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Lyle~エイリアン物語~  作者: 霜月 幽
第2部 ミルキーウェイは宇宙船でいっぱい
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幕間 ライルが失い、そして得たものは……。

 窓から空を眺めていた視線を、ライル・フォンベルト・リザヌールは室内に戻す。


 デスクの上に空になったコーヒーカップがまだ放置されていたのに気付いて手に取った。先ほどまで来ていたチャーリィが飲んでいったカップだった。



 ここはアメリカ地区宇宙士官アカデミー内の研究棟の一画、情報統括総合研究室の教授室。


 地球を発つ前は医学部インターン生で、宇宙物理学講師、アカデミーの士官候補生でしかなかった。

 それが五か月振りに地球に戻ると、アカデミー大学学長ヘインズ大佐の来訪を受け、アカデミーに残って欲しいと請われた。ギアソン地球防衛長官も一緒だったので、どうやら彼を軍のほうで手放したくないという意向もあるのだろう。


 ライルは戸惑うしかない。彼自身は何も変わっていなかったからだ。これまで通りの日常に戻るつもりでいた。だが、彼の正体を周知されてしまった以上は、それも無理なのかもしれない。



 ライルは総長やギアソン長官と話し合い、情報統括総合学を新設することにした。常々各分野の学問の横の連携に乏しいことを痛感していたからだ。


 情報統括総合学とは、各専門学の専門的データを統括的な視野で総合判断する学問のこと。これまでばらばらであった専門学を統括して横の連携を促し新たな可能性に至る観点を示唆し、広く全体的な視野で総合的に考察するもの。

 極めるためには、各専門学のある程度以上の知識が欠かせないのが難ではあった。多次元立体グラフを用いて、各専門データを視覚的に表すことによって、その難点を解消しようと試みている。



 チャーリィはライルがデータを作成しているのを眺めながら、勝手に自分で淹れたコーヒーを飲んで、「じゃ、またな」と出て行った。

 時々来ては、何をするでもなくしばらくライルを眺めては、帰って行く。


 チャーリィは多分、ライルが正常に活動しているのかどうかを確かめにきているのだろうと思う。

 ライルが自らを殺そうとしたショックは、チャーリィにとってもトラウマに近いものとなっているようだった。

 彼は自分の責任だと考えているらしいが、それはチャーリィの所為でも落ち度でもなかった。むしろ、チャーリィは彼の命を引き留めてくれた。


 ***


 あの時、『至上者』の星系が跡形もなくなっていた宙域を確認した時、ライルは自分が行った破壊と殺戮を嫌悪した。バリヌール人としてとうてい認めることのできない行為だった。


 彼は生きることを否定した。自分は存在してはいけない。

 自らバリヌール人である事を捨てたのだ。その上さらに、この余りにも重過ぎる荷を背負って生き続けることもできないと判断したから。


 あのまま自分は存在を止めるはずだった。

 全ての活動を停止させ、盤肺も双心臓も動きを止めようとしていた。有機セラミックに硬化させ、周囲の全てを拒否した。



 そこへ、チャーリィが駆け込んできた。倒れている彼を抱き起し、名を呼んだ。

 それは知覚していたが、彼の中ではすでに死へ向かっていた。決定事項で変更はありえなかった。


 体温もどんどん下がり、全感覚も閉じていたはずだった。


 それなのに、チャーリィの体温を感じた。直に触れ合う彼の肌から熱が伝わってきた。

 温かいというより、熱いと思った。

 チャーリィの身体は熱かった。

 そして、死へ向かうはずの彼を行くなと強引に引き留め、生へと引き寄せた。

 

 ――邪魔するな!


 そう、思った。死への決意は固い。冷えていく身体を温めるな、と。


 唇にキスされた。肌にキスを受けた。

 身体を抱き寄せ、優しい手が熱とともに身体を撫でて行く。


 その感覚はよく知っているものだった。死に行く身体が目覚めてしまうほどに、喜びを与えてくれるもの。

 ライルは感覚網を堅く閉じる。

 知覚してはならない。自分は滅びるべきなのだから。


 頑なに死へと向かう。

 死にたかった。全てを忘却の彼方へと葬ってしまいたかった。


 それなのに。

 衝撃だった。

 頬を叩かれた。その痛烈な痛みに意識が戻った。

 激しい痛みは、二度三度と、容赦もなく彼を覚醒へと促した。



 思わず開いた視野に、チャーリィの瞳を捉えた。鋭い緑灰色の目は燃える炎を纏う刃物のようだった。そして、泣いているように濡れて揺れていた。


「チャーリィ……」


 友の名が口からこぼれた。

 チャーリィが抱きしめてくる。彼の熱が彼の鼓動と一緒に流れてくる。


 温かい。

 どうしてチャーリィはこれほどに温かいのだろう。

 彼の温みを感じたくて腕を伸ばした。もっと感じたかった。チャーリィがさらに強く抱きしめてくれた。


 彼に抱きしめられていると、自分が生きていても良いのだと、そう思えた。

 チャーリィの腕の中にあると、自分の為した全ての行為が許されて、認めてもらえたのだと感じた。


 なんの根拠もないのに。

 それでも、彼の胸の温みはいつもライルに安心を与えてくれる。

 彼の鼓動とともに、ライルの鼓動も打つ。

 再び力強く。命へ向かって。

 もう、死に行くことはできなくなっていた。



 そして、友は告げた。いつでも側にいると。一緒に受け止めると。

 だから、

『恐れるな。逃げるな。自分を信じて勇気を持て』と。


 老リザヌールと同じ言葉を、友が告げた。

 生きていて良いのだと、これでいいのだと、間違ってはいないのだと。



 胸の中から湧き上がってくる熱い想いは何なのだろう? 

 それを表現する言葉をライルは知らなかった。ただ、ただ、涙が溢れてきて止まらなかった。


 バリヌールの全てを失って、バリヌール人としての自分さえも失って、それでも彼には残されたものがあったのだ。新しく生まれ直して進むようにと。


 この友がいれば。彼の腕が自分を抱きしめてくれていれば。

 きっと、自分は生まれ直せる。生き続けることができる。そんな気がした。


 ***


 部屋に備えてある流しでチャーリィのカップを洗おうとして、ふとチャーリィの飲み口の痕を見つけた。カップを口元に運び、その痕に唇を重ねる。くすっと微かな笑いが零れた。

 

 ――僕は何をやっているのだろう? 理由が判らない。


 きっと、チャーリィとキスをしたいのだ。

 生命力に溢れた彼の熱いキスは、いつもライルの胸をどきどきと高鳴らせる。バリヌール人としてあるべき静謐な状態を掻き乱す。

 しかし、ライルはそんなチャーリィのキスが好きだった。


 今度、チャーリィが来たらキスしてもらおう。そして、抱きしめてもらうのだ。



 ライルはコーヒーカップを洗って水切りかごに伏せると、楽しそうに笑みを浮かべた。暦はもう12月も半ばを過ぎている。クリスマスはもうそこまできていた。

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