第三部
ヴァーチャル・リアリティ(3)
第一章
僕たちがHMDを頭から外すと、荘厳なティル・ナ・ノーグの神殿から現代のノッティンガムに引き戻された。ロバートはモニターを指さしてマーティンに「ゲームを見ていただろ! 本当の話だ」と唾を飛ばしながら顔を赤らめて興奮気味に話をしていた。ディナ・シー族やティル・ナ・ノーグはマーティンが設定したプロットにない話だったため、彼も探りを入れて妖精について究明しようと躍起になっていたのだ。ケイはNRWを腕から外し、いつもの土方久美に戻った。自分が書いた私小説の中の自分と対面するのは不思議な感じだったように見て取れた。
「土方久美からケイに扮装してVRの世界を旅した感想は?」
VR開発者のマーティンが胸を弾ませながら尋ねた。
「小説の中の自分は、本当の自分のようでそうではない。もちろん自分が書いた作品だから彼女の気持ちや考えは手に取るように分かるんだけど、もう一人の別人格の女性が物語の中で演技をしているみたいだった。少し奇妙な気持ちにもなったわ」
「なるほど。俺の開発したゲームはHMDのセンサーを介して人間の五感を刺激し、コンピューター上の仮想空間が現実のように感じられるんだ。受け取った刺激がフィードバックされたとき、現実は現実たらしめるものを失い、仮想空間の中で追体験や共感をもたらす。開発段階中だからなんとも言えないが、小説の中のもう一人の自分が独立した人格を持ち、それが制御できなくなったとき、現実世界の土方久美に何か支障が出てしまう可能性も無きにしも非ず。そう、『コヴェントガーデンの街角で』に登場した青年ジョウが自身のドッペルゲンガーに怯えていたようにね」
「それじゃあ、小説の中の自分と対面するのは控えたほうがいいかも知れないね」と言って久美は顔色を変えた。
「フィンマックールの剣はケルト神話由来だ。久美の友人のジョウはケルトについて詳しそうだし、この剣について何か心当たりがあるかも知れない。助けを借りることは可能かな?」と僕は久美に尋ねた。
「私たちがケルトの地を訪れたときジョウの身に異変が起きたの。妖精の仕業だったのね。ディナ・シー族といい、ジョウと四大聖剣には何かつながりがあるのかも知れないと感じているわ」
「ジョウの身に異変が起きた原因は?」
ロバートは心が躍り、神経が高ぶっていた。
「ジョウは家族のことで色々と問題を抱えていたし、それが直接的な原因か分からないけど……。あ、そうそう! アイルランドに行ったとき彼はモナスターボイスで石を拾ってきてしまったの。神聖な場所でケルト十字架もあったから自然霊の怒りを買い、罰が当たったんじゃないかと皆で話していたわ」
「そ、その石はどうなったの?」
僕も声を弾ませた。
「コヴェントガーデンの大道芸人のアーサーという不思議な人物が手品みたいに石を忽然と消してしまったの! しかし一方では、黒魔術を行っている魔術結社の一人ではないかと疑っているわ」
「魔術結社!?」
フィリップ、ロバート、マーティンは一斉に声を上げた。
「どんな活動しているの?」
マーティンも体を乗り出した。
「古代アトランティス伝説の王であるヘルメス・トリスメギストスの自然の神秘を解き明かした神秘的文書『エメラルド・タブレット』を手に入れるために活動していて、霊界からもたらされた天使の言葉が書かれているらしいの。詳しいことはジョウが知っているはずよ」
「彼に最後に会ったのはいつ?」とさらにマーティンが続けた。
「私が不思議な体験をまとめてこの小説を執筆しようとしていたとき、エメラルド・タブレットを手に入れると言ってプラットフォームの中に消えて行ったわ」
第二章
僕たちは二週間後、久美を介してジョウと直接会うことになった。オガムの書のことやディナ・シー族、ティル・ナ・ノーグのことについて彼も関心を寄せていたからだ。ジョウも久美と一緒にマーティンの開発したVRのゲームに参加することを快諾してくれた。
僕たちはジョウにNRWの使い方を説明し、アバターの設定をすることにした。名前は本名と同じジョウ、髪の色は黒、瞳の色は焦茶色。職業は歴史考古学者でいかにもジョウらしい選択だった。ジョウはシャイなところがあって口数は少ないが、僕たちに気を許してくれているのが分かった。
「久美からディナ・シー族やティル・ナ・ノーグの話を聞かされたとき、ケルトの地で遭遇した妖精や異世界の入り口ではないだろうかと思案に暮れていたんだ」とジョウが言った。
彼は自分の身に起こる不思議な謎を解明しようと意気込んでいるみたいだった。
「君たちが遭遇したディナ・シー族が言うように、中世最大のストラトフォード図書館へ行けば色々なことが分かるかも知れない」と言ってジョウは背筋を伸ばし、体勢を整えた。
「さあ、HMDを頭に装着して。NRWも忘れずに」とマーティンが音頭を取った。そして僕たちは、前回と同様『ロビンフッド・冒険の旅』の仮想空間の世界に移動した。
中世は道が整備されておらず、ノッティンガムからストラトフォードまで歩くとかなりの距離があった。砂利や泥土の村落の道を歩き、道中は何泊か宿を取ることになった。ジョウはポンチョに似た灰色のチュニック、ケイは背も高く中性的な顔立ちのため女性のドレスではなく赤い腰下まである男性用の上着を着用し、二人とも黒い長靴下のホースをはいていた。ジョウは槍を背負い、久美は護身剣を腰に下げていた。僕とロブは前回と同じ衣装でそれぞれ青と茶色の上着だった。僕の武器は鋼のショートソードでルーン文字入り。ロブは弓矢やクロスボウを所持していた。
数日かけてストラトフォードに到着すると、ディナ・シー族が話していたストラトフォード図書館が見えた。ここには古代の魔法書や古文書をはじめ、文学作品、小説、歴史書などが数多く収蔵されていた。現世での謎はアカシック年代記に収納されていると妖精が言っていたが、それには記憶媒体となるものが必要で、マーティンのコンピューターにROMしなければならなかった。アカシック年代記とは一言でいえば宇宙の記憶である。そこにはあらゆる出来事、思想、知識、個人の感情などが納められていて、天使の言葉が記憶媒体になっていると話していた。
ジョウは古代アトランティスの神秘的文書であるエメラルド・タブレットやアーサー・ジョーンズの話を僕たちにしてくれた。「天使の言葉」は、アーサー・ジョーンズが探し求めているエメラルド・タブレットに通じるものがある。つまり、天使の言葉と呼ばれているエノク語や天使を介して書かれた文書や作品が必要になるのだ。そこに四大聖剣の謎を解く手がかりがあるのかも知れない。
「エノク語は精霊を召喚したり、魔方陣などの儀式に使われたりする言葉で天使の言葉とも言われているんだ。実際にエノク書には七代天使が登場し、旧約聖書の一部として扱われている」とジョウが簡単に説明をした。
「エノク書って?」
僕とロブは声をそろえた。
「天界、地獄、最後の審判、ノアの洪水などについての預言書だよ」
「なんか、読みたくないなあ」とロブが顔を青くした。
「ダニエル書やヨハネの黙示録も聖書の一書であり預言書とも言われている。聖書にはこういった預言に関するものが少なくないんだ。しかし、解釈が難解で未だに多くの学者が研究者の間で議論が起きている」
「でも、どうやって天使を介して書かれた文書だって判断するの?」と僕が尋ねると「それが分かれば誰も苦労しないよ!」と言ってジョウは一笑に付した。そして
「ディナ・シー族は他に何か言ってなかった?」
「万物は四つのエレメントである風、火、水、地から成り、我々は自然界を支配し、思うままに操れるって」と久美が言った。久美は自分のルーツである陰陽道の五行思想と四大エレメンツに関心を寄せていた。「世界の物質は四つの元素から構成されているという思想で、風は東、火は南、水は西、地は北の方角と相対しているのよね。面白いことに、それらは四大天使にも当てはまり、それぞれ、ラファエル、ミカエル、ガブリエル、ウリエルとなる」
「ディナ・シー族と四つの世界は、四大聖剣や天使ともつながりがあるんだろう」とジョウが答えた。
僕たちは図書館内に足を踏み入れた。そして、ディナ・シー族の話していた言葉を頼りにして天使によって書かれた文書をくまなく探し歩いた。しかし、僕たちは何の手がかりもつかめないまま時間だけがいたずらに過ぎていった。途方に暮れていたとき、一人の男が図書館の隅で筆を執り何かを執筆していた。僕は一縷の望みをかけて男に話しかけてみることにした。その男は一心不乱に筆をしたためていたので僕の存在に気づいていないように見えた。そっと近づき、何を書いているのだろうかと思い遠くから机の上をのぞき込むと、オガムの書と同じ古英語だった。何が書いてあるかもちろん分からなかったが何か感じるものがあった。
「すいません。今何を書いているのですか?」
僕は緊張して声がうわずっていた。
男は書いている手を止めることなくこう答えた。
「新作だよ」
どうやら作家らしかった。男は何かにとりつかれたように一心不乱に筆をしたためていた。
「どうしてそんなにすらすら書けるのですか?」とロブが尋ねると、「心の中に考えが自然と浮かび、まるで手にエンジェルがいるみたいなんだ。書いていて非常に筆が乗る」と答えた。
「エンジェルに書かされているみたいなんですか?」と言って久美が驚いた顔をした。
「ああ」
「その原稿を読んでみたいのですが」とジョウが尋ねると「もうすぐ完成するから待ってなさい。きっと大ヒット間違いなしだ、感想を聞かせて欲しい」と言った。
男は満足げに鼻息荒くした。しばらくすると筆を机の上に置いて立ち上がり、颯爽と階段を上がって行った。十分ほどすると、男は今完成したばかりの原稿の複製を持って階段を駆け下りてきてジョウに手渡し、「スコットランドを舞台にした悲劇だ」と力強く言った。
第三章
【第一幕 第一場】
第一の魔女:いつまた三人で会えるのだろう。どこがいい?
第二の魔女:湖がいいね。
第三の魔女:そうだ、インヴァネス城に居城している領主に会おう!
物語はこうして始まった。僕たちの思惑通りあの男が寸暇を惜しんで書き上げた物語はマーティンのパソコンでROMすることができた。自動翻訳してパソコンに取り込み、僕たちは再びVRの世界に足を踏み入れた。そう、この物語は偉大な劇作家の悲劇の一編であった。当時まだ駆け出しだった彼はイングランドの劇作家の一人でしかなかったが、現代で彼を知らない人はいないだろう。しかし、ロビンフッドのときのように何が起こるか分からない。このプロット通りに事が運ぶとも限らない。またディナ・シー族が現れるかも知れない。様々な期待や自己中心的な考え、局面の展開が頭をよぎった。
三人の魔女がインヴァネス城に居城する領主マクベスに予言を与えた。野心を燃やしたマクベスは欲望と功名心に突き動かされ、三人の魔女たちは彼を絶望へ駆り立てたのだ。
僕たちは固唾をのんでマクベスと三人の魔女たちのやりとりを湖のほとりで耳をそばだてて聞いていた。
「いずれティル・ナ・ノーグの王ともなられるお方だ!」と第一の魔女が言った。
「よう戻られた」と第二の魔女が言った。
「世界を統治しているティル・ナ・ノーグ。聖剣を手に入れて世界を思うままに支配するのだ」と第三の魔女が言った。
*****
「ティル・ナ・ノーグの王!」と僕は叫んだ。
「インヴァネスの王の間違いじゃないか?」と言ってロブも血相を変えた。俺はこの物語、ちょうど先週学校の授業で学んだばかりだ。
「仮想現実と現実の世界が少しずつ重なり合って現実の世界に影響を及ぼし、異変を起こし始めているのかも知れない。まずいな」とジョウが言った。
「でも、ここはVRの仮想空間の世界よ。現実の世界とリンクしていることがあってもここは現実とは切り離された異次元の空間だから心配ないはず」
自分を納得させるようにケイは口を挟み難色を示した。しかし、VRが本当に現実の世界に浸食を始めているのではないかという疑念を振り払うことは出来なかった。
「覚醒しないただのゲーム、あるいは悪い夢でも見ているのだろうか。それとも本当にディナ・シー族の言うとおり現実に影響を及ぼし、危険が迫っているのだろうか……頭が混乱してきた」と言って僕は頭を振った。
「ディナ・シー族風に言えば、俺たちはこのゲームを終わらせなければならない。そしてティル・ナ・ノーグのドルイドの王が言うように悪の手に聖剣が渡るのを阻止しなければならない。シンプルに考えようぜ」
ロブは気を取り直してきっぱりとした口調で言った。
「そうだね」と言ってジョウは頭を縦に何度も振った。
「ここで僕たちがするべきことは、魔女にそそのかされたマクベスを倒しフィンマックールの剣を手に入れることだ」と言ってロブ、ジョウ、ケイに再確認した。
「でも、マクベスはフィンマックールの剣を狙っているの? ただティル・ナ・ノーグの王になりたいだけじゃないの?」とケイが言った。
「ティル・ナ・ノーグの王に君臨するには聖剣が必要なんだよ。だからフィンマックールの剣を手に入れようと思っているはずだ」と言ってロブは念を押した。
「あ、そうだったわ」
「マクベスが三人の魔女にそそのかされる前にどうにかするべきだったがもう遅い。マクベスよりもあの三人の魔女をどうにかしたかったんだが。それにしても、あの三人の魔女がひっかかるんだ」
「どうして?」と僕が尋ねるとジョウはこう返した。
「三人の魔女はケルト神話の三位一体の存在ではないかと考えているんだ。ケルト神話の世界で栄華を誇っていた三人の神が零落し、この世と直結した異世界で人間の生活と深い関わりを持ち、超自然的な驚くべき力で人間を背後から操っているのではないだろうかと」ね」
ジョウはニューグレンジの巨大遺跡の前で意識を失ったことや湖水地方の森の中で飛来石が降ってこと。魔法円を行って方向感覚をなくし不気味なカラスに襲われたことなどを僕たちに話してくれた。そして、復活祭の日、そこで目にした石碑に刻まれていたシンボルは天地創造を示す四大シンボルで、天使の言葉と称されるエノク文字だったと。
僕はこれまで体験した一連の出来事やジョウの話を考え合わせると、ディナ・シー族の言うように異世界はこの世とリンクし、人間の思いや考え方に同調して影響を及ぼしているのではないだろうかと思い始めていた。もしそれが事実だとすれば、感情レベルで物事を考えネガティブな感情をまき散らしていると……。人間のネガティブな感情は異世界の零落した住人と感応し、世の中の秩序は乱れ、社会は混沌とし、摂理や法則から過ちを犯すのだ。僕たち人間は宇宙の大きな摂理の中で生かされているのだから。
第四章
霧が立ちこめる薄暗い湖のほとりで僕たちは火を起こして暖を取っていた。荒涼として人気のない侘しい場所だ。湖の周りは暗い森になっていて、夜になると敏捷な獣が森の中をうごめいている。まだ午後四時なのに夕闇のようなどんよりした不気味な空があたり一面を覆っていた。霧の切れ間から遠くに暗い色をした一帯の山脈が見え、時折、背後の灌木の草むらに絡みついている四足歩行の狐がのそりのそりと歩いていた。
「スコットランドの伝説とは、魔力を秘めた剣、槍、釜、そして運命の石がこの地に眠っているという言い伝えだ。中でも四大聖剣の一つであるケルト神話のフィンマックールの剣は未だに見つかっていない」とジョウが言った。
「スコットランドはケルト文化が根付いているし、運命の石ってアイルランドからスコットランドに持ち込まれた石だよね」とケイが言った。
「ああ。アイルランドからスコットランドに持ち込まれた石だが、中世時代イングランドに戦利品として奪われてしまった。しかし、現在はスコットランドに返還され、エディンバラ城に保管されているはずだ」
ジョウはアイルランドでの奇妙な出来事を思い出しながら時々頭をかいた。
「運命の石って、あのアーサー王伝説で有名な石? 石に刺さっていたエクスカリバーはどうなったの?」と僕は疑問に思った。
「アーサー王が死んだとき、エクスカリバーは湖の中に投げ込まれて湖面から腕が出てその剣を受け取ったという話だ」とジョウが返した。
「それじゃあ、エクスカリバーは湖の底だな」とロブが言った。
「それは分からない。この剣も行方不明だ。しかし、この湖にエクスカリバーが投げ込まれたのではないかと俺は思っている。そうだとすればここはアーサー王伝説で有名な異界の湖であり、湖の女王や妖精などがいるはずだ」
「あの三人の魔女もね。そしてここは異界の入り口よ」とケイが言った。
「僕もケルト神話の霊妙な石説があるのは聞いたことがある。でも、四大聖剣にはエクスカリバーの記述がないよ。だからエクスカリバーは湖の底に沈んでもうなくなったんじゃないの?」
「エクスカリバーこそペンタグラムの剣あるいはフィンマックールの剣かも知れない。ただ、オガムの書に書かれていた剣の中にエクスカリバーが入っていなかっただけだ。この剣がペンタグラムの剣のように消滅したのか行方不明なのかは謎だしね」とジョウが仮説を唱えた。
「あの大道芸人アーサーが忽然とジョウの石を消したように、平安時代の京都から時空を経て中世ヨーロッパのスコットランドに剣が物品移動したのかも知れないわ。ただその時代や場所によって剣の名称が変わってきただけで」とケイは推測した。
「槍と釜は?」と僕は続けた。
「この湖の底に眠っているかもね」とケイが笑みを浮かべた。
「とにかくマクベスや魔女もフィンマックールの剣を狙っている。世の中には伝承で語られている魔力秘めた剣が他にもたくさんあるし、ここがケルト神話の地であるならばフィンマックールの剣が眠っていてもおかしくないはずだ。フィンマックールの英霊を召喚することも可能かも知れない」
「それは危険だよ! 戦死者の霊を呼び出すなんて!」と僕は叫んだ。
「しかし、相手は三人の魔女とマクベスだ。奴らも色々と魔術を使って挑んでくるに違いない。危険が伴うが超自然的な力を借りるしかないんだ」とジョウは神経質そうに言った。
「うすうす俺たちの行動には気づいているはずだ。予知能力か何か使ってね」と言ってロブもご託を並べた。
しかし、気の小さい僕は最後まで悪態を突いていた。ケイは森の中で魔方円を行ったときのように何か起きるのではないかと内心ひやひやしていたみたいだ。ジョウが一番そのことを悟っているはずなのに、きっともう一度超自然的な力を使ってみたいのではないかと感じていた。
そのとき、森の中から老人らしき人影が見えた。白い顎髭を生やし、ずんぐりした小太りの男だ。長袖の白いシャツにケープを羽織り、胸元にはブローチ。大きな釜を抱えて、オークの大木の前に立っていた。
「湖のほとりの大木の下に眠る魔法使いの文言によれば、魔力を秘めた四つの道具がケルトの地にもたらされた剣、槍、釜、運命の石。湖や森の中には異次元への扉が隠されている」
「あなたは誰ですか?」と僕は丁寧な口調で尋ねたが名前は教えてくれなかった。
「ただの森の住人だ。しかし、魔力を秘めた釜を持っている。この釜は湖から大漁の魚、森からたくさんの木の実、果物、野菜が無尽蔵に出てくるから食べるものに困ったことはない。便利な釜だ」と言って高らかに笑い飛ばした。このとき僕たちは(これが魔力を秘めた釜なのか!)と悟ったが、剣と槍のことは不可解だった。
「もしかして、ダーナー神族のことでは?」とジョウと久美が顔を見合わせて言った。
「その通り。アイルランドにもたらされて、今ではこの地に眠っている」
「僕たちはフィンマックールの剣を探しているんです。もしかしてご存じですか?」とさらに続けると、白髭の森の住人は目を細めて遠い過去を思い出すように答えた。
「フィンマックールはケルト騎士団の一人で文武に長けていた青年だったが派閥争いに明け暮れていた。高潔な人物で知恵もあり、狩猟生活をしながら各地を転々として勢力を拡大していったのだがそれが仇となり、闇のドルイドに命を付け狙われるようになったのじゃ」
「闇のドルイド?」と僕たち四人は一斉に声を上げた。
「ドルイドも大きく二つの派閥があってな、ケルト人社会に政治的・社会的影響力を持つ正統派の魔術師たちと、闇組織の魔術師たちじゃ。闇組織のドルイドたちは陰謀を企み、ときの王に奸計を働いてフィンマックールを転覆させたのだよ。フィンを倒したセタンダは槍使いの名手でもあった。フィンマックールとセタンダの世紀の対戦から、フィンマックールの剣とセタンダの槍は伝説となったのじゃ」
「フィンマックールの剣は今どこにあるの?」とケイが尋ねた。
「湖のほとりにあるオークの大木に眠っている魔法使いがを封印したんだ」
「どこに?」
「ここだ」と言って大木を指さした。
「つまり、大木に眠っているドルイドの魔術師とともに永眠しているのね」
「それじゃあ、運命の石に突き刺さっていたと言われているエクスカリバーは?」
「湖の底に眠っているに違いないが、行方不明だ」
「やっぱり!」と僕は声をもう一度上げた。
「僕たちは今、フィンマックールの剣が必要なんです。どうすればいいですか?」
懇願するような強いまなざしで尋ねた。
「それは難しい。フィンの剣は魔術師がフィンの無念と一緒に封印しているからだ。フィンの剣にはフィンの魂が宿っているからな。そういえば、一週間前、インヴァネスの領主マクベスも君たちと同じようにわしにフィンの剣を尋ねてきたな。何か嫌な予感がする。英霊を召喚するようなことをしなければ良いが」と言って森の住人は押し黙った。
「やっぱり眠っている戦死者を呼び起こすのは危険なんだよ!」と僕は強い口調で唱えた。
「フィンを召喚するということはセタンダも一緒に召喚することになるからだよ」
「どういうこと?」
「二人は相打ちになってともに戦死したんだ」
第五章
「インヴァネスの領主マクベス、よう戻られた」と第一の魔女が言った。
「いずれティル・ナ・ノーグの王ともなられるお方だ!」と第二の魔女が言った。
「その前に、フィンマックールの剣が必要だ」と第三の魔女が言った。
「英霊たちを召喚しよう」と三人の魔女が叫んだ。
*****
僕たちは湖のほとりにある大きな廃墟の岩陰に身を潜めてマクベスの行動を伺っていた。マクベスは一人でいたが、天を仰いで誰かと会話をしているみたいに見えた。しかし僕たちの目には何も見えなかった。もしかしたら超自然的な力と交信しているのではないかと思えた。声高々に「消え失せた! ただの幻か!」と意味不明な言葉を口走り、落ち着きのない様子で髪を振り乱し、なりふり構わず叫んでいた。思いがけない栄進と将来を約束された王位の座。魔女たちの誘惑に心奪われて激しい鼓動が胸を打ち、自身の破滅に向かって歩いていた。善悪の判断を誤り、危険な賭に出たのだ。その手には呪われた冷血漢の槍。どす黒い色の血しぶきがしたたり落ちている。「万歳! スコットランド王!」と王位簒奪者が猛り狂ったように叫んでいた。そう、マクベスは三人の魔女の計らいによりスコットランド王を惨殺したのだった。そして、世界を統治するティル・ナ・ノーグの王に狙いを定めていた。
「おい、フィンマックールの剣はどこだ! 俺は世界を征服するのだ!」と愚かにも裏切りなどなにも知らずに苦しい境涯に陥っていた。
「闇夜の手先ども。血みどろの手で悪事を働かせたな! 辛辣な暴君にはまだ魔の手が及んでないぞ。百戦錬磨の名将マクベス様だからな!」
僕たちの目には、マクベスはまるで一人芝居をしている滑稽で哀れな役者のように見えた。つり上がった目は血走り、うつろで瞬きもせず舞台の上で錯乱しているようだった。
憤怒の鬼のような顔をしたマクベスは、僕たちに気がつくと復讐の炎を燃え上がらせているような口ぶりで「俺はスコットランド王を倒したセタンダだ! フィンマックールはどこにいる、今度はお前の首を取ってやろうじゃないか!」と頭を揺らしながら落ち着きのない様子で悲憤慷慨していた。
僕たちは恐れおののいた。マクベスは自身を「セタンダだ!」と名乗ったからだ。僕たちは三人の魔女が英霊を召喚したんだと悟った。
そのとき、一陣の風が吹き起こり、闇を切り裂くような雷鳴が鳴り響いた。空はどす黒い闇に覆われていた。しばらくすると雨がざあざあと降り出し、滝のように岩肌を滑り落ちていた。
「返事をしないか、フィンマックール!」
するとマクベスは遠くにいた僕たちに向かって突進してきた。僕は急いでこの場を逃げ去ろうと思いロブの腕を引っ張ると、彼の様子がおかしいことに気がついた。ロブの目の焦点は定まらず泥酔でもしたかのように呂律が回っていなかった。
「ふ、ふい~る」
「どうしたんだよ!」
「お、俺は何者だ?」
「ロブ、しっかりしろよ!」
「森の住人が言っていたように、三人の魔女がフィンマックールとセタンダの英霊を召喚したんだ!」とジョウが血相を変えて口走った。
「目を見れば分かるわ。憑依状態よ。マクベスにはセタンダ、そしてロブにはフィンマックールの英霊が乗り移っている!」とケイが続いた。
「どうしよう! だってロブは剣遣いじゃないんだよ!」と僕は泣き出しそうな声を出した。
「俺の武器は槍だから、ロブの援護するよ」
「でも、ジョウの槍ってまだLV1よ! 相手はセタンダだから勝ち目はないわ。私の剣は四神聖獣が記されたLV5の護身剣。時の天皇の身を守護した剣よ。私も援護するわ」
「僕の剣だってルーン文字入りの名剣グラムだから鋭い切れ味だ」
「よりによってロブに英霊が召喚されるなんて! 畑違いだ!」とジョウが嘆いた。
マクベスは猛り狂ったように我を忘れ、槍をつかんで襲いかかってきた。僕たちとは距離があったので、振り回して突撃してきたが難なくよけることができた。そう、マクベスも本来なら槍使いではないのだ。大型の槍ゆえ接近戦では逆に不利になることが多いのだ。槍を習得するのは困難であるし、マクベスは僕と同じように元々は剣士なのだから。だからセタンダだからと言ってひるむことはない。
「積年の恨み、晴らしてやる!」
マクベスは槍を振り回しながらロブに向かって鋭い穂先を向けた。
「受けて立とうじゃないか!」とロブも返したが、類い希なる知恵と武術を持つフィンマックール本人のような勇敢さには少々欠けていた。やはりどこかロブらしさが残っているのが分かった。それはマクベスにも言えることだった。ロブは背中からクロスボウを引き抜いて構えた。マクベスは腕を思いっきり後ろに引いて勢いよく槍を手から放った。槍はまっすぐにロブに向かって飛んでいき、鏃が突き刺さりそうになった。しかし、ロブの放った連射式のクロスボウと相打ちになり、するどい金属音を空中に鳴り響かせながら地面に落ちた。ジョウは状況を察するとすぐにロブに駆け寄ってマクベスの持っていた槍を拾い上げた。そして自分の持っていたLV1の槍と交換したのだ。
「これで俺の槍も一気にLV4のゲイボルグにレベルアップしたぞ」
癇癪を起こして手のつけられなくなったマクベスは、腰から剣を抜いた。
「ロブ、俺の剣を使え!」
僕は鋼のショートソードをロブにそっと投げ渡した。ロブにはフィンマックールが憑いているのだから剣で戦えと言ってロブを鼓舞した。すると、不思議なことが起こった。ロブが受け取った鋼のショートソードは流星のかけらで出来た名剣に変身した。すると心なしかロブの顔にも変化が起こり、フィンマックールのように精悍な表情になった。激しく降り注いでいた雨はいつの間にか小雨になっていたが、剣の柄を握る手は汗と雨で滑りやすく、泥土に足を取られそうになった。
「マクベス、お前は一人で四人を相手にするつもりなのか? 気でも狂ったのか。勝ち目はないぞ」とロブが怒鳴り散らした。
「俺には三人の魔女が味方についている」
「三人の魔女はお前を地獄に突き落とすつもりだ。目を覚ませ」
「貴様もティル・ナ・ノーグの王の座を狙っているのだな!」
「何の戯言だ! 身の程知らずなやつめ!」
「スコットランド王 万歳!」と第一の魔女が言った。
「いずれティル・ナ・ノーグの王ともなられるお方だ!」と第二の魔女が言った。
「その前に、フィンマックールの剣が必要だ」と第三の魔女が言った。
「こいつら全員殺してしまえ!」と三人の魔女が一斉に叫んだ。
すると突然、三人の魔女は一つになり大竜ファヴニールに変化した。白くて鋭い牙をむき出しにして地響きを立てるような勢いで僕たちに向かってきた。
「ファヴニール! お前だったのか。また人を欺いて剣を付け狙っていたんだな!」と僕は怒りをあらわにした。ファヴニールはマクベスを殺してフィンマックールの剣を横取りするつもりだったと分かった。ファヴニールは不気味な笑みを浮かべて「人間とはなんて愚かな生き物なんだろう」と冷酷に言った。
「血を流したいのだな!」
マクベスが驚愕の表情でしたたり落ちる汗を拳でぬぐった。
「大いなる神の御心にゆだねる前に、この反逆者ファヴニールを仕留めなければならない」
「スコットランド王暗殺で万事が片付いた。血なまぐさい悪事をそそのかした因果の裁きは俺様が下してやろう」
ファヴニールの微笑の陰には鋭い眼光と剣がきらめいていた。
「これじゃあ、三つ巴だ。ファヴニールのような二股膏薬を当てにできるものか!」
僕はファヴニールのような裏切り者に舌を巻き、同時にマクベスに対して毒気を抜かれてしまった。
「一泡吹かせてやる」と言ってマクベスは傲然と剣の構えをした。
「愚か者、死ぬ前の灯火で地獄への道程を照らしてやろう」
「この二枚舌の悪魔め!」
「見境のない放縦、荒廃した人格と強欲さ、煉獄の劫火に焼かれてしまえ!」
ファヴニールはマクベスに襲いかかった。異常な目をして興奮した大竜は鋭いかぎ爪を立ててマクベスの体を切り裂き、肩から鮮血がしぶきをあげた。マクベスは膝を突いて地面にひれ伏して苦悶のうめき声を上げた。大竜は体勢を変え、白い牙を剥き出しにして容赦なくマクベスに襲いかかった。マクベスは上体を起こして立ち上がり、剣を大竜に突き立てたが、リチャードやスカーレットと同じように剣のブレードが折れてしまった。普通の剣ではこのファヴニールを倒すことはできないのだ。マクベスは恐怖心で苦しみ喘いでいた。
「うぬぼれこそが運命を天秤にかけ、心を惑わせて破滅の道に誘う。神の恵みも分別も乱心で死の淵に引きずり込むのだ!」
ファヴニールはマクベスを罵り、その死を嘲った。マクベスの体をずたずたに切り裂き、大竜の牙で心臓をえぐり、とどめを刺した。
「森の住人の釜にぶち込んでやろう!」と言ってファヴニールは高らかに笑い飛ばした。その牙にはマクベスの血がしたたり落ちていた。
ファヴニールはマクベスを仕留めた後、僕の持っていたルーン文字が刻まれた名剣グラムに目を向けた。剣は光を放ってファヴニールを待ち構えていたが、あの日と同じように大竜は雲散霧消、闇の中に消えてしまった。
第六章
マクベスが死んでファヴニールが闇の中に消えてしまうとロブは正気を取り戻し、いつものロブに戻った。鋼のショートソードは流星のかけらでできたフィンマックールの剣に転生し、錬金術で流星のかけらの一部が金属に精錬されており、ブレードに鮮やかな緑を帯びたエメラルドが埋め込まれていた。西洋中世では、世界の万物は四大エレメントから構成されていると考えられていたため、物質等の組成を人為的に変えて別の物質に変化させることが行われていた。錬金術は物質を別の物質に造り出す金属変成のみならず、罪ある人間が完全無欠の人間に転生するという神秘的な思想も包含していた。
僕たちは魔法使いが眠る湖のほとりのオークの大木の下でフィンマックールの剣の話で持ちきりだった。
ケルト神話の伝説である魔力を秘めた四つの道具とは、剣、槍、釜、運命の石である。魔法の釜を持つ森の住人の話によると、フィンマックールの剣に埋め込まれていたエメラルドは頭が冴え、予言の力を持つという言い伝えがある。ロブはフィンマックールのLV4の魔剣、ジョウはゲイボルグのLV4の魔法の槍をここで手に入れることが出来た。
「ケルト神話に出てくるダーナー神族は、草に覆われた丘や水の底に居住し、次第に体が小さくなって妖精になったから、この周辺に妖精がいてもおかしくないはずだ。姿を消したまま地上に出てきたり、人や動物に変身したり。神々は永遠に生きているんだからね。きっと俺たちのことをどこかで見ているはずだ」
ジョウはアイルランドの”妖精の丘”と称される場所で遭遇した妖精に思いを馳せていたように見えた。
「実際、僕たちは妖精のディナ・シー族と出会ったし、ティル・ナ・ノーグにも招かれた。妖精たちの地下の住処なんだよ」
「それにしてもこの剣に予言の力があるなんてすごいな!」とロブが息を弾ませた。
僕たちがこの剣を見つめていると、自然と心の中に何かがわき起こってくるような感じがした。
「残るはペンタグラムの剣だ。ケイが指摘するように、時代や場所によって剣の名称が変わってきたと思っている。京都の破敵剣から時代を経てペンタグラムの剣と呼ばれるようになった。もしかしたら行方不明のエクスカリバーがペンタグラムの剣である可能性も高い。アーサー王の命で剣はこの湖に投げ入れられた・・・・・・」
ジョウは大切なことを急に思い出したかのような口ぶりで顔を赤くした。
「あ! もしかして!」
「どうしたの」と僕がきょとんとした表情で言った。
「いや、古代ケルト人は神に対する畏怖の念を抱いていて、泉に馬を生け贄として捧げ、剣や盾などを投げ入れていたんだ! そうか!」
僕はまだうまく話が飲み込めていなかった。
「で?」
「ローマにある有名なトレヴィの泉って知っているか? 古代では剣や盾だが、現代ではコインを投げ入れる習慣に変わっていったんだ。もしかしたらペンタグラムの剣はローマの地にあるのかも知れない」
「もしかして、これがフィンマックールの剣の予言の力なのかも知れないぞ」と言ってロブも打って出た。
「ブリジットに言われたんだ、ケイ。ローマやギリシャに行くときは気をつけろって」
「ブリジットって誰?」
僕とロブは話が見えなかった。
「幽霊というか不思議な存在で、以前、夢の中で出会った女性なんだ」
「不思議な話だね」
「世の中は神秘に満ちている」
そう言うとジョウは立ち上がり、フィンマックールの剣や妖精に思いを馳せながらオークの大木にそっと手を当てた。するとジョウは木の中へ吸い込まれるようにして姿を消した。僕たちはジョウが姿を消すと(この大木も異世界への扉なんだ!)と悟った。「さあ現代へ帰りましょう」とケイが言ったので、僕とロブも彼女の後に続いて現代のノッティンガムへ戻ることにした。
第三部終わり




