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Lyle~エイリアン物語~  作者: 霜月 幽
第5部 訓練基地は元気でいっぱい
72/109

ガニメデ行き

第5部 スタートです

チャーリィ達とライルが出会った頃の番外編です


 一の章


 長身で赤毛のダンディ、チャーリィ・オーエンは、巨大ベアリングに付着した油を掻き取ると、乾いた布で残りを擦り落とし、新しい潤滑油をタンクに注いで栓をした。

 Tシャツに多目的作業ズボンの身体に汗が噴き出る。船の中でもこの動力部の方まで下がると、機械からの輻射熱もあってやたら暑い。


「よし。いいぞ」


 合図を受けて、がっしりした体格の近藤勇が動力回路を始動させる。

 一区画分ほどもある一号ジェネレーターのスピンドルがゆっくりと回転を始めた。それに伴って、連動している大小の様々な機械も生き返り、重々しい作動音を響かせ始める。


 どこか愛嬌のある精悍な顔に楽し気な表情を浮かべた勇は、パネルに並んだ計器の列に視線を走らせ、作動音に耳を澄ませる。

 機械類はリズミカルな歌を奏で、全て文句のない状態だった。我知らず、ゆるりと動く回転音に合わせてバスのハミングが口をついて出る。


「ご機嫌だな」


 チャーリィは両手に付いた油汚れに顔をしかめた。勇は指で鼻の下を擦ってにやっとする。彼は、機械類が調子よく動いていれば上機嫌なのだ。

 その鼻の下に油汚れが黒く残ったのを見て、首を振りつつチャーリィはぽんと床を蹴った。ふわりと体が浮かんで、機関部の便宜上の天井にあるハッチに手を掛ける。


 滑らかに動く機械群を、まだ未練がましく眺めている勇に、


「あんまり時間を食うとどやされるぞ!」


 と、声をかけて通路へと出て行く。

 途中、船倉部で資材を取りに来たカインと出会い、手を挙げて無言の挨拶を交し合って過ぎる。

 キャビンで作業服を脱いで手を洗い、制服を着ると、一息つく間もなく司令部へと向かう。


 デッキ当直の勤務が待っているのだ。狭い船室部を抜け、指令室への扉に手を掛けながら、もう一週間が過ぎたなと、考えた。


 ***


 アメリカのカリフォルニア州にある連邦宇宙士官アカデミーの中ホールに集合し、一人一人名前を呼ばれて、指令書を受け取ったのが、二週間前の十月三日だった。


 学生達は訓練生として小人数グループに分かれ、それぞれの基地へ送り出されるのだ。

 それは、これまでの二年間の訓練など子供だましに感じるほど厳しいものとなる。基地では、一人前の軍人としての働きを要求されるのだから。


 学長のヘインズ大佐の簡潔で重々しい話――軍の人間は決して無駄な長話などしないものだ――で解散した後、チャーリィは自分を含めて『ヘル・キャンプ』に招待されたのは、十一名であることを知った。

 何れも優秀な男達であったが、みな一様に青い顔を引きれさせていた。それも無理もない。


 『ヘル・キャンプ』、ガニメデ前線基地。


 確かにそこは、今、一部ではあっても、凍り付いていない大地がある。薄いながらも大気もある。イオほど絶えず噴火を繰り返しているわけではないし、レダほど凍り付いているわけでもない。

 それでも、北極のランドキャンプや南極のスコットキャンプが天国に感じられた。


 そこは人類に敵意を持つ環境で、人々は酸素を抱えて生活しなければならなかった。

 それ以上に、そこに配属されている連中の荒っぽさが有名だった。確かに、最前線基地におとなしやかな人間が勤まるはずもない。


 そこに訓練生が派遣されたのはまだ過去二回だったが、何れとも負傷者が出、二回目には死亡者も出て、しばらく派遣さえされていなかった場所であった。

 『ヘル・キャンプ』の異名は、その事実からきているのだ。


 そうそう、例外が三人もいた。シャルル・マーシンは例によって平然と澄ましている。内心は解らない。

 勇の奴は、事もあろうににやにやと嬉しそうに笑っていやがる。

 この二人とチャーリィは、仲良くジャンプして進級してきたから、今、十九歳。


 そして、忌々しいライル・フォンベルト博士。十一月に誕生日を迎えるそうな十七歳。

 宇宙物理学の講師として招かれ、五月から講座を受け持っている。九月に、なぜか、訓練科に編入してきた。

 表情のない男で、指令書を受け取っても感情の動きは全く無い。



 出発の期日が迫っていたので、チャーリィは忙しかった。荷作りするものは殆ど無い。訓練基地へは余分な持ち込みを禁止されている。まして、遠いガニメデとなると、重量が大幅に制限される。

 彼は世界中にいる自分のガールフレンド達との別れを惜しむのに忙しかったのだ。




 彼が集合時間に辛うじて間に合って駆けつけた時、シャトルステーションで待っていた仲間は七人だった。三人脱落したわけだ。

 彼らはもっとおとなしい専門学コースや他の大学に移ったのである。その方が賢明かもしれない。


 最初の二年間の基礎訓練期間中に、入学時の半数以上の連中が正気に戻って、併設されている専門学コースや他の大学などに移籍していく。

 そして、正気に戻るもう一つの機会が、この前線基地訓練だった。


 軍としても、不適格者をいつまでも養う無駄は早く排除したいのだろう。基礎訓練も容赦のない、人間の限界に迫る厳しいものだ。訓練科の教練は、或る意味でふるい落としでもあった。


 かくして、まだ眼が覚めない愚かな狂人が八名、ジュピターDⅢ号に乗り組んだのだ。


***


 チャーリィは、正規乗員と交替して探知・火器管制官席に着く。規定のチェックをしながら主操縦席に着いているシャルルを見た。


 金髪で十月の青空のような明るいブルーの瞳を持つフランス人は、細長い身体を窮屈そうに折って、コンピューターから送られてくるデータに合わせて、一見無造作に微調整をしている。

 だが、この微調整がどれほど細かく神経を使うものかは、チャーリィも良く知っていた。


 ルナ・ステーションを離脱して二十分後、ジュピターDⅢ号は8Gの加速を三十分行って、秒速百四十一キロメートルの速度に到達し、慣性航行で一週間、火星軌道を昨日通過した。

 火星はあいにくと、太陽と船に対し百二十度向こうにある。


 ルナから火星へは二日ちょっとで行くのに、ジュピターDⅢ号が一週間近くも掛けるのは、目的地が遠いのと、積み込める燃料に限界が在る為である。

 そして、間もなく二回目の加速を始めるのだ。彼は、今、その為に調整しているのである。


 本来、訓練生が座れる席ではないのだ。しかし、船長はルナステーション出港二時間後には、彼にこの席を任せている。今度の加速は彼が行うのだ。



 通信機が活気づき、正規通信官が加速前の状況を報告している。同時に長いテープが吐き出されてきた。リオが息せき切って入ってくると、テープとファックスの束を受け取り、隣の通信室に戻る。すぐに地球から送られてきた文書類の整理と、地球へ送る報告書や私書の伝送に掛かった。


 緊急の必要以外は、幾つかの中継を経る無線を使用する。通信機のキイを打って送るのだ。

 紙の重量を軽減し、電力の消費を最小に留める為、が理由になっているが、訓練生をこき使うのが本当の狙いではないかとチャーリィは思っている。


 何も今やる必要のない機械整備を始めとし、走り使い、観測機のデータの集計処理、船内掃除に食事担当、宇宙服の手入れ云々…………。

 夥しい日常の雑用の全てが全部候補生に課された。八人の余分な人員を乗せるために、必要不可欠の乗員を割愛したのだから、当然とは言える。


 おかげで正規乗員の負担が増え、可能な限りの仕事を候補生に回した。

 だが、船長のアーノルド少佐を始め、ほか二名の正規乗員は、訓練生をいかにこき使うか競争しているかのように、熱心に新しい仕事を考え出すのだ。その為、八人の候補生達は座る暇もないようだった。



 その上、アカデミーの教官達は全行程十四週間の貴重な時間を有益に過ごせるようにと、研究課題をたっぷり出してくれた。専攻科目と不得意科目から優に半期分はあるくらい。

 これをこなさないと、全期の単位がパアになるので、候補生達は必死に取り組まねばならない。


 チャーリィは苦手な物理一冊と、専攻からは、古代から現代に至る政治形態の変遷とその歴史的経済的背景に関する考察という泣き出したいほどの膨大な課題を与えられていた。


 勇はポルトガル語、専攻から古代バビロニア聖典の全釈というありがたい課題だ。


 シャルルは有機化学と宇宙航法学から軌道公式を重力の異なる百の基点から無限大まで摂動運動に従って求めよという気の遠くなるような課題。


 物理数学の苦手なリール・アムンゼンは、アインシュタインの相対性理論のほかに、カー宇宙に対するペンローズとホーキンズの展開からゲージ理論への発展という課題をもらってお手上げの状態だ。


 ラジ・三河がスペイン語で、勇と一緒に語学の勉強を始めると、同室の者は一斉に逃げ出す。リオ・ピサロが古代インカ語で加わるとなおいけない。狭い船室は古戦場と化す。


 その中で、ただ一人、課題のない者がいた。ライル・フォンベルト。どの教授も彼に課題を課す気はなかった。彼の重層重力物理学と亜空間力学講座には教授連も聴講席に座るのだ。

 だが、彼は他の誰よりも一番忙しそうだった。彼には研究中の仕事もあったし、この訓練の直後には、メルボルンの学会で超高速航行と重力物理的空間のドップラー効果への考察という講義を要請されていたから。




 かくして、彼らは目も回るほどの日々を過ごしていたが、誰も睡眠不足や疲労過重で倒れる者はいなかった。訓練がきつくて食事が喉に通らないと言う時期は、二年間の基礎訓練で卒業している。

 実際、その二年間は、基礎体力と調整能力、軍隊精神の叩き込みを目的としている凄まじいものだった。

 講師として招かれ、三年次の軍科に転入したばかりのライルはこの基礎訓練を受けていないが、今のところ良く体調をコントロールしている。



 こいつは……と、チャーリィは横目で技術管理技師の席に座って、現在地点と航路の確認をしている彼を見た。

 無造作に前髪が額に落ちたままの栗色の髪と紫の瞳。彼が知るどんな美女よりも美しい容貌を持つ天才。

 彼が女だったら口説いていたかなと、ちらりと考えて、それはない! ない! と全力否定した。あんな箸にも棒にも引っ掛からないような面白みのない奴、例え女だってこっちのほうから願い下げだ。



 一つ年下の彼は、ジュピターDⅢ号が出港する時からずっと正規扱いの技師としてその席に着いていた。軍では技師を欠員したのである。


 慣性航行中はあまり忙しくもなさそうな仕事に見えるが、軌道分析と修正軌道の計算、位置確認は欠かせないし、更にコンピューターと諸々の細かい微調整のチェックがあった。

 船のほとんどの機能はコンピューターに頼っているので、正しく調整され諸機関との連携が完全であるかを知ることは、船の生死を握るものである。彼はサイバネティックス分野でも専門家なのだ。

 いったいどんだけ天才なんだ? 物理学方面がとんと苦手なチャーリィにとっては、もう、宇宙人的存在である。


 だが、その宇宙人もここでは候補生でしかなく、仕事の合間は他の候補生と同じように雑用で走り回っていた。

 ただ、船長達の扱いは、チャーリィ達に対するものとはだいぶ違うようだとは感じる。贔屓ひいきだと憤慨するより先に、仕方ないかなとは思う。


 指令室や当番でよく顔を合わせているのだが、殆ど口を交わしたことがない。無口な奴で、必要最低限の事しか喋らない。付き合いづらい奴だ。



 勇が機関士の席に着くべくやってきた。彼は航行中、指令室のその席と機関部の間を往復していた。軍は機関士も削っている。ま、彼に任せておけば問題はない。勇は竹刀を手にして生まれ、機械を玩具に育ったのだ。



 加速にはまだ早い。正規乗員が夕食を取りに行くと、チャーリィは大きな伸びをした。指令室は一時、候補生だけになったのだ。


「腹減ったなあ」


 ぼやきながら、ポケットから煙草を一本取り出して咥える。紫煙をくゆらせ、だらしない格好で寛ぐ。

 訓練生は嗜好品の持ち込みは禁止である。まして、未成年者の……。


「チャーリィ・オーエン! 起立!」


 太い胴間声がして、チャーリィはぎくりと腰を浮かせた。後ろを振り向くと、勇がにたにた笑っている。


「脅かすなよ。お前こそ、クッキーの欠片を片付けとけよ。増えすぎたネズミに船を乗っ取られたとあっちゃあ、末代の恥だぞ」


 心底ぎくりとさせられた腹いせに切り返す。

 勇は正直に周りを見回した。何処にも菓子屑が浮かんでいないのを確かめてほっとする。


「無重力遊泳するネズミがいたら、見たいもんだ。密航者だからな。そっちこそ、煙草の灰に気をつけるんだな。窒息したくないもんな」


 勇がのんびりやり返してきた。

 主操縦席のシャルルはくすくす笑いが止まらない。この二人が一緒にいる限り、退屈することがない。古くからの親友のくせに、顔を合わせれば噛みつき合っている。


 チャーリィは煙草の始末をしながら、ライルに視線を走らせた。彼はコンピューターに向かったまま、全くこっちには関心を示していない。彼だけ、目に見えない冷たい壁で隔絶されているようだ。




 加速十分前になって、アーノルド船長がデッキに入ってきた。

 シャルルの操作を一瞥し、副操縦席に座る。勇とチャーリィに異常なしの確認を取る。

 ライルには聞かない。問題になる異常がある時は、必ず彼の方から、簡潔、且つ正確な報告をしてくることを知っている。彼が無言を続けているということは、このままでOKということだ。


 船が出港する前に、初めてデッキに着任したライルに、確認を取ったことがあったのだ。ま、それは、当然なことではあった。だが、船長は、それを直ぐに後悔するはめになった。


 一通りのチェックをたちまちのうちに済ませていた主任技師たるライルは、各機関・各装置全ての数値を読み始めたのだ。もちろん、彼にとっての確認とは、そういうことであった。


 だが、それが終わるには二時間以上掛かりそうなことに気づいた船長は、慌ててさえぎり、どうにか予定時間通りに船を発進させることができた。

 それ以来、船長は二度とライルに確認を取ることはしなくなった。


 ***


 シャルルは秒読みに入る。船長は問題が起こったら、即時介入するつもりで、副コントロール盤を見守った。

 ゼロ

 ぴったりに加速に入る。

 8Gで三十分。その間に、二十五万キロ以上を進む。その結果、秒速二百八十二キロに達する。一日で、約二千四百三十七万キロを走破する速度である。小さな誤差が、取り返しのつかないほど巨大になる速さであった。


 8Gの加速圧は、ライル・フォンベルトの慣性吸収構造によってさほど感じられない。1Gよりちょっとあるかなというぐらい。


 更に一時間、軌道の確認と微調整による軌道修正を行い、予定の航路に乗っている事を最終確認する。

 一週間と十時間後、小惑星帯を迂回するコースに入り、その二日後に三回目の加速に入るまで、慣性航行となる。




 引き続き担当を続けるライルと勇を残して、シャルルとチャーリィは遅い夕食を取るために、食堂へと向かう。その後、睡眠時間まで二人は非番だった。彼らは体がなまらないように重力室へ行った。


 重力室は、無重力状態を続ける事によって筋組織が萎縮し骨格が脆くなってしまわないように、軍の船には必ず設けられている施設だった。


 細長い船の後部、くびれて繋がる動燃機関部手前に、太いドーナツ状に張り出した区画があり、真ん中の通路を軸に回転するようにできている。遠心力で見かけの重力を作りだすのだ。


 他の訓練生は皆当番なので、今、利用しているのは二人だけだった。回転を徐々に速めていき、3Gまであげる。そこで走ったり、器械体操をこなしたりして体力の維持を図る。


 シャルル達は変則的なバスケットを始めた。3Gのもとで飛んだり走ったりはきつい。二人はいい勝負なので、つい本気になり、夢中で試合を続けた。

 ついにシャルルが背の高さの利点を活用して一点差で勝つと、激しく全身で呼吸しながら、その場に座り込んだ。


 しばらく息が切れて、話もできない。吹き出る汗をやっとの思いで拭うのが精一杯だった。


「やったな」


 チャーリィが言った。バスケットのことではない。加速航行の件である。

 シャルルはにやっとした。


「あのくらい、当然さ」


 と、うそぶく。嬉しそうだった。あれだけの大きな加速をシミュレーションではなく、実際に操作したのは彼も初めてなのだ。


「でも、ライルが実に完璧にデータを出してくれるので、ずいぶん楽だったよ。これまでやったどのシミュレーション操作よりも、遣りやすかったくらいだ」


 シャルルは真面目な顔で付け足した。チャーリィも真顔になる。


「あいつが凄い天才だってのは認めるよ。だが、俺はあいつが解らない。お前は、奴と特別待遇の二人部屋だろ。どんな具合なんだ?」


 他のメンバーは、一人部屋に三人ずつ押し込まれているのだ。


「どうって……、話なんかしないよ。第一、キャビンにいないんだ。一日中帰ってこない。コンピューターの前に座っているか、当番の仕事をしているか、さもなきゃ、ほら、食堂の隅のあの端末を占拠して、一人で論文を作っているんだ」

「夜もか?」

「ああ、夜になっても戻ってこない。それで、ふと眼が覚めると、いつのまにか自分の寝棚で寝てるのさ。朝も、僕が目を覚ます前に起きて出て行ってしまう。でも、どうして彼をそんなに気にするんだ?」

「別に、気にしてるわけじゃない」


 チャーリィはちょっとむきになって否定した。


「あいつを虫が好かないだけだ。苛々するんだよ」

「どうして? 彼は自分をちっとも主張しないから、少しも気にならないよ。誰の邪魔もしないし。静かで、居るか居ないか判らないくらいだ。それに、彼はどことなく暖かいんだ」

「奴が? 暖かい? 何処が? あいつはまるで氷のように冷たいさ。人間味が一つもなくて。まだ、コンピューターのほうが、よっぽどましだぜ」

「それは偏見だよ。チャーリィらしくないなあ」


 シャルルは呆れたように相棒を見た。普段の彼は熱くはなるが公正な男で、判断力には定評があるのに。



 簡易シャワーを浴びて――電磁波粒子のシャワーだ――チャーリィはキャビンに引き返した。

 勇が戻っていて、考古学の宿題に掛かっていた。


「ライルは? 彼も終わったのか?」


 同室のリオはもう眠っている。未明の当番があるのだ。


「さあ。まだ、コンピューターに齧りついてたぜ」


 勇は古書の写しに集中しながら、上の空で返事をする。

 チャーリィも課題を引っ張り出した。P-Tbにそっくりファイルされている苦手な物理の教科書の字面を眺めていると、ライルの冷ややかな美貌が浮かぶ。


 ――物理学博士なんて、俺にとっちゃ異星人だ。こんなしち面倒くさいものの何処がいいんだ? 重力も量子力学も大っ嫌いだ。こんなぶ厚い奴をやれって……できっこないさ。……あいつは、何考えてるのかさっぱり解らん。コンピューターみたいに完璧で、この物理学の教科書みたいな奴だ。


 彼は、またしてもライルの事を考えている自分に気づいた。


 ――何だって俺は奴が気になるんだ? ほっときゃいいのに。……もちろんミーナのせいだ。


 ***


 ライルとの出会いは最悪だった。ほんの三か月前のこと。まだ二年生の7月3日。ミーナ・ブルーの誕生日だった。彼女から誘われて、ひょっとしたらと期待にうきうきしながら、チャーリィは彼女のアパートに行った。

 プレゼントの赤いバラの花束とチョコレートの詰め合わせを改めて持ち直し、いざ彼女の部屋の呼び鈴を押そうとしたら、


「おう、お前も来たのか」


 と、バスの声が呼びかけて来た。振り向くと、勇が小柄な高峰順子と一緒にエレベーターから出てくる。

 なんだ、俺だけじゃなかったのかと、チャーリィは軽く失望を覚えた。順子が恥ずかしそうにちょこんとお辞儀してきた。


 順子はミーナの幼馴染でひどく内気な子だった。ミーナがお姉さん気取りで何かと気遣ってやっている。親同士で決めた勇の許婚で今時古臭い約束事だが、女っ気のない勇にはちょうどいいのかもしれない。


 気を取り直して呼び鈴を押すと、ドアが開きミーナが輝く笑顔を順子に向けた。


「いらっしゃい。よく、来てくれたわ」

「お誕生日、おめでとうございます」


 ていねいにお辞儀して挨拶する順子の腕を取って、引っ張るように中に入れる。


「おい、俺もいるんだが……」


 チャーリィが不貞腐れたように、ミーナの注意を引いた。


「あら、そうだったわね。いらっしゃい、チャーリィ、勇」


 ついでのように言われたチャーリィが面白くなさそうに部屋に入って行くのを、勇が楽しげに眺める。玄関ホールでプレゼントを受け取ったミーナは、三人をリビングに招いた。

 そこには、先客がいた。


 広くはないが、パステルカラーですっきりと統一された女性らしい心地良い部屋に、ソファー二つとローテーブルが置かれている。

 先客はソファーに座ったままチャーリィ達を一瞥すると、関心なさそうに手元のお茶に注意を戻した。


 勇の隣で順子が息を飲むのが解った。確かに、眼を見張るばかりの美貌だった。

 栗色の髪を額に垂れるまま無造作に短くし、服もそっけないほどの薄い青のシャツとスラックスだが、ちらりと視線を寄越した眼は澄んだ紫色で、均整の取れた完璧な配列の顔だった。あごの線が華奢だが、陶器のような印象の肌で人形みたいだった。


 表情がまるでないのだ。

 女か男か、ちょっと判別しかねてチャーリィが首を傾げていると、


「紹介するわ。私のボーイフレンド、ライル・フォンベルト博士よ。よろしくね」


 と、アカデミー一の美女が頬を染めた。

 チャーリィには、私のライルよ、と言っているように聞こえた。彼はショックだった。


 うんともすんとも言わないライルの代わりに、ミーナはさらに補足する。


「4月に宇宙物理学の講師としてアカデミーに移籍したのよ。病院でインターンもしているの。すごい腕なのよ」


 うっとりと尊敬の眼差しで彼を見る。


 ――こいつを紹介するために、俺達を呼んだのか? 今まで、俺を初めとして誰一人男を寄せ付けなかったのに?


「物理学と医学の博士なのよ。まだ17才なのに、すごいでしょ」


 ――俺達より年下か!


 チャーリィはのけぞる。それが、ポイントなのか? 年下がいいのか? そのうえ、さらに彼女は衝撃の言葉を重ねた。


「で、9月の新年度から、士官養成コースの3年次に編入するの。彼をお願いしたいのよ」

「へ―。訓練科に? 基礎訓練なしに、いきなりの編入で大丈夫なのか?」


 勇が興味をもったらしく訊いてくる。答えるのは、なぜかミーナだ。


「大丈夫だってことよ。どんな基礎訓練を修得するのか話したら、そのくらいなら必要ないんですって。」

「見かけによらず、すごいじゃないか? そんなに体力がありそうには見えないけどな」

「体力はないそうよ。でも、体調整能力とかで、けっこうしのげるんですって」

 

 勇は値踏みするように華奢な彼を眺めまわしていたが、


「わかった。ミーナの頼みだ。俺達が面倒みてやるよ」


 と、頼もしく引き受ける。


 ――俺は引き受けるなんて言ってないからな。勝手に複数形にするなよな。


 チャーリィはとても不満だった。そんなやり取りもそ知らぬ顔で聞き流しソファに落ち着いているライルという男が、なまじ奇麗な顔をしているだけになんとも高慢に思えて腹立たしい。


「おい、自分のことだろ? 面倒みてくれるって言ってるんだ。勇に何とか言ったらどうだ? 」


 きつい口調で言うと、ライルが顔を上げてまっすぐ見つめて来た。紫水晶のような瞳が印象的だった。だが、その顔は陶製の人形のように不気味なほど表情がない。


「僕は頼んでいない。何を言えばいいのだ?」


 チャーリィはぶちきれそうになった。怒鳴りだそうとした時、ミーナが気づいて間に入って来た。


「私が勝手に頼んでいるのよ。彼を怒るのは筋違いよ」

「彼は、僕を怒っているのか?」

「気にしないで、ライル。あなたはそのままでいいのよ」


 ミーナがライルに振り向いてにっこりとする。まるで母親のように。それを受けて彼がかすかに目元を柔らかくした。

 突然、人形が人間になった瞬間だった。それも、ひどく魅力的な存在に。目眩を感じるほどの。


 ***


 その時から、チャーリィはライルが気に入らなかったんだと顧みる。医学博士とか物理学博士とか幾つ博士号を持っているのか知らないが、自分達より年下のくせにちっとも可愛げがなく、生真面目で笑顔も見せない。誰一人寄せ付けず、一人孤高を保つ嫌な奴だ。


 今回、一緒のキャビンになったシャルルが手を差し出して、


「これから四週間、同室だね。よろしく」


 と、いつもの愛想のよい笑顔で挨拶するとライルは機械的に握手をしただけで、無言のまま自分の用事に没頭してしまった。さすがのシャルルも呆れ返っただろう。

 時間は感心なほど良く守る。ラジが言ったことがある。


「奴の頭はコンピューターで、心臓の代わりに時計がはいっているのさ」


 ***

 

 それから三日後の夕食の当番はカインとライルだった。メイン料理はカインが担当するというので、一同ほっとしている。


 ライルは料理で信じられないようなことを仕出かすのだ。

 塩の代わりに、砂糖を入れる事はざらだった。塩分は控えたほうがいい、という理由で。

 小麦粉と片栗粉を間違えても平然としている。同じでんぷん質だというのが、奴の言い分。


 おまけに、なんでもすり潰してどろりとしたペースト状にしたがる癖があった。栄養価が満たされていさえすればよく、形状や味にはこだわらない。どうも、あまり食事には関心がないらしい。味覚オンチな上に美的感覚もないに違いないとチャーリィは決めつけた。


 その夜乗員は、カインのビーフシチューを専ら賞味し、重曹が入りすぎたそば粉入りのパンらしき物にはなるべく関心を寄せないようにした。



 食事が済んで、非番の候補生達が食堂のテーブルで課題に取り組んでいた。リールが相対性理論で行き詰まり、ついに頭を抱えてしまった。

 すると、いつの間に来ていたのか、ホールの隅で端末機に向かっていたライルが、ふと近づいて来ると彼に申し出た。


「僕が手伝おう。相対性理論の基本概念を説明するよ。宇宙を知るのに、アインシュタインの理論は一番解り易い考え方なんだ。宇宙へ出て行く者にとって、必須の知識だからね」


 その場にいた誰もが仰天した。しかし、一番驚いたのは、リール・アムンゼン当人だろう。

 だが、彼が宇宙物理学の先生であることを思い出し、それから毎日三十分、三つ年下の彼の講義を受け、リールの物理は順調に進みだした。

航行速度計算してみたくて、始めました。数字が多くて、すみませんです><

年齢設定調整しました

第3部異次元界は侵略者でいっぱい の終章に、各人の誕生日加筆しました。


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