10 迷子少年と姉
屋台が立ち並ぶ通りを抜けると、少し目の前が開けた。
円形に広がる広場の中央に、大きな噴水が設置されている。噴水広場だ。
目印になるので集合場所として使われやすいのだろう。周囲は人で賑わっていた。
「リオ!」
噴水に近づくと、リオの目当ての人物は、すぐに彼を見つけて駆け寄ってきた。
リオと同じ栗色のふわふわとした髪に、眼鏡をつけたどこか情けない雰囲気の漂う三十手前ぐらいの男だ。
「あ、あの人がお父さん? 良かった、合流できたね!」
と、ベリアが言い終わる前に、リオは繋いでいた手を放して駆けだした。
駆け寄ったリオを、父親が抱きとめる。
「ごめんよ、リオ! はぐれてしまって」
「大丈夫。親切なお姉さんたちに案内してもらえたから」
強く抱きしめる父親に照れながらも、リオは微笑ましい顔をして近寄ってくるベリアたちを紹介した。
父親は慌てた様子で居住まいを正し、頭を下げた。
「すみません。ありがとうございました! リオもきちんとお礼を言ったかい?」
「お姉さんたち、ありがとうございました」
「どういたしまして! もうはぐれないようにね」
にこにこと明るい笑顔を浮かべるベリアは、リオの頭をかき混ぜるように少し乱暴に撫でた。
弟がいると言っていた彼女は子供好きなのだろう。ここまで歩いてくる間も、笑顔でリオにたくさん話しかけてくれた。
対して彼女と一緒にいた青年――ルースは、ほとんど無言だった。自分からリオに話しかけることはせず、ベリアに声をかけられたときだけ、言葉を発していた。
身長が高く、にこりともしないので、リオは威圧感を感じていたが、ベリアに言われてリオを挟むように手を繋いでくれたあたり、悪い人ではないのは感じ取っていた。たぶん子供が苦手なのだろうということも。
「ん? リオ、それ何持ってるんだい?」
ふと父親が、リオが片手に持っている小さな包みに気がつく。水色のリボンで可愛らしくラッピングされている。
リオはそれをそっと握りしめて、おずおずと言った。
「お土産です……姉様への」
「え!? まさか買ってもらったのかい?」
「あ、はい。支払いはわたしじゃなくて、こっちのルースが」
「それは申し訳ない! いくらだい? 払うよ」
「いや、いい。大した額じゃない」
すげなく言い放ったルースは、無表情で何を考えているのか読み取れない。ベリアが話の中で、ルースがリオの姉と似ているかもしれないというようなことを言っていたが、この態度には確かに少し似ているところがある。
いつも素っ気なくて、本心が分からない姉。
この贈り物を果たして喜んでくれるだろうか――。
夕方。
リオが屋敷に戻り馬車から降りると、ちょうど庭から屋敷に戻ろうとする姉の姿が見えた。
彼女は背を向けていて、リオが帰ってきたことに気付いていない様子だった。
いつも通り周囲に関心がなさそうに、すたすたと家に戻っていくその背に慌てて声をかける。
「ね……姉様」
しかし、声が小さかったためか、彼女は立ち止まることなく家に入ってしまった。
途端に、この贈り物をして何か変わるのかという諦めのような気持ちが浮かんでくる。
ベリアは贈り物は嬉しいと言っていたが、それは、ベリアが弟のことを好きでいるからだ。よく考えれば自分たちには当てはまらない。
リオは姉のことが好きだが、彼女はきっとリオのことが嫌いだ。
だっていつの頃からか、ずっと話をしてくれない。顔を合わせても、素っ気ない態度。リオが話しかけても冷たい目を向けられ、すぐに話を打ち切られてしまう。
「どうしたんだい、リオ? 入らないのかい?」
「あ……ううん、……今行く」
リオの後に馬車から降りた父親は姉の姿に気づかなかったようで、不思議そうに首を傾げる。リオは軽く首を振って、父親に続いて入口扉をくぐった。
「! フレデリカ! 出迎えに来てくれたのかい!?」
直後、父親の明るい声が響いた。
俯きがちだったリオの顔がパッと上がる。
その人は、入口すぐの階段の上にいた。
深い紺色の髪。白くきめの細かい肌。身長は高く、手足はすらりと長い。リオと同じ水色の瞳は、氷のように冷たく光る。
「……姉様」
一瞬だけ、彼女の視線がリオを捉えた。が、すぐに逸らされ、父親の方へ移る。
「お帰りなさいませ。伯爵様、……リオ」
「ああ、ただいま。フレデリカ! 大丈夫だったかい? 変わったことはなかったかい?」
「ええ。話すようなことは特に何も。そちらも満喫されたようで良かったことです。それでは、わたくしはこれで」
薄ら笑いとでも言うような感情のこもらない笑みを浮かべて父親と他人行儀に言葉を交わした彼女は、リオにもう目を向けることはなく、すぐに背を向けた。
「あ、待って。フレデリカ」
「……何でしょう」
「リオが、君に渡したいものがあるんだって。ね、リオ?」
姉を呼び止めた父親は、柔和にリオに笑いかける反面、強い力で彼を前に押し出した。
「……リオが?」
姉は驚きに目を丸くして、リオが手に持っている包みに気づいたのか、視線をそちらに落とした。
どきどきと緊張しながら、リオはそっとその包みを差し出す。
「あ、あの、姉様。お土産、です……!」
「お土産……? わたくしに?」
姉は不可解そうにぎゅっと眉をひそめながらも、階段を下りてきて、リオの差し出した袋を手に取った。
受け取ってくれた! とリオの顔色がパッと明るくなる。
姉は無言でしゅるりと水色のリボンを引っ張って包みを解いた。
「これ……ペンダント?」
「はい! 幸運のお守りです。姉様には幸せになってもらいたいから……」
リオが贈ったのは、色ガラスで作られた四つ葉のクローバーモチーフのペンダント。
ルースが提案した店で選んだものだ。
緑の色ガラスで作られたハート型の四枚の葉が、姉の手の中で翡翠のようにきらめく。その輝きを確認するように、姉はそれをじっと見つめていた。
「わたくしに……幸せに……そう」
「!」
姉の口元がほんの少し緩んだ。喜んでくれているのだろうか。
そうリオが嬉しく思ったのも束の間。
「――リオ」
すぐに表情を打ち消した姉は、冷たく美しい水色の瞳を真っ直ぐにリオに向けた。
「わたくしの幸せなんて願わなくていいわ」
感情の読み取れない表情でそう言った彼女は、背を向けて、今度こそ階段を上って去って行った。
「姉様……」
幸せを願わなくていいってどういうこと?
贈り物は、迷惑だった?
やっぱり贈り物一つしたところで変わらない。姉は、自分のことが嫌いなのだ。
気分が沈みそうになったリオの頭に、ぽんと大きな掌が乗る。黙って見守っていた父親だ。
「良かったね、リオ。フレデリカ、喜んでくれて」
「え?」
喜んで、いただろうか?
首を傾げたリオに父親は苦笑した。
「リオにはちょっと分かりにくいかな。フレデリカはものすごく照れ屋だからね、素直じゃないんだ」
「照れ屋……?」
凜とした美しさを持つ姉にはなんだか似合わない言葉だ。
リオはますます首を傾げた。
「リオの贈り物を突き返すことはしなかっただろう? 幸せを願わなくていいなんて言って、しっかり受け取っていった」
「……でも、」
「本当にリオからの贈り物や気持ちが迷惑だったら、はっきり言うよ。あの子はそういう子だ」
優しい瞳をした父親は、少し困った顔になって「だから敵も作りやすいんだけどね……」とリオには聞こえないように小声で言う。
リオはぱちぱちと目を瞬いた。
「……じゃあ、姉様は、ぼくのこと嫌いじゃない?」
ぽつりとしたリオの呟きに、父親は目を丸くした。
「当たり前だよ。フレデリカはそんなこと言ってないだろう?」
「でも、ぼくと話してくれなくなったし……」
「それでも嫌いだとか嫌だとかは言わないだろう?」
「……うん」
「あの子の良いところであり、悪いところなんだけどね」と父親は苦笑をこぼす。
「フレデリカは嫌だったら直接そう言う。だから、フレデリカはリオのことを嫌ってなんかないよ」
「……それなら、どうして姉様は冷たいの?」
嫌いじゃないのなら、あんな風に冷たい視線を向けられる理由が分からない。昔みたいに話をしてくれなくなった理由が分からない。
父親は少し天井を仰いでううんと悩んで見せた。
「……あの子にはあの子なりの考えがある、としか言えないかな。少なくとも、リオのことが嫌いだからじゃあないよ。ただ不器用で、分かりにくいだけなんだ、フレデリカは」
「……父様は、姉様のことをよく知ってるんだね」
「フレデリカのことだけじゃないさ」
父親は愛おしそうに瞳を細めて、くしゃりとリオの頭を撫でる。
「リオのこともよく知ってる。お父様は、フレデリカとリオのお父様だからね」
頭を優しく撫でられる感触はくすぐったい。
リオは目を細める。
姉が自分のことを嫌いではないとは、まだ信じられない。言われたところで納得できるものではない。
それはきっと父のように姉のことをよく知らないから。
冷たい目で射られることが怖くて、姉に対してあまり踏み込んでこなかったから。
リオは姉が何を好きなのかも知らない。父の言う通り嫌いなものは確かに分かりやすいけれど、好きなものは本当に分からない。
姉との距離を縮めるには、まずは好きなものを知ることからだ。そうでなくては、姉が気に入る贈り物の一つも贈れやしない。
何か考えがあるらしい姉との距離はすぐには縮まらないかもしれないけれど。
少しずつ姉のことを知って距離を縮めて、いつかは昔のように話せたらいい。
今日、ベリアたちとしたみたいに、手を繋いで街を歩けたら――いつかそんな風に仲の良い姉弟になれたらいい。
*
「そうだ。ルースこれ、今日のお礼」
帰路の馬車に揺られていたベリアは思い出して、ポケットにしまっていた包みを取り出した。深い青のリボンでラッピングされたそれは、リオが彼の姉へのプレゼントを選んでいる横でベリアが買ったものだ。
「ベリアも買ってたのか」
「うん。可愛くて安かったから。自分用とルースの分をね。安物だからお礼として釣り合ってないかもしれないけど、こういうのあれば思い出は残るでしょ?」
ルースは受け取った包みをベリアに断ってから開ける。
出て来たのは、藍色と黒のグラデーションに白を散りばめた、夜空を模した丸いガラス玉。首にかけられる長さの革紐がついている。
「これ、もしかして俺の目の色と合わせたのか?」
「え? あ、本当だ。だから一目見てルースにぴったりだと思ったんだ!」
「……無意識かよ。いやまあ、嬉しいけどな」
ルースは口元を緩めて笑う。
嬉しそうな反応に満足したベリアも頬を緩ませる。
「魔除けの効果があるんだって。ちなみにわたしのとお揃いだよ、ほら」
早速首に提げて服の下にしまっていたガラス玉をベリアは取り出してルースに見せた。
ルースにあげたものと色味は少し違い、紫から黒に変わっていくグラデーションのもの。夜空がモチーフなのは変わらない。
「それにしても、ルースが開運グッズを勧めるなんて意外だったなぁ」
ルースが提案した店は、立ち並ぶ屋台の一つで、小物を扱う店だった。それも、まじないの効果がある小物を扱った店だ。
まじないと言っても、口車に乗せて高い壺を買わせるような胡散臭い店ではなく、見習いのガラス職人が作ったガラス小物を売る店だった。ガラスには魔術的効果があると古くから言われているため、まじないの効果があると謳っているそうだ。
「気持ちを贈るには、分かりやすくていいだろ。効果があるかは知らないが、相手を思う気持ちは伝わる」
リオは四つ葉のクローバーをモチーフにしたペンダントを選んだ。幸運を象徴する四つ葉のクローバー。
確かにその贈り物はリオが姉を思う気持ちが伝わってくる。大切な相手の幸せを願う気持ちが。
「……リオくん、上手く行くといいなぁ」
「プレゼント一つでそう劇的には変わらないと思うがな」
「うん、でもきっかけにはなるかもしれないよ。何がきっかけで変化が訪れるかなんて分からないんだから」
良い方向に変わって行けたらいいねと、ベリアは小さく笑った。




