前兆
あれから2日経った。 悲しみの中に、ふと……あの電話はなんだったんだろう、という疑問が混ざり始めていた。
ーー石田、三浦、500万……。
刑事である父に相談したかったが、忙しいのか、一昨日から家に帰っていない。
「あ。そういえば公園で見つけたあのお金——」
そう言いながら時計に目を向けた美緒は、急に焦ったような声を出した。
「あーやばいっ。もうこんな時間? 早く支度しなきゃ! 」
実は美緒を心配した友人の燈子が、 創立記念日で学校が休みの今日に せっかくだから映画を見に行こうと誘ってくれたのだ。
いつもより少しだけ時間をかけて髪を整え、 美緒はお気に入りの色付きリップを薄く唇にのせた。 鏡の前で軽く回ってみて、まあ悪くないか、と小さくうなずく。
ワンピースの裾がかろやかに揺れた。
燈子とは駅の西口改札前で待ち合わせをしている。今から出れば丁度5分前には着くだろう。 美緒は愛犬ロミの頭をなでると、お気に入りのがま口バッグを手に取った。
家から駅へ向かう道は、いつもと同じ静けさだった。 ひんやりした朝の空気が頬に触れる。
和菓子屋がある角を曲がると、パーソナルジム”BeLLe”の看板が遠目に見えた。朝の光を受けて、ビルの外壁が淡く光っている。いつもの場所に、黒いワンボックスカーが停まっていない。 少しほっとした。騒がしい声が風に混じって耳に届き、美緒は思わず立ち止まった。
「三浦を出せ! 」
「母のお金を返せ! 」
「この詐欺師!! 」
怒鳴り声が響いていた。 パトカーの赤い光が、ガラス窓にちらちら反射している。 美緒は足を止めたまま、聞き覚えがある「三浦」という名前が心に引っかかった。
「やっぱりあのジム……」
人だかりの向こうに、見慣れた背中があった。 黒いコート。少し猫背気味の立ち姿。胸の奥が、きゅっと縮む。
「……お父さん?」
自分でも驚くほど小さな声だった。ふいに、美緒のすぐそばに黒いワンボックスカーが停車し、スライドドアが開いた。腕が伸びてきて、美緒の肩をつかむ。何が起きているのか理解する前に、 視界が暗くなった。
一方、三浦はまだ許してもらえるかもしれないと、かすかな希望を胸にジムへ戻ろうとしていた。佐伯がいるはずの場所へ向かう足取りは重い。心の中は不安と期待が入り混じっていた。
しかし、理香子がビル前の歩道で、騒ぎを起こしているのを目にした瞬間、恐怖が全身を駆け巡った。響き渡る甲高い叫び声と怒号に、彼の心は凍りついた。
「……り、理香子さん? 」
三浦は「ごめんなさい」という言葉を念仏のように何度も唱えながら後ずさった。逃走用に借りたレンタカーのキーを握りしめながら……。
そして、よろよろと歩き出したその時、黒いワンボックスカーに引きずり込まれる美緒の姿が目に入った。慌てて車に飛び乗り、エンジンをかける。三浦の手は震えていたが、視線は前方の黒いワンボックスカーに釘付けだった。心臓は激しく鼓動し、逃げるべきか追うべきかの葛藤が胸を締め付ける。
「……美緒ちゃんを助けなきゃ」
三浦は震える声でつぶやいた。
読んでくださり、ありがとうございます。
“三浦”という人物は、美緒の知らないところで大きく揺れていました。
その揺れが、やがて美緒の未来と深く結びついていきます。




