縁談と父の愛
「エマァ!お前、今日という日を忘れるなよ!」
快晴の朝。陽気な声が庭の奥まで響いた。
エマは温室の片隅――陽のよく当たる窓辺で、いつものように熱い緑茶をすすっていた。
「……おはようございます、お父さま。まあまあ、そんなに大きな声を出されると……茶葉の香りが逃げてしまいますわ」
「よし!じゃあもっと大きい声で言ってやろう!エマ、お前のお婿さんが決まったぞ!」
「…………まあ。」
湯呑の縁に添えていた指先がぴくりと震えた。
そんな馬鹿な、と言いたかったが、令嬢らしく微笑みにとどめる。
「……どちらさまが、間違って私の名を……?」
「間違いじゃないとも!セイル・リーリエ伯爵殿だ!」
誇らしげに胸を張る父に、エマは一拍おいてから問い直した。
「……あの、ご高名な……聖騎士の……?」
「そうとも!わしの戦友でな、腕は立つし誠実、何より一度たりとも女の噂がない!しかもな、今回の縁談――わしが頼み込んで、引き受けてもらったんだ!」
「……まあ……それは、あまりに……」
言葉に詰まったのは、驚きのためか、恐縮のためか。
エマは公爵家の令嬢でありながら、きらびやかな姉たちと違って、地味で婆臭い趣味なのでパッとしなかった。
それでいて体が弱く、医者からは長く生きられないと言われていた。
空気の悪いところには出せぬと、ほぼ公爵家の敷地内でしか過ごしてこなかった。
おかげで年頃で高い地位だというのに、嫁の貰い手がなかったのだ。
もっとも、エマ自身はそれでも良いと思っていた。
父はぐいと椅子を引き寄せ、エマの正面に腰を下ろした。
「なあ、エマ。お前が……その……あの白いドレスの絵本を嬉しそうに眺めていたのを、お父様はちゃんと見てたんだぞ」
「……あれは、ほんの、憧れのようなもので……」
「憧れていいんだ。お前にも、夢を見る資格はある。たとえ余命が短くても、ちゃんと晴れ姿を見せてくれるってだけで、お父様は……もう、思い残すことがないよ……!」
そこまで言って、父は鼻をすすった。
エマは黙って緑茶を飲み干し、窓の向こうを見た。
草花が風に揺れ、雲ひとつない青空が広がっていた。
「……畑のきゅうりが、そろそろよく実ってまいりますわ。きっと冷やしたお漬物にすれば、また格別な美味しさになるでしょう……」
父の想いを酌み、エマは微笑んだ。