51.社畜の意地
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一般的な未成年はけっして真似したらあかんねやけど、兄貴んちで酒飲んでた。
泊まっていけって言われたんや、でも、明日もガッコあるさかい断った。
兄貴はまだ飲むつもりや言う、ほどほどにしとけやって言うて、オレは東京駅から電車に乗った。
そのうちまっすぐ蒲田駅に至り――。
ホームグラウンドに戻ってきたんやなっていう実感が得られ――。
権兵衛でおにぎり買って帰ることにして、吟味してた。
迷うくらいなら全部こうてしまえいう話なんやけど、食べきれへんかったらしゃあないんや。
そんときやった。
大声が聞こえた。
なんやぁおもて、ゆっくり振り返る。
グレーのスーツ姿の若者と思しき男性が尻餅ついてて、どうやら殴ったらしいほうはしゅっしゅしゅっしゅってシャドーボクシングしてやる。
殴ったほうの紺色スーツは間違いなく酔っ払いやな、あり得んくらい顔が真っ赤やさかいな、ある意味、トんでやる。
殴られたほうはというとびっくりしてるみたいやった。なんの理由かわからへんけど、いきなりぶち食らわせられたんやさかい無理もない。
紺色スーツのおっさんのことを同僚らしき人物が羽交い絞めにしようとしてるんやけど、そこはアルコールの力か、振りほどくとまたシャドーボクシング、オレは強いんだよみたいなセリフを吐く、殴られたほうは立ち上がろうとすらしない。弱いなぁ、弱気やなぁ、情けないなぁ、メチャクチャ情けないなぁ。そないおもてるうちに、紺色スーツの男が立ち去った。しゃあないさかい、オレはしょうもない男に手ぇ貸したった。
ごめん、ありがとう。
しょうもない男は自らの情けない行動を顧みることなく、謝意をぶつけてきた。
仮に目上のニンゲンでも、しょうもなさすぎるしょうもない男が相手なら、敬語なんて使わへんぞ。
「にいさんよぃ、さっきの紺色スーツ、小太りやな、奴さんとは同じ会社なんかぁ?」
「いや、知らないよ。初対面だよ」
「せやったらなんで殴られなあかんねんな」
「僕の何かが気に障ったんだと思う」
「何かが気に障ったやとぉ?」
「僕、怒りを買いやすいから」
てへへと照れくさそうにわろた姿が、また癪に障ったんや。
「自分のこと、信じてやろうとは思わへんのか?」
「到底、大した人物だとは言えないからね」
頭に来た。
幸せになろうとせぇへんニンゲンて、そりゃ嘘やと思うからや。
「ちょい来いや。まだ店なんてどこでもやってるやろ」
「えっ?」
「愚痴くらい、付き合ったるって言うてるんや」
「ぐ、愚痴なんてないよ? そうなんだよ?」
「ヒトに殴られといてなんとかしようとせーへんねんやったら、それはそれで、幻滅の対象やわな」
「で、でも――」
「ええからついてこい。話聞いたらな、気持ちが悪いんや」
明日、朝一から会議なんだけど……。
言いにくそうに、そないなふうに聞かされて。
「これから飲みに行くのは決定事項や。明日の朝については自分で考えーや。そこまで面倒みきれへんわ」
「……わかったよ」
「物分かり、ええやないか」
「きみとしゃべってみたいと思ったから」グレーの彼は微笑んだんや。「でも、年上に偉そうなのは良くないよ?」
「そんなん知ってるわ。おまえが立派な男になったらあらためたるわいさ」
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蒲田はバーボンロードの薩摩料理屋。
兄貴と何回も来てる店。
メッチャ狭い店内なんやけど味は確かで、オレは事あるごとにさつま揚げばっか食べてる。
運良くカウンター席に並んで座れたんは御の字に輪をかけて御の字や。
時間が時間やさかい、すいてるってことなんやろうな。
オレの誘いに乗ってきた無防備な彼の名前は岩田トシヒサいうらしい。
古風で好感が持てるええ名前や言うたったら、岩田くんは照れくさそうにわろた。
ジョッキの生ビールを喉へと流し込んで、それからまたこっち見やるとニコって笑いやった。
オレはというと、ええ芋焼酎をちびりとやった。
そったら「やっぱり未成年が飲酒は良くないよ」と意見された。
「オレ、未成年や言うたっけ?」
「言ってないけど……。大人っぽくても、じつはそうなんじゃないのかな?」
「オレが白いのには驚かへんのん?」
「驚く事実ではあるけれど、美しいものについてあれこれ訊こうとは思わないよ。
その回答は尊いな、ありがたくもある。
オレはなおもアルコールをすする、もちろんちょっとずつや、チェイサーも口にする。
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飲んでる最中に聞かされたことなんやけど、岩田トシヒサ氏の住まいは近所らしい。
岩田氏――岩田くんははなにせ千鳥足やさかい、送ってやることにした。
「タクシーに乗れば問題ないよ」
「タクシー乗り場までの足取りが気になるんよ」
「イクミくんはイイ奴だなぁ」
「恐れ入ります」
肩を抱いてやって、右手を腰に回してやりながら、彼の身体を支える。
「聞きたいね、岩田のこと。つくづくどういうニンゲンなんや?」
「おっ、知りたい?」
「知りたい言うてる」
オレはしがないサラリーマンだよ。
だけど勤め先は誰もが知ってるIT企業なんだ。
兄貴と似たようなもんかと思うと、ふと親近感を得た。
「何屋さんなん? そのみちの土方さん? それとも設計部門とかプロマネとか?」
「きみhが良く知ってるね。プロマネだよ」
「へぇ、偉いやん」
そないなふうに評価したったところ、「そんなことはないんだよ」って俯いてみせて。
「まずはアンタの自宅に行こうや。話はそれからや」
「他愛も話だろうけど、聞いてくれるのかい?」
「乗り掛かったなんとやらやよ」
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岩田くんちにいる。
奴さんは頼りないふらふらした足取りながらもメーカーでコーヒー淹れて、それを振る舞ってくれたんや。
案外濃厚でうまくて、胸があったかくなって身にしみた。
「明日も出勤やっちゅうことについて、ホンマにだいじょうぶなん?」
「じつのところ社会人になって以来、そういうことには慣れたんだ」
「偉いな」
「そうかい?」
「うん。偉いわ」
で、オレは何を聞けばええんかな?
そないなふうに訊ねたって。
「べつに話したいことはないんだよ」
ずっこけそうになった。
「なんやねんな、それ。言いたいことがあるさかい付き合ってくれって聞かされたつもりやぞ?」
「誰に言っても、何かが好転するわけはないから」
苦笑じみた表情を浮かべると、小さく俯いた岩田くん。
「プロマネや言うたよね? しかもIT系の」
「それがどうかしたのかい?」
「オレの兄貴も似たような立場らしいんやわ。ネットワーク系らしいんやけど」
「僕はサーバー関係なんだ」
「なんにせよ」
「うん。企業同士としてはコンペティターかもしれないね」
ホンマ、岩田くんは優秀に見える。
オレん中では兄貴がトップやけど、二番目くらいには見えるんや。
「それで、岩田くんの具体的な悩み事は?」
「上司には怒られて、後輩には軽んじられてばかりなんだ」
「ありがちなんやろうけど、ああ、それはつらいわなぁ」
「こないマネージャーへの昇級試験があったんだけど、それも落ちちゃって……」
まあ、それは本人の力量不足なんやろうけど。
「管理職になったら、何か変わったって思うんか?」
「変わったんじゃないかな、って……」
「オレはそういう弱っちぃ考え方は嫌いやな、大嫌いや」
「きみは強いから、そう言えるんだよ」
オレは目ぇ丸くして、それから高圧的に、「おいおい、待てや」ってツッコミ入れた。
「ガキのオレが社会的に強い思うんか? 阿呆か、あんたは。あんたはオレよりできることが多いに決まってるんやぞ?」
「それは、だけど……」
「誰からも舐められてるようなら、オレならドラスティックにひっくり返そうとすんぞ。弱気の虫なんて知ったこっちゃないぞ」
「だ、だから、それは――」
「今の立場が嫌なんか? それともそれにしがみつきたいんか? 早々に決めたほうがええぞ。時間を無駄にするばっかやさかいな」
いよいよ深く頷いた、岩田くん。
「もうこれ以上は要らんやろ。やれるだけやっておけってのが、オレの最後の進言や」
オレは腰上げて、玄関に向かおうとする。
その段で、「ま、待ってくれ」って後ろから聞こえたんや。
「もう一度、もう一度だけ、会ってくれないか?」
オレは眉をひそめた。
「どういうこっちゃ?」
「きみは僕の恩人らしいから」
「恩人?」
「そう。恩人だ」
えっらい晴れ晴れとした笑顔やった。
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次の日の夜のことや。
放課後、岩田くんに大井町駅に呼び出された。
近くやけど電車乗らなあかんさかい面倒やなっておもたんやけど、先達ても言うたとおり、乗り掛かった船であるわけや。
最後まで、付き合ったらんとな。
岩田くんはめっちゃサッパリした顔で、改札の向こうに立ってた。
手ぇ振ってみせて、「おーい、おーい」とまで大きく言うたくらいや。
オレは駆け足で近づいた。
あんまり大声上げて呼ばれると、ちょいとばかし恥ずかしいってもんやった。
「どないしてんな、岩田くん?」状況に応じて敬語くらいは使う。「なんや、えっらいご機嫌みたいやけど」
「遠くまで悪かったね」
「べつに遠くはないんやけど」
「すぐそこに焼肉屋があるんだよ。とてもおいしい店なんだ」
「奢ってくれるってこと? せやったら、なんでなん?」
「食事をしながら話すよ」
岩田くんは身を翻すと、ずんずんずんずん、前を行く。
自身に満ち溢れた背中に見えた。
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「すぐそこ」というとおり、駅から出てすぐのところに問題の焼肉屋はあった。
客は多い、芋洗いとまでは言わへんけど。
メニュー見て「ほぅほぅ」って唸った。
結構なお値段やからや。
ボトルで万するワインもある。
「岩田くん、ひょっとしてさぁ、投げやりに散財したろうとかおもてへん?」
「
万するワインは、まあうまい。
「そんなわけないよ。僕はこれからも東京で生きていくんだからね。甘えは許されないよ」
ふぅん。
立派な物言いやないか。
「で、昨日の今日でオレんこと呼び出してくれたんや? なんかあったんか?」
「あったよ。っていうか、起こした」
「起こした?」
「上司のこと、ぶん殴っちゃったんだ」
さすがにちょい驚いた。
それからすぐに、笑いが込み上げてきたんや。
周囲の視線を集めるくらい、盛大にわろたったのち――。
「思い切ったことしたなぁ。そないな真似したら、もう会社にはおられへんやろう?」
「それを覚悟しつつ、行動に移したんだ。でもそこまで危険かっていうと、そうでもないらしいんだ」
「ってぇと?」
「くだんの上司のパワハラについては、以前から問題になってたってことさ」
「今回の岩田くんの一件で、関係部署がいよいよ重い腰を上げることになった?」
「きみはほんとうに賢いなぁ」
「それくらいわかるってば」
ほな、クビにはならへんっちゅうわけ?
オレはそないなふうに訊ねて。
そったら岩田くんは苦笑いのような、それでいて割り切ったような表情を浮かべて。
「まだどうなるかはわからないけどね。でも、解雇されたら解雇されたで。次のステップに進めるように思うんだ。何がどう転んでも、精一杯、がんばるよ。結果だって、出してみせる」
オレは頷き、笑みをこしらえて、「そりゃ結構」って言うたんやわ。
「肉、食べなよ。きみにはどれだけ御礼をしてもし足りないからね」
「まさか礼が食いもんやとはなぁ」
「えっ、マズかった?」
「いんや。おおきにです」
「良かったぁ」心底安心したように、岩田くんはホッと息をつきやった。
オレは「で、ウチの兄貴の会社は競合他社なん?」って訊ねた。
「微妙に違うよ。ソリューションの提供という意味では同じだけど」
「稼ぎは?」
「負けないつもりだよ」
せやったら、岩田くんは殊の外、優秀なんやな。
「牛タン追加してええ? あとハラミも、そしてワインも」
「ほんとうに、アルコールは感心しないなぁ」
「かたいこと言いなや」
「僕は生でいいや」
「飲めや、飲め飲め」
結局店が閉まるまで、岩田くんと一緒におった。
いくら「悪いよ」言われたところで、メシ代を割り勘にしたんは言うまでもない。




