クローンとの対決
クローンは次元全体に、渦巻き怒涛のように流れ絶え間なく変化するエネルギー流を時空内で凍結させ、幾十もの極を持ち、無限のパワーと潜在許容量を内臓させた巨大な純エネルギー媒体の次元装置を作り出していた。
収縮し転換し新たな形態へと移る極限の静止した一瞬、ポテンシャルエネルギーは最大となり、負から正へ、次位相に向かって流れ落ちようとする瞬間を永遠に凍りつかせた、絶妙な均衡を保つ超伝導体のエネルギー柱が幾重もの事象現を突き破って、ライル達の世界へと伸びていた。
その理想的な夢の導体を通って、今も三次元宇宙を支えている膨大なエネルギーが累々とこの世界へ流れ込んでいる。
純エネルギー柱の組まれた彼方には、貪欲な次空元の闇が待ち受けており、渦を巻き爆発する次元のエネルギー流とぶつかり合っては飲み込まれ、余剰の炎を吐き出しては、そこに新たな空域が生成されていった。
「見事なものだ。しかし、これ以上稼動させるわけにはいかない」
ライルは残念そうに言った。科学者としての彼はこの装置を破壊するのが残念だった。クローンながら、素晴らしい装置だと感心している。
「誉めていただいて、光栄だ。ついでに、良くここまで来たものだと、僕のほうからも誉めてやろう。だが、ここで終わりだ」
クローンの自信に満ちた笑いが満ちる。
同時に凄まじい意志の力が、ライルを襲った。衝撃をまともに喰らった彼は、苦痛に身をよじりながらも、クローンの中に紛れもないあの意志の存在を感じた。
彼が対決せねばならない相手は、姿はクローンであったが、その実体は全ての命を否定する意志の存在だった。
地球人三人は、次元一杯に拡がったソレの一部と闘うだけで精一杯だった。それはまだ、部分に過ぎなかったが、それでもようようと意識を彼らに回してきたパワーは、彼らを圧倒しかけていた。
ソレの拒否の意志は、反エネルギーの怒涛となって襲い掛かる。それをまともに受けたら、彼らの存在は一瞬で消滅してしまうだろう。だが、彼らがそれを受けそびれ、少しでも支えきれなかったら、その凄まじい流れは、クローンと全力で闘っているライルを打ちのめしてしまうに違いない。
クローンとライルは、当然ながらその力は全く互角だった。
「クローン。装置を止めろ!」
ライルの意志がクローン目掛けて突き刺すと、彼のほうからはその倍の激しさでエネルギーが噴き放たれた。
「黙れ! 死ね!」
「自分のしている事がわかっているのか? バリヌール人として、許されぬ行為だぞ。目を覚ませ!」
クローンの激しい攻撃がその返答だった。
ライルは哀れむように告げた。
「お前は非論理的な存在だ。……ライル!」
クローンに動揺が走った。
そこへ炎のような攻撃をかける。だが、クローンはそれを受け、四方へと散らして、猛エネルギーの逆襲を返した。
「ライル! お前さえ死ねば、僕の存在も意味を持つんだ!」
憎しみのほとばしる攻撃だった。
今度は、ライルが動揺する番だった。自分の分身がこれほどの憎悪を見せるとは信じられなかった。
あの意志の存在に魅入られたクローンは、既にバリヌール人ではない。彼は迷いを必死で振り捨てた。奴は負の存在であり、害意を及ぼす存在なのだ。消さなくてはならない。彼はバリヌール人として、全銀河から委託された執行者なのだ。
ライルは両手を拡げ、力の全てを込めた意志を投じた。意志の存在の力添えを受けるクローンの限りなく激しい憎悪がそれに激突する。
両者の間の空間は煮え立ち、力場が渦を巻き、無数のノヴァが誕生した。
このまま闘いは何処までも果てしなく、互いに消耗し尽し最後の一分子までも燃焼し尽して、相倒れるまで続くかと思われた。
ミーナはそれを悲痛な思いで見つめた。愛する二人が死闘を演じ、彼女はどちらにも加担できずに、身も心も二つに裂かれる思いで見守っている。
――私は、どちらを愛しているの?
人形のように愛を知らないライル。
彼女を求め、愛してくれたクローン・ライル。淋しげな彼の瞳が、まだ心に焼き付いている。
――私は、クローン・ライルを愛すべきなのかしら。彼を愛しているのかしら。
ミーナは胸がきゅうと切なく痛むのを感じた。それは同情かもしれない。でも、私は……。
――彼を守らなければ……。ライルに攻撃を思いとどまらせるのよ。二人は闘ってはいけないのよ。
ミーナは、一足クローンの方へ進み出ようとした。
その時、クローンの中で変化が現れた。あの意志の存在が、ソレの力をクローンに呼び込んで注いだのだ。新たな力を得た彼は、勢いを盛り返してライルに迫った。
均衡が破れ、全力を投入していたライルは堪えきれずに、受け身になって後退する。
ライルの紫に輝く炎が弱まったと見たミーナは、気がつくとライルの前に飛び出していた。
「死ね!」
ライルへ放った必殺の一撃が、彼女の背に炸裂した。
ミーナの背が砕かれたが、それでも彼女はライルをしっかりと抱き締めて離さなかった。顔を胸に埋めたまま、歯を食い縛って耐えている。
クローンは大きく動揺した。
魂を負の意志の存在に売り渡してしまった後でさえ、ミーナの存在はまだ、彼にとって大きかったのだ。
動揺し、ためらった。
その一瞬のためらいを、ライルは見逃さなかった。すかさず、全意志力の激しいエネルギー波を彼に放った。
それをまともに浴びたクローンは、思いがけないほど脆く崩れていく。
防御していないのだ。
ライルははっと、それに気づいたが、追い討ちをかけるように続けざまに攻撃をかけた。
冷静に、確実に。容赦なく。
クローンはそのまま身の内から崩壊していく。負の意思の存在は、彼に抵抗させようとやっきになったが、既に闘いを放棄した彼を支配する事はできなかった。
彼が消滅する瞬間、ミーナは彼が淋しげに微笑むのを感た。
それは、本来人懐っこいライルの本質そのものではなかったか?
矛盾した自己の存在を悩み続けて、ついには、自ら死へと向かったクローン・ライル。
その想いをミーナは受け止めた。
ライルの胸に顔を埋めて泣くミーナの傷ついた背を優しくいたわるように回復させながら、彼は凝縮し凍結されたエネルギー柱の宇宙生成転換の場をじっと見つめていた。
クローンの死により、負の意志の存在は再びソレの中に戻り、成長拡大に夢中になっているソレを強引に憎悪に目覚めさせ、全力で襲い掛かってくるだろう。既に、その先駆が、彼らの周りにひたひたと迫りつつある。
しかし、今、このまま何もできずに消滅してしまうことは、即時、彼らの宇宙に引導を渡す事と同義なのだ。装置を破壊するだけでは無意味だった。一度方法と技術を知ったソレは何度でも同じものを作り上げるだろう。
手段は一つしかない。ライルはじっと見つめ続けた。
彼の存在を形作っているエネルギー体から表情が失われ、冷たく凍りついてくる。すうと青ざめてきた彼を感たミーナは、背筋に冷たいものが走る思いがして身を離した。
彼は今、またしても、最も非人間的な恐るべき決断を下したのだ。
「もう少しの間、頑張ってくれ!」
一言、チャーリィ達に声を掛けたライルは、エネルギー柱が複雑に組み込まれた生成の場に飛び込んで行った。そこには、彼らの宇宙から吸収した夥しいエネルギーが荒れ狂っていたが、ものともせずに、その中心部へと深く潜行していった。
その間にもソレの攻撃はどんどん増していき、既に凄まじいパワーとなってチャーリィ達を圧倒していた。
チャーリィ達は命を捨てていた。これほどの巨大な敵に敵うわけがないのである。ただ、ライルが彼らの宇宙を守る為に必要な事をしていると信じ、それが達成できるまで、最後のエネルギーの一片までも賭けて、彼を攻撃の嵐から死守しようと決心していた。
だが、地球人がどんなに強靭な精神力を持っていても、どんなに勇猛果敢であっても、ひと宇宙分の精神力に、ほんの僅かなりとも抵抗できるものだろうか?
筆舌尽くせぬ拒否のエネルギーの奔流が、圧倒的力を以って彼らに襲い掛かってきた。それを全力で受け止めた彼らは、存在を支える意志エネルギーの最後の粒子までばらばらに砕け散るかと思われた。
クローンの一撃を受けてまだ回復しきっいないミーナが崩れた。容赦ない攻撃の前に防御を破られ、激しい拒否のエネルギーをまともに吸い込んでしまった。
彼女の存在を支えるエネルギー体が耐え切れずに微塵に分解しようとした時、間一髪で勇が飛び出し、彼女を支えた。
勇はミーナの意識を支えながら、彼女の分も引き受けて闘った。
しかし、彼がいかに人並み外れた強固な意志と体力の持ち主であろうとも、それは始めから無理だった。彼は人を超えられず、奇跡は起こらないのだ。
巨大なソレの攻撃の前に、自らを支えているエネルギーが急速に存在の外へと流れ出していく。彼の意思の力がどんどん弱まっていくのを止める事ができない。
そして、チャーリィは勇達の危機を知りながら、自らの闘いに精一杯で、身動き一つ叶わなかった。それどころか、彼の抵抗の限界をとうに越えていた。良く持ちこたえたと言わねばならないのだ。
ここへ、新たな一撃が加わったなら、彼らは存在できなくなるだろう。
その一撃が、ノヴァを幾十も飲み込んだ激しいエネルギー流となって、彼らに襲い掛かってきた。
彼ら歯を食い縛って、その一瞬を待った。
次の瞬間、ふっと空白を感じ、まだ、自分達が存在している事を知って驚いた。
それどころか、今まで間断なく襲い掛かっていた攻撃が途絶えていることに気づいて、愕然とした。
目の前で、白光を眩しく散らしながら、巨大なエネルギーが砕けている。
何に?
彼らの前に、二本の凍結エネルギー柱が立っていた。
その凍結が融け、凝縮されたエネルギーが急速に解放されていく。それは、みるみる細く薄くなっていった。
その事実は、ソレの攻撃がいかに凄まじいものであるかを物語る。
俊敏な勇がさっと動いて、手近のエネルギー柱をもぎ取ると、線のように細くなって消えかかっている柱の間に立てた。彼の意図にすぐ気づいたチャーリィも、続いて導体柱を引き抜いて立て始めた。
やがて、十数本の導体柱が彼らの前に立てられた。ほっと一息ついたチャーリィは、ミーナの様子を見に行く。
彼女の意識はまだ戻らないが、存在を保つだけのエネルギーは辛うじて残っていた。
そこへ、ライルの声がした。
「船へ戻るんだ。早く」
見上げると、エネルギー柱の組まれた上に、導体柱を両手で抱えて立っていた。それを、急速に細くなっていく柱の列の間に投げ立てて、
「時間がない。すぐに脱出しないと間に合わない」
と、再度、急き立てた。
チャーリィがミーナを抱きかかえ、勇と一緒に、意識の焦点を船に合わせる。
距離の無意味なこの世界では、船は無限の彼方に在るとも、すぐ目の前に在るとも言える。領域は、全てが隣接し、無限に交わっているのであるから、単にその領域へ移相すれば良かった。
だから、彼らは次の瞬間、『シルビアン』の中に在った。
ライルは今は無意味で形無きコンソールの前に立つと、操作を始めた。指が三次元の感触を再現している。
物質の存在しないこの世界で、船の機能を期待することは不可能だったが、それでもまだ、三次元界の属性を備えていた。クローンやライル達がこの世界に転換されても、なお、各個性を保っているように。
ライルは船の質力を解放させていく。『シルビアン』自体は動かなかったが、船を含む領域が別領域と同化し、宇宙生成の場へと移相した。
『シルビアン』は無数に渦巻くエネルギー流に溶け込み、確実に、エネルギー柱の組まれた中心部へと進んで行く。
彼らの次元界へと、唯一開いた――宇宙生成の場へと莫大なエネルギーが流れ込んでいる次元の噴火口へと、まっしぐらに突き進む。
チャーリィ達が、眼前に口を開けて待つ、猛エネルギーの劫火に恐怖の叫びを上げた。
だが、ライルには彼が向かいつつある力場の地獄より、背後に拡がるそれの世界に迫りつつある脅威のほうが、遥かに恐ろしかった。
彼は、宇宙生成転換の場をソレの次元の中に封じ込めたのだ。彼らの次元界をすっぽりと多重次元フィールドの中に包み込み、その上で、宇宙生成の無限のエネルギーを解放させた。
次元空間を生成するはずの膨大な力は、限られてしまった次空の中で急速に溜められていき、やがて臨界に達すると、内なる爆発を起こす。
それは、次元大の壮大なブラックホール化と言ってもいいだろうか。内なる超エネルギー質量によって、次元界が内へ内へと縮んで行き、それにつれていっそう質量が増大し、更に次空の収縮が加速される。爆縮である。
そして、超高密度化した質量が限り無くゼロに近い点にまで爆縮された時、反転が生じる。失われることの無い質量とエネルギーの絶対量を以って爆発的に拡大し、新たな次空が誕生するのだ。
そのカタストロフィーの始まりが、もうすぐ起ころうとしていた。
ライルは、続々と流入してくるエネルギーの奔流の中へ、可能な限りの加速をかけながら飛び込んだ。
流れ込む業火の前に、船は木の葉の如く舞い翻弄される。エネルギー流に同化されず、これに逆らって突き進むのは無茶としか言いようの無い暴挙であった。
彼らの身体は船とともに過飽和エネルギーのイオン流を青白く噴き出し、爆発して飛び散ってしまわないように最大限の精神の集中が必要だった。
彼が一心に後にしている世界では、恐怖があふれ狂っていた。宇宙生成のエネルギーが過飽和状態に満ちつつあった。ソレは避けられない破滅を前に恐慌状態になっていた。
狂気のあまり、次元の壁に向かって絶望的な突進を繰り返しては、自らを破壊し、ソレを育んできた羊水である混沌たるエネルギー渦を掻き乱して引き千切った。
ソレの狂おしい死への恐怖が、チャーリィと勇の、まだ一部は属している精神へも届き共鳴させた。
その激しさに、二人は硬直して倒れ痙攣を始めた。
しかし、ライルはそれすらも気づかない。彼の関心は、次元を超えて送られてくるエネルギー導体の導く彼らの世界の入り口へ、一刻も早く辿り着くことに集中されていた。
内爆発とそれに続くカタストロフィーが始まった瞬間、この唯一の出口であるエネルギー導体も消滅してしまうからだ。
そうなると、彼らは『シルビアン』ごと、収縮を始めた次元に吸い込まれ、重力と超エネルギーのもとで、素粒子よりも細かく分解されてしまうだろう。
引き込まれないですむほど圏外へ遠く離れることができても、次元と次元の狭間に永久にさ迷うことになってしまう。
しかし、彼には、今の加速が限界だった。流れ落ちる滝の激流に遡っていこうとする小魚のように、船が保つ位置は不安定で動きもままならなかった。
彼の操縦技術は、コンピューターのように正確無比ではあるが、決してそれ以上のものにはなり得なかった。
ついに、ライルはどう最善を尽くしても、カタストロフィーに巻き込まれずに出口に着く事は不可能であると、判断を下した。
バリヌール人の彼はそう結論を下した以上、無駄な抗いは一切捨て、その時を静かに待ちながら、眼前に展開するたぐい稀な興味深い現象の観察に、全ての関心を集中するはずだった。
それなのに、彼はそれができなかった。
自分の中に有り得るはずの無い絶望感を感じて、困惑した。その感情が、彼の冷静な観察を妨げる。
非論理的な感情が、自分の死に対してではなく、彼の親しい者達の死を悼む気持ちから発していることに、彼はやっと気がついた。
切羽詰った場にありながら、ライルは茫然と彼らを振り返った。
意識を失っているミーナ。ソレの絶望に支配され硬直状態に陥っているチャーリィと勇。
彼らに寄せるこの心の動きは、バリヌール人の普遍的な同胞愛ではなかった。彼の個心的な執着による愛なのだ。自分の中にこのような感情が在ることに、彼は静かな驚きを感じていた。
『シルビアン』の背後では、臨終を迎えた次元世界が臨界状態にまで膨れ上がり、その圧力が船を彼方に押し上げるほどだった。
そして、宇宙が次の鼓動を打った時、爆発的なスピードで収縮を開始する。同時に、『シルビアン』は、奈落の底へと、超高圧の炉釜に向かって二度と浮かび上がるチャンスの無い転落を始めるのだ。
この期に及んで、自分の非論理的な部分を隠す必要も、悩む意味もなくなったライルは、たった今気づいたばかりの感情を解放した。
――愛している。僕は、君達を愛している。
エネルギー体である彼の感情は、きららかな紫の輝きとなって船中にほとばしった。
ライル達は、脱出できるのか?




