清一の回想_エマ(清一視点)
顔に、手に、皺が増えていく。
私は己の老いを、嫌でも自覚し始めていた。
心はもう、夢の中に漂うようにぼんやりと日々を消化していた。痛みを感じる気力は、とうに尽きていた。
そんな折、珍しくグランフォード公爵から手紙が届いた。
久方ぶりの呼び出しに微かな疑問は浮かんだものの、大して気に留めることもなく足を運んだ。
「……娘と結婚してくれないか、セイル」
唐突に告げられた言葉に、耳を疑った。
「……お話の意図がよく解らないのですが」
「末娘のエマは体が弱くてな。長いこと公爵邸の奥でひっそりと暮らしてきたんだが、あの子も年頃になってきた」
公爵はどこか居心地悪そうに、しかし真剣に続けた。
「結婚させてやりたいんだが、良い相手が見つからん。そこでわしは思ったのだ。お前も独り身だろう。年は離れておるが、あの子は昔から大人びた娘だ。……きっと、お前たちは合うはずだ」
紅茶の杯をあおりながら、公爵は言いづらさを押し殺すように言葉を重ねる。
「……お言葉ですが、私は生涯、結婚する気がありません」
「わかっておる! だがな、わしの思いもどうか汲んでくれ。お前ほど信用できる男はおらんのだ。あの子だって、いつまで元気でいられるかわからん……頼む、セイル! 後生だ!」
まるで拝み倒すように、公爵は頭を下げんばかりの勢いで懇願してきた。
その姿に、かつて命を救われた恩を思い出す。これほど必死に頼まれては、無下に突き放すこともできない。
「……お会いしてみるだけで、良ければ」
きっと断られる。
こんなに年の離れた男と結婚したい若き貴族令嬢など、いるはずもない。
私は断られることを前提に、公爵令嬢と顔を合わせる約束を交わした。
「ああ、ありがとうセイル! 娘をどうか頼んだぞ! はっはっは!」
公爵は泣き笑いのような顔で、力強く握手を交わし、何度も私の背を叩いた。
*
グランフォード公爵令嬢は、私の顔を見た途端に涙をこぼした。
その涙の理由は解らなかった。だが今まで感じたことのない切なさに胸を締めつけられ、私は目を逸らすことができなかった。
「エマ・グランフォードでございます。伯爵様、どうぞよろしくお願いいたします」
涙をそっと拭いながら、彼女は微笑んだ。
その笑みは儚くも温かく、私の心を掴んで離さない。
初めて会った女性に、これほどまで心を揺さぶられたことはない。
己の動揺に驚きながら、私は紳士を装った。
彼女は慎ましく、穏やかな人だった。
言葉を交わせば、冷えきった胸の奥に、やわらかな火が灯るようだった。
失われたはずの体温を、みるみる取り戻していく感覚を味わった。
また会いたい。
その思いに抗えず、私はすぐに次の約束を取りつけていた。
この感情にふさわしい名前は見つからなかった。
短い生を懸命に生きようとする彼女に心惹かれた――そう言えば美しく聞こえるだろう。
けれど実際はもっと醜い。
彼女を知れば知るほど、私は彼女が欲しくてたまらなくなった。
触れたい。
求めたい。
彼女を自分で埋め尽くしてしまいたい。
欲望がどろどろと沸き上がり、己を蹂躙する。
疲れ果てた心は、その熱にただ翻弄され、混乱していた。
「伯爵様。私を妻にしていただけませんか」
ある日、彼女は小さくそう囁いた。
その瞬間、胸の奥から込み上げる喜びに抵抗できなかった。
言いようのない幸せがほとばしり、全身を満たしていく。
温かく包み込むような幸福に、私は呑み込まれていった。
彼女は父である公爵の意を汲んでいるだけかもしれない。
それはわかっている。わかっていながら――私は彼女にプロポーズした。
欲しい。
どうしても欲しい。
理由などどうでもいい。
ただ、求めずにはいられなかった。
壊れかけた私の心には、彼女は唯一の救いのように感じられた。
もはや正気でいられなかった。
私は欲望のままに彼女を手に入れようとしていた。
それでも。
彼女は幸せそうに微笑んだ。
その笑みを前に、私はただ願った。
――僕を……助けてください。
こうして私と彼女は、生涯を共にすることを約束した。




