深淵にて
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幕間
時の始まり、二つの相反する意志が生まれた。『生命』と『死』である。『生命』はエネルギーの輪廻であった。それは星々のエネルギーであり、様々な物質として形作られた質量であった。
高エネルギーのガス状物質は成長して星となる。その星々の胎内で『生命』はゆっくりと星と一緒に成長し、成熟して行く。
やがて、星は自らを熱や光に分散させながら歳を経て、新たなエネルギー形態へと変化していった。
そのうち、冷えてきた方々の惑星上で、一般的に生命として知られている最初の命が誕生した。これも、星々の中で育まれてきた同じ『生命』なのである。
生物達は、死と誕生を繰り返しながら、その実『生命』そのものは変わることなく時の流れの中に伝えられていった。
星が変化するように、生物達も栄華を極め、衰退し、或いはほんの僅かな歴史の一こまに残ることもなく滅び去っていった。
だが、大宇宙という巨大な舞台の中で、確実に『生命』は歩み続け、進化していった。
そして、『死』。これは象徴的なものであると同時に、実質上の『死』でもあった。エネルギー保存の法則を否定する純然たる『死』。
エネルギーの変換も形態の転換もない熱量死。『生命』を拡散させ、無限大の中に吸収し消滅させる『死』の『意志』であった。
常に動き、絶えず変化し続ける混沌と無秩序を、それは拒絶する。まして、沸々と湧いて出てくるような生物の『生命』なら、なおのこと。
『死』にとっての秩序とは、絶対的な静寂と無であった。生物の形態をとる『生命』は、静寂を掻き乱し、全てを無秩序に投げ込み混沌とさせる何ものでもなかった。
『死』の『意志』は島宇宙間の闇の中で、星々の『生命』を食べながら漫然と拡がっていた。あらゆる島宇宙に、その無限の触手を長く伸ばして。『死』を与え、『生命』の芽を摘み、『死』の恐怖を与え続けた。
『意志』は『生命』が実体のある存在ではないのと同様に、実体を持たず、ましてや何かのエネルギー体や、或るいは精神的存在でもなかった。
或る者は、それを『法則』と言うかも知れない。別の者は『現象』と言うだろう。数学理論そのものだとも、宇宙そのものの性質だと主張する者もあるだろう。どれも正しく、そして、いずれも間違っていた。
ただ、言えるのは『生命』同様、定義しきれないものであるということ。大宇宙を網羅する、より大きな高次の存在なら、或いはそれも可能かもしれない。だが、宇宙に属し、『生命』の一部である者達には不可能だった。
宇宙が成長していくにつれ、『生命』もまた成長していった。進化と言い換えてもいいだろう。
同時に当然ながら『死』の『意志』もまた成長していった。宇宙は常に、『生命』と『死』の『意志』との静かながら凄絶な闘いの場でもあった。
『意志』は或る意味で一つの存在であったのに対し、『生命』は多様にわたり、まるで無数の個々となって宇宙中に散らばっているかのごとくであった。
『生命』は強かで、執拗で、姿を変え、形を変えて、『意志』の触手を擦り抜ける。
摘んでも摘んでも、どこからでも湧いてきた。星となり、ガスとなり、炎となり、岩となった。
そして、その間から、無数の生物が際限もなく湧き出しては静謐たるべき宇宙を、汚濁で乱すのだ。
それでも『意志』は己の勝利を疑わなかった。結局において、『生命』のような脆弱な存在の消滅は自然の理の中で明らかなことなのだ。
それで、『生命』の中に己の種子を蒔くと、あとは時間の流れに任せた。その種子は『生命』の中で育ち、やがて芽吹いて、『生命』を消滅させるはず。
そこで、『意志』は触手を広く伸ばしたまま眠りに入った。触手から『生命』を貪り続けながら。
だが、『意志』の種子を宿さない一つの種族が生まれた。それは、『生命』が必死の思いで作り上げた申し子であったかもしれない。『生命』にとって絶望的なまでに強大な敵に対する為の。
その種族は『生命』の祝福を受けて成熟していった。
憎悪を持たぬその種族は、その博愛の心で危機を孕んだ種族や病んだ『生命』を助け、大いなる共存の世界へと導き始めた。
遂に深淵の奥から、『意志』自身が集纏を始めた。それが凝縮し始動し始める為に、宇宙のあらゆる世界で、生命が貪られる。
犠牲の多くは、生まれいずるべき生命であった。生まれようとして生まれなかった絶望と憎悪が、『意志』に吸収されていった。
それは、あらゆる『生命』にとって、究極の恐怖の存在だった。『意志』の進む前にあっては、嵐に吹き飛ばされる塵芥のように、僅かなりとも抵抗できず、全て死に絶えた。
星は熱を失い、惑星は運動エネルギーすら奪われた。夥しい生物は一瞬で消え、地上には命の一欠片も残らない。
エネルギーを失った惑星は、たちまち落ちていき、ぶつかりあい、恒星に飲まれ、後には冷たい雲塊が残る。二度と星を形作ることのない、絶対零度の冷たい死の世界が、累々とあとに続くのである。
しこうして、『意志』は、真っ直ぐ一つの銀河に向かって、その間に横たわる島宇宙を食みつつ進んでいった。
六の章
命ある者は、島宇宙間に横たわる大いなる深淵を恐怖する。恒星間の長きに渡る宙航行を良くする宇宙種族でさえも、その深淵には深い恐怖を覚える。
理屈以前に、心身の奥底から生理的に脅え竦まむのだ。
かつて、宇宙が生成されてより此の方、この島宇宙間を横断した者も、そこへ敢えて出て行こうとした者もなかった。そこに死よりも深い根源的な恐怖を、命の本能により感じ取るからだ。
彼らの銀河内の宇宙間も、脆い生物達にとって、非常に敵対的なものではあったが、その深淵にはそれ以上の想像を絶する恐怖があった。
彼らには知る術はなかったが、そこには、如何なる怪物よりも恐ろしい存在が横たわり眠っていたからだ。敏感な種族は、自分達の故郷から深淵を覗き見るだけでも、耐えられぬ恐怖を覚えた。
その深淵に乗り出してきた者があった。信じられぬほどの鈍さと強い精神力に支えられた自信に守られて、ライルは恐怖を覚えることもなく、そこに留まり、数年を過ごした。
ライルは遥かに凝集して輝く島宇宙を観察し、深淵をわたる宙間物質を採集し、拡散していく光や波長のデータを集めた。
無限に拡がる宙間に拡散している『意志』を感応することは、ライルにはできなかった。彼にはそのような感知能力はまるでなかった。
そういう能力に関しては、ごく大多数の者達より、ずっと鈍くできていた。『意志』の種子を持たぬがゆえかもしれない。
でなければ、そもそもこんな所まで出てこれるわけもなかった。
ライルの持つ測定装置にも、その存在を意味する何も拾い上げる事は不可能だった。それは実在的な物質ではなかったからである。
ライルにとって、『意志』は存在しないも同然だった。
銀河系は他の島宇宙と同様、小さな凝縮した渦状星雲となって背後にあった。その隣にアンドロメダ星雲が、良く似た姿で渦を巻く。銀河を取り巻くように、大小のマゼラン星雲や小熊座UMiや竜座Dra、LeoⅠ、Ⅱ等が密集して廻っている。
アンドロメダにも同様の衛星銀河があり、IC10やLeoAも含めて局所群を構成しているのが見て取れた。銀河は思っている以上に、宇宙で孤独ではないのである。
だが、この景観を目の当たりにするのは、生物としてライルが初めてであった。これほどの凄絶な孤独を味わったのも、他にはいない。銀河間へ乗り出す推進力を持つ技術も然ることながら、これに耐え得る心を誰も持ち得ないのだ。
ライルはそこで初めて、自分を取り巻き暖かく守ってくれる人々に気づいた。敵意溢れる宇宙間にあって、やっと、鈍い彼にも実感してきたのだ。
ミーナや勇達の、トゥール・ラン達の暖かい眼差しが、ライルの中によみがえる。そして、チャーリィの……。
今までどうしても理解できなかった事柄が、ここではたやすく彼に納得され得た。
深淵は、ライルに恐怖を与えはしなかったが、素直な鏡を用意していた。
冷徹な虚空の中で、ライルは種族のこだわりを捨て、虚飾と欺瞞を剥ぎ取られ、一個の虚弱な肉体を持つ小さな生き物として在った。
なんと脆く、儚く、限り無く小さな生命。
バリヌール人は愚かで傲慢であった。人としての感情の必要を認識し得なかったのだから。
博愛は神の愛ではあるけれど、人の愛ではなかった。そして、人の愛は、憎しみも怒りも欲望も全てを包含する感情なのだった。
自らの儚さを、人々は生まれながらに知り、それゆえに感情の絆を求めるのだろう。
それは、卑小な個体をより美しく尊い存在へと高め、驚くほどに偉大な働きと結実を可能にする。
自分を振り返ってみれば、おのずと悟る。これまでの解決不可能と思えるような難局を切り抜けてこれたのは、ひとえに彼を取り巻く優しい人々のおかげではなかったか。
バリヌール人は確かに優れた種族ではあったけれど、愛や憎しみを知らないがゆえに、飛躍を成し遂げる力に不足していたのだ。
老リザヌール達はそれを与えるべく、自分に地球人の遺伝子を混入したのではなかったのだろうか?
絡まりあった因果が見えてくる。
自分は何処へ向かうべきか。
自分は愚かで臆病であったので、真実を直視することから逃げ続けていたのだ。
ライルを取り巻く暖かい想いが解る。身と心に沁み込むように、それが解る。
勇やシャルルの友情を理解し、トゥール・ランの保護者の愛を理解する。ミーナの母性の愛を感じ、彼女の慈しみを知った。
――チャーリィ……
声に出して呟いた。
チャーリィの想いがライルの胸に広がり、満たしていく。
チャーリィの苦しみ、チャーリィの情欲、チャーリィの憎悪。独占欲と嫉妬。
そして、なにより、自分を包む変わりなき優しさ。
それが、チャーリィの愛なのだ。
愛とはなんと多様な姿を持つのだろうか。
奪い、奪われ、与え、与えられる愛。憎悪の愛。その全てを超える無償の愛。
ライルはそうとは知らず、涙を流していた。冷ややかな虚空を見詰めながら、その焦点はそれを超えて愛する人々を見、とめどもなく涙を流していた。
眼を閉じると、チャーリィの愛撫がライルの身体によみがえった。彼はなんと優しく、そして熱く自分を愛してくれたことか。
チャーリィに抱いて欲しいと思った。今すぐ彼の力強い抱擁を受けたい。キスを交わし彼の存在を確かめ、独りではないのだと感じたい。
だが、ライルは船を銀河へ向ける代わりに、遥か彼方の島宇宙へと探査装置の指針を広げ、虚空を渡って届く希薄な波長を集め始めた。
ライルはそれでも、やはりバリヌール人であったので、地球上で過ぎる数年という時間の経過をそれと意識しないままに留まり続けた。
宇宙の果てから集まってくるデータに夢中になって、時間の観念を忘れ果てていた。過去を集め、組み立てる。
時折は、近くの不規則銀河や、別の島宇宙まで足を伸ばすこともあった。今のライルの技術にとって、膨大な距離は問題ではなくなっていたから。
だが、また、ライルは島宇宙間の孤独な深淵へと戻ってくる。ライルの尽きぬ関心はそこにあった。
そして、『意志』との最初の接触を持った。だが、凝縮しつつある『意志』も、ライルも、それを全く意識していなかった。
が、ライルはその時、漠然とした不安と危機感を覚えた。
「戻ろう」
――銀河へ。
「帰ろう」
――チャーリィのもとへ。
ライルは遂に船を転進させ、懐かしい銀河へと引き返した。だが、その時、既に十年の歳月が経っていたのである。




