を合わせた全艦隊の重砲が一斉に轟音を発し、燃え盛る地獄の炎とエネルギーの柱が宙間を走り、半径二キロメートルの空間に集中した。
巨大重艦が、発砲の衝撃で激しく胴震いをする。
艦隊の砲撃手の五分の二が0.2秒から1秒出遅れ、二百八十九分の一がボタンを押さなかった。
だが、集積されたエネルギーは、そこにカタストロフィーを発生させるに充分だった。
気泡ドームは、百分の一秒も保ち得ず、有象無象のものは、皆、業火の中に消滅した。トライアングルの危なげな脆い調和が崩れ、超重力の井戸の口が開く。
一瞬だった。
ふっと瞬きするように、全てが掻き消えた。
その瞬間、そこには何もなくなった。
同時に、全艦隊に非常警報が出される。凄まじい重力の傾斜を全艦隊が感じていた。
まず、最前列のロボット艦隊が抗し切れずに落ちて行った。続いて、後続の艦隊も引き摺られ始める。
勇は全軍に急速離脱を命じた。
「動力が焼け切れてもかまわん! 暴走してもいい! 全燃料を使え! 反重力をフルパワーで作動させろ! 脱出しさえすれば、分解してもいい!」
艦隊は自殺的な出力で、じわりじわりと重力圏から脱出を図り始める。
しかし、それでも、最前列の何百隻かは、その重力に逆らえ切れずに落ちて行った。
何とか脱出に成功した残りの艦隊は、トライアングル三重恒星の最後を見届けた。
彼らの戦友達が落ちて行った目に見えぬ果てしなき穴の底へ、それを構成している自ら達もまた、落ちて行ったのである。
初めはゆっくりと、それと判らぬ動きであった。が、次第にみるみる肉眼でもはっきりと判るスピードに上昇しながら。恒星は自分の死地へと走っていく。
ついには、その距離を考えたら天文学的な速度で落ちていきながら、恒星は互いの引力で引き裂きあい、砕け爆発した。巨大なフレイアを放射しながら、それらは凝集し、限り無く縮小していく。
目の裏まで焼き尽くすような殺人的な光輝が瞬間きらめいて、……消滅した。
そして、トライアングル重力ゾーンは、永久に消え去った。