クローンを追って *
一応 *つけました
亜空間を爆走する『シルビアン』の中で、チャーリィは計器を睨んでいた。針が臨界点へぴんと跳ね上がる度に、彼の眉もぴくっと跳ね上がった。
しかし、日頃、能弁の彼はむっつりと口を結んだきり、何も言わない。
十数回ごとに針が一斉にぴーんと跳ね上がり、デジタル数値がEEEEを並べ続けると、その間中、眉を吊り上げて睨み続けている。
しかし、全てを勇に預けた以上、自分の運命を他人の手に任せっきりにするという、苦手な状態の苛立ちに耐え、彼は口を閉じ腕を組み無言の行を続けるのだった。
寸暇の息を抜く間もなくライルはコンピューターに向かったきり、亜空間方程式のめまぐるしい変移値の算出に専念していた。
データは刻々と変わり、条件も次々と移る。勇の航法は無茶としか言いようがない。
だが、彼の胸の奥には、冷静なバリヌール人の海面の下にかつて経験したことのないものが揺れ動いていた。彼が始めて体験する感情だった。バリヌール人が持ち得なかったもの。それは、ミーナを失うのではないかという不安と焦りであり、クローンに対する怒りだった。
それが、彼の心を千々に掻き乱しているにもかかわらず、彼はそれが何であるかを知らず、認識を拒んでいた。
だが、今クローンを追っている理由が精神異常の危険な破壊者である自分の分身を速やかに処分する事であったはずなのに、いつの間にか、クローンの手からミーナを取り戻す事が第一の目標となっていることを、ライルは嫌でも認めない訳にはいかなかった。
そして遂に、勇は『シルビアン』を三十七時間あまりの苦しく驚異的な亜空間航行の果てに、五万光年近い遷移を経て通常空間に突入させた。
途端に、チャーリィは椅子から跳ね起きた。センサーを全開にする。三百六十度繰り広げられる八個のスクリーンを近距離、巨視展望鏡と次々と操作して周囲の空間を探る。
さらに、放射熱探知と放射線探知、残存航路軌道追跡装置の針を伸ばす。同時に、ミサイルやレーザー砲を瞬時に撃ち出せるように準備、待機させた。
勇は亜空間ドライブの加速推進を止めると、直ちに動力回路を切り、予備ジェネレーターを発動させて補いながら、疲労しきった機関の回復を図る。
そこまでやり終えると、後は慣性航行に任せ緊張を解きほぐす。ここまでくれば、後は五十歩百歩なのだ。要はいかに敵に察知されずに、どれほど近づけるかにある。
一分間のロスが百光分の差を生み出す心配はなくなったのだ。
深々と椅子に身体を沈ませると、勇はたちまちのうちに眠り込んでしまった。
そこは銀河の外れ、太陽系とは反対側の肢状星雲もずっと過疎な辺りで、今まで恒星の密集した中央部の宇宙を見慣れた目には、心細いほど星々が寂しく点在していた。その合間を透かして、気が遠くなるほどの深遠な冷たい宇宙間の暗黒が顔を覗かせていた。
しかし、ぐったりと辛そうに椅子に背を預けてモニターを見守るライルには、その暗黒も映らない。あの何処かにミーナとクローンがいる。焦りと苛立ちが、休息を必要としている彼にそれを許さなかった。
それで、結局、バリヌール人たる彼は、やはり変わらぬ姿勢と表情でコンピューターの前に座り続けていた。
***
その同じ寂しい星々のきらめきを眺めていたミーナは、星の彼方に限り無く拡がる深奥の冷たさに身を震わせた。それは、そのままライルとクローンの間に横たわる断溝と同じものだと思う。
二人は同じ遺伝子を持ち、同じ姿をしているのに、その心は相反し、驚くほど異なる。
ライルは太陽の穏やかさと神の冷静さを持ち、クローンは炎のような感情と悪魔の冷酷さを示す。
例えれば、ライルが恵みをもたらす女神なら、クローンは対極の破壊をもたらす男神だった。
実際、ライルは地球人の男というよりも生物学的に雌に近い。一方、クローンからは明確な雄の男らしさを感じた。
しかし、両者の奥深くに潜む根本に流れるものは、きっと同じものなのだと彼女は信じている。
そんな物思いにとらわれながら通路を通って、指令室への多重扉へ足を掛けたミーナはそこに立ち止まってしまった。
広い指令室の前面を占める大きなスクリーンを前にして、クローンが立っていた。人気のない広々としたガルド艦の指令室には、集積され続けるデータを処理するコンピューターや各種装置のたてる低いハム音の響きが、静まり返った空気を震わせていた。
無限に尽きることのない夜の広がりを映す巨大な眺望の前で、ひっそりと立つ彼の姿はあなりに小さく儚げにさえ見えた。
ミーナはその背に、限り無い孤独を感じた。
属するものも友もなく、故郷と為すべきものもなく、唯一の接点であるライルにさえ、その存在を否定された者。
誰にも望まれず、宇宙の意志に背く犯罪者として、敵意に満ちる闇の世界にただ一人さまよわなければならない人の姿だった。
――彼は、いつ眠るのかしら?
いや、一度も眠っていないに違いない。彼にはそんな時間さえ許されなかったのだ。
ミーナはそっと扉から離れ、中に入って行った。金属の床に彼女の足音が響く。彼が気がついて振り返ったけれど、彼女は足を止めなかった。
ミーナを訝しげに見る彼の瞳は、まだ宇宙の冷たい闇の残像を残して湿り、その奥には孤独な魂が覗いていた。いつもの自信に満ちた高慢な態度も、今は影が薄らいでみえる。
彼のすぐ側まで近づいたミーナは、腕を伸ばして彼の首を抱え込むと、背伸びをして唇に優しくキスをする。
彼はびっくりして目を丸くしたが、おずおずと腕を彼女の背に回した。彼女がそれでも拒否しなかったので、抱く腕に力を込め自らキスしに行く。
二人の唇が離れ、ミーナを抱き寄せたまま彼は聞いた。
「どうして? 僕を嫌っていたんじゃなかったのか?」
「そうね……。可哀相なあなた」
彼女の瞳に、母の愛にも似た深い慈愛の優しさが溢れていた。
人の眼にこれほどに暖かい優しさが籠められるのかと、彼は驚いて見つめた。その胸に、抱いている彼女の暖かさが伝わって、彼の心を凍えさせている氷塊が融けていくような気がする。
「それは同情か?」
「そうかもしれないわ。でも、それでもいいのよ」
ミーナはいっそう 彼の胸に寄り添っていった。
やがて、二人は、まだ使われていなかった彼の部屋に入って行った。二人の身が一つに溶け合うのはごく自然な成り行きだった。
ライルと同じ微かな花の香りに包まれ、同じ唇、同じ瞳、同じ身体を感じながらも、彼がライルでないことを知っていた。
ライルとはこうして結ばれることは永遠に無いにちがいない。彼は生物的にも機能的にも限り無くバリヌール人だったから。今、彼女を抱いている彼のほうがずっと地球人に近いのだ。
ミーナの頬に涙が一筋、流れ落ちて行った。
長く孤独な、張り詰めた緊張から優しく解き放たれて、彼はミーナの傍らでぐっすり眠り込んでいた。
まだあどけなさを感じる美しい横顔を、ミーナは不思議なほど穏やかな気持ちで眺めていた。
この人は深い悲しみの中に居る。誰も救おうとしないなら、私が彼を癒してあげよう。彼はライルじゃないけれど、やっぱりライルでもあるのだから。これも愛なのだと思う。ライルを愛しているように、私は彼をも愛しているのだ。
***
二人は突然の警戒音で起こされた。まだ、ミーナが現と夢の間で戸惑っているうちに、クローンはぱっと飛び起きると、ベッドの横にある赤く点滅する光源の付いた装置に手を伸ばして、一連の動作で警戒音を止めた。
彼の顔が厳しく引き締まっている。
ミーナははっと気づいた。これはライル達の接近を意味しているのだ。青くなった彼女は、もう服を身につけ出て行こうとする彼の腕を取って、引きとめようとした。
クローンは一瞬、非常に人間的な思いに満ちた眼差しを送ったが、すぐに冷たい殺意におおわれた。
「いいかい、ミーナ。奴を倒さねば、僕が殺られるんだ」
あっと離したミーナの両の手からするりと抜けて、彼が駆け去っていく。そのドアを見つめながらミーナは顔色を失い茫然と立ちつくしていた。
***
クローンが設置しておいた探査波警戒線に接触したと同時に、また、チャーリィもクローンの航宙船を発見。第一級戦闘態勢に入った。
しかし、向こうの艦にはミーナが人質となって捕まっているので、チャーリィ達も無闇に攻撃を仕掛けることができない。その分、不意をつかれても、クローンの方が有利であった。
クローンは機首を向けると、容赦なく撃ってきた。それを勇が回避し、チャーリィはガルド艦の後部を狙って攻撃する。
そこに主要動力部のほとんどが集中しているからだが、うかつに損害を与えると大爆発を引き起こすので、思い切った攻撃ができず、全てバリアーに遮られてしまう。
「くそっ! このままではらちが明かん! 俺は小型艇で撃って出る。何とか、あのバリアーの隙をついて潜り込むしかなさそうだ」
勇が提案した。
「チャーリィ、おしどり作戦だ。それにしても、さすがにライルのクローン。ガルド艦の利点を最大限に活用して、短所を技術でカバーしている。俺は、ライルだけは敵に回したくないって思ってたんだ」
勇が変なところで感心している。それを聞きつけたライルが抗議してきた。
「僕は敵にならない。君達を攻撃なんてできないから」
片手を額に当て、勇が苦りきった声を出す。
「額面通りに受け取るなよ。だが、今の正直な気持ちとして、お前を最悪の状態で敵に回したのと同じなんだよ」
ライルは納得しないまま、操縦席に移る。彼にとって、自分とクローンを同一視するこはありえないことだった。
勇の小型艇が『シルビアン』から飛び出して、ガルド艦へ向かって大きく回り込もうとした。距離感も失われる宇宙では、こんな小さな搭乗艇を発見し、位置を捉えることは非常に難しい。勇はその利点を狙ったのだ。
だが、クローンは大海中の砂一粒も見逃すことなく、薄気味悪い正確さで攻撃を掛けてきた。勇は、それを必死にかわし、小回りの良さをフルに利用して敵の目をくらまそうとするのだが、相手の完璧な防御網から逃れることはできそうもなかった。
ライル自身は決して戦闘向きではないのだが、それは彼の性格の故で、非戦闘的性格かつ暴力嫌悪症を完全欠如したクローンとなると、戦士としての能力は侮れないものとなる。
チャーリィ達のような理屈を超えた閃きこそはないけれど、超高性能のコンピューターのような的確さと素早さ、人間性を欠いた冷徹な残酷さを持つ。
勇の艇の動力部は焼き切れ掛かり、推進装置も損傷を受け、大破するのも時間の問題だった。勇を援護しながら、攻撃を続ける『シルビアン』のバリアーもぎりぎりまで追い詰められ、ライルとチャーリィの努力にもかかわらず、苦戦を強いられていた。
『シルビアン』は、地球で望める限りの構成能力出力と動力機関を装備しているが、それはあくまでも高質量の物質による反応炉であり、バリヌールの無尽蔵のパワーが保証される宇宙線力場コンバイターではなかった。ライルといえど、地球の技術力でそれを作成するのは無理だったのだ。
一方、ガルド艦も同じ核融合による反応炉であるが、その規模からして桁違いの備蓄と出力を持っている。この戦闘は、従って長引くほどに、備蓄と出力の絶対量の少ないライル達の不利になるのだ。
遂にガルド艦から牽引ビームが発せられ、『シルビアン』と勇の艇はがっちりと押さえ込まれてしまった。
「ハハハ、これで最後だ。ここまで、その小さな船で良く闘ったと褒めてやろう。さあ、こんがりと焼かれるがいい」
クローンの目が残忍に笑う。指が引導を渡すべく火器装置のボタンに掛かった。出力目盛りは最大である。
その時、ミーナが飛び込んできて彼の腕を抱え込んだ。
「やめて! お願い! あの人達を殺さないで!」
ミーナはこの戦闘を身を揉まんばかりの思いでみていたのだ。ライルやチャーリィ達が死ぬのは嫌。でも、クローン・ライルにも死んで欲しくない。ミーナは為すすべもなく立ち尽くすばかりだった。
しかし、今、ライル達の命が危ないと知って、我を忘れて飛び出した。
「ミーナ。いくら君の頼みでも駄目だ。奴らの命を助けたら、彼は宇宙の果てまでも、僕を追い続けるだろう」
「そんな事ないわ。あなたが彼らや彼らの世界を脅かさない限り、チャーリィ達はあなたを殺そうと思わないわ」
紫の髪のライルに冷笑が浮かんだ。
「だが、ライルはそう思わないだろう。彼は決して、僕の存在を許すまい」
「どうしてそういい切れるの? 彼は人殺しなんて考えるのも嫌な人よ」
「彼は、僕を人間だなんて考えやしない。実験の失敗作ぐらいにしか思っていないんだよ。誤りは正すのが当然。従って、僕を処分するの事は当たり前なのさ」
「まさか。あなたはちゃんとした人間よ。誰が見たって……、あなたは、ライルで……」
「そして、ライルではない。僕は、論理的に矛盾した存在なんだよ。しかも、僕は、ライル以外の者にはなれない。それに、君も気づいていると思うけど、僕は非常に不安定なバランス状態を保っている。正常な精神を逸脱しているんだ。これも、みんなヒポクラス人がまずいクローン作成なんかした所為なんだが。それは、きっちり借りを返してやった」
クローン・ライルの口の端がにっと持ち上がった。冷酷な殺人鬼の顔だった。
「そういう状態で、バリヌールの頭脳と知識を持つということは、それは物騒なことなんだ。その危険を誰よりも承知しているのが、ライル・リザヌール本人なのさ」
「あなた……。それを全部承知で……、それでも、ガルドを攻撃したの?」
眼を大きく開いて呆れているミーナに、クローン・ライルは思いがけないほど優しく微笑んでみせた。
「僕はバリヌール人なんだよ。だから、主観にとらわれずに客観的に判断できる。そして、事実をごまかしたり、眼を背けたりすることもできない。僕のような、矛盾した危険な存在は、速やかに消えたほうが、全ての生きとし生ける者に対し、良いということは論理的に明白なことだ。しかし、一方で、僕の中にある自己保存の願望が生きよと命じるんだ。なんとしても、生き続けろとね。だから自殺もできない。
それゆえにガルドを攻撃もしたし、オリジナルも殺す。僕の存在を否定する者全てを、僕は破壊する。目的のためには手段を選ばない」
言い切るクローンを、彼女は悲しみと絶望の瞳で見つめた。と、同時に選択を下していた。
コンソールに飛びつくと、素早くバリアーのスイッチを切る。
彼がすぐにスイッチを入れなおしたが、その一瞬のすきに、二方向から激しいビームを受けて主要動力駆動の連結部が破壊された。
牽引による固定が仇になった。至近距離による攻撃で、弱点の箇所をまともに突かれた。ガルド艦の後部継続部分から炎が噴き出し、バリアーの供給が止まる。
主要動力部を失った航宙艦はほとんど無防備状態で進退窮まって立ち往生してしまった。
すかさず、噴出する熱い空気の奔流を掻い潜って、勇が飛び込んでいく。
ライルも『シルビアン』を熔けかかったまだ熱い破壊跡に横付ける。
勇の後を追って、接舷が完了する前にチャーリィが飛び出して行く。
ライルも作業を手早く済ませると、続いて後を追った。
悩む女心です