9 主人公と迷子少年
「ん――良い匂い!」
ヘルマに見送られて店をあとにしたベリアたちは、屋台の立ち並ぶ通りに来ていた。
一本の広い通りの左右に、焼いた肉やパン、スープ、クレープのような料理を売り出す店が並んでいる。
「すごい人通りだね。はぐれたら合流するのも大変そう」
ちょうど昼時ということもあり、通りは人でごった返していた。
きょろきょろと屋台を見ながら、人の波に逆らわずゆっくりと進んでいく。
「はぐれるなよ」
「……ごめん、自信ない。この辺持ってていい? ――って、わっ!?」
はぐれないようにとルースの服の裾をつまんだ瞬間、側面から衝撃が加わった。バランスを崩したベリアは、ルースの腕にしがみつくような格好になる。
「ご、ごめん、ルース。無理矢理押されて……」
「いや……まあ、いいんじゃないか」
「え、なにが?」
「そこ、持っとけば、はぐれようがないだろ」
「え?」
確かに、これだけぴったりと身体を寄せていればはぐれることはないだろう。だが、この姿勢はまるで恋人同士だ。これはさすがに恥ずかしい……と、手を放しかけたが。
「はぐれたら昼食おごらせるぞ」
「分かった! 掴んどくね!」
ルースの一言に恥をかなぐり捨てたベリアは、ぐっと彼の腕にしがみついた。
途端、ルースの肩が跳ね、明らかに動揺したことが伝わってくる。
「あんまりひっつくな」
「え、さっきと言ってること違うよね!?」
「やっぱなしだ。歩きづらい」
「やっぱりさすがにくっつきすぎ? ごめん。えーと、じゃあ、これで」
確かに腕にしがみついていては歩きづらい。ルースの腕から手を放したベリアは、そのままルースの左手を握った。
それでもルースはまだ何か言いたそうな微妙そうな顔をしていたが、ふと何かに気づいたように、ベリアに向けていた視線を下に落とす。
「……何ひっつけてるんだ? おまえは」
「え?」
ベリアも視線をそちらに向ける。自分の腰あたりに。
そこには小さな指があった。指から手、腕へと視線を辿ると、ベリアの腰より少し高いぐらいの背丈の少年と目があった。
ふんわりとした栗色の髪に、透き通るような水色の瞳の可愛らしい顔立ちをした少年だった。
ベリアの服の裾を掴む指も、身なりも労働を知らない綺麗さだ。貴族か金持ちの商家の子供だろう。
彼は遠慮がちにおずおずと口を開いた。
「……あの、噴水広場って、どこですか?」
ベリアとルースは顔を見合わせる。
「迷子かな」
「……たぶんな」
「――そっか。じゃあ、リオくんは、お父さんと街に遊びに来たんだ」
少年はリオと名乗った。
初めて王都にやって来て、父親と共に観光していたが、この人ごみではぐれてしまったのだそうだ。噴水広場はもしもはぐれた場合の集合場所らしい。
ベリアたちは、リオを連れて、噴水広場を目指して人ごみの中を進む。リオの手は、はぐれないようにと、右手をルースが、左手をベリアが握っていた。
「はい。本当は姉様とも来たかったんですけど……断られてしまいました」
リオは礼儀正しく、言葉遣いからも所作からも育ちの良さが窺えた。
姉に誘いを断られたと落ち込む様子は、思わず抱きしめたくなるほどに可愛らしい。
「ぼくは、姉様に嫌われてるんです」
リオがぽつりとこぼす。不安そうな顔だ。
ベリアは、故郷にいる弟妹たちを思い出す。こんな不安そうな顔をするときは、何か聞いてほしいことがあるときだ。どうかしたの、と優しく声をかけると、弟妹たちは「寂しい」とか「悪戯をして友達を泣かせてしまった」とか隠していた気持ちをするすると話してくれる。ベリアは同じように、リオに声をかけた。
「おねえさんに何かしてしまったの?」
「……うん。ぼくが、父様と母様をとってしまったから」
「ああ……」
弟に両親を取られてしまう。そう感じて拗ねるのは、下に兄弟ができる兄姉の宿命的な話だ。
ベリアとて弟妹が産まれるとなったとき、少し寂しく思ったものだ。今までは自分に向いていた愛情が他にも向くようになるのだから、嫉妬しない方が難しい。
(わたしの場合は双子だったから、てんやわんやであんまり感傷に浸る時間はなかったけどね……!)
貧乏なのも手伝って、実際に産まれてみれば、そんなことを思う心の余裕はほとんどなかった。産まれたばかりの弟妹の世話と、通常の畑仕事で忙しいのなんの。近所の人たちの協力があってこそ乗り切れた。
「おねえさんに直接そう言われたの?」
「ううん。でも、姉様はいつも寂しそうにしてるから……ぼくがもっと小さい頃は、一緒に遊んでくれていたのに、全然話さなくなっちゃって……」
おや、とベリアは首を傾げる。
そういう独占欲は幼い頃の方が強そうなものなのに、リオの言い方では、大きくなって構ってくれなくなったように聞こえる。両親を取られた嫉妬云々というよりも、弟と遊ぶのが恥ずかしい年頃なのだろうか。
それならば変にこじれなければおそらく時が解決してくれるだろうが、それを幼いリオに言っても伝わるかどうか。いつか良くなるよ、なんて無責任で、投げやりにも聞こえる発言だ。
「うーん……そうだ、贈り物してみるとか?」
「え?」
「リオくんはおねえさんのこと好きなんでしょ?」
「……っ、うん」
リオは恥ずかしそうに俯き加減で頷いた。髪の合間から見えた頬はわずかに紅潮していた。
「あのね、わたしにも弟がいるんだけど、これが結構悪戯っ子でね。一回反省するまで家に入れないって叱ったことがあるの。意地っ張りだから夜中までずっと外にいてね、さすがに夜は危険だから迎えに行ったら、『ごめんなさい』って手作りの花冠をくれたんだ。単純だけど、これがすごく嬉しくって! だってね、花冠を編んだ理由がね、わたしを喜ばせたかったからなのよ」
あのとき贈られたものが花冠だろうと草冠だろうと、ベリアは喜んだだろう。モノではなく気持ちが嬉しいのだ。自分のために選んでくれたもの。作ってくれたもの。プレゼントは気持ちだというのは、本当にその通りなのだ。
「ね、おねえさんの好きなものとか、贈ってみたらどうかな? もしかすると今日はたまたま用事があって来れなかっただけかもしれないし、何かお土産を買っていってあげるとかさ」
「……お土産」
「うんうん。おねえさんは何が好きなの?」
「…………分かりません……嫌いなものなら、分かるんですけど」
「え。嫌いなものか~……それは贈り物にできないね……好きなものは言わないタイプなのかな。あ、ルースとかそんな感じじゃない? 嫌いなものはハッキリしてるけど、敢えて好きなものとか口に出さないよね」
「……そうか?」
虚を衝かれたようにルースが瞬く。自覚がないらしい。
「ちなみにおねえさんは何が嫌いなの?」
「鏡です。ガラス製の、綺麗な」
「……それは、自分の姿を見たくない的な?」
「かもしれません。姉様は見た目で損をすることが多いと父様が言っていました」
「うーん、そっか……女の子なら、髪飾りとかいいかなって思ったけど、見た目を気にしているんなら逆効果になっちゃいそうだね」
「はい、たぶんですけど、派手なのも苦手です。装飾品とか、最低限はつけますが……」
「わぉ。じゃあ、いっそ本とか?」
「本……は、姉様はたくさん持っていますし、姉様が気に入るものを選べる自信がありません……」
リオがしゅんと項垂れる。
その後もいくつか思いつくものを並べ立ててみるが、その度にリオは首を振った。彼の姉はなかなか難しい好みをしているようだ。
「ルースは何か良い案ある?」
案が出尽くしたベリアは、話に混じらず黙っているルースに水を向ける。
ルースは少し考えた後、「あれで良いんじゃないか」と通りの片隅を指差した。