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Lyle~エイリアン物語~  作者: 霜月 幽
第4部 終着行きは麻薬でいっぱい
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ライル、コルック・ムスに呑まれる

 六の章


 『主の要塞』へ、まっしぐらに進路を取る船の中で、ライルは苛酷な責め苦を受けていた。

 彼に麻薬の効果が現れなくなったことに気づいたリン・カーネンは、薬への抵抗力を失わせるために彼から眠りを奪ったのだ。


 もう、既に五日間、ライルは一睡もしていない。頭部に取り付けられた電極から、絶え間なく流れる電子パルスが彼の眠りの波長を妨害していた。

 さて、人間は全く眠らずにいてどのくらいまで正気を保っていられるだろうか?


 代謝機能更新剤をリン・カーネンが与えてくれるはずもなく、ライルは激しい頭痛と耳鳴りに悩まされ、臓器を始めとする全身の衰弱の中で、朦朧もうろうとする意識と闘っていた。

 代謝機能を最低レベルまで下げ、疲労の深まるのを抑えているのだが、それでも不眠は容赦なく彼から生命力を奪っていく。

 狂気の一歩手前にありながら、彼の強靭きょうじんな精神はなおも己を失わなかった。



 彼の視覚が正常な働きを失って久しい。彼を取り巻く事象は渦を巻いて流れ、混沌と交わり、色彩が乱舞した。聴覚も狂い、血流の流れる音が滝の落ちる轟音となる中で、拍動のドラムが忙しく鳴り響き、それを通して微かに外の物音が、彼方から聞こえてくる。


 それにも拘らず、彼は周りが慌ただしくなってきたことを感じた。船中が興奮していることが解る。それまで誰彼ともなく暇に任せて、彼を覗きに来ては、医者に追い出されていた連中も来なくなった。何かが進行中らしい。


 ただ、リン・カーネンだけは外界と関係なく、相も変わらず傍らに引っ付いていた。例え、宇宙がひっくり返ろうとも、彼は変わらぬ無関心のままライルの側から離れまい。


 そのリン・カーネンが彼の様子を診にやってきた。小男の顔がねっとりした密度の高い水溶液の向こうに歪む。奴の嬉しそうな笑顔が醜い。


「どうかね? 具合は」


 雑音と轟きの彼方から、音声が漏れ聞こえてきた。音を繋ぎ合わせて意味のある言葉に直すのに、時間がかかる。


「いつまで………続け……るつもり…………」


 口がゆっくりと動き、音声がいやいや離れていく。動きが全てとろりとした蜜の中に在ってのろく、感度が鈍い。

 シナプスの連携が緩慢化し、全ての反応が不正確になっている。

 リン・カーネンは答えずに身体の機能を調べ、そして満足げに言った。


「ふむ。だいぶ調整機能も衰えてきたな。辛いじゃろう? え? 博士。楽にしてやろう。楽しい夢を見るんじゃな」


 カーネンの手に注射器がきらめき、遠近感の狂った視界に針が大きく伸びてきた。


 ライルは身悶えして逃れようとしたが、固定された身体は自由にならない。心臓が脈打ち、肺が酸素を求めて喘いだだけだった。


 狭心症の発作に似た激しい苦痛に、無駄な抗いを止める。諦めて伸ばした腕に針が刺され、百五十単位の大量のコルック・ムスが体内に入った。


 体調整機能を奪われ、疲労し、弱り果てた細胞に、もはや、麻薬を阻む力はなかった。


 ***


 チャーリィの首にかけてあるペンダントのパラ装置に、突如、反応が生じた。

 眩しく輝き、チャーリィの頭脳に思考が送られる。


 彼は、眠りから飛び起きた。

 それほど、強いものだった。

 悲鳴だった。

 ライルの悲鳴なのだ。


 ライルの思考はこのパラ装置に同調している。チャーリィはキャビンの壁を凝視した。そこにライルの姿が見える気がした。


「ライル!」


 チャーリィは叫んだ。


 ライルが泣いている。苦しんでいる。

 激しい感情と刺激に翻弄ほんろうされて。


 ライルの心が叫びをあげて、助けを求めているのだ。


『チャーリィ! 助けて!』

『チャーリィ! 愛して!』

『チャーリィ!』


「何があったんだ? ライル!」


 何もできずにこうして後を追うことしかできない自分がもどかしい。

 追跡を敵に察知されることを恐れて、パトロール本部や最寄の通商基地に連絡することもできない。

 チャーリィは狭いキャビンのベッドの中で、無機質の鋼鉄の壁を睨み続ける。



 ライルの唇の感触が、チャーリィの唇に生々しくよみがえる。両腕は抱き締めた彼の身体を覚えている。ライルが弱々しく無力なままに横たわっている姿が、目の前にちらついて離れない。


 ライルを追うのは、果てしない夢を追うのに似ている。彼はいつも先へ先へと進み、チャーリィを待つために立ち止まったりしない。

 チャーリィの想いが満たされる日が来ることは、きっとないのだろう。


 それをよく承知しているのに、急にライルが遥か遠くへ行ってしまいそうな気がして、たまらなくなる。


「ライル…………!」


 チャーリィは焦燥に胸を震わせて、愛しい名前を呟いた。


 ***


 ライルはコルック・ムスの嵐のままに翻弄された。衰弱した細胞は貪るようにそれを吸収し、飲み込んだ。

 身体は死体同然なのに、全感覚が驚くべき鋭敏さに研ぎ澄まされて、外界へ向けて拡がっていく。限り無い夢とうつつが混じり合い、断片となって意識に飛び込んでは消えていった。



 超無限次元空間方程式が目くるめく早さで展開され、宇宙創造の秘密を垣間見た。

 リン・カーネンの凄まじい笑いが眼前一杯に膨れ上がる。

 バリヌールの紫緑の大地が現れるや、『至上者』の塩化水素の厚い大気が取って代わる。

 生成を見、崩壊を見た。

 真理と秩序は矛盾と混沌に換わる。


 凄絶な高揚感と胸が張り裂けそうな幸福感。

 感情の高まりに涙があふれる。


 全てが開放された。

 バリヌール人のもの。

 地球人のもの。


 彼がその存在すら知らなかったあらゆる感情と欲望が強引に引き出され、解き放たれた。


「愛したい! 愛して!」


 欲望の充足。


「殺したい。殺されたい」


 矛盾の完遂。

 創造を満たし、無残な破壊に歓喜する。


 バリヌール人として生きてきた彼には、この破壊的なほどの感情の爆発には耐えられない。

 まして、この欲望の渦には。

 その充足には。


 心が千々に引き裂かれる。


「助けて!」


 ライルは叫んだ。

 救いを求めて。彼の魂が。


「チャーリィ!」


 救いを求める彼の心が、チャーリィを求めた。彼が苦しんでいる時、いつも側にいてくれたことを思い出したからなのだろうか。


 チャーリィの所に行こう!

 どろどろと混濁する恍惚の渦の中から、ライルの心がもがき出てくる。


 ぱーん!!!


 まるで、音が弾けたようだった。


 ライルは跳躍した。


 十に分裂して。

 百に分裂して。


 無数に分裂したライルが、船の壁を抜け、宇宙へ飛び出す。


 船が亜空間をのろのろ進むのが解る。ほとんど停止しているようだ。身体はその中に在って、リン・カーネンが覗き込みながら凍りついている。

 それで、時間を超えてしまったことを悟った。


 彼の意識は時空の宇宙をかける。


 一つのライルがチャーリィを訪れた。

 彼はベッドに上体を起こしてキャビンの壁を見つめている。彼の心臓は、まだ一拍目も打ち終わっていない。

 ライルは彼の唇にキスをし、身体を抱き締めた。


「愛して……」


 と、ささやく。

 チャーリィと身体を交わす悦楽をそのライルは知っていた。性の欲望なのだ。セックスが楽しいのは、その欲望が満たされるから。

 ライルは動かないチャーリィから離れ、またはるかへと飛び出して行った。



 『シルビアン』のミーナを訪れたのは、別のライルだった。ミーナの意識が引き寄せたとは、当のライルも知らない。

 百の戦艦から今、凄まじいエネルギーが放たれたところ。


 ライルは『シルビアン』の電子パルスに同調する。電子の回転を超レベルに引き上げる。頭脳回路の中で、飛躍された短絡リレーが時間の枠を超えて走った。

 その結果、普通なら五時間はかかる一連の作業とコンタクトが完了する。『シルビアン』は、かつてどの宇宙船も経験したことのない事をやってのけた。


 新しい工夫と技術の革新。

 ライルは満たされて、また、飛翔していく。



 勇はどこだろう? 行き場を失ったライルが当惑した。勇がどこにもいない。何処かで呼んだような気がしたのに…………。



 分裂した彼は宇宙を突き抜け、時空を超えた。必然的に、彼らは時の始まりに着いた。

 輝く力が一点を創っている。ここから時空が生じ、時が始まるのだ。


「これは?」


 一人が問う。目くるめく輝きは、燃え上がるほどに激しく熱い。


「宇宙の命だ」


 十人のライルが答える。


「僕達の命だ。守るべきあらゆる命の輝きだ」


 百のライルが振り返る。

 千のライルが再びけた。

 無数のライルが船へと戻る。


 帰るのだ。守るために。

 全ての命を守るために。




 ライルの状態を観察していたリン・カーネンは、彼の体調が急激に変化した事に気づいた。

 つい、今しがたまで、彼は完全に麻薬の支配化にあった。

 無力化し、恍惚となって麻薬の夢を貪っていた。


 それなのに、今、彼の全組織が物凄い勢いで正常化へと回復しつつある。

 脳波は深い眠りを示し、麻薬による刺激を全く受けていない。

 それは、体調整能力機構が麻薬成分を速やかに分解し、無害な物に変えているということ。


 医者は信じられずに何度も検査する。そして、当惑して首を振った。ここまで麻薬を克服できる生物がいるはずがない。



 リン・カーネンは知らなかった。

 バリヌール人が、唯一『悪魔』伝説を持たない種族であることを。

 生命体が陥りやすく、故に麻薬に依存する心の弱さを与える『欲』を持たない種族であることを。


 ライルは麻薬に溺れたが故に、もう二度と麻薬を受け入れることはなくなった。


 目覚めた彼は麻薬が引き起こし見せてくれたそのほとんどを覚えていなかった。

 チャーリィやミーナを訪ねたことも、時空の始まりへ行ってきたことも、いや、無数に意識が分裂したことさえも覚えていない。


 それは麻薬とともに消えてしまった。だが、麻薬が彼に開いてみせたありとあらゆる欲望とその充足による快感や生々しい感情は残った。


 彼は身震いした。

 彼を生理的なまでに嫌悪させた感覚の全ては、地球人の遺伝子からもたらされたものだった。


 淫欲、破壊、攻撃、暴力、憎悪……。それが、自分の中に在ると認識させられるのは、あまりに辛いことだった。バリヌールの生理に反するものなのだ。彼の自我を壊滅的なまでに砕きかねないショックを与えた。


 だから、彼にとって、麻薬は求めるどころか見るのも嫌だった。汚らわしい言語に絶する代物だった。

 心の拒絶があまりにも激しいので、肉体もまた、激しく拒絶する。


 麻薬は体内に入るや、速やかに消去され分解されるよう反射機能が出来上がった。彼はもう、麻薬に脅える心配はなくなった。

 だが、たった一度の麻薬が与えた心への痛手を、彼が克服するには、長い時間が必要だった。

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