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第四話 たこ焼きは世界を変える

タコデールには、本当にタコがいた。


「……おるやん」

「いますね」


港の市場に並べられた籠の中で、赤褐色のオクトラが八本の脚をうねらせている。

カサンドラはしばらく無言でそれを見つめたあと、深々と息を吐いた。


「めっちゃ普通におるやん……。吸盤あるし、八本脚やし、墨も吐くんやろ?」

「現地の方によれば、そのようです」


「茹でたら赤なるんやろ?」

「ええ」


そこまで確認して、カサンドラはとうとう両手で顔を覆った。


「私らイカデールまで行ってクラーケンしばいて何してたん……?」

「町おこしでしょうか」

「目的変わっとるやん!!」


もっとも、クラーケンを干物にしたことでイカデールの漁業被害は減り、

新しい加工品まで生まれたのだから無駄ではなかった。

無駄ではなかったのだが。


「最初からここ来たら一発やったやん!」

「オクトラという名称から、蛸だとは分かりませんでしたから」


「タコデールで察せえ!」

「カサンドラ嬢も、この世界で十年以上暮らして気づいていなかったのでしょう?」


痛いところを突かれ、カサンドラはぐっと言葉に詰まった。


「……それ言われたらなんも返されへん」


ラルフは小さく笑い、それ以上追及することなく市場の商人と話をつけ始めた。

そんな横顔を眺めながら、カサンドラはふと目を細める。


婚約を破棄されてから、まだそれほど日が経ったわけではない。


パウラへの嫌がらせの犯人もすでに判明し、

カサンドラへの疑いは完全に晴れている。


一方のライノルトは、

ろくに人の話も聞かずに思い込みだけで公衆の面前で婚約破棄と冤罪をぶち上げた件について、

父王から盛大に叱責されたらしい。


現在は「まず人の話を最後まで聞くことを覚えてこい」と、

王立騎士団の訓練に放り込まれているそうだ。


それを聞いた時には、カサンドラもさすがに少しだけ同情した。

少しだけだ。


それでも、あの騒動はもう随分と遠い出来事のように感じられた。


今こうして、ラルフとくだらないことで言い合いながら市場を歩いている方が、

ずっと自然な気がする。


「カサンドラ嬢?」


呼ばれて、カサンドラは我に返った。


「ん?」

「どうしました?」

「なんもないよ」


そう答えると、ラルフはそれ以上は聞かなかった。


「では、必要な分を買って帰りましょう」

「うん」


差し出された手を、今度はためらわずに取る。

いつの間にか、こうして彼と並んで歩くことにも、すっかり慣れてしまっていた。



王都へ戻った翌日。


オールステッド侯爵邸の研究室兼調理室には、

これまで集めた材料がずらりと並んでいた。


試作三号機の銅製たこ焼きプレートに、小麦粉、卵、青ネギ、紅ショウガ、天かす。

さらにソース、マヨネーズ、鰹節に似た燻製魚の薄削り、青のり代わりの海藻粉。


そして、その中央には。


「……タコ」

「蛸ですね」

「やっとや……」


茹で上がったオクトラは、どう見ても前世で知っている蛸だった。

カサンドラは包丁で一口大に切りながら、妙な感慨を覚える。


「長かったな」

「最初に話してから、それほど経ってはいませんが」


「内容が濃いねん。婚約破棄されて、たこ焼き器見せられて、

クラーケンしばいて、干物産業作って」


「こうして並べると、確かに」

「なんでたこ焼き一個作るのに町一個発展させとんねん」


ラルフは返事をせず、小さく笑いながら火力の調整を始めた。


「ほな焼くで」

「お願いします」


生地を流し込み、蛸や青ネギ、紅ショウガ、天かすを入れていく。

しばらくすると表面が少しずつ固まり始め、カサンドラは両手に細い串を持つと、

手際よく生地をまとめ始めた。


「……とても上手ですね」

「まぁ、前世では小さいときから家で焼いとったしな。

転生しても身に付いた技術は廃れへんもんやな」


「やはり生粋の大阪人ですね」

「その顔腹立つな!」


文句を言いながらも、カサンドラの手は止まらない。

少しずつ丸くなっていくたこ焼きを、ラルフが真剣な目で観察していた。


「僕もやってみてもいいですか?」

「ええで。ほら、ここに刺してぐるーってするんや」


一本渡すと、ラルフは慎重に串を入れる。


「そこちゃう。もうちょい外側」

「ここですか?」

「そうそう。ほんで、こうやって――」


どうにももどかしくなったカサンドラは、ラルフの手の上から自分の手を重ねた。


「ここ刺して、ぐるーってして、手首返したらええねん」


そのまま二人で串を動かすと、たこ焼きが綺麗にひっくり返る。


「ほら、できた!」


嬉しくなって顔を上げた瞬間、カサンドラの動きが止まった。

思っていたより、ずっと近い。

目の前にラルフの顔があり、重ねた手もそのままだ。


「…………」

「…………」


ほんの数秒の沈黙なのに、妙に長く感じる。


「……ち、近ない?」

「そうですね」

「なんでそんな冷静なん」


ラルフは答える代わりに、重なったままの手へ視線を落とした。


「それと、カサンドラ嬢」

「なに?」


「僕の手を握っています」

「…………!」


カサンドラは弾かれたように手を離した。


「これは教えとっただけや!」

「分かっています」

「なんで笑ってんの!?」


ラルフは「いえ」とだけ返し、口元をわずかに緩めながら、

もう一度たこ焼きを返そうとする。


そして。

ぐしゃっ。


「…………」

「…………」


無惨に潰れたたこ焼きを見下ろして、ラルフが静かに呟いた。


「さっきと同じようにやったはずですが」

「ちゃうねん! もっとこう、くるっと回すねん!」


「その『くるっと』を数値化してください」

「できるわけないやろ!! 感覚や!!」


結局、その後はカサンドラがほとんど焼くことになった。


「もうええわ。私が焼くから、あんたソースと鰹節と青のりとマヨネーズかけて」

「分かりました」


「そういうのは得意やろ」

「均等に仕上げることなら」

「そこだけ妙に信用できるわ」


ラルフは言葉どおり、恐ろしく均一に仕上げていった。

ソースの量も、マヨネーズの線も、鰹節も青のりも、ほとんど同じである。


「……屋台でこんなん出てきたら逆に怖いな」

「褒められているのでしょうか」

「半分くらい」


やがて、湯気を立てるたこ焼きが皿いっぱいに並んだ。


「できた!」

「ついに完成しましたね」


二人はしばらく、その一皿を見つめた。


前の世界では、あまりにも当たり前だった料理だった。

友人と食べたこともあれば、買い物帰りに買ったこともあるし、

家で焼いたことだってある。


けれど、この世界へ来てからは、もう二度と食べることはないと思っていた。

カサンドラは一つ取り、何度か息を吹きかけてから口へ運ぶ。


「…………っ」


思った以上に熱かった。

口元を押さえ、はふはふと息を逃がしながら必死に冷ます。


「熱くありませんか?」

「あふい」

「でしょうね」

「でも……」


とろりとした生地に、弾力のある蛸。

ソースとマヨネーズの味に、鰹節に似た燻製魚の香りが重なる。


完全に同じではない。

それでも、間違いなく知っている味だった。


「……これや」


思わず漏れた声は、少しだけ小さくなった。


「これ、たこ焼きや」


ラルフも一つ口へ運び、ゆっくり噛んでから静かに頷く。


「たこ焼きですね」

「うん」


胸の奥が、じんわりと温かくなった。


懐かしい味そのものが嬉しいのか、それとも、

それを一緒に作った相手が隣にいることが嬉しいのか。


たぶん、両方だった。


カサンドラがもう一つ取ろうと手を伸ばすと、

同じたこ焼きへ伸びてきたラルフの指先と触れ合った。


「……」


思わず手を止めると、ラルフが先に手を引く。


「どうぞ」

「いや、あんたが食べたらええやん」


「では、半分にしますか?」

「たこ焼き一個半分にするん?」

「嫌ですか?」


少しだけ迷ってから、カサンドラは視線を逸らした。


「……別にええけど」


結局、その一つは二人で半分ずつ食べた。


さっきまでと同じたこ焼きのはずなのに、

少しだけ美味しく感じたことは、言わないでおいた。



「では次は、玉子焼きですね」

「余韻!!」


感慨に浸っていたカサンドラが、思わず勢いよく振り返る。


「今ええ感じやったやろ!」

「そうでしたか?」


「そうや! せっかく懐かしい味に浸っとったのに!」

「ですが、蛸もありますし」

「食に戻るん早いねん!」


とはいえ、カサンドラも興味がないわけではなかった。

明石出身のラルフが前世でよく食べていたという玉子焼きには、純粋に興味がある。


「作り方覚えてんの?」

「大まかには」


「あんた食べる専門やった言うてたやん」

「見てはいました」


「その情報だけでいける?」

「試しましょう」


結局、そこから再び試作が始まった。


生地の配合や出汁の加減、焼き方を少しずつ調整していく。

案の定、最初から上手くはいかなかったが、何度か失敗を重ねるうちに、

それらしいものが出来上がった。


そこへ、オクトラの仕入れについて相談するために招いていたパウラが顔を出した。


机の上には、先ほど焼いたたこ焼きと、

試作を重ねてようやく形になった玉子焼きが並んでいる。


「まあ。こちらは何ですか?」


パウラが興味深そうに玉子焼きを覗き込む。


「玉子焼きやで」

「こちらにもオクトラが入っているのですね」

「せやで」


パウラは今度は隣のたこ焼きへ視線を移し、二つの皿を見比べた。


「どちらも丸く焼いて、中にオクトラを入れるのですね。

よく似たお料理なのですか?」


カサンドラとラルフが、同時に振り返る。


「全然ちゃう!」

「全く違います」


見事に声が重なり、パウラが目を丸くした。


「そ、そうなのですか?」


「たこ焼きはソースかけるやろ? 生地もちゃうし、食感もちゃう。

最近はソース以外にも塩とか醤油、ポン酢とかあるけどな」

「玉子焼きは出汁につけて食べますし、焼き方も異なります」


二人して当然のように説明してから、カサンドラはふと口を閉じて隣を見る。

ラルフも、同じタイミングでこちらを見ていた。


「……なんやろな」

「どうしました?」

「こういう時だけ、めっちゃ息合うな。私ら」


するとラルフは、何でもないことのように答えた。


「普段から合っていると思いますが」

「……そう?」

「ええ」


あまりにもさらりと言われて、カサンドラは少しだけ視線を逸らした。



たこ焼きと玉子焼きの商品化について話し合い始めたのは、その日の午後だった。


タコデールからオクトラを仕入れ、ヴァレンシュタイン公爵領で加工と販売を行う。

ラルフが調理器具の改良を担当し、カサンドラが実際の運用や販路について考える。


二人で話していると、不思議なくらい話が早かった。


「公爵領で本格的に展開するなら、僕もそちらに拠点を移した方が良さそうですね」

「まあ、その方がやりやすいやろな」


ラルフは手元の資料を整え、一度内容を確認するように視線を落とした。


「では、結婚して共同経営にしましょうか?」

「…………」


カサンドラは数度瞬きをした。


「……今、なんて?」

「結婚して共同経営に、と」

「粉もん事業のついでみたいにプロポーズすんなや!!」


思わず立ち上がる。


「なんで事業計画の延長でいきなり結婚話が出てくんねん!」

「僕は侯爵家の次男ですから、ヴァレンシュタイン公爵家へ婿入りすることも可能ですし、

共同経営にした方が面倒事も減ると思いましたので」

「そういう合理性の話ちゃうわ!」


ラルフは一瞬だけ黙り、それから静かに眼鏡を外して机の上へ置いた。


「では、別の言い方をします」


それだけで、先ほどまで仕事の話をしていた時とは少し空気が変わる。


「カサンドラ嬢」

「……なに」

「僕は、あなたと一緒にいるのが好きです」


あまりにもまっすぐ言われて、カサンドラは言葉を失った。


「最初は、同じ日本の記憶を持つ方と出会えたことが嬉しかっただけでした。

大阪や梅田、明石や三ノ宮の話が通じる。

それだけで、とても近い人のように感じました」


ラルフは少しだけ笑う。


「ですが、それだけではありません。

たこ焼きを焼いているあなたを見て、とても可愛いと思いました」

「……そこなん?」


「とても楽しそうに、無邪気に笑っていたので」

「もっと他になかったん?」


思わず聞き返すと、ラルフは少し考えるように目を細めた。


「もちろんあります。思ったことをはっきり言うところも、

困っている人を放っておけないところも、

仕事の話になると驚くほど現実的なところも。剣を持つと妙に強いところも」

「妙にってなんやねん」


「あなたが好きです」

「そこでいきなり告白挟むのやめてくれへん!?」


反射的に突っ込んでから、カサンドラは口を閉じた。

ラルフの表情は真剣だった。


「これからも、あなたと一緒に懐かしい味を探したいです。

作って、失敗して、食べて、また次を探して。そうやって一緒に笑って過ごしたい」


「……やっぱり食メインやん」

「食べ物は毎日のことですから。

あなたと毎日を過ごしたい、という意味でもあります」

「…………」


急にそんな言い方をするのは、ずるい。


前世でも今世でも、こんなふうに真正面から好意を向けられたことはなかった。

前世ではいつの間にか相談役や姉御のような立ち位置になってばかりで、

今世の婚約だって家同士が決めたものだった。


だから、「あなたが好きです」と真剣な顔で言われるだけで、

どうしていいのか分からなくなる。

カサンドラは頬が熱くなるのを誤魔化すように、机の上の資料へ視線を落とした。


「……急に真面目になるん、調子狂うわ」

「そうですか?」

「そうや」


ラルフはしばらく待ってから、静かに尋ねた。


「返事を聞かせてもらえますか?」

「……嫌とは言うてへん」


「では、承諾していただけると?」

「察して!」


「大事なことなので、言葉で聞きたいです」

「容赦ないな! ちょっといきなりすぎて心の準備が必要やねん」


それでもラルフは急かさず、ただカサンドラの返事を待っている。

逃げられそうにないと悟り、カサンドラは観念して小さく息を吐いた。


「……私も、これからも一緒におりたいと思ってた」


ラルフの表情が、わずかに柔らかくなる。


「たこ焼き作るんも、なんか訳分からんもん開発するんも、

ラルフとやったら楽しそうやし。やから……結婚、してもええよ」

「ありがとうございます」


今度ははっきりと嬉しそうに笑ったラルフを見て、カサンドラの胸まで温かくなる。

差し出された手を取ると、そのまま指を絡められた。


「……手、繋ぐん早ない?」

「嫌ですか?」

「嫌とは言うてへんけど……こういうのほんま慣れてへんのよ」

「では、ゆっくり慣れてください」

「……うん」


そのまま、二人はしばらく並んで座っていた。

指を絡めた手は離さないまま、何も言わなくても不思議と居心地は悪くなかった。



カサンドラは繋いだ手をそのままに、空いている方の手で地図を広げた。


「なあラルフ。……前から思っててんけど、この国の地名、やけにひどない?」


指先で地図をなぞっていく。


「イカデール、タコデール。ここシイタケハエテールやろ?

その隣ゴボウトレール。こっちオトーフタウン」

「分かりやすくていいのでは?」

「よくないわ!」


思わず地図を叩くと、ラルフがわずかに笑った。


「ほんまにこれ、原作ない世界なんやろか……」

「僕はそういうものを読んだことがないので、分かりませんね」


「私も前世で結構いろいろ読み漁ったけど、

こんなバカ地名の世界は見たことないわ」

「では、原作はないのでは?」


「いや……ひっそり投稿されて、

誰にも見つからんまま日の目を見てない話やったりして」

「それを僕たちが確認する方法はありませんね」

「せやねんなあ……」


二人でしばらく地図を眺めたものの、答えが出るはずもない。

やがてカサンドラはあっさり考えるのをやめた。


「……まあ、ええか」

「いいのですか?」


「原作あってもなくても、もう今さらやろ」

「それはそうですね」


そこで地図へ視線を戻したカサンドラが、別の場所を指差す。


「それより見て。シイタケハエテールに大きい湖もあるんやな」

「行きたいのですか?」

「行きたい」


「では、新婚旅行で」

「なんでそこだけ話進むん早いねん! さっきプロポーズしたばっかやんな!?」


ラルフは当然のような顔で答えた。


「ですが、承諾はいただきましたので」

「話早いねん! 一応私、公爵家の跡取り娘なんやで!?」


「シイタケハエテールなら、乾燥保存も試せそうですね」

「……干ししいたけ? ええ出汁とれそうやな……作りたい」

「では決まりですね」

「新婚旅行で干ししいたけ作る夫婦おる!?」


そう言いながらも、繋いだ手は離さない。

むしろカサンドラはそのまま地図の先へ指を滑らせた。


「その次、ゴボウトレール行って、隣のコンサイシティを通って、

コンニャク村も寄って……オトーフタウンで豆腐が見つかったら」

「それぞれの街で、いろいろ見つかりそうですね」


カサンドラはそこで動きを止め、少し考え込んだ。


「……豚汁作れるやんな。味噌はラルフがもう作っとるし」

「いいですね。ぜひ作りましょう」

「即答やな!」


二人で顔を見合わせ、同時に笑った。


前世では大阪人だったカサンドラは、

この世界で、同じく日本から転生していた明石出身のラルフと出会った。


日本にいた頃にはまったく接点のなかった二人だったが、

懐かしい味を求めてたこ焼きを作り始めたことをきっかけに、

共に食材を探し、新しい料理や加工品を生み出すようになった。


そしてそれは、二人が結婚した後も変わらなかった。


のちにラルフはヴァレンシュタイン公爵家へ婿入りし、

二人は領内だけでなく、各地の食文化と加工技術にも大きな影響を与えていった。


たこ焼きや玉子焼き、干しクラーケンにマヨネーズ。

そして、旅先で次々と見つかる、妙に聞き覚えのある食材たち。


歴史書には、二人は優れた発想と技術によって各地の特産品に新たな価値を与えた、

革新的な夫妻だったと記されている。


だが実際のところは。


「ラルフ! 見て! ほんまにしいたけ生えとるわ!」

「とりあえず収穫したのを炙って醤油をかけて食べてから、残りは干しましょう」

「やっぱりそうなるん!?」


二人にとってはただ、もう一度故郷の味を食べたかっただけなのかもしれない。



知らんけど。



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