魔女の条件
「……あの、どうされました?」
長い黒髪を束ねた女医が静かな声で問いかけた。
その黒い瞳をしばらく見入ってしまっていたことに気付き、セイルははっと我に返る。
「失礼。……セイル・リーリエと申します。薬に詳しい方がいると聞いて、訪問致しました」
セイルは丁寧に頭を下げた。
その挨拶に、女医は僅かにたじろいだ。
「リーリエ伯爵様……でしたか。どうしてこんな小さな診療所に、わざわざ?」
「……妻が、喀血病を患っています」
短く、迷いなく答える。
重みを帯びたその声音に、女医の瞳がかすかに揺れた。
「医師たちからは、治療法はないと言われています。ですが……こちらに効果のある薬を持つ方がいると聞きました。処方して頂きたく、お願いに参りました」
沈黙。炉の火の音だけが部屋に満ちる。やがて女医は口を開いた。
「……どうぞ、中で詳しくお伺い致します」
*
「どうぞ、生姜のお茶です。温まります」
診療所の一室。薪のはぜる音が、しんとした空気に混じっている。
女医は小さなカップに入ったはちみつ色の茶を差し出した。立ち上る香りに、身体の芯から熱が灯るようだった。
「……ありがとうございます」
セイルが口に運ぶと、彼女は対面に腰を下ろし、落ち着いた調子で切り出した。
「喀血病……ですか。確かに難しい病です。時間が経つ程に重症化していく傾向にあります。症状が出てからどのくらい経ちましたか」
「吐血して、臥せるようになってからひと月ほどになります」
「……そうですか」
思案するように、彼女は黙した。
セイルは拳を握りしめる。
心臓を掻き乱されるような気分だ。
治ると、言ってくれ。
薬はあると。
エマは──百合子さんは、助かると。
「効果の期待できる薬があります」
女性は静かに言葉を置いた。
その言葉に、セイルは目を閉じる。
待ち望んだ一言。
その言葉をゆっくりと噛み締めると、喉奥から重く深いため息が洩れた。
「実際に診てみなければ解らないところもありますが、治療を試みる価値はあるでしょう」
「……あぁ、本当に……」
項垂れたセイルの肩に、わずかな震えが走る。
その刹那のこと。
「……私は普段、貴族の方を診ません」
セイルは一瞬言葉を失い、顔を上げた。
相手は、張り付いたような笑顔をこちらに向けていた。
「ですが条件を飲んでいただけるなら、奥様の診察を喜んでお引き受け致します」
女医はにっこりと微笑みながらも、その声音が引き締まる。
「……条件?」
「はい。この薬のリーリエでの認可と、今後の製造にかかる支援をお願いしたいのです」
彼女の声音は落ち着いて、しかし揺るぎなかった。
「現在投与できる薬には限りがあります。製作には手間と時間と、安定した環境が必要です。もし奥様が完治されましたら、効果のある薬として認可を頂き、今後の製造を伯爵様にて支援していただけないでしょうか」
セイルは思わず息を呑んだ。
この人は、魔女と呼ぶにはあまりに──
「これが広まれば、喀血病で苦しむ多くの人々を救うことができます」
彼女のその微笑みは、誠実さと信念の混じる強さがあった。
まっすぐな瞳。その輝きに、セイルは既視感を覚える。誰かのために生きることを厭わない人の眼。こういう顔には、覚えがある。
しばしの沈黙ののち──
「承知しました」
セイルは静かに口を開いた。
「必要な人材、材料、研究施設、すべて用意しましょう。あなたが必要とするものは、なんであれ協力します。……その代わり」
女医の瞳が揺れる。
「……必ず、妻を救ってください」
セイルの低い声が、切実に響く。
彼女は、迷いなく微笑んだ。
「全力を尽くします」




