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Lyle~エイリアン物語~  作者: 霜月 幽
第7部 静かな宇宙は悲しみでいっぱい
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チャーリィの秘した想い *

 一の章


 大きく枝を張る木々の豊かな葉が、夏の日差しを柔らかな緑の木漏れ日に変えていた。

 木の葉がさわさわと鳴る。下草を揺らして走ってきた風が寝そべっているチャーリィの赤毛を吹き乱した。風の中のすがすがしいオークの香りに包まれ、チャーリィは目を閉じて満足のため息をつく。

 梢の中で小鳥がひときわ高くさえずった。かすかに聞こえる小川のせせらぎに耳を澄ませていると、軽やかに草を踏む足音が近づいて来た。


「たいしたものだな。本当に森の中にいるようだ」


 目を閉じたまま感嘆の声を上げる。


「クリーブランド郊外の森だよ。そこのオークの森が好きだって前に言っていただろう。だから、その場所へ行ってデータを収集してきたんだ。君の誕生日のプレゼントだからね。手を抜きたくなかったんだよ」


 チャーリィの横に腰を下ろしながら、甘いテノールが答える。チャーリィは目を開けて、傍らにゆっくりと足を伸ばす美しい青年を見つめた。


「ありがとう。ライル。嬉しいよ。素晴らしいプレゼントだ。これなら、宇宙の何処へ行っても、オークの森でリラックスすることができるよ」

「君は忙しいからな。医学的見地から、リフレッシュする時間を積極的に取る必要があると忠告したいね。この環境再生装置は一年間のデータが入っている。好きな季節や天気を選べる。場所も取らない。五分間でもいいから、森林浴をするといい」

「バリヌールのリザヌール手ずからのデータ装置なんて、ものすごい贅沢だな」


 チャーリィは眼を細めて親友を見上げる。

 バリヌール人ライル・フォンベルト・リザヌール。

 宇宙の賢者バリヌール人の遺児。宇宙一の大科学者。


 どんな美女よりも美しいこの天才は、親友のチャーリィ・オーエンの三十歳の誕生日の為に、わざわざ多忙な時間を割いて、北アメリカのクリーブランド郊外の森まで出かけてデータを集めた上に、今使用中の装置を作ってくれたのだ。


 LICチームと言われていたライルも勇もチャーリィも、今では宇宙の第一線で活躍中なので、なかなか会える時間もなくなっていた。

 自分の誕生日を、ライルが良く忘れないで、しかもこうして祝いに来てくれたものだと、チャーリィは感激している。



 彼は身を起こすと、切り株の上のブランデーのグラスに手を伸ばす。

 この切り株は、本当は彼の部屋のフロアテーブルなのだ。ライルの装置の効果で、真新しい切り株以外の何物にも見えない。切り口のみずみずしいオークの香りまでする。


 チャーリィは、ゆっくりとグラスを傾けた。

 少し舞い上がっている。それも仕方ないかもしれない。実に久し振りに、ライルに会えたのだから。

 しかも、彼の方から思いがけずも訪ねて来てくれたのだ。


 ――美味い。


 喉元から胃のへと飲下された酒精が、身体中に熱く拡がっていくのが解る。


 ――ライルが側に居ると、酒の味まで違ってくる。


 この時、よほど美味そうに飲んでいたのだろう。見ていたライルがこう訊いてきたのだ。


「その酒、そんなに美味しいかい?」

「ああ、最高だよ」


 チャーリィはうっとりと答えた。酒にではなく、ライルに酔っている。


「味をみてみるか?」


 彼がじっと見ているので、チャーリィは試しに誘ってみた。


「僕が酒はだめなことは、良く知っているじゃないか」


 目に非難をこめて、ライルが見る。


「飲むんじゃなくて、味をみるだけだ。ほら、こうして」


 チャーリィは、ブランデーを口いっぱいに含んでから飲み込み、ライルを抱き寄せてキスをする。舌を彼の口の中に差し入れた。彼の舌がチャーリィのそれに絡まり、口の中まで追ってきた。


「どうだ?」


 チャーリィは間近にある美貌を覗き込む。二十八歳のライルは、しかし、まだやっと二十歳ぐらいにしかみえない。バリヌール人の青年期は非常に長い。


「ん……。良く解らない。チャーリィ、もう一度……」


 甘く囁かれて、チャーリィはぞくぞくした。彼がそういう目で見る所為か、彼と二人だけでいる時のライルはどこか女の性を感じさせる。

 ライルの身体を腕に抱いたまま、チャーリィは再び酒を口に含んで口づける。今度は彼の方から舌を差し入れてきた。

 含んでいたブランデーを移しながら、草の生い茂る中に押し倒す。


「むぅ!」


 酒を含まされて小さく抗議の声が漏れたが、舌を吸うと、とろりと身体が解け緩んでいくのが感じられた。

 唇を離し、ライルに熱い視線を注ぐ。見上げてくる紫の瞳は木漏れ日にきらめいて濡れていた。頬がもうほんのりと染まっている。僅かな一口の酒で酔ったのだ。

 彼がゆっくりと微笑んだ。大輪の花が鮮やかに開くよう。


 ――愛している。愛している。


 ライルのしっとりと吸い付くような肌に唇を落とす。酒に酔ったライルは逆らわず、ただチャーリィが与えてくれる『気持ちがいい』感覚に、けだるげに身を委ねていた。


 ――ライル。お前を愛している。


 チャーリィは心の中で叫んでいた。

 それは胸が締め付けられるほどに、切ない想いだった。


 ライルと初めて会った時から、ずっとチャーリィは強い恋心を抱き続けてきたのだ。だが、チャーリィを信頼し無防備に身を任せている本人はそれを知らない。

 

 彼は恋も愛も知らない単性種族だった。

 彼の身体を抱きしめるたびに、チャーリィはそれを思い知る。

 肌に感じる刺激に喜悦の喘ぎを漏らして応えるが、ライルの心は冷めている。

 自分の知らない男にも、同じように応えてみせるのではないかと思ってしまう。


 ――こんなにお前を愛しているのに。


 しかし、それはライルに決して悟られてはならない想いだった。


 ――いっそ、今、抱いてしまおうか? 


 そうしたら、何か変わるだろうか? 自分だけを見つめてくれるようになるのだろうか? 

 ライルはきっと拒まない。欲しいと言えば、与えてくれるだろう。意味も知らずに。


 ライルの手が伸びて、チャーリィの背を捉えた。


「チャーリィ、欲情しているね。かまわないよ。実験しよう」


 実験という単語にひるみかけたが、ライルから言い出してきたことに驚く。ライルはチャーリィのためらいを別の意味に解釈したらしい。


「心配はいらない。以前、君のデータを取っただろう? それをもとに身体を変えてみた。男同士のセックスが可能なように設計し直したんだ。本当に可能かどうか、試してみよう」


 実験でもかまわない、と思った。酒に潤むライルの瞳は常になく煽情的だった。


 これ以上色気のない言葉が出てこないようにチャーリィは、ライルの唇をキスで塞ぐ。

 はだけていた服をはぎとった。今日こそ、自分のものに……。




 ふいにチャイムの音がして、チャーリィは我に返った。

 慌てて身を起こす。

 その背に巻き付いたライルの手が彼の動きを阻んだ。


「止めてしまうのか?」


 ライルが不満そうに抗議してきた。


「誰か来たらしい。ライル、離せ」

「放っといたらいい。実験をしよう」


 ライルの手は離れない。その間にも、辛抱強くチャイムの音が鳴り続ける。

 そのうち、ドアを蹴破って入って来そうな執拗さだ。


「いいから、離せったら!」


 チャーリィは焦って、力づくでライルの手を振り解いた。

 不服そうな顔をしている彼に、


「早く服を着るんだ!」


 と、脱ぎ捨ててある衣類を掻き集めて投げ渡す。

 それを抱えて彼がバスルームに入っていくのを見届けて、チャーリィは環境再生装置を切ってオークの森を消すと、乱れた着衣を直しながらドアに向かった。



 キイを解除した途端、ドアが勢いよく開かれた。


「やあ! まだ、生きていたな! お前の誕生日を祝いに来てやったぞ!」


 アルデバランの強い酒のビンをチャーリィに押し付けて、がっしりした体格の男が足を踏み鳴らして入って来た。

 近藤勇だった。

 それがフロアテーブルのグラスを見る。


「何だ。一人でやっていたのか?」


 そして、バスルームのシャワーの音に気づいた。

 鼻を指で擦る。リビングに一歩入った時に感じた仄かな花の香りの正体が解ったのだ。


「ライルが来ているのか?」

「ああ。忙しいのに、良く来てくれたな」


 チャーリィはやや固い声ではぐらかす。ライルに関する限り、勇は苦手であった。


「俺は、邪魔したのかな?」


 くるりと丸い目が、鋭くチャーリィを見た。


「そんなことはない」


 彼は視線を避けて、グラスを勇の前に置く。


「このブランデーを味わわないってほうはないぜ。掘り出し物なんだ。飲んでみろよ」


 グラスに酒を注いだが、勇は目もくれずにチャーリィを睨んだ。


「俺は前にも忠告したはずだ。ライルとこういったことは止めろって。あいつは男だ。少なくとも、見掛けや、社会的には男なんだ。このままずるずると続けていたら、お前にもライルにも良くないってことは、お前も解っているはず」


 勇は親友に苛々と手を振った。


「あいつにはセックスはわからない。そもそもないんだから。だが、お前があいつに求めることは、そういうことだろ? でも、あいつは、キスされようが、抱かれようが何の疑問も感じない。お前がそう教えちまったんだ。あいつは、今や、宇宙一の大科学者、大リザヌールなんだぞ。お前自身の立場だってあるだろ? 仮にも、連邦政府を代表する連盟評議委員だろうが。チャーリィよ。お前は、ライルも巻き添えにして、ともにどん底まで堕ちていくつもりか?」


 チャーリィはぐっと唇を噛む。勇は自分達を心から案じて警告しているのだ。

 顔を上げて勇を見た。勇は突き刺すように彼を睨んでいる。

 口髭を蓄え始めた勇は、昨年亡くなった彼の父、近藤元帥にますます似てきた。

 太陽系連邦宇宙艦隊司令官は忙しい。太陽系連邦勢力が年々拡大しているだけにことの外だった。その時間を割いて来てくれたのだ。


「勇、俺はあいつの身体が欲しいんじゃない。俺は、あいつを……、あいつが……」



 その時、ライルがリビングに入って来たので、チャーリィは口をつぐんだ。ライルは勇を見て、にっこりしながら近づいてくる。


「やあ、勇。君だったのか。久し振りだね」


 ライルの口調は屈託なく、なんのわだかまりもはばかる気配もない。

 勇もチャーリィへの苦言を忘れたように破顔して、立って握手を求めた。勇も勇なりに、この稀代の宝玉を愛している。


 直ぐに土産のアルデバランの酒の栓を抜き、肴も並べられる。互いの健康を祝いながら、かつてのLICチームに戻ったように話が弾んだ。

 酒豪の勇は愉快に酔い、豪快に笑う。先日攻めて降伏させた辺境宙域の暴賊との戦闘を面白おかしく語るのを、ライルは静かに微笑んで聞く。

 その横で、チャーリィはいつしか言葉少なくなり、立て続けにグラスを重ねていた。




 明日の任務があるからと、夜更けて勇は上機嫌で帰って行った。それを見送ってライルはリビングに戻る。

 チャーリィは椅子に半ば崩れるようにして、まだ酒を煽っていた。見兼ねてライルが忠告した。


「チャーリィ、どうしたんだ。いくら何でも飲みすぎだよ。もう、止めろ」


 すっかり出来上がってしまっているチャーリィは耳を貸さず、テーブルに並んでいる空きビンの列を掻き分けて、まだ中身が残っているビンを見つけると、グラスに注ごうとした。


「駄目だ」


 ライルがそれを取り上げた。


「俺はまだ、飲み足りないんだ。よこせよ!」


 呂律ろれつの回らない舌で抗議してふらふらと立ち上がる。


「身体を壊すぞ」


 これほどに泥酔したチャーリィは珍しい。困惑するライルに、彼はゆらゆらと酩酊めいていした手を伸ばす。

 思わず、ライルは酒ビンを取られまいと遠ざけた。足もとをもつらせて、チャーリィはライルを抱く形で倒れる。


 二人は柔らかい絨毯の上に転がった。

 チャーリィは突然、過去に同じ事があったことを思い出した。


 ――あの時も、俺は酔っ払ってこいつを押し倒したっけ。


 ライルの困惑に満ちた視線を、酒で濁った目で受け止めながらぼんやりと思う。

 チャーリィの明晰な頭脳は、酒ですっかり鈍っていた。

 そのまま、ライルの美貌に見惚れ、紫の瞳を飽かず見つめ続ける。


 ライルは酔ったチャーリィに逆らわず、おとなしく床に押さえつけられたまま彼を見上げていた。ライルもまた、昔の事を思い出しているのかもしれない。

 チャーリィが唇を重ねていくと、彼は目を閉じてそれを受けた。


 星の数ほども女達が恋い慕うチャーリィは、しかし、目の前のバリヌール人しか目に入らない。


(ライル。お前は無防備すぎる。まるで抱いてくれと言ってるみたいなものだぞ)


 その身体を強く抱き締める。


(ずっとキスしたい。ずっと抱きしめていたい。お前が欲しい。それが、なぜ悪い? 勇なんかに俺の気持ちが解ってたまるか)


 今、自分が何をしているのか、チャーリィは解らなくなっていた。完全に酔っ払って我を失っている。


(愛している。お前を愛している。お前を欲しいと願うのは当たり前じゃないか。こんなにも思い焦がれているんだから)


 チャーリィは心の中で呟いているものとばかり思っていた。だが、その独り言は、知らずに声に出してしまっていた。


(ああ、たまらない。胸が張り裂けそうだ。俺はどうしたら良いと言うんだ? お前は人の愛がわからない。俺を愛するなんてできっこない。俺の愛しいライル。お前を愛したのが、間違いなのか?)



 ライルは身を硬くしたまま動くこともできずにいた。これは、酒の所為で思わず漏らしたチャーリィの本心に違いなかった。


 ライルは親友が長年秘していた想いを初めて知った。

 同時に、チャーリィが自分に求めてきたキスや抱擁の意味も。

 そして、自分がそれに応じてきた罪も。


 チャーリィはぶつぶつと呟き続けていたが、やがて寝息を立てて眠ってしまった。

 ライルは彼を静かに横にして、その下から這い出す。そして、親友の寝顔を見つめた。


 ぐっすりと正体もなく眠る精悍な顔。それを見守るライルの頬に涙がぽろりと流れ落ちた。

 大事な友の頬にほっそりとした指で触れる。その手は微かに震えていた。


「済まなかった。チャーリィ……」


 自分が無知でいたことの罪だった。友をこれほどまでに苦しめていたとは。

 それなのに、何も知らず、ずっと甘えてきたのだ。


 ***


 自分の寝床で目を覚ましたチャーリィは、はっと飛び起きた。途端にずきんと頭が痛む。二日酔いだ。痛む頭を押さえて部屋を見回す。

 朝になっていた。いつの間にここに来たのだろう? 昨夜、勇が帰ったあたりから何も覚えていない。

 焦って起き出す。


 ――ライルは? 彼も帰ったのだろうか?


 軽い空気音を立ててドアが開き、ライルがコップを片手に入って来た。チャーリィの目が覚めているのを見てにっこりとする。


「薬を持ってきたよ。昨日、ずいぶん飲んでいたから二日酔いが残っているだろう?」


 チャーリィは差し出された薬を飲みながら、ライルの顔を窺う。静かに微笑む彼からは何も読み取れない。

 チャーリィは不安だった。これまで、あれほど泥酔したことはなかった。酒の勢いで、何か口走っていないだろうか?


 だが、その事をライルに訊ねるのも、不安でできない。

 見るところ、彼はいつもと変わりないように見える。

 チャーリィは、少し、ほっとすることにした。


 薬が効いてきて頭痛がかなり和らいできた。

 ライルにキスしたくなって手を伸ばそうとすると、すっと身を引かれた。


「朝食の支度ができている。食事にしよう」


 そして、先に部屋を出て行く。タイミングを外されたチャーリィは、仕方なく支度を済ませて階下に下りた。

 ニューシティ郊外にある彼の家はゆったりとした二階建てで、その職責にふさわしく贅沢なたたずまいの邸宅だが、一人住まいには広すぎた。

 だが、チャーリィ・オーエン氏は妻を持とうとしない。しかも、仕事柄留守がちで、普段は執事が管理している。

 その執事には、昨日と今日、休暇をやっていた。ライルの為である。


 そのライルが朝食を整えて待っていた。酒を越したチャーリィの胃を考えて、負担の少ないスープが主になっている。


「砂糖入りかい?」


 チャーリィがからかった。アカデミー時代、ライルが砂糖と塩を入れ間違えて料理したのは伝説になっている。


「ふふふ、どうかな?」


 ライルが目を細めて笑う。

 思えば、彼もずいぶん変わったものだ。あの頃はほとんど表情もなく、まるで人形のようだった。

 それも当然。彼は感情も乏しい、博愛精神と理性の塊のバリヌール人だったのだから。


 その時は、そんなことなど知らなかったから、ひどく苛々したものだった。

 何かと腹をたてていたけれど、それは、既に好きになっていたからだと、今なら解る。


 ライルはもう、何でもペーストにしたりはしない。卵は半熟にでるし、スープも美味い。コーヒーもあっさりした味を好むが、上手に入れる。




 朝の柔らかい光に包まれて、言葉を交わす必要もなく、ライルの入れた食後のコーヒーをゆっくりと飲む。目を上げれば、温かい花のような微笑がある。

 豊かで、心が満ち足りた時間がゆったりと流れていた。


 このまま、時が止まればいい、とチャーリィは思った。でなければ、これが毎朝の風景になればいい。

 一つのしとねで寝起きして、一緒に食事をし、二人の間で同じ時が静かに流れていくのを確かめるような……。


 もちろん、これは夢のまた夢。

 実現するはずもない。

 二人は余りに忙しすぎるし、たとえ時間があったとしてもライルはそんな事を望まない。




 久し振りに書斎でチャーリィが寛いでいると、ライルがやってきて側に立った。


「どうしたんだ? 今日は、ゆっくりしていけるんだろう?」


 チャーリィが訊くと、ライルは静かに微笑んだ。


「僕は旅に出る」

「何処へ? 何も聞いてないぞ。いつ、誰と?」

「一人で。今日、発つ」

「何だって? でも、直ぐ帰ってくるんだろう?」

「解らない」

「それでは、トゥール・ランが許さんだろう?」


 だが、ライルは静かに微笑むばかり。

 チャーリィも知っていた。彼が何かをやると決めたら、誰にだってそれを止めることなどできはしないのだ。


 ライルが自分の側からいなくなる。そう考えただけで、胸が締め付けられるような寂しさを感じる。その思いを隠して、笑顔を浮かべながらチャーリィは立ち上がった。


「そうか。じゃ、忙しいな。引き止めて悪かった。気をつけていけよ。何かあったら、直ぐ知らせてくれ。何処へだって、駆けつけるから」


 突然、ライルがチャーリィを抱き締めて、自分から唇を重ねてきた。

 チャーリィは驚きながら、ライルの熱いキスを受ける。

 恋人のような長いキスの後、ライルはじっとチャーリィを見つめた。


「君も元気で。チャーリィ」


 そして、ライルは彼の腕の中から去って行った。

 チャーリィは茫然とライルが出て行ったドアを見つめる。



 ややあって、はっと我に返ると彼はドアへ駆けた。

 だが、もうライルの姿は何処にもなかった。


 玄関ホールを飛び出し、アプローチへと追う。シュンという軽快な空気音を残して、ライルの操るエア・ジェットは既に視界から消えかけていた。


 夏の青空の中にその姿が溶け込んでしまった後も、チャーリィはいつまでも眺めていた。

 彼は悟った。


 ライルは長いこと戻っては来ないだろう。

 一年や二年……いや、何年も…………。


 あれは、別れのキスだったのだ。

 彼が初めて自分からしてくれたキスは、とても悲しい味がした。


 ***


 小さくなっていく青く美しい惑星を、ライルは卵型のシンプルで小さなバリヌールの船の中から見つめていた。

 地球から、そして、懐かしい世界の全てから、去ろうとしていた。


「さようなら。勇、ミーナ、トゥール・ラン。さようなら、チャーリィ」


 彼はずっと帰らないつもりだった。今のままでは。

 自分の無知が彼の最も近しい友を傷つけていると解ったからには、そのままでいることはできなかった。



 ライルには、彼らの愛が解らない。解らなければ、チャーリィに応えることもできない。

 愛も知らずに傍にいることは、友の心をずたずたに引き裂くばかりだと言うことを、彼は思い知ったのだ


 その愛を理解し、自分の心を知り、チャーリィの想いに応えられるようになるまでは決して帰るまい、と決心していた。


 十六年前、彼の目に初めて映った時と変わらぬ姿で、地球は青く輝いていた。遠く銀河のほうに目をやれば、今は無きバリヌールの太陽が二万年の時をかけて光を届ける。



 ライルは推力を全開にした。たちまち地球は消え、星々が彼の前方に集まってくる。

 そして、彼は亜空間へと滑り込んだ。

※注:銀河連盟太陽系連邦代表評議委員:通称、略して連盟評議委員、各銀河世界諸国の代表評議員から選抜される委員である。選挙は五年ごとに行われ、委員数は現在50名。銀河連盟を運営する中心的役割を担う職務であり、この上に、常任委員長がいる。実質的銀河最高執務機関である連盟評議委員会の委員となるのは、銀河世界の野心家の目標でもあり、選挙では熾烈な攻防戦が行われている。

 なお太陽系連邦代表評議員が、連盟評議委員に選出された場合――ソル系ではチャーリィ・オーエンが初代であったが――新たに連邦代表評議員が政府によって追加任命される。

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