精霊大陸へ
朝の空気は、まだ少し冷たい。
サイファの門前。
身軽な装備で並ぶ。
荷物はアクセルの魔法袋に収まっている。
「忘れ物はないな?」
アクセルが言う。
俺は指を折る。
「鍋よし、干し肉よし、野菜よし、干し果実よし」
一拍。
「香草もよし」
アクセルが眉を寄せる。
「そんなに大事か」
「大事だろ」
即答する。
アクセルは腕を組む。
「任務だぞ」
「腹は減る」
間。
アクセルが真顔で言う。
「戦えなくなる」
「だろ?」
ノアが静かに補足する。
「栄養管理は合理的だ」
アクセルがうなずく。
「なら問題ない」
テラは門の外を見たまま告げる。
「王都を経由する」
振り返らない。
「そこからヴァンだ」
アクセルが短く聞く。
「どれくらいだ」
「ヴァンまで十日」
簡潔。
十分だ。
門の外に視線を向ける。
空は高い。
冷たい空気の向こうに、まだ見えない海がある。
その先に、ノアの帰る場所がある。
足を止める理由は、どこにもなかった。
門を出る。
サイファの喧騒が背後で小さくなる。
石畳の感触が土に変わる。
腕の中で、ここちゃんがきゅる、と鳴いた。
「すぐ戻る」
振り返らずに言う。
声は思ったより静かだった。
むぎが胸ポケットから顔を出す。
キュ。
いつもの位置。
それだけで、少し肩の力が抜けた。
六日目。
石壁が見えた。
王都。
門兵が前に出る。
「通行目的を――」
テラが無言で書面を差し出す。
封蝋付き。
門兵の目が変わる。
一瞬、姿勢を正した。
「失礼しました」
敬礼。
道が開く。
俺たちは止まらない。
石畳を踏み、整えられた街を抜ける。
人の視線はあるが、足は緩めない。
アクセルが小さく言う。
「便利だな」
テラは前を向いたまま答える。
「公務だ」
それ以上は言わない。
王都を抜ける。
空気が変わる。
乾いた風に、湿り気が混ざる。
アクセルが鼻をひくつかせた。
「水の匂いだ」
テラがうなずく。
十日目。
森が開ける。
青が広がった。
視界いっぱいに、揺れる水面。
光を跳ね返して、目に刺さる。
思わず細める。
「近いな」
テラが視線を上げる。
「もうすぐヴァンに着く」
帆柱が並んでいる。
風に軋む音が届く。
潮の匂いがはっきりと混ざる。
ここちゃんが、きゅる、と鳴いた。
むぎがキュ、と返す。
足元の土が、少しずつ砂に変わっていく。
昼。
森の端で火を起こす。
最後の陸の食事だ。
干し肉を落とす。
野菜を刻む。
水が沸く。
小瓶を開ける。
乾いた葉が揺れて、香りが立つ。
潮の匂いと混ざる。
テラがわずかに目を細めた。
「それが香草か」
「ただの乾燥葉だ」
椀を差し出す。
テラは受け取る。
一口。
動きが止まる。
アクセルが腕を組む。
「どうだ」
テラはゆっくり言った。
「香りが残る」
間。
「悪くない」
小さく息を吐く。
肩の力が少し抜けた。
「それなら良かった」
ノアが静かに続ける。
「香りは記憶に残る」
テラが視線を向ける。
「精霊大陸では、匂いを重んじる」
俺は肩をすくめる。
「じゃあ相性いいな」
アクセルがぼそり。
「香草がか」
「俺もだ」
「そこは自信あるんだな」
小さく笑いが落ちる。
火が落ち着く。
鍋の中身も、きれいに空になる。
アクセルが魔法袋を軽く叩いた。
「全部入れた」
潮風が強くなる。
帆が鳴る。
砂がわずかに舞う。
目の前に広がる海は、静かで広い。
向こう側は見えない。
それでも、繋がっている。
このまま進めば届く距離にある。
足を止めなければいいだけだ。
俺は一歩踏み出す。
砂が沈む。
その先に、船がある。
その先に、精霊大陸がある。
ここちゃんが腕の中で静かに動く。
むぎが胸元で丸くなる。
隣には、同じ方向を見る仲間がいる。
それで十分だった。
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