初夜にて
侍女のローラが静かに髪をほどき、ゆっくりと背中の編み上げを緩めていく。 しっとりと湿った肌に風が触れると、体が小さく震えた。
「奥様、入浴のご用意が整いました」
穏やかに告げる声に、エマはこくりと頷いた。
浴室に向かいながら、心は落ち着かなかった。
──きっと今夜、伯爵様と一夜を共にすることになるでしょう。
当然のことだ。結婚とはそういうもの。
でも、この体では初めてだった。
百合子だったころの記憶はあるけれど……あれはもう、何十年も昔のこと。
温かな湯に浸かりながら、エマは胸に手を置いた。
心臓の鼓動が少し早い。
たぶん少し、怖い。
羞恥とか、期待とか、何もかもが入り混じっていて、落ち着かない。
「奥様、お支度は整いました」
ローラが再び声をかけてくれる。壮年の淑女らしく、落ち着いた声だ。
でも、エマはその「奥様」という響きに、どこか気恥ずかしさを覚えてうつむいた。
支度が終わった寝室は、ろうそくの柔らかな灯りに照らされていた。
白いシーツと静かな香の香り。隣のベッドには誰もいない。
エマは落ち着かず、椅子に腰を下ろすと、傍らに置かれたワインに気づいた。
……少しだけなら。
はしたないかもしれないけれど、気が紛れるかもしれない。
そう思って一口、また一口。
今日は朝からあわただしく、疲れた体に染みるようだった。
喉を通るたび、少しずつ身体がぽうっと温かくなっていく。
そんなときだった。扉がそっと開いた。
「エマ嬢……?」
入ってきたセイルは、驚いたようにこちらを見つめていた。
エマはぼんやりとその姿を見上げ、微笑んだ。
頬が火照っているのは、たぶんワインのせい。
「伯爵様……来てくださったのですね」
そう言って立ち上がると、ふらついた体をセイルが支えてくれた。
近くで見るセイルの顔は、少し心配そうで、けれど優しかった。
エマは思わず、その頬に手を添えた。
清一さんと、同じ顔。
すべすべとした肌の感触に、どこか安心してしまう。
そして、小さく囁く。
「……ふふ、大好きよ」
それは、少し酔った勢いもあったのだろう。
けれど確かに、心からの言葉だった。
セイルは息を呑み、抱き上げるようにエマをベッドへ運んだ。
「貴女は……」
その声は、優しくも戸惑っていた。
けれど、彼が何かを言う前に――
エマはすぅ、と穏やかな寝息を立て始めた。
セイルはしばらく驚いたように彼女を見つめていたが、やがて小さく息を吐き、彼女の髪をそっと撫でた。
「……罪深いことだ」
そして、彼女の隣にそっと腰を下ろすと、蝋燭の火をひとつずつ消していった。
静かな夜が、ゆっくりと更けていった。