地球への連絡
勇、チャーリィとライルの三人が珍しく一緒に夕食を取っていた。彼らはひどく忙しくなってしまい、部屋にゆっくり落ち着いている暇も時間も無くなっていたのである。
勇は完全にトゥール・ランの配下に入ってしまったようなものだし、チャーリィは連合設立に向けて、不本意ながら地球代表として、これも目が回るほど忙しい。ライルも科学技術局に連日泊り込んでいる。
「『至上者』はどうして手間を掛けて、わざわざ他の世界で資材を調達しているんだろう? 彼らの勢力圏と思われるところにも、資源が豊富な惑星がかなりあるらしいじゃないか」
勇が訊いてきた。話題はどうしても『至上者』の事となる。彼はトゥール・ランの側にいるので、最新情報に詳しい。
「ふうん、連中、自分達の周りを取り尽くしたのかなあ」
チャーリィがワインに似ていなくもないリキュールを試しながら、首を傾げる。
「いや、彼らの世界では、おそらく大量の金属物質を扱いにくいのだろう」
ライルが緑色の何とも言えないようなどろりとした代物を、スプーンで掬いながら答えた。
「彼等が呼吸する気体は、塩素と二酸化塩素だ。塩素は陽性の元素をたちまち塩化物にしてしまうし、二酸化塩素は強力な酸化剤だ。爆発性のね。彼等が、最初の宇宙船をどうやって製造したのか、興味がある。彼らの機械体系もね。でも、一番知りたいのは彼らの代謝機能だな」
「それで奴らは、自分達の代わりによその連中に造らせているわけか」
勇が納得したように頷く。
「どこかに集めて、空気の無い所かどこかで連中は組み立てればいい。そういう組み立て工場が幾つもあるんだろうな」
チャーリィも同意した。いったい奴ら、そういった工場をどれほど持っているのだろう? 相手の戦力の規模が掴めないのは不利だ。
「でも、どうして、『至上者』は、わざわざ知性体のいる世界の侵略を強制し、軍備の増強をするのだろう?」
ライルが不思議そうに訊いた。
質問されたほうは、もっとびっくりした。
「てっきり解っているものと思っていたよ。もちろん、自分の勢力圏を拡げる為さ。銀河の征服さえ狙ってるかもしれない」
チャーリィが答える。ライルは首を振った。
「だから、どうしてそんな事をするんだ? 自分達に与えられている世界だけで充分だろうに。もっと世界を広くしたかったら、交流すればいいんだ。そのほうがどれだけ有意義かしれない。戦争は双方にとって損失と破壊と荒廃しかもたらさない」
チャーリィは不思議な生き物を見るような目で親友を眺めた。
「彼らは権力を欲したんだよ。それは我々にも馴染みのものだ。おそらく、宇宙中の殆どの生物にとっても。広大な銀河を支配し、全ての種族を己の足下に跪かせる。壮大な野望だよ。それを可能にする力を手に入れた奴なら、一度は夢見るロマンさ」
「理解できない。そんな事は不可能だ」
「だから、夢さ。そして、退屈な良識とお祖母さんに教わった分別が、男達を現実に戻すのさ。それで、世の中は分別と退屈に満ちたまま、事もなく過ぎていくんだ」
「地球に分別があったとは思えない。いつも危機を孕んでいたよ」
ライルはどこまでも真面目に返す。
「混ぜっ返すなよ。だから、そう云った権力志向は極めて普遍的な欲望なんだ。善悪はともかく、『至上者』の野望は、よく理解できる質のものだよ」
勇も頷く。頷きながら、大きな肉を頬張っていた。ライルは胸が悪そうだった。
「僕には理解できない。権力なんて無意味だ。命の損失に比べて、どれほどの価値があるというんだ?」
まだ納得しないライルの端整な顔を見つめて、チャーリィは訊ねた。
「バリヌール人は、本当に全然争ったりしなかったのか? 誰かと意見の衝突もなかったのか? 見解の相違とかあるだろ? それで揉める事も多いぜ。血を見る争いになることもある」
「無い」
ライルの返事は何の迷いも無いきっぱりしたものだ。勇も食べるのを止めて顔を見つめてくる。
「嘘だろ? 全然無いなんて」
「バリヌール人は虚偽をいう習慣は無い」
これを大真面目で云うのである。
「身の安全の保証のために、必要な場合もあるぜ。衣食住の確保、そして敵からの脅威の排除。そのための権力」
「権力は必要ない。全ては満たされ不足はなかった。脅威となる敵もいなかった」
なぜそんなことを訊くのか、彼には不思議だった。
「でも、身の危険を感じたら戦うだろう?」
「戦わない」
ライルの返答は、簡潔明瞭である。
「そしたら、死んじゃうじゃないか」
「当然なことだ。暴力以外に解決の手段がない時は、死を選ぶ」
勇は黙り込んだ。ライルのこの見解は、彼にとってどうしても理解不能だった。命を守ることは、生物のもっとも根源的な本能のはず。
「お前達には……お前には、欲ってものがないのか? なにが言いたいか、解るだろ? 仮にも地球に何年かは居たんだ。財産や力を、他人より少しでも多く所有しようと血まなこになっている連中の姿も見ているはずだ」
チャーリィが訊く。彼は首を傾げた。
「知識欲はある。未知の原理や世界を知りたい。それはたまらない魅力だ。だが、君の言う欲は違う意味なのだろうね。君達が示す独占欲とか、他者より多く持つことによって感じるらしい優越感とかは、僕には解らない。持っている物は分かち合ってこそ意味があるから」
「恋人もか? 好きになった相手も、みんなで分かち合うのか? 自分一人で所有したいと思わないのか?」
チャーリィは突き刺すような視線で見つめた。古来、生物は、種族保存の本能のままに相手を得ようと戦ってきた。もっとも原初的で、もっとも普遍的な争い。子孫繁栄とテリトリー拡大は、権力を志向する最初の兆しだ。
ライルが困ったような顔をした。
「その好きっていうのが解らないんだ。僕達はみんなが好きだけど、どうもバリヌール人の考える好きとは、違うような気がする。次世代の新個体を作るのは、極めて論理的な選択の結果決めることで、特定の相手……ツガイになる必要もないし、意味もない。そもそも『恋人』という概念がない。『家族』も無い。『両親』も無い。幼いバリヌール人は、誕生した時から独立した存在だし、保護も必要なかった。強いて言えば、全バリヌール人が責任を負うものとも言える。そもそも滅多に作らない。僕は三百年振りの新個体だった。新個体は、分裂素基の合成から育成まで、遺伝子研究施設が担う。バリヌール人は地球的な意味で子供を産むようにはできていないんだ」
だから、と、彼は無邪気にチャーリィを見た。
「キスしたり、抱き合って触れ合うことがとても気持ちがいいものだなんて、誰も知らなかったろう」
ぎょっとしてチャーリィは慌てた。勇がびっくりした顔で二人を睨む。
「どういうことだ? それ」
「な、なんでもないよ。解った。欲とか独占とかに無縁だって、解った」
チャーリィが急いで話を締める。
「さっきのどういうことなんだ? 俺のいない時に何かあったのか? ライル、こいつに無理やり何かされたんじゃないのか?」
勇がこだわった。チャーリィなら、何を仕出かしても不思議じゃない。
「何もなかったよ。俺を信じろよ」
信じられないから訊くんじゃないか、と勇は思ったが、ライルが穏やかな顔をしているので、追及を止める。
チャーリィは気を取り直すように話題を変えた。
「それより、ライル、お前、毎日、何をやってるんだ?」
「位相空間物理学研究室で、興味深い研究が進められているんだ。丁度、壁にぶつかっていてね。僕も一緒にやることにしたんだ」
彼は嬉しそうに話し出した。
「空間に重力を作用させると、歪曲率が大きくなるのは知っているだろう。一例として、シュワルツシルドの半径を考えれば良い。それを自由にコントロールして、いわばハウスローゼン橋を人工的に作り出すんだ。しかもその中を移行可能なような。バリヌールでも、様々な波長を通す実験を行ったことがあった。でも、それは、短時間で一時的なものだった。その通過した波長はどれも著しい変質を受けていた。もっとも、その時の実験は、それこそが目的で、震動波の変化を調べることにより、物理的空間構造の性質を知ろうとしたのだけれど。それに、その研究を続けている際に、更に興味深いテーマを見つけたんだ」
「解った、解った。もう、いい」
チャーリィは彼が一息ついた隙にストップを掛けた。
普段は無口なくせに、こと学術的な事となると多弁になって際限なく喋り続ける。別に物理の講義を聞きたい訳ではないのだ。
「俺が言いたかったのは、つまり、お前の時間をちょっと貸してもらえないかと思ってね。連合協定もまとまりつつあるし、『至上者』への資源供給妨害も進んでいる。最初の接触も近いはずだ。俺としては、地球の状況も知りたいが、何よりここの動きを報せたい。しかし、勇はトゥール・ランの作戦に入っているし……」
勇は大きく頷く。第一線を去る気は全く無かった。
「俺もここを動くわけにはいかない。一応、地球の代表として、会議に出ねばならない」
ライルが頷いた。
「わかった。連絡手段を考えて欲しいんだな。一方通行でいいか? こちらの通信を、地球に届ける。地球との通話を望むなら、亜空間通信機を向こうへ送り込まないとならないから、時間がかかる。最低二十日。準備や調整を入れると、さらに掛かる。君は、もっと早く報せたいのだろう?」
「できるのか?」
チャーリィが身を乗り出して訊いた。ライルは、にっと笑った……のか?
「今日中に文書をまとめておきたまえ。明日、発信するよ」
***
翌日、チャーリィは彼について科学技術局へ出掛けた。
広い。あらゆるセクションが一堂に会しているように見える。
広範なガルド帝国中に散らばっている科学技術部門の中央管理センターのような機関らしい。ネットワークによる情報の収集と管理、指導的科学者の派遣など、管理的色彩が強いが独自の研究施設もある。
ライルは彼を、その中の、半球に厚手のベルトを取り付けたような巨大な建物に連れて行った。
中央にあるのが、粒子加速装置ハイパートロンだった。その周りのベルトは強力な電磁場発生装置である。量子力学研究所だった。
彼は勝手知ったる我が家のように入っていく。出会う職員達はみんな最大級の敬意を表して挨拶してきた。ライルはそれが当然のように、軽く頷いて返す。
研究所と言う所は、何処の世界でも似たようなものらしい。無機質でよそよそしく温か味がない。チャーリィはどうしても苦手で落ち着かなかった。もともと彼は理科系の分野が不得意であった。
気詰まりな廊下を暫く行って、やっと一室に入る。
ドアを開けると、科学者達がはっとして何か慌ててばたばたした。ライルは戸口に立って、不興気にむすっとする。
チャーリィの鼻にガルドの強い酒の匂いが漂ってきた。食べ物の匂いも混じっている。部屋の隅のテーブルに、隠しそびれたコップや肉片の入った箱がはみ出していた。
それを背中で隠そうと努力しているガルド人を無視して、彼は無表情に部屋の中を進む。部屋中がぴりぴりと緊張した。
彼はけじめに厳しい。ガルド人は、科学者もきっと陽気にやっていたいのだ。クソ真面目なバリヌール人は、彼らにとって息苦しいばかりだろうな、とチャーリィは密かに同情してしまう。
それでも彼らは、この年若いバリヌール人を心から敬愛しているらしい。ガルド以外の異種族も混じる彼らの中には、老齢を迎えた者も少なくない。知己の世界では一角の者達なのだろう。
それらが皆一様に恭しく道を開け、こちこちに緊張して身を固くしている。彼が一言話しかけるとぱっと喜びと誇らしさに顔を輝かせるのだ。
多くの種族からこれほどの尊敬を一身に集めるバリヌール人とは、一体どんな種族なのだろう? チャーリィには彼らの態度が理解できなかった。
科学者達の反応を知ってか知らずか、ライルは無頓着に目的の装置の前に真っ直ぐ進んだ。装置を使用していた中堅のガルド人は、彼がやってくるのをぼうっとして見ていたが、慌てて立ち上がり席を譲る。
ライルはその男に尋ねた。
「今、ちょっと借りても構わないだろうか? 君の仕事に差し障りがなければだけれど」
「は……。いえ。どうぞ。リザヌール」
席を譲ったほうが、恐縮している。
「ありがとう。直ぐ、済むから」
ライルの指がまるでピアノでも弾いているかのように素早く、そして優雅に舞った。横に立つ男は、放心したようにその動きに見惚れている。
その瞬間にも、膨大なエネルギーが彼の指先一つで解放されつつあるとは信じられない。
電磁場発生装置が唸りを上げ、粒子加速装置が回転を始めた。
男の目が丸くなる。ライルが何を為しつつあるか、理解してきたらしい。
「リ、リザヌール! 何を? まさか……?」
「収束磁場を一万二千光年先へ送る」
「ひえっ!」
仰天したガルド人は、しかし、そんなことが出来るのかなどど訊くような愚問はしない。
バリヌール人がやると言うからには、それは可能なのだ。例えどんなに不可能そうにみえても。
彼は部屋のフォンに飛びつくと、ガルドの通信局に連絡を入れる。そのような事を成し遂げる為には、どれほどの強大なエネルギー場がガルド系内を走ることになるか、計算しなくても解るというもの。
しばらくはあらゆる通信網が不通になるだろうし、下手するとガルド星系の電子系統が軒並みアウトになるかもしれない。
だが、ライルは彼らの混乱を無視して悠々と操作を終えると、チャーリィに言った。
「準備はできた。文書も僕が送るかい?」
「いや」
チャーリィは厳しい表情で言った。
「これは、俺がやろう」
実は、送る内容をライルに知られたくなかった。
宣戦が明日にも行われることを報せるものなのだ。小規模の戦闘は既に各地で始まっていた。それが、全同盟諸国を巻き込んでの大規模な戦争に入るのは、もう時間の問題だったのだ。
「すまん。ライル。席を外してくれ」
ライルは別段不審がりもせずに、出力の安定を調べる為に向こうへ行く。彼の感性の鈍さにチャーリィは密かに感謝した。
彼は三十分掛けて文書を電波に変換した。ライルが設定した強力な磁場にそれは送られ、スピンを掛けられて宇宙空間の歪曲した一点に吸い込まれていく。
強大なエネルギーを帯びた電波が送り出された三十分間、その周辺の空間に強烈な電磁パルスが走ったが、正確に収束されていたので予想されたほどの混乱や被害は生じなかった。その空域を横切る通信は遮断されたが、それだけだった。もちろん、宇宙船等はその空域から既に避難していたのである。
チャーリィが送った通信波は、重力井戸が落ち込むままに深く何処までも落ち続ける。
が、その井戸の底に達する前に、ライルが設定したエネルギー場は消滅し、収縮した空間の反転によって、通信波は再び通常空間に戻った。
その時、それは既に膨大な距離を踏破し、目標とした太陽へ、発信された速度のまま一直線に進んでいく。そして、太陽を背に、地球がその進行方向にぴたりと納まる。
ライルの計算は、如何にもバリヌール人らしく見事なまでに完璧だった。
冥王星軌道付近で出現した電波は、約六時間後、地球防衛長官のギアソンのオフィスに直接飛び込んだ。チャーリィはギアソンの専用周波数を使ったのである。
***
連合艦隊は宇宙のあちこちで、『至上者』の所有世界を奪い返した。当然、『至上者』の艦隊との交戦も増える。多くの場合、その戦闘は連合軍の勝利に終わった。連合軍には、相手の不意を突く利点があったのである。
そして、遂に、『至上者』の不気味な艦隊が、銀河諸国に攻撃を掛けるべくその威容を現した。
その通報は、チャーリィが地球に連絡を送った三日後にもたらされた。M57星団の外れに進出してきたという。このままの進路・速度でいけば、遅くとも四日後に最初の衝突が起こるだろう。




