シーラの惑星 *
ライル達は、シーラの惑星に
六の章
地球から見て銀河の反対側に当たるこの一帯は、ガルド星からも遠く離れているので、銀河諸国連合組織推進委員会《UGOC》とは無縁であった。実際、通商協定を持つ世界もなかった。大胆な探検家が長期遠征隊でも組んでやってくる所だった。
その一角に、目当ての星系があった。中央部と比べ、恒星の数が格段に少なくなるこの辺境な辺りでさえ、周りの星系から不自然なほど離れて、ぽっかりと穴の開いた闇の中にぽつんと孤高を保っている。
末期症状の赤黒い膨れた太陽の周りをたった一つの世界が廻っていた。灰緑色の陰気な惑星。
「あなたの眼と同じ色ね」
ずっと機嫌が良くないミーナが皮肉な調子で言った。
「俺の目はあんなに暗い色じゃないぞ。みんな、素敵な色ねって言ってくれるよ」
「そう? 早くお友達の所へ帰りたいでしょ。みんな、待ってますものね?」
ちらりと横目でミーナを見る。
チャーリィには弱みがあった。さっき、ライルを見舞った時にキスしたのを、どうも彼女に見られたようなのだ。
チャーリィがライルに接近するのを、ミーナは神経質に警戒している。今のところ、最大の恋のライバルだった。
その灰緑色の惑星に、『シルビアン』は大きく軌道を描いて近づいて行った。
荒廃した世界であった。錆びついた金属が何処までも大地を覆っている。
所々沼地のような穴が開くが、そこにも植物の一本も生えてなさそうだった。だだっ広いプレートを洗うように、海がうねる。
緑色の海だった。
海からほど遠くないところに、平らな面が現れ、尖った建造物から、明らかに『シルビアン』に向けて光が点滅していた。
『シルビアン』は、ほかに一つの船もない宇宙港に着陸した。大気をすぐに測定する。オゾンがやや多いが、呼吸可能だと判る。有害な細菌類もいない。
そもそも生物がいるのだろうか。宇宙港はしんとして何の気配もない。だが、塔から発していた光は消えていた。それも自動的な機構だったのかもしれない。
「ライル、本当にここなのか?」
チャーリィはキャビンに居るライルに聞く。船内の会話は原則『シルビアン』が自動で拾い、各キャビン、コクピットなど船全体にオープンになっていた。
バリヌール人が間違うはずはないと思うが、それがずっと古い知識に基づいたもので、今は様子が変わっているのかもしれない。
『勇、来てくれ』
ライルが部屋から呼んだ。間もなく、勇に支えられてライルが来た。
「大丈夫か?」
チャーリィは心配して声を掛けた。勇に支えられてやっと立っている感じなのだ。顔色もまだ良くない。
ライルは彼に頷いて通信機に向かうと、通常音声回線を開いて耳慣れぬ言語で何言か話した。
そして、待つ。
随分長い間待って、チャーリィ達がいい加減待ちくたびれた頃、半月型をした建物から、何かがガタガタとやってくるのが見えた。
近づいてくると、それが荷台に様々な形のがらくたを乗せた機動車であることが判った。『シルビアン』の前で止まる。
機動車から人型に近い者が降りた。
ミーナに扉を開けさせて、ライルは外に出た。勇とチャーリィも護衛のつもりで一緒に降りる。
金属に被われた大地は暑かった。大分傾いているというのに、大きな太陽は不吉な赤い色で、頭の上から焼き焦がさんばかりに照らしつけていた。
それはロボットだった。しかも、合金製の体のあちこちに腐食がみられる。二本足、小さめの頭部、腕は長く前後に四本。頭部の前後、可動帯にカメラアイと思える大きなレンズが各一つ。
それがぐるりと360度回って、頭部がこくりと下を向く。挨拶らしい。
委員会諸国で使われている言葉がロボットから出てきたので、チャーリィ達はちょっと驚いた。
「お待ち致しておりました。バリヌールの方。二千五百年振りです」
ロボット特有の単調な調子で語る。ライルは遺伝子に記録されている古い知識を探った。
当時、応対に出たロボットの識別記号を思い出す。装飾過多で合理的な記号ではなかったので、バリヌール人が別の記号を与えていた。SSSと。
「君はその時のSSSかい?」
「はい。あなたがこの言語をお望みだったので、私が選ばれました。私は二千五百年振りに稼動したのです。私をご記憶いただいて、嬉しく思います」
勇達が眼を見張る。これが本当だとしたら、随分持ちのいいロボットだ。
「船がだいぶ損傷を受けている。修理と動燃の補給の協力を頼みたい」
「そう思いましたので、検査機を連れてまいりました。さっそく取り掛かります」
「ありがとう。もう一つ、頼みがあるのだが……」
ライルの身体がぐらりと傾く。チャーリィと勇が急いで支えた。SSSが変わりない口調で言った。
「お体の調子が悪いようですね。どうぞ、中に入ってお休みください。船の修理はしばらく掛かるでしょうから」
それで、ミーナも船から出て、一緒にSSSの案内で建物の一つに入る。
それは、事実上入り口であり、内部は地下にあった。
透明な円筒のエレベーターで降りていく間も、そこから伸びる広い通路に出ても、やはり人気がない。管理は行き届いて清潔に手入れされているが冷ややかで、人が住んでいる気配がなかった。
コンパートメントが並ぶ階に出て、SSSはお好きな所をお使いくださいと言った。
勇とミーナはそれぞれ、部屋を見に行ったが、チャーリィはライルに肩を貸し、SSSの後について一室に入る。
部屋は標準型ヒューマノイドタイプだった。彼はすぐにライルをベッドに横にさせた。
何百年も使われていないだろうに、部屋は快適に整えられていた。まるで、持ち主が明日にでも帰ってくるかのように。
「最後のシーラ人が出て行って、どのくらいになる?」
横になったまま、ライルがSSSに聞いた。
「千七百二十八年になります。でも、私達は、もちろん、いつお帰りいただいても宜しいように、常に整備してお待ちいたしているのです」
SSSは当然のように言った。
ライルは黙って頷いていた。
チャーリィは、やりきれない思いがした。
彼らの主人達は、おそらく永久に戻って来ないだろう。それでも、彼らは待ち続けるのだ。シーラの太陽が彼らの世界を飲み込むまで。
「どうぞ、ごゆっくりお休みください」
SSSは挨拶して出て行った。その後姿を見ながら、チャーリィが言う。
「いやに人間臭いロボットだな。あの形がもう少し、何とかなれば人間と同じだ」
「シーラ人は、本来地球人に近い姿だったんだよ。だが、退化した。彼らは便利になりすぎた文明に甘え、自らの世界に閉じこもり、虚弱になり、しまいには自分一人では何もできなくなった。機械に依存し、ロボットに依存し、ますます退化の速度を速めた。素晴らしい科学力を持っていたのに、彼らはそれを浪費するだけだった」
「詳しいな。そういや、二千五百年前にバリヌール人が来たんだったな」
チャーリィはライルのベッドの横に椅子を寄せて座る。
「その退化した住人はどうしたんだ? さっき、最後のシーラ人って言ってただろう?」
ライルの顔を覗き込む。ずいぶん、顔色が悪い。辛そうだった。
それでも、彼はぞくりとくるほど美しい。抱きたい。痛烈な欲望が沸き起こる。
「彼らは出て行ったんだ。太陽を見たろう? 末期だ。彼らはここに居られるだけ居続け、そして出て行った。僕の遺伝子に記録を残したバリヌール人が一度だけ、訪れた。彼らはよそ者の来訪を好まなかった。自分達の生活を乱されるのを嫌がったんだ。バリヌール人は彼らを好きになれなかったが、一つだけ心に留めたことがあった。彼らの科学は別次元への道を捜していたのだ。だから、きっと彼らはその道を見出し、通って行ったのだと思う」
ライルは疲れたように眼を閉じる。長いまつげが青ざめた白い頬に掛かっていた。そのうち、すうっと寝息を立て始める。
チャーリィは熱い衝動を抱きしめながら、いつまでも彼の寝顔を見つめていた。
***
勇は一眠りすると、『シルビアン』の様子を見に地上へ出た。太陽が威圧的な姿を見せて昇ってくるところだった。既に、辺りは赤く染まり、暑くなり出している。直にたまらないほどになるだろう。
太陽は空一杯を占め、燃え上がるようだった。
陽炎の立つ宇宙港に、『シルビアン』の姿がないのでぎょっとしたが、ドックに入っているのだと、思い出した。
金属音の響く建物の中を覗くと、果たして『シルビアン』の美しい姿があった。紫がかった銀色の船体が赤っぽく輝いている。異形といってもいいほどの様々な機械達が『シルビアン』に取り付いて修理に励んでいた。
船の食料庫からソーセージの塊を持ち出して齧りながら戻ろうとすると、ミーナに出会った。彼女も船の様子を見にきたのだ。
ミーナは食いしん坊の大きな悪戯坊主を、めっと睨んだ。
「ほんと! あなたを飼っておくと、食料を食べ尽くされるってチャーリィが言ってたけど、判るわ」
そして、船を眺めて溜息をつく。
「やってくれたわね。仕方がないとは言え、あなたならではの壊れ方だわ」
「ごめん。新造船なのにな。いい船だ」
勇が小さくなって言う。
「怒ってなんかいないわ。私を助ける為だったんですもの。亜空間での航行振り、聞いたわよ。私も、一度、挑戦してみようかしら」
「やめたほうがいい。あれはしんどい。ライルがいたからできたようなものだ。でなきゃ、今頃、亜空間のエネルギー壁に激突してばらばらになってたさ」
「そうね」
ミーナはしばらく眺めていたが、海を見に行こうと勇を誘った。
外に出ると、太陽が上から落ちてくるような感じで伸し掛かってくる。金属が敷かれた大地は、まるでフライパンみたいだ。多目的スペースブーツの底が焼け焦げるような気がする。
「暑いわね」
汗を流しながら、ミーナはスペーススーツの上着を脱ぐ。それを、頭の上から日除け代わりに被った。グレーのタンクトップを突き上げる胸が眩しくて、勇は目を細めた。
海はのたりのたりと緩やかに打ち返す。緑色の水は濁っていて可視がきかない。勇が屈んで水をすくった。
「藻だな。植物プランクトンが密生していて、海中を埋め尽くしてるんだ。ここの酸素の供給は、おそらくこういう藻だろうな。それに、この海、ほとんど真水だ」
ミーナがぎょっとして勇を見た。
「勇! まさか、飲んだんじゃないでしょうね?」
「ちょっと舐めただけだよ」
勇がぼそぼそと言い訳する。ミーナはかんかんになって怒り出した。
「どうしてそう無茶するのよ! 物凄いアメーバ赤痢にでもなったらどうするの! いつまでたっても、常識ってものを考えないんだから! だから、順子が苦労するんじゃない!」
順子は勇の許婚である。二人が生まれた時に、親同士で約束してしまったのだ。今時、ずいぶん古臭いのだが、順子はひどく人見知りをする内気な娘で、勇はこの通りまるで女っ気なしで来てしまったので、二人ともそのうちそうなるのだろうと何時しか思うようになっていた。
順子とミーナは幼馴染で、お節介な彼女がおとなしい順子の世話を焼いているうちに、すっかり勇のお姉さん気取りになっていた。それが、今日まで続いているのである。だから、勇はちょっとミーナが苦手である。
勇を従えてミーナが戻ってくると、部屋の前でチャーリィとばったり出会う。チャーリィはミーナの形のいい胸に目を留めるとにやにやして口笛を吹いた。
「いいね。ずっとそうしておいでよ。暑いんだから。目の保養だ」
「いやらしいわね。ライルはどうして? だいぶ、参ってるみたいだけど」
「ずっと、眠りっぱなしだ。それより、朝食を一緒に食べよう」
チャーリィの部屋に、勇とミーナが集まった。
SSSに部屋のドレッサーの使い方を教わったミーナは、それを使ってノースリーブのあっさりしたデザインのシャツとショートパンツにサンダルという軽装で現れた。
「涼しそうだな」
チャーリィが羨しそうに言うと、ミーナがそのドレッサーの使い方を教えてくれた。
部屋の一角にある戸棚のような箱がそれで、中に入って体型を記憶させると、簡単な操作でデザインや素材・色などを選択すれば、服が合成されて出てくるのである。一度作ったものは、記憶されるので、同じものなら手間もいらない。
ランニングシャツに短パンの軽装になったチャーリィは、完全機械化され見捨てられたシーラの町を探検して歩いた。勇とミーナはまた、『シルビアン』の所へ上がって行った。
通路がぐるりと円形に閉じている。真ん中の軸にエレベーターや電線ケーブル・上下水管等の生命線の束がまとめられているらしい。
眼を楽しませてくれる緑の公園などが見当たらない。在るのは果てしない部屋の列。
欲しいものは各部屋で調達されるから、ショッピングの楽しみもない。
連中は、ここで何を楽しみに過ごしていたのだろう。
どんなふうに動力を賄っているのか、規模を考えると相当な電力が必要だろう。それは、もっとずっと遥か地下にあるのかもしれない。
だが、そのエネルギーも低減しつつあるらしく、下の階に行くほど、整備の不備が目立っていく。そのうち、完全に管理されているのは、彼らが居留している階のみであることが解った。
故障したり錆びついて動けなくなってしまったロボット達も多く見かけた。それでも、ロボット達は、エネルギーの続く限り、最善を尽くして帰らぬ主人をひたすら待ち続けているのだ。
勇はここに居ると気が滅入ると言って、ほとんど上のドックで過ごす。機械が好きな彼にとって、ロボットの哀れな様子を見ているのはたまらないのだ。
なぜか、ミーナも頻繁に上に出ていた。『シルビアン』の所為ばかりではないらしい、とチャーリィは感じる。
チャーリィはといえば、上の暑さに耐えられず、こうして地下廻りをやっているのだ。その地下でさえも、太陽の殺人的な熱射を捌ききれず、じっとりと汗ばんでくるのだ。
これも熱源の枯渇の兆候の一つだった。かつては、快適な温度に常に保たれていたに違いない。
チャーリィはライルの部屋へ向かいながら、ミーナはライルを避けているのだろうか、と思った。そういえば、ここへ来てから彼女はライルと一緒に居たことがないと気づく。あんなに彼に夢中だったのに、どうしたことだろう。
そのおかげで、こうして彼とちょくちょく会えるので嬉しいながらも、ちょっと後ろめたい気がするチャーリィだった。
部屋に入ると、ライルが風呂上りの身体を乾かして出てきたところだった。
「起きだして大丈夫なのか?」
ライルは裸体を恥ずかしがったりしない。そういう感覚を持たないのだ。まして、チャーリィには気を許しているから何も隠しもしないで彼のほうを向く。
「うん、だいぶ、良くなった。心配かけたね」
にっこりと花のように笑う。チャーリィはこの笑みに弱い。彼の微笑に心が融かされぬ者などいるのだろうか。
チャーリィはそっと腕を彼の身体に伸ばす。硬く冷たい陶器の感触を予想させて、暖かく柔らかい肌にいつも驚く。吸い付くようなしっとりした肌が、風呂上りで甘い花の香りをいつもより色濃く立ち上らせて、彼を酔わせた。
唇に口づけながら、抱く腕に力を込める。それに応えながら、ライルもチャーリィの背に腕を回す。チャーリィのキスをうっとりと楽しんでいる。
抱いた背に手を滑らせれば、その感覚もちゃんと味わっているのがわかった。
「ライル。いいか?」
思い切っていってみる。
「何を?」
「お前を抱きたい」
「今、抱いてるじゃないか。」
「……これじゃなくて、俺が言っているのは、セックスのことだ」
「僕は雌じゃない。無理だろう」
ライルは即答した。
「男同士でも、できるんだよ」
「それは知らなかった。子供も作れるのか?」
「子供はできないけど、セックスはできるんだ」
「どうやるんだ?」
興味を持ったらしい。逆に、チャーリィのほうがたじろいだ。ライルの関心に色気は一切ない。どうみても生物学者の視線だった。
「いい……。やらなくて、いい……。なんだか、気が乗らなくなった」
――実験動物よろしく観察されるのは、嫌だ。
「教えてくれ。雄同士でどうやるんだ? そこまで言っておいて止めるなんてひどい」
言わなきゃ良かった、と後悔してももう遅い。興味を惹かれた事物に対して、バリヌーリ人は執拗だった。
結局、ベッドに仲良く座って、男同士のセックスを根掘り葉掘り訊かれる破目になった。疑問があると、とことん問いつめてくる。艶っぽい会話どころではない。
まるで生物学ゼミで追求される学生のようだ。チャーリィは途中でうんざりしてベッドにひっくり返った。
そういえば、副専攻の社会政治学の教授も陰湿な奴だった……卒論どうしよう……思考が明後日の方へ逃避する。
「な、何やってるんだ?」
いきなり腰のベルトを外され、チャーリィは慌てて跳ね起きようとした。
そこをライルに抑えられて、何の遠慮もなく短パンをボクサーパンツごと剥かれた。
真っすぐな視線を注がれ、チャーリィは真っ赤になる。だが、ライルの目はいたって真剣だ。
「比べるな!」
ライルは自分のとチャーリィのものを交互に見比べている。シーツで隠そうとすると邪魔される。
「ずいぶん違う。遺伝子情報から再現したはずなのにこれほど違うなんて、ヒューニヒルト(担当したバリヌール人形成医者)にしては手落ちだな」
「サンプルのフォンベルト博士はひどい状態だったんだろう? しょうがないよ」
ヒューニヒルトというバリヌール人は知らないが、チャーリィは気の毒になって弁護してやる。ライルに遺伝子を提供したフォンベルト博士だったものは、発見された時、骨格さえも砕けて肉塊状態に近かったと聞いている。かろうじてヘルメットで保護されていた頭部がそれでもいくらかましな状態だったということで、遺伝子を採取できたらしい。
「ふむ。当時、僕も7歳で幼年期だったしね。第二次性徴がある事も考えていなかったし。無理もないか。でも、体毛を失念していたのは、大きなミスだ。それにしても、大きいな。これが一般的成人男性のサイズなのか? それとも、君が特別大きいのか?」
「し、知るか! 見るなよ!」
ますます赤くなって前をシーツで隠したチャーリィに、ライルが真面目な顔で宣言した。
「よし! 実験しよう」
「じ、じっけん?」
チャーリィの声が裏返った。
――嫌だ! すごく嫌だ! 絶対嫌だ!
だが、一度、好奇心を刺激されて決意したバリヌール人を止めることは、誰にもできない。例えトゥール・ランでも。ましてチャーリィでは……。
こんな状況での初めてとなるとは思わなかったチャーリィだったが、人の身体は浅ましいもので、それでもその気になってしまうのが悲しかった。
「い、いたい……、すごく痛い」
ライルが苦鳴をあげた。チャーリィは腰を進めるのを止めた。
「そりゃあ、そうだろう。お前のそこは、単なる偽装用に作られたものだ。何の機能もない。無理だ。止めよう」
そっか、そもそも無理だったんだ。強引なことをしなくて良かったと、今更ながらチャーリィはほっとした。
だが、バリヌール人の考え方は、地球人の常識から六十度ばかり横にずれていた。
「こんな中途半端な状態では実験は終われない。僕の身体を変える。協力してくれ」
「か・え・る?」
またしても、チャーリィの声はひっくり返ってしまった。
「バリヌール人は体調整能力が発達している。ある程度なら、自分で自分の身体を作れるんだ」
「べ……べんり、なんだな……お前らって……」
「とりあえず、計測させてくれ」
「計測? いやだ!」
怖気ずくチャーリィの腰に、ライルが遠慮なく手を伸ばしてきた。
「ちょ……、やめろ! やめ……」
「動くな!」
腰を引いて逃げようとすると、叱られた。
バリヌール人の手はメジャーより正確に計測できるとかで、無駄に触られまくって必然的に反応してしまった状態まで、興味深々と観察される。
――トラウマになりそう……。
泌尿科には絶対行かないぞ! 病気にならないように気を付けよう……涙目で、ひそかにチャーリィは決意した。
やっと実験動物の身から解放されたチャーリィはかなりへこんだ気分で、手で顔を覆いベッドに腰かけていた。
「よし、データは取れた。あとは、自分を調整させて部分的に改造させればいい。完成したら、実験の続きをしよう」
満足したらしいライルが、明るく声をかけてきた。
――実験って……。俺は協力しないからな! 絶対しないからな!
チャーリィは一人心の中で空しい決意を固める。
その彼の肩に、こつんとライルは肩をぶつけて体重をかけてきた。意図してというより、無意識のうちにごく自然に寄りかかってくる。
それだけで嬉しくなってしまう自分に、チャーリィは呆れていた。
「僕は、ここの施設を使って、異次元へ侵入しようと考えているんだ」
「なんだって?」
ライルの唐突な話題の方向に戸惑って問い返す。
「シーラ人の研究施設はそっくり残っているようだから、それを使えば早く完成できると思う。ガルドへ戻って、一から手がけるより早い。手伝ってくれ」
なるほど、最初からそのつもりでここを選んだんだなと、チャーリィは納得した。いいさ。お前が行くところなら、地獄の底までだって一緒に行ってやるよ。
チャーリィは、返事の代わりに彼を抱きしめた。
***
通路に埃が積もっているのが目立ち始めてしばらくたつと、壁や周囲の備品にも錆や腐食が見られるようになった。四人は次元研究施設へと向かっていた。SSSがためらいがちに案内していたが、やがてがっしりした扉の前で足を停めてしまった。
「私はこれ以上進めません。禁じられているのです」
頷いたライルは、SSSを扉の前から下がらせて、扉を開こうとした。長年使われなかった扉は、錆びついて動かない。勇が進み出て力任せに引いた。
千七百二十八年振りに扉が軋み、音を立てながら開く。すうっと涼しい風が吹き付ける。空調装置が完璧に働いている証拠である。
薄暗い部屋だった。壁の周りに物が積み重なっていて、物置のように見える。部屋の向こうから明かりが一筋漏れている。彼らは次の扉を開いた。
そこは極彩色の空間だった。原色の様々な光が至る所から溢れ出し、回転し、流れ、見ているだけで目眩がしてくる。大きな空間の周りに、機械群が立ち並んでいるのが辛うじて見分けられた。
「******」
耳慣れない言葉が上から降ってきた。四人が上を見上げると、半透明の球が降りて来る。中に人間のような者が座っていた。
やがて、球は彼らの前に停止した。白っぽい何やら膨れた物がいる。球のガラスが開いて、それが人間に近い生物だと解る。
「******!」
それはもう一度、苛々した調子で言った。
「僕はバリヌールのライル・リザヌールです。貴方は最後のシーラ人?」
ライルはわざと銀河通商の言葉で答えた。シーラ人はぶつぶつと膨れっ面で、それでも何かごそごそとしていたが、やがて通商語で言ってきた。
「やれやれ、この翻訳機を使うのは久し振りじゃて。これは、貴方の仲間が置いて行ったものじゃよ。さすがに、良く機能する」
シーラ人はよいしょと球から出てきた。ぶくぶくに肥え膨らんだ体が辛そうだった。大きな頭にずんぐりと丸くて短い体。手は細長く、前後に四本。足は退化したのか、無いといっていいほど。
何より特徴的なのは、頭の両横についている長い耳だった。眉は大きく弧を描き、細長い目は半開き、あごは三重に垂れ下がり……、勇は笑いを噛み殺す。仏像にそっくりだ。
バリヌール人に敬意を表したシーラ人は、またよいしょと球の中に入った。立っているのも辛いらしい。
「さて、バリヌールの方。わざわざお越しの用件はなんですかな?」
「ここの装置を使わせて欲しい。急いでいるのだ。これを改造しても良いかな?」
シーラ人は驚いて叫んだ。
「とんでもない! これは私の命。例えバリヌールの方の申し出でも、駄目じゃ!」
「ことは銀河の平和のためなのだ。宇宙に住む無数の仲間達のために、使わせてくれ」
「嫌じゃ、嫌じゃ」
シーラ人は駄々っ子のようにいやいやすると、いきなり球を上昇させ、ライル達目掛けて熱線を撃ってきた。ぱっと飛び散ったライル達は、極彩色に彩られた機械群の間に身を隠す。
シーラ人はめくら滅法撃ちまくっている。チャーリィが腰のベルトのホルダーから愛用のニードル銃を取り出し、狙いをつけて撃った。
一発だった。
球のコントロールがガクンと駄目になり、墜落状態で床に落ちる。壊れた球から這い出して来たシーラ人に、チャーリィが銃を突きつけてけりが着いた。
シーラ人はこそこそと隅のほうに小さくなっている。ライルはそれを無視して、コントロール装置に向かうと一連の操作を行った。
ごごごごと、部屋全体が揺れだした。シーラ人が真っ青になって震えだす。
ががががが。大きな音を立てて、部屋全体が上昇を始めた。
上昇が止まると、天井が割れる。上に大きな太陽。
次元研究所は、大きなドームだったのだ。
透明な外壁を透かして、巨大な太陽が威圧的に光を振りまいた。
「ひいいいい!」
叫び声が上がって、ミーナ達はドームの隅を振り返った。
シーラ人の皮膚がぼろぼろと崩れていく。崩れた皮膚の下から、錆びついた機械が現れた。手がぎごちなく動くと、ぽとりと落ちる。首がころりと転がり、胴を形作っていた部品もぽろぽろと崩れるように崩壊していく。あっという間に、そこには屑鉄の山が残るだけになってしまった。
唖然としてみていたミーナ達がやっと息を飲み込む。
「ロボットだよ。おそらく最後のシーラ人……新しい世界に行くだけの勇気を持たなかったシーラ人が使っていた人間型なのだろう。ロボットに自分と同じ意識を持たせ、また、ロボットも学習し、シーラ人が死んだ後も、、そのロボットはシーラ人の習慣を続けていたんだ。そして、いつしかロボットも、シーラ人自身と錯覚するほどに、コピーが完璧になったんだな」
「やっと、シーラ人の亡霊から解放されたってわけか」
勇が穿ったことを言う。
シーラ人の亡霊が長年作り上げてきた極彩色の光の乱舞は、太陽の強力な光のもとで、急に色あせたものとなっていた。
ライルは、準備に取り掛かった。シーラ人の次元誘導技術を取り入れ、彼が系統だてた無限次元空方程式を応用し、異次元界の位相指数に適応させた複雑なシステムが作られ始めた。
彼は寝込んでしまった時間を取り戻そうとするかのように、寸暇を惜しんで作業に掛かる。地上に出たドームには、禁令が適用されないのか、SSSや多種多様の作業ロボットも手伝ってくれる。
ミーナと勇は『シルビアン』の修理に精を出す。チャーリィは、亜空間通信装置の修理を手伝う。そして、暇を見てミーナを誘って勇から引き離した。
「どうしたんだ? ずっと様子が変だぞ。ライルと何もなかったんだろう?」
「ええ、そうよ。何もなかったわ」
ミーナはそっぽを向いて返事した。やっぱり、いつものミーナらしくない。
「ライルを諦めたのか? 俺がもらっちまってもいいのか?」
ミーナはチャーリィに背を向けたまま、そっと唇を噛んだ。
「別にまだ、私のものってわけじゃないわ。好きにしたらいいじゃない」
はき捨てるように言うと、さっさと駆動部へ降りていってしまう。
――せいぜい、独り相撲にならないように、気をつけることね。
ミーナはできることならわっと泣き出したい気持ちで、ジェネレーターの側に行った。勇が顔を油で真っ黒にしながら、楽しそうにパネルの下に潜り込んでいる。
ミーナはぼんやりと調整パネルの前に座り込んだ。その横を作業ロボットの一体がちょこちょこと走りぬけていく。
―ライル……。
幾ら恋い焦がれても、甲斐がないと判っているのに、それでもライルが好き。愛されることなど決して有り得ないのに、彼に恋してる。
その同じ心が、もう一人のライルをも愛していた。
そのライルは彼女を愛し、しかも、彼女の愛を必要としていたのだ。
誰にも受け入れられることのない孤独な彼。彼は死にたがって、しかし、死ねずに苦しんでいた。彼をこそ愛してやるべきだったのに、彼女は結果的に彼を拒絶してしまった。ライルを愛しているからだ。
その当人は彼女を必要としていない。チャーリィに愛され、トゥール・ランに愛され、みんなに愛されている。
――いったい、どうしたらいいというの? 私の心は、何処へ行ったらいいの?
ミーナは顔を覆ってしまった。
ミーナの苦悩は続きます