内緒の持ち帰り
魔道具屋の扉を開ける。
からん。
鐘の音が響くと、奥で帳簿を眺めていた店主が顔を上げた。
「おや?」
つい先ほど見送ったばかりの俺たちを見て、目を瞬かせる。
「何かお忘れ物でしょうか?」
「いや」
俺は店の奥へ進んだ。
迷うことなく、魔導保冷庫の前で足を止める。
「これ、買います」
「はい?」
店主が聞き返した。
「この保冷庫です」
俺は隣へ視線を移す。
「あと、洗濯桶も」
「……両方ですか?」
「ああ」
店主の視線が、保冷庫と洗濯桶の間を行き来する。
先ほどまで値札の前で腕を組み、夕方まで考えると言っていた男が、わずかな時間で二つとも買うと言い出したのだ。
「ありがとうございます!」
店主は慌てて頭を下げた。
そのまま店の奥へ向かおうとする。
「すぐに運搬用の荷車を手配いたします。白兎の庭の拠点でしたら、夕方までには――」
「いや、配達は要らない」
俺の言葉に、店主の足が止まった。
「自分たちで持って帰る」
「ですが……」
店主は保冷庫を見上げる。
「外側には軽石を使っておりますが、内側は金属です。お一人で運べるような重さではありませんよ」
「問題ない」
アクセルが前へ出た。
保冷庫の側面へ手をかけ、力を入れた様子もなく片側を持ち上げる。
床から脚が離れた。
「この程度なら持てる」
「お、おお……」
店主が感心したような声を漏らす。
アクセルはそのまま少し持ち上げ、ゆっくり元の位置へ戻した。
隣では、テラが洗濯桶を覗き込んでいる。
「こっちは俺一人でも持てるな」
「いや、お前は保冷庫を手伝え」
俺が言うと、テラが眉を寄せた。
「なら洗濯桶はどうする」
「俺が持つ」
「腰をやるぞ」
「このくらいなら持てる」
カインが口元を押さえ、小さく笑う。
「運ぶ人間には困らなそうですね」
「は、はい」
店主もようやく納得したらしい。
それでもまだ少し心配そうに、保冷庫を眺めている。
「くれぐれも落とさないよう、お気をつけください」
「分かってる」
代金を支払う。
お釣りを受け取りながら、店の奥にある作業場へ視線を向けた。
「蛇口の方は?」
「夕方には仕上がります」
「分かった。また取りに来るよ」
「お待ちしております」
店主に見送られ、俺たちは魔道具屋を出た。
アクセルとテラが保冷庫の両端を持ち、俺は洗濯桶を抱える。
ここちゃんはノアの腕の中。
むぎは胸元にいる。
洗濯桶は保冷庫ほど重くはない。
だが、持ち手がなく、丸みのある形が腕の中で安定しなかった。
「……早く入れたい」
ずれかけた桶を抱え直す。
アクセルが前を向いたまま口を開いた。
「ここで入れればいいだろ」
「店の目の前だぞ」
声を落とした。
「窓から見られたらどうする」
「気にしすぎじゃないか?」
「無限収納は、できるだけ人前で使わない方がいい」
後ろを歩いていたノアが淡々と言った。
「見た者が全員、黙っているとは限らない」
「だろ?」
アクセルは肩をすくめる。
「便利すぎる力も面倒だな」
「知られた後の方が面倒なんだよ」
表通りを抜ける。
人通りの少ない細道へ入り、さらに建物の陰まで進んだところで、俺は足を止めた。
洗濯桶を地面へ置く。
「ここならいいか」
路地の入口を見る。
人影はない。
反対側には高い塀があり、建物の窓も見当たらなかった。
もう一度、左右を確かめる。
「よし」
アクセルとテラが保冷庫を下ろした。
保冷庫に手を伸ばす。
大きな箱が、一瞬でその場から消えた。
続けて洗濯桶も無限収納へ収める。
さっきまで道を塞いでいた二つの魔道具は、跡形もなく消えていた。
「便利ですね」
カインが何もなくなった地面を眺める。
「これなら最初から店の中で入れればよかった」
アクセルが手を払った。
「だから、見られるだろ」
《機密保持行動を確認》
頭の中に、淡々とした声が響いた。
(お前が無限収納を使えって言ったんだろ)
《肯定》
(店で買った直後に消したら、店主に怪しまれる)
《秘匿の判断は使用者の責務》
(こいつ……)
自分は提案しただけ。
その後の面倒は、自分で考えろということらしい。
《周囲確認、適切》
《秘匿行動への評価を実施》
(いらねえよ)
《評価、小》
(小かよ……)
溜息をつきながら眉間を押さえた。
「また、くさえもんか?」
テラが横目で見る。
「……ああ」
「何と言っている」
「俺の隠し方を、少しだけ褒めてる」
「少しか」
「腹立つだろ」
テラはしばらく黙ったあと、口元をわずかに緩めた。
「妥当だな」
「お前まで乗るな」
俺たちはさっさと路地を出た。
「買い出しして帰るぞ」
「果物」
ノアがすぐに反応する。
ここちゃんを抱いたまま、足取りがほんの少しだけ速くなった。
「やっぱり買うのか?」
「必要」
「何が必要なんだよ」
「凍らせる果物の選定」
ノアは真剣な顔で答えた。
「保冷庫の性能を確認しなければならない」
「ただ食べたいだけだろ」
「性能確認」
「目を逸らすな」
ノアは答えず、市場の方角へ歩いていく。
その後ろ姿を見て、アクセルが笑った。
「買った初日から使い倒されそうだな」
「高かったからな。使わないよりいい」
「さっきまで買う必要があるか悩んでいた男とは思えないな」
テラの言葉に、俺は鼻を鳴らした。
「使い道が増えたからだよ」
市場では、ノアが果物の並ぶ店の前から動かなかった。
赤い実。
黄色い実。
皮の厚い丸い果物。
一つずつ手に取り、重さや匂いを確かめていく。
ここちゃんはノアの腕の中から、並んだ果物へ鼻を向けている。
むぎも胸元から顔を出した。
「どれにするんだ?」
「全部」
「全部?」
「比較が必要」
「何の比較だ」
「凍らせた時の味と食感」
「食べ比べたいだけだろ」
ノアは否定しなかった。
結局、何種類もの果物を買い込むことになった。
肉と魚も少し多めに買う。
保冷庫があるなら、すぐに使わない分も保存できる。
増えていく荷物を腰の魔法袋へ入れるふりをして無限収納へ送りながら、俺は苦笑した。
買う前は、必要になれば市場へ来ればいいと考えていた。
買った途端に、保存する食材まで増えている。
(こうやって、出費が増えるんだろうな)
《保冷庫の有効活用と判断》
(聞いてない)
拠点へ戻ると、俺たちはそのまま台所へ入った。
ノアがここちゃんを床へ下ろす。
むぎも胸元から出すと、すぐ近くで鼻を動かし始めた。
「保冷庫は台所だな」
「ああ」
テラが先に台所へ入り、中を見回す。
「食材を入れる物を外へ置く必要はない」
「それはそうだ」
調理台の近くへ置けば使いやすい。
だが、近すぎると扉を開けた時に通路を塞ぐ。
俺は壁際にある空いた場所を指差した。
「ここならどうだ?」
調理台からも遠くない。
保冷庫の扉を開けても、人が通るだけの余裕がある。
カインが床と壁との間隔を確かめる。
「よいと思います」
側面へ回り込み、魔石の差込口が塞がれないことも確認した。
「魔石の交換も問題なくできそうです」
「じゃあ出すぞ」
無限収納へ意識を向ける。
次の瞬間。
何もなかった壁際に、魔導保冷庫が現れた。
どん、と重い音が床へ響く。
「少し右だ」
テラが言う。
「壁に近すぎる」
「そうか?」
「扉を開けた時に当たる」
アクセルが片側へ手をかけ、軽く持ち上げた。
「このくらいか」
「もう少し手前です」
カインが位置を見ながら指示する。
「そこです」
保冷庫が床へ下ろされる。
音を聞きつけたここちゃんが、すぐ近くから顔を覗かせた。
その後ろでは、むぎも体を伸ばして中を見ている。
「新しい物が増えたからって、齧るなよ」
しゃがみ込む。
ここちゃんは鼻を動かしながら保冷庫へ近づいた。
脚の匂いを嗅ぎ、側面を見上げる。
むぎはここちゃんの後ろから覗き込んだものの、すぐに俺が持っている果物の袋へ視線を移した。
「お前はこっちか」
袋を持ち上げると、むぎの顔も一緒に上を向く。
ノアが静かに頷いた。
「正しい判断」
「まだ食べさせるとは言ってないぞ」
ここちゃんは保冷庫の脚へ鼻先を寄せたあと、何事もなかったように俺の足元へ移動した。
「興味を失うの早いな」
「食べ物が入っていないから」
ノアがここちゃんの背中を撫でる。
「入れば興味を持つ」
「扉は開けられないだろ」
洗濯桶は台所へ置かず、裏口近くへ運ぶことにした。
洗った衣類を干す場所にも近い。
無限収納から取り出すと、テラが桶の位置を少し動かした。
「ここなら使いやすそうだな」
桶の前に立ち、手を伸ばす。
「だが、少し低い」
「腰を曲げずに済む高さの台があるとよさそうですね」
カインが桶を覗き込みながら言った。
テラが無言で俺を見る。
「何だよ」
「作れるだろう」
「また俺か」
「便利な工作係だからな」
「乾燥係の次は工作係かよ」
「否定できるか?」
言葉に詰まった。
「……あとで考える」
「作ると言ったな」
「考えるって言ったんだよ」
台所へ戻る。
カインが魔石を一つ取り出し、保冷庫の側面にある差込口へ収めた。
低い音が響く。
内側に刻まれた術式が淡く光り始めた。
扉を開ける。
金属で覆われた内部へ、少しずつ冷たい空気が満ちていく。
「動いたな」
手を入れると、まだわずかではあるが、先ほどまでとは明らかに温度が違った。
「もう一つ入れれば、下段が冷凍になるんだったな」
確認すると、カインが頷く。
「はい。最初から試してみますか?」
「入れて」
ノアが即答した。
すでに手には、買ってきた果物が握られている。
「お前、準備早いな」
「冷凍性能の確認は必要」
「食べたいだけだろ」
「確認が必要」
ノアは同じ言葉を繰り返した。
二つ目の魔石が収まる。
術式の光が強くなり、下段からさらに冷たい空気が流れ出した。
ノアは果物を切り分ける。
赤い実。
黄色い果肉。
小さく切った丸い果物。
それぞれを皿へ並べ、冷凍部分へ丁寧に入れていく。
その足元では、ここちゃんが落ちてくる物はないかと見上げていた。
むぎも近くから、じっと果物の行方を追っている。
「お前らも待つ気か?」
笑う。
ここちゃんは答える代わりに、台所の床へ腰を下ろした。
むぎもその隣へ寄る。
ノアは冷凍部分の扉を閉め、その前で腕を組んだ。
「待つ」
「見てても早く凍らないぞ」
「見守る」
「開けすぎたら冷えないからな」
ノアの手が、扉の取っ手へ伸びかけて止まった。
しばらく考え、静かに手を下ろす。
「……我慢する」
「偉いな」
笑うと、ノアは真剣な表情のまま保冷庫の前へ座った。
「そこで待つのか?」
「見守る」
「だから、見てても早く凍らないって」
ここちゃんがノアの隣へ腰を下ろす。
むぎも果物の匂いが気になるのか、その近くをうろうろしていた。
新しく置かれた保冷庫。
その前に並ぶ一人と二匹。
その光景を眺めながら、保冷庫の扉へ手をかけた。
冷気が指先へ触れる。
(これで、旅先でも冷たい物が食えるな)
暑い土地でも。
市場のない道中でも。
肉や魚を冷やして保存できる。
《旅程快適性への貢献度、高》
(また始まった)
《当提案に対する追加称賛を要求》
(もう褒めただろ)
《称賛回数、一回》
(十分だ)
《不足》
(うるさい。黙れ)
《提案の有用性は――》
(黙れ)
声が止まった。
ようやく静かになった頭の中で、小さく笑う。
くさえもんが言い出さなければ、保冷庫は買っていなかったかもしれない。
それを認めるのは、少し悔しい。
(……まあ、今回は本当に役に立ったよ)
心の中だけで呟く。
《称賛を受領》
(聞こえてんのかよ)
《当然》
額を押さえた。
調子に乗る相棒を褒める時は、伝えようとする言葉だけではなく、心の声まで気をつけなければならないらしい。




