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ヴァーチャル・リアリティ  作者: 柊つばさ
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第四部


    ヴァーチャル・リアリティ(4)


第一章幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグ


「我々はディナ・シー族(妖精族)で、全妖精界に君臨するものである」と第一の妖精が言った。

「我々はシー(妖精の丘)に住み、ティル・ナ・ノーグ(常若の国)に仕えている」と第二の妖精が言った。

「緑の丘、海、湖、沼、泉、森などの自然界はすべてティル・ナ・ノーグに繋がっていて、我々は魔術、占い、予言ができる妖精だ」と第三の妖精が言った。

「万物は四つのエレメントである風、火、水、地から成り、我々は自然界を支配し、思うままに操れる」と第一の妖精が言った。

「世界を統治しているティル・ナ・ノーグ。この星には神々が住まう四つの世界と一本の世界樹がある」と第二の妖精が言った。

 フィル、ロブ、ケイ、ジョウは再びディナ・シー族と対面した。

「ここは幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグへの入り口。神殿の玉座に座する魔法使いの王は、自由に魔法を操り、魔法の杖、魔法の馬、魔法の剣を持っている。一角獣の馬が海岸線を駆け巡り、良質な葡萄を栽培してワインを作り、外的から国を守る砦の史跡がある。君たちはこの国を守る義務がある」と第三の妖精が言った。


ここはきっと幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグと呼ばれる異世界への入り口なのだ、と彼らは悟った。仮想空間を訪れると、HMDのセンサーを介して刺激を受けた五感によって三次元の空間の動きや傾き、リアルな感覚までフィードバックされ、追体験や共感がもたらされた。それと同時に、ヘッドセット越しに見た仮想現実の世界によって、現実は現実たらしめるものを失いつつあった。



       第二章 異次元への扉・コヴェントガーデン


「コヴェントガーデンの街角で私たちが見たものすべてのことは、アーサー・ジョーンズが預言を紐解こうとしているエメラルト・ダブレット、聖書『ヨハネの黙示録』、エノク書、天地創造説に象徴されている謎にすべて繋がっている」

久美の私小説「コヴェントガーデンの街角で」に記してあったこの文言は、オガムの書に書かれてあった四大聖剣と関係があるに違いないと僕は睨んでいた。

「それで、アーサー・ジョーンズやイアン・マックイーンはその後どうなったの?」

僕はせっかちにペンをくるくる指で回しながら間髪入れず久美に問いただした。僕は、マーティンやロバートと一緒にアリスのガーデンで久美、ジョウ、アリスと再び顔を合わせた。

「英国心霊主義教会に属しているアーサーは秘密組織として黒魔術を行っているのではないかという噂だ。魔術を積極的に取り入れ、神の教えや天地創造の秘密などが記されている預言書的な文書であるエメラルド・タブレットの行方を探し求めている」

 ジョウは眉間にしわを寄せた。

「イアンは危険なアーサーと接近した挙げ句、オカルトに傾倒して星気体投射で秘密の首領に接触しようとしたんだろ?」

 マーティンが訝しげに言った。

「深いトランス状態に陥った幽体離脱のことだね。別人格がイアンに乗り移り暴走したんだ。彼は大学を中退してしまったし、その後どうなったか知らないんだ」

ジョウは語気を荒げた。そして、神経質そうな表情で小刻みに床を踏みつけた。

彼の顔を見ると憤怒の形相をしていたので僕は何か気の利いたことを言おうとしてなだめようかと思ったが、どうしていいか分からなかった。アーサーに対する嫌悪感には何か深い事情があるのではないだろうかと思い始めていた。

「オガムの書とエメラルド・タブレットには何か関連があるのではないかと感じているんだ」と僕は言った。

「繋がりのある直接的な記述は見当たらない。でも、妖精や異世界への入り口であるティル・ナ・ノーグは、ジョウがケルトの地で出会ったそれかも知れない。それに、四大エレメントからなる万物や自然界はオガムの書にも書かれているよ」とロブも口を挟んだ。

「ティル・ナ・ノーグには魔法使いの王が君臨し、そこには一角獣の馬が海岸線を走り、葡萄を栽培してワイン作り、外的から国を守る砦があるのよね」

 アリスはテーブルに置かれたマグカップにコーヒーをなみなみと注ぎながら言った。カップからは淹れ立ての湯気が立ち上り、香ばしい豆の匂いを放っていた。

「一角獣の馬、ワイン、砦・・・・・・」と久美がため息を漏らした。

「これらの言葉をキーワードに文献を当たってみるよ」

マーティンは何か思い当たる節があるみたいで、含蓄に富んだ話し方だった。


 僕たちはアリスのガーデンを出た。午後五時半を過ぎていたがまだ日差しが明るかった。日中の暑さは和らぎ、秋風を帯びた涼しい風が通りを吹き渡っていた名残惜しそうな晩夏の夜だった。

コヴェントガーデン界隈で一緒に夕食をとり、マーティンとジョウはビールを飲んでいたため少しほろ酔い気分だったように見えた。それから僕たちはノッティンガムに帰るためコヴェントガーデンからセント・パンクラス駅に向かった。ジョウとアリスもセント・パンクラス駅周辺にある同じフラットに住んでいるので僕たちと駅まで一緒に帰った。久美は住んでいる場所が違うのでコヴェントガーデンで別れた。

駅構内を歩いていると、ある男の姿に目を奪われた。その青年はジョウにそっくりだった。その青年を目で追っている僕の様子に気づいたマーティンが「どうした?」と声をかけてきた。

僕はどぎまぎしながら「ジョウみたいな男をみかけた」と答えた。

「な、何だって!」

 ほろ酔い気分で上機嫌だったジョウの表情が一変した。するとアリスが「後を追ってみましょう」と言ったので僕たちはキングス・クロス駅に向かって歩いていた青年の後を追いかけた。青年は長蛇の列ができていた「プラットフォーム9と3/4番線」と書かれたプレートが飾られている壁に向かって歩いていた。周囲は観光客や通行人であふれていたが、まるで誰もその青年の姿には気づいていないように見えた。しかし僕にはしっかりと視えた。ジョウもアリスもその存在に気づいている様子だった。マーティンとロバートは不思議そうに僕たちのやりとりを見ていたに違いない。僕はこれがVRの世界のことなのか現実のことなのか分からなくなっていた。青年は実体のない生気を奪われたような生き物の姿で、壁の中に消えて行った。僕たちはゼンマイが切れたオルゴールのように足が止まった。

唖然として声を失っていたが「はじめまして」と言って誰かが僕の肩をたたいた。するとジョウが「アーサー!」と声をあげたので、僕はすぐにこの男性が噂の「アーサー・ジョーンズ」だなと察しがついた。



       第三章 幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグ


フィル、ロブ、ジョウ、ケイはマーティンとアリスの提案で北部イングランドを訪れた。長々と続く城壁の跡が緑の田園風景の中を横切り、起伏に富んだ美しい自然とのコントラストは古代ローマ時代の面影を偲ばせた。イギリスに現存するローマ遺跡の中でも最大のもので世界遺産にも登録されている。

彼らがハドリアヌスの城壁に沿って歩いていると、多くの子供たちがスクールバスからはしゃぎながら降りていた。きっと学校の遠足だろう。背中にはリュックを背負い、地図を片手に友達とおしゃべりに夢中になっていた。先生は大きな声で子供たちに注意を与えていた。そして

「皇帝ハドリアヌスは西暦122年スコットランドのケルト族侵入を防ぐため、城壁を作るように人々に命じました。当時のニューカッスル・アポン・タインからカーライルまで城壁が建てられました」と説明していた。

子供たちは興奮気味に先生の話を聞きながら城壁を眺めていたが、ある子供たちが先生の目を盗み、突然城壁に向かって走り出した。先生や他の生徒たちは気づいていない様子だった。

フィルたちは全力疾走して壁を乗り越えようとしていた子供たちを遠目から眺めていたが、壁を乗り越えた瞬間、突然子供たちは彼らの視界から消えた。

「消えたぞ」と言ってフィルは唾を飲み込んだ。

「ここは異世界への入り口だ」とロブが叫んだ。

「古代ローマ時代へのタイムトラベル!」と言ってジョウは腕に装着しているNRWに目をやり、子供たちに続いて軽快に走り出した。するとケイは目配せし頬を緩ませ「ジョウの憧れの地よ」と言った。フィル、ロブ、ケイはジョウの後に続いて城壁に向かって走り出し、古代ローマ時代へ旅立った。



****************************************



 フィルたちのNRWには魔道具の武器、装備、アイテム、スキルが次々と追加されていった。

四大聖剣の一つである鋼のショートソードはフィルが獲得し、ルーン文字が刻まれたLV4の名剣グラムであった。彼の全体のLVは四でHPは六万二千。コインは四千八百ペニー。経験値は三千五百に上昇していた。

 ロブはフィルから受け継いだ流星のかけらでできた剣を所持していた。これも四大聖剣の一つでLV四のフィンマックールの剣であった。

青龍、朱雀、白虎、玄武の形が刻まれた護身剣も四大聖剣の一つであり、ケイの先祖である元村清彦の生命が吹き込まれ、既にLV五であった。

ジョウはゲイボルグのLV四の槍を武器として所持していたが、四大聖剣の最後の一本であるペンタグラムの剣に狙いを定めていた。

VRの世界でフィルは鍛冶屋の息子、ロブは農村に住む農民を演じていた。ケイは先祖の血を引き継いだ陰陽師兼占い師で、ジョウは歴史考古学者だった。それぞれ中世風の腰下丈まである上着を羽織り、長靴下のホースを履いて腰に武器を下げていた。

歴史の町ローマは教科書や書籍で見たままの町並みで、古代ローマの象徴であるコロッセオをはじめフォロ・ロマーノやパンテオン神殿、トレヴィノ泉、サン・ピエトロ大聖堂などが建ち並んでいた。フィルたちは古代ローマ時代にタイムトリップし、かつての栄光を物語っている歴史的建造物や古代遺跡に目を奪われた。


ディナ・シー族が言うには万物は四つのエレメントである風、火、水、地から成り立ち、自然界を支配していると。ケイ(久美)も世界の物質は四つの元素から構成されているという思想を持ち、風は東、火は南、水は西、地は北の方角と相対し、同時にそれらは四大天使ラファエル、ミカエル、ガブリエル、ウリエルに当てはまると話していた。そしてディナ・シー族と四つの世界観、四大聖剣はこの世と繋がりがあるのではないかと彼らは考えていた。ケルトの地でジョウが遭遇した妖精はひょっとしたらディナ・シー族だったのかも知れない。彼が幽体離脱で訪れたのは幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグの入り口で、コヴェントガーデンは異次元への扉なのだ、という仮説を立てた。

「四つのエレメントはそれぞれ東西南北と相対し、それは四つの剣にも当てはまると思いついたの」とケイは言った。

「マーティンが文献を漁って調べたところ興味深いことが分かったんだ」

フィルは襟を正し、何か重大発表するかのように深呼吸した。

「一角獣の馬、ワイン、砦はギリシャ神話とリンクしている。僕たちがいるここローマは知っての通りギリシャ神話の焼き直しだし、難破船で手に入れたミロのヴィーナスは両腕があって林檎を手にしていたことからローマ由来の神の像だと分かった」

「グラムの剣は北欧神話で北、護身剣は日本神話で東、フィンマックールの剣はケルト神話で西。すると、ペンタグラムの剣はギリシャ/ローマ神話で南のはずよ」とケイも仮説を裏付けるかのような物言いをした。

「で、何が言いたいんだ」とロブが頭を掻いた。

「ペンタグラムの剣はギリシャ/ローマ神話に関わっているんだ」とフィルが言った。

「マーティンからその話を聞いて俺も文献に目を通して調べてみた」

ジョウが目を輝かせた。そして

「ワインは古代ギリシャの詩人ホメロスの『オデュッセイア』の中に出てくる葡萄酒色の海。馬はトロイア戦争を表し、砦はデルポイのアポロンの神殿で神託がなされた一節ではないだろうか」と言って彼は唾を飲み込んだ。

『木の砦は唯一不落の塁となり、聖なるサラミスは女たちから生まれた子らを滅ぼす・・・』



       第四章 異次元への扉・コヴェントガーデン


その日は世界中の人々が神の子イエス・キリストの誕生に祈りを捧げるクリスマス・イブの夜だった。自分の誕生を覚えているという子供はほとんどいないが、長瀬ケンはその日のことをしっかりと覚えていた。暗いトンネルの先にはぼんやりと小さな命の灯火が見えた。そして、双子の兄弟である長瀬ジョウのことを淡々と話し始めた。


「冷たくなった自分の亡骸を前にして両親が悲嘆にくれている姿が見えたが、ジョウは元気な産声を上げていた。どんなに声をかけても誰も自分の存在には気づいてくれなかった。だからその場をどうにかやり過ごすしかなかったんだ」とケンは言った。

僕たちは駅でケンの姿を目撃した後、アーサーと一緒にジョウやアリスの住んでいるフラットを訪れた。たびたび心霊現象が起こるという物件だ。ケンは夢の中ではなく潜在意識があるジョウの体に働きかけていた。それは、僕たちの体の中にある何らかの物質を介して物質的感覚器に刺激を与えることができるみたいだった。

僕は幸いにもこの奇跡的な体験を一緒に共有することができた。この「奇跡」は通俗的に唯物論者にはタブーとされている。しかし、精霊現象がいかに異常に見えても大自然の法則に逆行するような事柄でも霊魂との交流を通して普遍法則を見いだすことができるのかも知れない。

「この物件にしばしば起こる奇怪な現象やキングス・クロス駅構内に現れる青年の正体はケンだったんだな」とジョウがしみじみと言った。

彼は幼少時の無垢な憧憬をずっと持ち続けているようだった。狐につままれたような顔をしていたが、同時に懐かしさがこみ上げているようにも見えた。

「安心しろ。ジョウのドッペルゲンガーではなかった。双子だから姿が似ていて当たり前だ」と言ってアーサーは手を顎に当てて何かを考えている様子だった。

「だが、納得いかない。偽りの祈りや信仰が横行する世の中で人々は純粋に信仰心などもっておらず形骸化にほかならないじゃないか!」と言ってジョウはアーサーを睨みつけた。

その場の空気を察して「ジョウと聖ブリジットとの対話は本当だったの?」とアリスが話題を変えるように口を挟んだ。

「それは本当だが、恐怖心からなのか人々の想像力によって誇張されていることがある。また精霊を呼び寄せることは可能だが精神性の高低によって無意味な下級霊を呼び寄せて操られていることもある。実に愉快な聖人ぶった道具として利用し、悪行を続けられるように背後で喜びに浸っている悪霊だ」

「精霊には善も悪もいるってことね。そして睡眠中でもそうでなくても見ることができるのかしら?」とアリスはさらに続けた。

「夢の中では直接霊魂が精霊を見ているが、覚醒時には肉体の諸器官の影響を受けるため誰でも見えるわけではない。また、精霊は神から常に可視状態になる許しを得ているわけではなく望んでいるわけでもないし、人目に触れるのは悪意であったり善意であったりする。つまり、人々を驚かせて恐怖心を与える報復のこともあれば、慰めを与える場合もある。人間は常に諸精霊に囲まれて生活しているんだよ」

「たびたびキングス・クロス駅で俺の目の前に姿を現わしていたのは偶然じゃなかったんだな。夢の中で見たパリのセント・ミシェル大聖堂や天使たちも」

 ジョウは今にも泣き出しそうな顔をしていた。ジョウの悲しみは彼の人生の一部として常に存在していた。

「肉体を失ってもすべてが消滅するわけではないこと、死後も霊魂は個性を持ち続けることをジョウや人間に証明する必要があったからだ」

「それじゃ、心霊現象が起こる家などはどういった説明ができるの?」とロバートは尋ねた。

「こうした現象は稀でもないのだが、おそらく人々の恐怖心により非常識な内容に変貌を遂げて行き、悪魔の訪問を受けているような印象を与えた。こうした人間の信じやすい心は面白半分に利用でき、現実的にこれらの現象によって生じる致命的な誤りを犯すのだから」

「これらの事柄を理解できない人もいるだろう」とマーティンがつぶやいた。

「ああ。極めて刺激的な悪戯を働く霊がいることは認める。それによって精神を病んでしまった人たちがいるのも確かだ。しかし、悪霊の多くは単に楽しんで人間に報復しているだけだよ」

「アーサーの手の中から忽然と消えた石は?」とジョウが尋ねた。

ジョウはケンとの再会に心の震えが止まらない様子だった。ケンは特別な存在であり、彼の死はジョウにとってたまらなく悲しい出来事だった。物心がついた頃からずっと悲しみを覚えていたに違いない。誰にも理解できないし、誰かに理解を求めることも望んでいなかったように思えた。

「今、ここで言えることは、この現象は極めて稀なことなんだ。感受性の強い体質の人たちはほんの少しの接触や感応によって振動を起こし、内外部からの影響によって物理的な現象を起こすことができる。こういった現象を起こす精霊も物質的労力を強いられるため積極的ではないことから、様々な諸条件が要求される」

「極めて稀なこと・・・・・・」と言ってアーサーはうつむいた。

「大切なことは、霊的現象を否定するだけでなく、盲目的に受け入れてしまうことにも注意しなければならないということだな」と言ってマーティンは少し顔をしかめた。

「悪霊は存在自体が危険なのではなく、人間を善から悪の道に誘うために人間の知性に働きかける影響力の方がよっぽど危険だ」

「どうして神は邪悪な行為を許し、人間を誤りに導いているんだろう?」と僕は不思議に思った。

「人間を騙すような精霊は自らの下劣な行為により神に罰せられるが、人間が善良な心を持っていれば善霊が集まるはずだ。もし騙されたとしてもそれは自分自身が引き寄せてしまった訳でもあり、神は人間の粘り強さや判断力を試すために、真実と誤りを教えるためにそういった行為をお許しになることがある。人間は経験から学ぶ必要があるからなんだよ」

「善霊と悪霊の違いを教えるため、自身の鏡として教訓として学ぶため。神は精霊にも人間にも自由意志を与えているってことなのね」と言ってアリスが感嘆した。

「未来の予知は?」とアーサーが感心したように言った。するとジョウはアーサーを遮るように、「十四の時、交通事故に遭った。そのときケンは俺を助けてくれたよな」と言ってジョウは一筋の涙をこぼした。

「ケンが死んだ後も俺は生きなければならなかった。これからずっと誕生日を迎えるたびにケンを思い出す。しかし、意識的にせよ無意識にせよそれを頭の中から排除しようと懸命に自己のアイデンティティーを模索して生きてきた。そして常になぜ、俺は生まれてきたのだろうか。なぜ、ケンという弟は死んでしまったのだろうかと自問自答している」

「それを知らせる必要があったからだ。ジョウはまだ生きなければならない」

 ケンとジョウ。二人が共有している「生と死」は彼らの中に鮮明に残っているように僕は感じていた。ケンは死んでしまったけれど消滅したわけではない。僕たちの想像を超えた意志の力でケンはここに現れたのだ。頭の中は少し混乱していたけれど彼の死とは対極にある生きることの素晴らしさを僕たちに伝えに来たのではないかと感じていた。ジョウのやるせない気持ちは感覚として理解はできたが、きっと僕の想像以上に、彼の精神の奥深くに抑圧されて押し込まれていた感情は何度も打ち寄せる波のようにずっと痛みを伴うものだったに違いない。ジョウは死ぬまでこの痛みを伴った気持ちと折り合いをつけながら生きていくのだろう。

「ただ注意して欲しいのは、人間の野心や欲望を誘う類いの予言だ。善霊は人間を向上させることが目的であり、つまらない運命を予言して喜ばせることが目的ではない。ある出来事を予言することもあるが、それは人間への警告だ。予言に固執すれば人間の信じやすさを利用した低級霊たちの詐術に自ら落ちていくことになる」

「でも、アリスのタロットはよく当たるよ!」とジョウが涙を拭いながら言った。

「アリスのように魂が物質から解放されやすい人たちは、神がアリスに有用性があると判断した場合、善ある現象を見せている。過去世や未来世に関してもそれが人間の啓蒙や指導のためであるが、好奇心を満たすために神はお許しにならないことを知っておいた方がいい」

「しかし、世の中には預言書といった類いのものが多く存在するし、運命や予知が横行している」とアーサーが食いつくように言った。

「オガムの書は?」とロバートもつぶやいた。

「非常に重要あるいは有益な目的以外の告知は偽りか疑いの目で見なければならない。無意味な虚栄心、自尊心をおだてて楽しむ悪霊たち。そして自己満足から堕落していく人間。未来のことを知ることはできないし、未来を前もって定めることもできない。しかし、重要な使命を遂行するためだけに地上に降りた極めて稀な精霊たちは、あらかじめ道筋が定められているから例外だ」

「また会えるかな」とジョウがつぶやいた。

「今ジョウたちが直面している問題について深く言及することはできないが、どこかでまた会えるような気がするよ。オガムの書に書かれていることは本当だ。君たちには国を守る義務がある。さあ、幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグへ!」



第五章 幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグ


 フォーロ・ロマーノはローマの公共広場であった。宗教、政治、司法、商業の中心として古代ローマの神聖な記憶に彩られた都市共同体へと変貌を遂げていった。小高い丘の上には区画整理された神殿や広場、市場などが所狭しと並び、記念碑が建っていた。フォーロは四方を建物で囲まれた形となって壮大な様相を呈し、大規模な公共広場にはさまざまな組織や役割を担う場所へと変化したが、極めて混乱を極めていた時期でもあった。歴史的な事件や記念碑、名誉を称えた建造物、神殿、凱旋門には、その時代時代を生き抜いた皇帝帝王の生き生きとした息づかいが伝わってきた。

その一方で、平民の集まる集会ではバシリカの前や商店の脇で高慢ちきな連中や娼婦、銀行家、高利貸し、ほら吹き、正直者、ならず者たちが金持ちのユダヤ人たちからの施しを待っていた。神殿の背後では評判の悪い者や悪態をつきが、横丁には不愉快な賭博占い師や男色家が集まり、泉に群がる病人が奇跡を起こす水を飲んでいた。魚市場には美食家が集まり、その周辺には浮浪者や怠け者たちが噂話に明け暮れて嘘をばらまき、政府のやり方を罵倒していた。行政の座所が置かれた広場とは対照的にこういった自然発生的な生活が存在していたのだ。

 元老院では元老が討議を行っていた。元老院とは古代ローマの政治機関であり、元老は国家に関わる功労のある政治家のことで国を統治していた。広場の壇上では、宗教上の行列や死者の名誉を称えるため、行政者や候補者たちが演説を行っていた。

古代ローマに到着した翌日、フィル、ロブ、ジョウ、ケイはカエサルの公共広場を歩いていた。名門ユリウス一家の出であるカエサルは共和制ローマ期の政治家、軍人であった。聴衆の心をつかむ雄弁家で類い希なる軍事能力の才があり、政治手腕にも長けていた。ガリア戦争では勝利し、飛躍的に領地を拡大してローマでの名声を得た。しかし、カエサルがガリア遠征時、ローマは内乱状態に陥っており元老院派は民衆派との間で争いが起こっていた。カエサルが民衆から絶大な人気を誇っていたことが仇になり、彼は元老院派と敵対するようになっていた。カエサルの名声と実力は元老院派には脅威であり、彼らはカエサル暗殺の準備を水面下で進めていたのだ。


フィルはカエサルの公共広場を歩きながら腕に装着していたNRWのスイッチを入れた。

NRWにはデンマークの入り江の難破船で見つけたミロのヴィーナスがあった。船内の財宝はヴァイキングの略奪品だったらしく中には魔力を秘めているものもあった。

「このヴィーナスは一般的に知られている像とは違って両腕があり手には林檎を持っているわね」とケイがフィルのNRWをのぞき込んだ。

「うん。この林檎は旧約聖書に記されている禁断の果実ではないかと推測されている。ギリシャ神話のアフロディテがモデルになっているけど、ローマ神話由来のウェヌス説が有力なんだ。しかし、ウェヌスとアフロディテは同一視されているからね」とフィルは返した。

「ウェヌス・ゲネトリクス神殿が見えてきたな」とロブが叫んだ。

「ウェヌスは英語でヴィーナスと呼ぶことから、始祖母神ヴィーナスの神殿とも言うんだ」とフィルは続けた。

「トロイア戦争陥落でアフロディテの息子アイネイアスはギリシャを逃れてローマへ辿り着きローマ建国の祖として崇められた。ユリウス家もウェヌス(アフロディテ)を祖として奉っている」とジョウは言った。

「ジョウはカエサルのことを研究していたから詳しいわね」と言ってケイが茶化した。

「やっとカエサルの故郷ローマに来ることができたよ! トロイア戦争を引き起こしたのはトロイア王パリスの審判だったし、何か林檎が関係しているんじゃないかと思っている」

「パリスの審判って?」とフィルは言った。

「ギリシャ神話に登場するヘラ、アテナ、アフロディテの三女神は、【一番美しい女神へ】と書かれた黄金の林檎を手に入れるため競い合うことになってしまった。そこでトロイア王のパリスが審判を下すことになった」

「誰が林檎を手に入れたの?」とロブが言った。

「アフロディテでしょ! 愛と美の女神だし」とケイが快活に答えた。

「その通り。林檎を手にしたエゴによってアフロディテ属するトロイア軍は、アテナ・ヘラのギリシャ軍とのちにトロイア戦争を引き起こすことになった」

「エデンの園で永遠の命と引き換えに人間のエゴを手に入れたアダム・イヴと繋がりがあるのかもしれないな」と言ってフィルは小石を蹴り上げた。

 ウェヌス・ゲネトリクス神殿は大理石で造られた円柱が立ち並び、正面にはカエサル家の守護神ウェヌス・ゲネトリクス像が設置されていた。ウェヌス・ゲネトリクスの立像の左手には「パリスの審判」の林檎、正面破風の左右には羽の生えた天使の彫刻が彫られていた。神殿内部は左右対称、二階建て二層の柱廊が立ち並び、柱にはオリュムポス十二神が彫刻されていた。長い柱廊の上部には彫像や武器類、先代の皇帝の肖像が飾られ、床には豪華な大理石の敷石が敷き詰められていた。

 フィルたちは物音を立てないように壮麗な神殿の中を散策した。内部には有名なギリシャ芸術の作品が保管されていたので、目を皿のようにして何かオガムの書の手掛かりになるような物がないか探していた。そのときケイが「ちょっと来て!」と背後から叫んだ。

「みて! これホメロスの叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』を見つけたの。マーティンやジョウが話していた通りだね。トロイア戦争の英雄を主人公にした話よ」

「神殿正面にもパリスの審判の林檎を手にしていたし興味深いな」とジョウが返した。

「この作品はトロイア戦争のギリシア軍英雄アキレウスとトロイア軍の総大将ヘクトルの死までの出来事を書いた作品で、人間たちや神々の愛憎劇、友情、戦闘シーンなどがホメロスの詩的才能、想像力によって書き上げられた壮大な内容なのよ」

 ケイはホメロスの文学作品を手に入れ、NRWに記録した。

「オガムの書によれば、一角獣の馬が海岸線を駆け巡り、良質な葡萄を栽培してワインを作り、外的から国を守る砦の史跡がある」とフィルが言った。

「ワインは古代ギリシャの詩人ホメロスの『オデュッセイア』の中に出てくる葡萄酒色の海。馬はトロイア戦争を表し、砦はデルポイのアポロンの神殿で神託がなされた一節ではないだろうかとジョウが言っていたけど・・・・・・本当にその通りみたいだな!」

ロブが目を見開いて言った。

「そうだとしたら、この神殿にはアポロンの神託があるはずだ」と言ってジョウは唾を飲み込んだ。

「柱にはオリュムポス十二神が彫刻されていたな! アポロンもいるはずだ」とロブが声を上げて走り出したので、彼らはロブの後を追うようにして柱に彫刻された太陽神アポロンをくまなく探した。アポロンはオリュムポスの最高神ゼウスとレトの息子でアルテミスとは双子の兄妹であった。予言、音楽、詩歌、医術、弓矢の神でもあり、月桂樹の冠を額に飾っている。

「あったぞ」とロブが大声を上げた。

彼らがアポロンの彫刻を目の前にして考え込んでいると『木の砦は唯一不落の塁となり、聖なるサラミスは女たちから生まれた子らを滅ぼす・・・』という声が天井から聞こえた。まるで神話の世界で岐路に立たされた神々がデルポイのアポロンの神殿で彼の神託を求めていたときのように、彼らにもお告げがあったのだ。清らかな声で姿は見えなかったがはっきりと聞こえた。ワイン、馬、そして砦。ワインはホメロスの作品に出てくる一節『葡萄酒色の海』、馬はトロイア戦争、そして砦は・・・・・・。



       第六章 異次元への扉・コヴェントガーデン


僕たちはパンテオン神殿近くのカフェで昼食をとっていた。パンテオンは紀元前25年に初代ローマ皇帝の側近アグリッパによって建造されたが、後に火事で焼失してしまっている。そのためローマ皇帝ハドリアヌスによって再建された。パンテオンは「すべての神々」という意味があり、現存するローマ建築の中でも最も原形をとどめていると言われている。世界最大の石造りで建築されており、天井のドーム中央の天窓から差し込む光は神々しく、イタリアルネッサンス期の彫刻、建築、画家であるミケランジェロから「天使の設計」と称されている神殿である。

古代ローマの面影を残す市内は多くの観光客で賑わっていた。ローマの上流階級ご愛用のレストランから庶民的なカフェまで数多く立ち並び、香ばしいピザやコーヒーの香りが店先のパラソルから漂っていた。九月だというのに気候がよく、まだ夏の日差しが空から降り注いでいた。

「どうして私もフラットに呼んでくれなかったの!」

久美はいまだにケンと会えなかったことが残念だったらしく不機嫌で仏頂面だった。

「だって、あの日電車で別れた後だったし、ケンの亡霊に会ったことで舞い上がっていたからさあ」とジョウはすまなそうな顔をした。

「まあまあ、きっとまた会えるわ。それに聖ブリジットの予言どおりこうやって私たちローマのトレヴィの泉に来ることができたしね」と言ってアリスが笑った。

「その時、なんか言ってた?」と僕とロバートはジョウの顔を真剣にのぞき込んだ。

「うん。人間関係というか神々の関係が複雑だから注意しろって。酒で人を陶酔、狂乱させるディオニュソスや災いをもたらすパンドラがいると言っていたよ」

「ここからすぐ近くにあるパンテオンはさまざまな神を祀っていた万神殿だったし、市内には至るところに古代ローマ遺跡があり、まるで博物館の中にいるような錯覚を起こすよ」とマーティンが言った。

「そうね。町全体が神聖なパワースポットのように感じられるわ」とアリスが含みのある言い方をした。

 ローマの昼下がり。賑やかな街角。ある男はフィリップたちを付け狙っていた。背の高い中年紳士は肩につく長さの神秘的な黒髪で、小じわが少し目立つが鼻筋が通り端正な顔つきの男だった。前髪が顔にかかって表情まで読み取れないが昼間からワインを飲み、インテリ気取りだった。勘の良いアリスが気になって僕たちに忠告してくれたが、地元の裕福な男か観光客だと思ってさほど気にかけていなかった。

 オガムの書のことでローマを訪れたのだが、それ以上にローマ観光でみな気分が高揚し古代の面影を残す町並みの虜になっていた。観光旅行者向けの地図を開いて目的地に○をつけ、次はどこに行こうかランチを食べながら話し合っていた。

「トレヴィの泉は行ったし、次はパンテオン神殿に行く?」と僕が提案した。

「コロッセオもここから近いよ」とロバートが返答した。

「円形の闘技場だよね。古代ローマ人は猛獣と人間、あるいは剣闘士同士の殺し合いに熱狂していたと言われているが、想像を絶するよ」とマーティンも口を挟んだ。

「残酷な余興や見世物が行われていたけど、死刑囚たちの処刑も見世物と化していたなんて当惑せずにはいられない」とジョウが言った。ピザを頬張りながら過去の陰惨な競技について思いを吐露した。

「キリスト教が公認されると催しは廃止されたらしい」と言って久美がため息を漏らした。

 僕たちが話に花を咲かせていると店のウェイターが近寄って来て、「今日午後二時からコロッセオで当時を再現した催しが行われるから行ってみればどうだい」と教えてくれた。そのため、僕たちはランチを食べ終えて勘定を払いカフェを後にした。

店の外にあるナヴォーナ広場横切ると反対側にはパンテオン神殿が見えた。後ろ髪を引かれながらも催しが開催されると聞いて市内を散策しながらコロッセオに向かった。

 コロッセオは外壁の高さが五十二メートルある巨大な楕円形の建物で十万立方メートルもの石灰華でできていた。コロッセオの内部は円形の競技場で階段状の観客席があり、その上部には回廊、さらには階段状の立ち見席もあった。観客席は階級によって仕切られ席が決まっていたが無料で観戦できたと言われている。

 威容を誇るコロッセオの前にはすでに観光客が列をなしていた。入場門の前には「興行プログラム」が張り出されていた。当時の衣装を身につけた係員たちが観光客に期待を抱かせるように取り仕切っていた。皇帝、行政官、剣闘士、死刑囚、猛獣たちが音楽に合わせて練り歩き角笛を吹いていた。中でも剣闘士は人目を引き、勇ましい大柄な男は剣を脇に携えていた。そのとき僕は、フィルに扮した壮大なVRの世界でこれから何か起こるのでないかと胸騒ぎがした。



       第七章 幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグ


 神殿の背後の横丁で男が大きな声を上げて「おい、ここで何をしているんだ?」と誰かを問い詰めていた。厳しい口調で詰問していたため、不法者の取り締まりを行っている様子であった。フィルたちは急いで裏通りに出て人混みをかき分けて騒動を見守っていた。すると今度は「逮捕だ!」とその男は言い、子供たちの衣服を鷲づかみにして町からつまみ出して連行した。

「可哀想に。あの子たちコロッセオに連れて行かれるわ」と横丁の婦人が噂をしていた。フィルたちはローマ人に連行されている子供たちの後を追って一緒にコロッセオに向かった。

「それにしてもあの衣装、現代のファッションだぞ。ジーンズにTシャツだしな」とロブが不可解そうな顔をしていた。

「それって、現実とVRの世界がリンクしているってこと? つまり彼らも私たちと同じように異世界の扉を通って古代ローマに紛れ込んでしまった」とケイが推測した。

 コロッセオに到着すると剣闘士たちの姿が見えた。フィル、ロブ、ジョウ、ケイは壁の背後からそっと中をのぞき込んだ。

コロッセオの中央には舞台が設置されていた。闘技を行う準備をしていたようだった。舞台の周りには杭が立てられ頑丈な鉄鋼が張り巡らされていた。杭の上には鋭い突起が突きだしていたため、猛獣が飛び越えて逃げられないようになっていた。コロッセオの舞台周辺の観客席に目を向けると、観客席下の地下には剣帯を帯びた兵士が野獣を通すための傾斜床で何か作業をしていた。傾斜床下には舞台装置の準備のために使用する機械類が置いてあり、どう猛な野獣を舞台に登場させるためのエレベーターのような仕掛けの手動式の歯車を必死に猛獣使いが操作し、野獣を舞台へ送りだそうとしていた。

「マクシムス! この子供たちをどうする?」と猛獣使いが大声を出して叫んだ。

「待て、事情を聞いてからだ」とマクシムスが言った。

 マクシムスは顔をすっぽり覆うマスクをかぶり、右手には剣、左手には盾を持って勇ましい姿の男であった。

 次第にコロッセオには噂を聞いてかけつけたローマ市民たちであふれかえっていた。「おかしな服を着ているイギリスから来た子供たちみたいよ」とひそひそ話をしている女たちの声が聞こえた。幸いフィルたちはアバターで設定していた中世風の衣装を着て武具を身につけていたため道化師か何かと思われていたに違いない。ローマ人にとがめられることはなかった。

「なぜここに来たんだ!」とマクシムスが子供たちに質問した。

「異次元の空間へ行けると噂されていた場所があってね。でも本当に現代のイギリスから古代ローマにタイムトラベルできるなんて思っていなかったよ」と少年が言った。

「私たちは何もしていないから助けてください! でもこの世界は幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグっていう場所だと教えてもらったの」と少女が言った。

「幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグ? 一体何のことだ」とマクシムスが言った。

 マクシムスが子供たちと問答を行っていると、また一人少年がコロッセオに連れて来られた。フィルたちは壁の背後からマクシムスと子供たちのやりとりをずっと静観することにした。

すると子供たちが声をそろえて「オリバー!」と声を上げた。どうやらその男の子はオリバーという少年らしかった。マクシムスがオリバーにも声をかけて同じように質問した。

「一体どういうことなんだ。ティル・ナ・ノーグって何のことだ?」

 オリバーはしばらく黙っていたが、猛獣使いの方に顔を向けると顔が青くなった。どう猛なライオンや虎が舞台に躍り出る待機をしていたからだ。ぐるぐると円を描くように床を這いずり回っている様子が見えた。

「僕はある重要なことを知ったんだ。大天使ミカエルが僕にこう言ったの。ペンタグラムのシンボルが刻まれた剣は安らぎと幸せをもたらすが、その一方で災いと不幸ももたらす。僕が大人になる頃この剣を巡って争いが起こるだろうって」

「で、その剣は一体どこにあるんだ?」

「火事でどこかに行ってしまったみたい。それに、その剣が今どこにあるか本当に知らないんだ」

オリバーは恐怖心から剣のことをマクシムスに話してしまった。が、そのとき、マクシムスが手にしていた剣を見て「もしかしたらこの剣のことかも知れない! だって、あなたの剣にはペンタグラムのシンボルが刻まれているから!」とマクシムスの剣を指さし、顔を赤らめて興奮気味にまくし立てた。だが、オリバーはポケットの中に入っているラピスラズリの石のことは黙っていた。これは魔法の石であり、ミカエルから剣を尋ねる者に絶対渡してはならないと忠告を受けていたからだ。

 そのとき、フィルはいてもたってもいられず舞台中央に向かって走り出した。ロブ、ジョウ、ケイも彼の後に続いた。オガムの書に書かれていた四大聖剣の一つであるペンタグラムのシンボルが刻まれた剣をついに発見したからだ。オリバーが話していたように火事で行方不明になっていたのもこれまでの史実と一致する。間違いない。世界の神々が王位継承を争ってティル・ナ・ノーグを統治しようと企てている剣だ。

 彼らは舞台前に駆け寄り、つかの間足を止めた。マクシムスが手にしているペンタグラムの剣の鋭い切っ先は彼らの目を引き、太陽の光を受けてきらきらと輝いていた。舞台の周りには子供たちが眉を寄せ、どうしたらいいものか思案に暮れていた。

フィルたちが舞台前に現れるとマクシムスはマスクを脱いだ。フィル、ロブ、ジョウ、ケイの顔色を伺って様子を探っていた。彼の鋭い眼光は彼らを一瞬怯ませたが、精悍な顔つきの剣闘士は状況を把握するため「一体どういうことだ」と言って子供たちとフィルたちの関係、ペンタグラムの剣について尋ねた。フィルたちも子供たちも緊張感から解放され、マクシムスの声を聞いてほっと胸をなで下ろした。

フィルは開口一番「子供たちについては何も知らない。どこから来たのだろうかと不思議に思っていた」と説明した。

「なぜここに来たんだ?」

「あなたの持っている剣を探していたからです」

「お兄ちゃんたちもこの剣を狙っているの?」とオリバーが言った。

「もしかして、君は何か知っているのか?」とロブが口を挟んだ。

「どうやらこの剣にはなにか秘密がありそうだな」と言ってマクシムスが正鵠を射た。

「僕の名前はオリバー。お兄ちゃんたちもイギリス人でしょ? アクセントで分かったよ。どうか僕たちを助けてください」とオリバーが言った。オリバーは彼らが同郷であると分かって警戒心を解いた。

「その前にどうしてこの剣のことを知っているの?」とジョウがオリバーに尋ねた。

オリバーはジョウの顔をのぞき込んだ。ちょうど西日が二人の顔を照らし、まぶしそうな顔をしていた。異郷の地で偶然旧友に再会したような驚きと懐かしい気持ちが入り交じったような感覚だったに違いない。

「天使の囁きだよ」

「天使の囁き?」とジョウが返した。

「ミカエルが教えてくれたの」

「神話みたいな話だね」とケイが言った。

 彼らが立ち話をしていると道化のような華美で派手な衣装を着た男が舞台に向かって歩み寄って来た。スイスの傭兵みたいに黄色い縦縞のシャツに大きなツバの黒い帽子をかぶり顎でしっかりと結び、首には真鍮製の容器をかけていた。容器にはアルコールが入っていたようで時々キャップを外して口に含み呂律が回っておらず酒に酔っていたように見えたが、大きなツバの帽子をかぶっていたので顔はよく見えなかった。マクシムスは見知らぬ男が入って来て警戒心を強めた。

「ここは幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグ」と道化は静かに言った。

「お前も何か知っているのか!」ジョウが叫んだ。

「ああ。ペンタグラムの剣のこともな」

「お前は一体誰なんだ」とロブがまくし立てた。

「俺は剣さえ手に入ればいいんだ。お前たちに危害を加えるつもりはない。しかし」

「しかし?」とフィルは続けた。

「ファヴニールはお前たちを殺しにかかるだろう」

「ひょっとしてお前、ニヒョルじゃないのか?」

「そうだ」

「ファヴニールはどこにいるんだ」

「サンタンジェロ城だ」

「サンタンジェロって聖天使城のことでしょ。そこにファヴニールが居るなんて笑えるわね」

ケイが冗談を言うと皆が吹き出し、張り巡らされていた緊張感が少し和らいだ。

「サンタンジェロの城壁。ヴァチカンとは秘密の通路で繋がれている」とマクシムスが教えてくれた。「しかし、どうしてこの剣を巡って多くの人間が俺の元にやって来るのか不思議でならない。何か大きな秘密があることは分かったが」

「ミカエルの予言ではこの剣を巡って争いが起きる。とても大切な剣なんだ」とオリバーが言った。

「世界を統治できる魔法の剣。しかし聖剣は全部で四本。お前たち、これがラストの剣なんだろ! 俺はお前たちの仲間だから過去のことは水に流してくれ」とニヒョルが懇願した。

「しかしお前は俺たちを裏切ったじゃないか。どうやって信頼すればいいんだ」とロブが怪訝そうな顔をした。

「俺は魔法使いのヴァイキング。力になると思うぜ」

「ワイン、馬、そして砦。ワインはホメロスの作品に出てくる一節『葡萄酒色の海』、馬はトロイア戦争、そして砦は・・・・・・。そう、砦はサンタンジェロ城だったんだ!」と言ってジョウは意気衝天の勢いを見せた。

 するとマクシムスが遠くにいた猛獣使いに「今日の余興は中止だ。これからサンタンジェロ城に向かう」と叫び、広い通りを全速力で風を切って走り抜けた。

 サンタンジェロ城は川の対岸に位置している。堂々とした円錐形の砦は全体を大理石で覆われ、頂上には馬車に乗った皇帝のブロンズ像が設置してあった。コロッセオからテヴェレ川に架かるサンタンジェロ橋に到着する頃にはだんだんと雲行きが怪しくなり、空一面に暗雲がたれ込み始めていた。まるでこれから何か悲劇が起こりそうな予感をさせる黒い雲だった。サンタンジェロ城はハドリアヌス帝の霊廟であるとともに要塞としての防壁でもあった。マクシムスは要塞を目の前にして息を思いっきり吸い込んだ。そして手のひらの汗を拭って剣のグリップを握りしめた。

 すると彼らの背後から「マクシムス」という声がした。男は城の兵士のようであった。

「コロッセオの剣闘士よ。野獣や死刑囚との余興はどうなったんだ」と言って茶化した。

「ここに来たのは世界制服を企んでいる危険な聖剣争いを止めるためだ」

フィルは畏怖の念を抱きながら天の神に誓った。

「聖剣争い?」と言って兵士は疑念を抱いた。

「皇帝と話をさせてくれ。マクシムスの持っている剣を巡ってこれから争いが起こるのだ。するとローマ帝国もその影響を受けて国内が乱れることになるだろう」とジョウが言った。

「わかった。話は城の中で伺うとしよう。ついて来い」と兵士が言ったので、彼らは城の門をくぐった。門の脇には短剣を携え松明を持った警吏が立っていた。夕闇と黒い不気味な雲が漂い、小雨が降り始めていた。城の中に通されるとまるでデジャブのような錯覚を受けた。城内は以前ディナ・シー族に案内されたティル・ナ・ノーグの神殿とまるっきり同じだったからだ。ドーム型の天井には装飾が施され、荘厳な神殿には純金の一角獣や契約の箱もあった。オリバーは「あ、あの箱知ってる!」と思わず大きな声を上げた。フィルはここが現実なのか幻想の世界なのか頭の中が混乱し始めていた。ドルイドの王とはローマ皇帝のことだったのだろうか。オリバーもこの神殿を訪れたことがあったのだろうか。彼が契約の箱を見てはしゃいでいる姿を目に焼き付けた。

 威厳のある静かな佇まいでローマ皇帝が神殿に入って来た。皇帝はドルイド僧のように樫の杖を握りしめていた。ヴァイキングのニヒョルはひどく饒舌になり「これから楽しくなるな」と言って酒を飲んで陽気に笑っていた。そして「こいつは皇帝じゃないぜ。ヴァチカンの聖職者気取りの悪魔だ」と呪いの言葉を吐いた。

「なんだと!」と一斉に声を上げた。

「マクシムス。その剣をよこせ」と悪魔は静かに言った。

「今日は話をしに来たんだ。お前は表向きヴァチカンの聖職者でありながら黒魔術を行っている悪魔だ」とニヒョルは冷淡に言った。

「お前もだ」

「俺は足を洗ったぜ」

「呪いで殺されたいのか」

「待ってくれよ。俺は中立の立場だ。殺し合いは御免だぜ、ファヴニール!」

 耳を疑いたくなるような言葉をニヒョルは二度も吐いた。するとファヴニールは黒いマントを脱ぎ捨て腰にかかっていた剣の柄に手をかけた。そして「ここは一対一で勝負しようじゃないか、マクシムス」と提案した。

 するとマクシムスは構えの体勢に入った。ファヴニールも剣を握りしめ、足を軽く開いて構えた。しばらくの間お互いに鋭い目をして睨み合いが続いたが、百戦錬磨のマクシムスが雄叫びを上げて剣を振り上げた。ペンタグラムの剣は鋭い切っ先の長い長剣だった。ブレードが空を切った。マクシムスが剣を振り下げてファヴニールの腕に斬りかかると大きな血しぶきが上がった。この剣は決して攻撃を外すことなくその傷も癒えることはないのだ。先制攻撃を受けて大きな痛手を負ったファヴニールだが魔法の杖でたちまち傷を癒やした。

「これじゃあ、勝負にならないじゃないか!」と言ってジョウは唖然とした。

 すると今度はファヴニールが反撃の体勢に入り剣を振りかざしたがマクシムスは相手の動きを咄嗟に読み取り体をひねってよけた。剣では太刀打ちできないと悟ったファヴニールは体勢を立て直して剣を床に突き立てた。そして魔法の杖を振りかざし、マクシムスの反撃が届かないように空を舞い、飛び越えた。

 ファヴニールは上空から攻撃の呪文を唱え、降下速度をゆるめながらタイミングをずらし、魔法で反撃を加えた。ファヴニールはマクシムスの攻撃の射程外だったので剣の切っ先は彼に届かなかった。彼の呪文はマクシムスの魂を操るものであった。呪術によってマクシムスは忘我状態に陥った。その隙にファヴニールはマクシムスの手からペンタグラムの剣を奪い取った。そして「お前たちの計画を阻止したぞ。残りの剣を渡せ」と怒鳴り声を上げた。「このペンタグラムの剣はなんでも望みが叶う魔法の剣だ。さあ、もう一度言うぞ! お前たちの剣をよこせ!」

 しかし、ペンタグラムの剣は何も反応しなかった。何度唱えてもファヴニールの願いが叶うことはなかった。彼は訝しげに剣を見つめた。ペンタグラムの剣の柄には星形正五角形のシンボルが刻まれブレードは光を放っていた。

「この剣にはなにか秘密があるのだろう」

マクシムスの意識が正常に戻り、頭を何度も振った。

「ペンタグラムの剣に刻まれた五芒星のシンボル。これは魔除けの印で悪霊から身を守る力があるの。だからあなたがいくら望みを叶えようと唱えても無駄なのよ!」

ケイの首にかかっていた五芒星のペンダントは誇らしげに彼女の胸元で光を受けて輝きを放っていた。するとファヴニールははっとした表情を浮かべてケイに襲いかかり、ペンダントを奪い取った。そして「この石をここにはめ込めば願いが叶うかもしれない」と言ってブレードに石をはめてみると案の定ぴったりだった。彼は勝利を確信するかのように「ペンタグラムは逆にすると悪魔を示すのだ!」と言って高らかに大声を上げて笑った。

 フィルたちは絶望し時間が止まった。彼らはうなだれて悪魔の奴隷のように屈従するほかなかった。死刑の絞首台に導かれている気持ちになった。

ファヴニールはとどめを刺すようにもう一度「お前たちの剣をよこせ!」と鋭い呪いの言葉を口にした。

そのとき、サンタンジェロ城内の神殿から火の手が上がった。オリバーは「剣がまた行方不明になっちゃう!」と叫んだ。

 フィルたちは煙に巻かれてむせていたがどうにかして城の外に出た。夜空にめらめら燃えさかる炎が轟音を立てながら火の粉を散らしていた。まるで炎は暗黒の闇を焼き払うかのように黒煙を上げながら神殿を飲み込んでいた。

「実はね、ジョウは僕の本当のお兄ちゃんなんだ!」

オリバーは鼻息荒く非常に熱気を帯びていた。

「ほ、本当のお兄ちゃん?」と言ってジョウは首をかしげた。

「この石を見て!」

オリバーはポケットを荒々しくまさぐり、ラピスラズリの石を取り出してジョウに見せた。

ジョウは唖然とした。この石はジョウがケルトの地で拾ってきた石と同じものだったからだ。アーサー・ジョーンズがコヴェントガーデンの街角で時空を超えて消滅させた石がオリバーのポケットの中に存在していたが、これは一体どういうことを意味しているのか分からなかった。

「この石は魔法の石。人々を欲望へと駆り立てる石だから手放すときが来た。久美が身につけていたペンダントの石は本物の魔法の石ではないんだ」と言ってオリバーは燃えさかる炎の中へ投げ込んだ。

 ジョウは「あ!」と大きな声を上げたが遅かった。ファヴニールは分別をなくし、欲望に駆られて本物の石を拾い出そうとして炎の中に身を投じた。自殺行為だった。ファヴニールの体はたちまち火だるまのようになり、劫火に焼かれ、炎の中で憎悪の叫びを上げながら苦しみ悶えていた。

「これで悪魔の望みが叶うことはない。だってミカエルが教えてくれたんだ。この石はオリバーのお守りであり、剣を尋ねる者に絶対渡してはならないって。だから僕はこの石を消滅させる必要があった」

 マクシムスは頭の回転がよく事態を飲み込んでいた。そして、手にしていたペンタグラムの剣をジョウにそっと手渡した。

「これは俺が持つべき剣ではない。この剣はオリバーとジョウを繋ぐ大切な剣であることが分かったからだ。それに魔法の力は消滅した」

 ジョウは、そのとき、もしかしたらオリバーは双子の兄弟のケンではないかという思いが脳裏をかすめた。姿は違えど時空を超えた不思議な魂の繋がりに心が温かくなった。静かに頷いて、剣を譲り受けた。城の周りには多くの市民や役人、聖職者、皇族が唖然として劫火に包まれている神殿を遠くからただただ見つめていた。



       第八章 異次元への扉・コヴェントガーデン


 コロッセオの余興を見終わった後、僕はロバート、マーティン、アリス、ジョウ、久美と一緒に市内を散策した。コロッセオでは役者たちが古代ローマの史劇を上演していた。それはVRの世界で対面したオリバーやマクシムスたちを彷彿とさせる人物が登場し、内容は僕たちが旅した古代ローマの世界と同じだった。ティル・ナ・ノーグで出会ったオリバーが言っていたように、大天使ミカエルの予言通りペンタグラムのシンボルが刻まれた魔剣を巡って世界が混沌とし争いが起こるという内容だった。

僕たちは本当にこの世界とVRの世界がリンクし、幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグと呼ばれる異世界への入り口があるのだろうかといまだ思案に暮れている。


日中は暑かったが、夕刻になると秋の到来を告げるような涼しい風を受けながらローマ市内の大通りを歩いていた。オリンポスの神々に捧げられたパンテオン神殿は一度火災で消失していると言う。もしかしたら古代ローマでも世界を統治できる聖剣を巡って権力闘争に明け暮れ、名誉や欲望の渦巻く争いが絶えなかったのかも知れないと感じ思いを馳せた。

パンテオン神殿に到着すると建物の前には人だかりができていた。人混みをかき分けて前方に歩み寄ると僕たちを付け狙っていたインテリ気取りの中年紳士の姿が見えた。男の顔をよく見てみるとコヴェントガーデンの街角で大道芸人に扮してパフォーマンスをしていたあのアーサー・ジョーンズだった。あの時のように僕らに気づくと声をかけてきた。

「突然、声をかけて失礼しますが、そこのあなた! 何か大切なものがポケットに入っていませんか?」

「そこのあなたのことです! 久美さん」

「え? 私?」

 久美の顔は困惑していた。

「はい。大切なものがポケットに入っていませんか?」

 久美は困惑しながらもアーサーの言うとおりポケットの中に手を入れるとラピスラズリのペンダントが入っていた。ティル・ナ・ノーグの神殿で消失したと思われていたペンダントが時空を超えて久美の元に戻ってきたのだ。霊的な世界へ通じる扉は、古代人から受け継がれてきた精神性や古の儀式、祈りを通してこの世とあの世の架け橋になっているのだろう。この世は神秘的な神の摂理が働き、人間の本質は永遠の旅を続けている魂なのだと感じずにはいられなかった。



       第九章 幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグ


「ここは幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグ。君たちはこの国を守る義務があり、無事にそれを成し遂げることができた」

しばらく顔を合わせて居なかった妖精たちが暗闇から突然姿を現わし、声を揃えて言った。

サンタンジェロ城内の神殿は劫火に焼かれ崩れ落ちた。火の海は建物を飲み込み、凄まじい轟音を立てていたが時間の経過とともに炎は下火になり、ようやく鎮火した。しかし、まだ煙が所々くすぶってその場に立ちこめていたので咳き込んでいると「フィル、大丈夫か」とジョウが僕に声をかけた。

「フィルたちにティル・ナ・ノーグやVRの世界のことを話す時が来た」と妖精が言ったので僕は咳き込みながら頭を縦に振った。VR開発者のマーティンは妖精との対面、そして謎の異世界”ティル・ナ・ノーグ”の話に心を躍らせているに違いない。

「さあ、ついて来なさい」と妖精が言ったので僕たちは彼らについていくと、いつの間にか現代のノッティンガムに戻っていた。マーティンはいつものように僕たちがゲームを終了させてVRの世界から生還するのを待ちわびていたみたいだった。僕たちはHMDを頭から外した。マーティンの部屋の中はPCが機械音をじりじりと鳴らしていた。モニターには古代ローマが映し出されていたので、ここが幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグということが理解できた。

「マーティンが開発したVRはティル・ナ・ノーグの世界とリンクしている」

ティル・ナ・ノーグに生息している妖精たちはモニター越しから僕たちに声をかけた。

「つまり、時空を超越した世界ってことかい?」

マーティンは物珍しそうにモニターの中にいる妖精をまじまじと見つめた。

「フィルたちがバグだと思っていたゲームの故障は君たちをティル・ナ・ノーグへ招待するためにわざと仕掛けた。そしてゲームをクリアしていくうちにオガムの書を手に入れ、そこに書かれていたことをヒントに謎を紐解いてゲームを終了させる任務を与えた」

「その任務とは世界に散らばっている四大聖剣を集め、悪の支配からこの世界を守るためだった」とジョウは優等生のように自信満々に答えた。

「ローマでは全てがリアルに感じられて、現代のローマなのか古代のローマなのか頭が混乱していたわ」と久美が続いた。

「そうだろうね。俺たちの理解を超えた世界観は、すべてディナ・シー族が仕組んでいたんだよ!」とマーティンが鼻息荒く言った。

頭脳明晰なマーティンは、僕たちを取り巻いていた不可解な事象を完全に理解しているみたいだった。

「その通りだ。一般的に人間は、ティル・ナ・ノーグの世界を知覚を通して知りうることはできない」

「どうして僕たちはその秘境の地に足を踏み入れることができたの」とロブは好奇心に突き動かされていた。

「任務を遂行するためティル・ナ・ノーグの王に選ばれたからだ」

「そんな!」と言って僕は空を仰いだ。

 幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグ。緑の丘、海、湖、沼、泉、森などの自然界はすべてティル・ナ・ノーグに繋がっていて世界を統治していると妖精たちが言った。



終わり


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