転移迷宮と蒼の魔法陣
翌朝。
昨日買った服に着替えて、俺たちはまた街の外へ出ていた。
今日は薬草採取。
Dランクになったとはいえ、急に討伐へ行く気はない。
俺が強くなったわけでもないし、昨日までできなかったことが今日になってできるようになるわけでもない。
「地道にいこう」
「ああ」
アクセルが短く答える。
ここちゃんは腕の中。むぎは胸元。
昨日買ったものも持ってきた。
水の準備もしてきた。
今日は仕事だ。
⸻
南門を抜けて、森へ入る。
何度か歩いた場所だから、最初の頃よりは周囲を見る余裕がある。
薬草を探しながら、目についたものを鑑定する。
《食用可》
《薬効:微》
《採取可》
「これだな」
しゃがんで摘む。
前より迷わなくなった。
鑑定も、使えば使うほど少しずつ分かることが増えている。
だからといって、何でも分かるわけじゃない。
一昨日の虹色霊花がいい例だ。
(分からないものは、ちゃんと聞く)
それでいい。
アクセルは少し離れた場所を歩いている。
森へ来ると、街にいる時より周囲を見る目が鋭い。
何かあれば気づくだろう。
俺は薬草。
アクセルは周囲。
自然と、そんな形になっていた。
しばらく進んだ時だった。
胸元が、もぞっと動いた。
「ん?」
むぎだ。
いつもなら、顔を出して周囲を見るくらいなのに。
今日は違う。
胸元の中で、落ち着かないように動いている。
「どうした?」
手を添える。
むぎが、一方向へ顔を向ける。
キュ。
「何かあるのか?」
もちろん、答えは分からない。
むぎはまた動く。
胸元から出ようとしているみたいだ。
「待て待て」
手で押さえる。
でも、やめない。
普段とは明らかに違う。
「アクセル」
「どうした」
「むぎが変だ」
アクセルがこっちを見る。
むぎを見ても、すぐには何も言わない。
「何か分かるか?」
「いや」
即答。
俺にも分からない。
くさえもんにも聞いてみる。
(何かあるか?)
《周辺に通常範囲外の魔力反応を確認》
(むぎがそれに反応してる?)
《関連性は不明です》
そこは分からないらしい。
むぎがまた動く。
「……一回下ろしてみるか」
足元へそっと下ろす。
「遠く行くなよ」
言って伝わるとは思わないけど。
むぎは地面へ降りると、すぐに走り出した。
「おい」
でも、数メートル。
そこで止まる。
振り返る。
「……待ってるのか?」
むぎはまた進む。
数メートル。
また止まる。
こっちを見る。
「これ、完全に来いってことじゃないか?」
アクセルがむぎを見る。
「そう見えるな」
「だよな」
ここちゃんを抱き直す。
「行ってみる」
アクセルは何も言わず、そのままついてくる。
⸻
むぎは見失わない距離を保ったまま進んだ。
数メートル。
振り返る。
また進む。
俺たちが追いつくのを待っているみたいだ。
「何なんだろうな」
「分からん」
「即答だな」
「分からないものは分からない」
「まあ、それはそうだけど」
しばらくすると、木々の向こうに見覚えのないものがあった。
「……何だ、あれ」
地面が、大きく口を開けている。
自然にできた穴には見えない。
石。
階段。
奥へ続く暗がり。
明らかに、誰かが造ったような形だ。
むぎは入口の少し手前で止まった。
振り返る。
キュ。
「ここか?」
しゃがんで抱き上げる。
むぎは抵抗しなかった。
胸元へ戻す。
アクセルが入口を見る。
「迷宮だ」
「迷宮?」
初めて聞く言葉だ。
「こういうのがあるのか?」
「ああ」
「珍しくないのか?」
「普通ではない」
アクセルの声が少し低い。
「なんでだ?」
「こんな場所に入口があるのは聞いていない」
それだけで、なんとなく嫌な感じがした。
「中は危ないか?」
「可能性はある」
「だよな」
胸元のむぎは、まだ入口の方を気にしている。
アクセルは暗い内部を少し見たあと、短く言った。
「一度戻る」
やっぱり、それが普通だ。
分からない迷宮へ、そのまま入る理由はない。
ギルドへ戻って報告する。
そう思った時だった。
入口の奥から、低い音が響いた。
地面が、わずかに震える。
アクセルの目が細くなる。
「中で何か起きている」
もう一度。
さっきより強い振動。
胸元のむぎが落ち着かないように動く。
(くさえもん)
《魔力反応は内部から発生しています》
(危険度は?)
《判定不能》
「分からないことしか増えないな……」
アクセルはしばらく入口を見た。
「様子を見る」
剣へ手をかける。
「危険ならすぐ戻る」
「入口から見える範囲だけだぞ」
「ああ」
怖くないわけじゃない。
むしろ、普通に怖い。
でも。
むぎがここまで反応している。
くさえもんも異常な魔力を拾っている。
さらに、中では何かが起きている。
それなら、入口だけでも確認した方がいい。
アクセルが先に入る。
俺はここちゃんを抱いたまま。
むぎは胸元。
その後ろを追った。
⸻
中は暗かった。
石の階段を下りる。
湿った空気。
森の中とは違う、閉じた匂い。
少し進んだところで、アクセルが止まった。
「下がれ」
声が変わる。
反射的に止まる。
暗がりの向こう。
目。
いくつも。
「……うわ」
小柄な人型。
獣みたいなもの。
牙。
爪。
数が多い。
十。
いや、もっと。
「これ全部、魔物か?」
「ああ」
短い。
その瞬間。
一体が飛び出した。
速い。
アクセルの剣が走る。
一撃。
魔物が倒れる。
でも、次。
その次。
何体も動く。
「数、多くないか!?」
「多い」
アクセルが前へ出る。
俺は下がる。
邪魔にならないように。
ここちゃんを抱く腕に力を入れる。
むぎは胸元。
今は二匹を離さない。
一体。
横から回り込もうとした魔物が見えた。
「アクセル、右!」
剣が返る。
倒れる。
また一体。
今度は左。
「左も来る!」
アクセルが踏み込む。
斬る。
強い。
やっぱり、俺が入る余地なんてない。
でも、数が減らない。
「何だこれ……」
次から次へ。
奥から出てくる。
その時。
地面が大きく揺れた。
今までより、ずっと強く。
「っ」
壁に手をつく。
ここちゃんが腕の中で身を縮める。
むぎも胸元で動いた。
そして。
少し先の床に、蒼い光が広がった。
「……何だ、あれ」
幾何学模様のようなものが浮かび上がる。
円。
線。
重なった形。
意味は、まったく分からない。
ただ、光だけが強くなる。
次の瞬間。
その中から、一人の少女が現れた。
「……は?」
長い蒼銀の髪。
見たことのない服。
少女は床へ降り立つと、周囲を見る。
魔物。
アクセル。
俺。
蒼い光。
一瞬。
それだけ。
「……ここは?」
落ち着いた声だった。
「サイファ近くの森……の、迷宮らしい」
答える。
自分でも、かなり雑な説明だと思う。
少女がわずかに目を細める。
「サイファ?」
知らないらしい。
その時。
魔物が少女へ飛びかかった。
「危な――」
「邪魔」
少女が片手を上げる。
空気が変わった。
風。
炎。
氷。
何が起きたのか。
ほとんど分からなかった。
音が重なる。
光が走る。
次の瞬間。
少女へ飛びかかっていた魔物が消えた。
その奥にいた何体かも、まとめて。
「……」
思わず黙る。
「……エルフか?」
アクセルが呟いた。
少女は何事もなかったように、周囲を確認している。
(強っ)
それだけは分かった。
⸻
「名前は?」
アクセルが聞く。
少女がこちらを見る。
「ノア」
短い。
「あなたたちは?」
「アクセル」
「レイン」
ノアが俺を見る。
次に、腕の中のここちゃん。
胸元のむぎ。
少しだけ視線が止まる。
でも、何も聞かなかった。
また地面が揺れる。
ノアの表情が変わる。
さっきまでより、明らかに鋭い。
「……まずい」
「何が?」
ノアは周囲を見る。
壁。
床。
奥。
「迷宮の魔力が乱れてる」
「どうなる?」
「このままだと、内部の魔物が外へ溢れる」
アクセルが短く言う。
「スタンピードか」
ノアが頷く。
「可能性が高い」
「街まで来るのか?」
「規模次第」
短い。
でも、十分だった。
外にはサイファがある。
人がいる。
宿も、ギルドも。
昨日買ったものだって、全部あそこにある。
「止められるのか?」
ノアが少しだけ黙る。
「封じるには時間が足りない」
「なら?」
「核を壊す」
「核?」
「迷宮の魔力が集まっている中心」
ノアが奥を見る。
「そこを壊せば、この暴走は止まる」
「迷宮も?」
「崩れる可能性が高い」
さらっと言う。
「それ、危ないだろ」
「危ない」
即答。
そこは迷わないんだな。
アクセルが剣を握り直す。
「場所は分かるのか」
「流れを追える」
ノアが答える。
俺は奥を見る。
暗い。
魔物の気配。
揺れる地面。
正直、行きたくない。
でも。
「街まで来る可能性があるんだよな」
「ある」
「……なら」
息を吐く。
「止めるしかないか」
ノアが俺を見る。
何か言うかと思ったけど、言わなかった。
「行く」
それだけ。
⸻
先頭はノア。
少し後ろにアクセル。
俺はその後ろ。
ここちゃんは腕の中。
むぎは胸元。
奥へ進む。
魔物が来る。
アクセルが斬る。
抜けたものを、ノアの魔法が消す。
俺は邪魔にならないようについていく。
たまに、見えたものだけ声を出す。
「前!」
「右!」
それだけ。
戦っているなんて、とても言えない。
ただ、置いていかれないように進む。
地面の揺れが強くなる。
空気が重くなる。
そして、広い場所へ出た。
「……あれ?」
中央。
大きな結晶のようなもの。
赤黒い光。
脈打っている。
見ただけで、嫌な感じがする。
「核?」
「そう」
ノアが前へ出る。
「少し下がって」
言われた通り、アクセルと一緒に距離を取る。
ノアが両手を上げる。
空気が震える。
風が集まる。
光が重なる。
さっきより、ずっと大きい。
「……これ、やばくないか?」
「下がれ」
アクセルに言われて、さらに下がる。
ノアの声。
短い。
「砕く」
次の瞬間。
蒼い閃光。
轟音。
結晶が、割れた。
中心から、一気に。
「うわっ!」
衝撃。
壁。
床。
全部が揺れる。
天井から石が落ちる。
「出るぞ」
アクセルの声。
走る。
来た道を、とにかく戻る。
後ろで何かが崩れる音。
ここちゃんを抱く。
むぎを胸元へ押さえる。
「もう少し!」
出口。
光。
外。
飛び出した。
その直後。
背後から低い轟音。
地面が沈む。
入口があった場所を見る。
さっきまでそこに口を開けていた暗がりは、もう見えなかった。
しばらくして、揺れが止まる。
そこに迷宮があったとは思えないくらい、気配が消えている。
森に静けさが戻った。
⸻
「……終わったか?」
息を整えながら聞く。
ノアが、さっきまで入口のあった場所を見る。
「暴走は止まった」
「よかった……」
本気で、それしか出なかった。
アクセルが剣を収める。
俺はここちゃんを見る。
「大丈夫か?」
きゅる。
胸元を見る。
「むぎは?」
キュ。
二匹とも、たぶん大丈夫。
そこで、ようやくノアを見る。
「で」
息を吐く。
「ノアは、どこから来たんだ?」
ノアが少し黙る。
「精霊大陸」
「……どこだ?」
「ここではない大陸」
知らない。
「迷宮を調べていた」
ノアは、さっきまで入口のあった場所を見る。
「転移罠にかかった」
「転移?」
「飛ばされた」
簡潔。
ものすごく簡潔。
でも、今の俺にはそれで十分だった。
「戻れるのか?」
「今は無理」
即答。
「……そうか」
知らない場所へ飛ばされて。
いきなり魔物に囲まれて。
迷宮まで壊して。
それでも、この人はかなり落ち着いてるな。
「とりあえず」
俺は街の方を見る。
「サイファへ行くか?」
ノアも同じ方向を見る。
「状況を確認したい」
「じゃあ一緒に行こう」
アクセルが短く頷く。
ノアも、少しだけ間を置いて。
「分かった」
それで。
俺たちは一人増えて、街へ戻ることになった。
薬草採取に来ただけだったはずなのに。
今日も、全然普通に終わらなかった。
ノアの“大精霊魔法”は精霊との契約による属性魔法です。
今回のような複合展開は、複数属性を同時に制御する高位技術になります。




