第二部
ヴァーチャル・リアリティ(2)
第一章
僕とロバートはVRの世界から日常の世界に戻ってきた。時刻は午後四時五十八分。ちょうどマーティンのパソコンに電源が入り、パソコンのモニターにログインパスワードを入力する画面になっていた。マーティンの机の引き出しには消えたはずのVRに関するノートがきちんと元に戻っていた。ゲームに参加する前となんら変わらない。頭に装着していたHMDもTVの前に置いてあった。ただ一つ違う点は、腕に装着していたNRWの記録はゲームをプレイしたときの初期設定、レベル、魔道具の武器、装備、アイテム、スキルなどはそのまま引き継がれていた。そのため、実際にVRの世界にいたことだけは実感できた。
しばらくすると、階段を誰かが上がってくる足音が聞こえ、マーティンが部屋の中に入ってきた。
「おい、お前たち! 勝手に俺の部屋に入って何をしていたんだ!」
マーティンは、強い口調で僕たちを尋問するかのように言った。そして部屋の中をぐるりと見回した。目線を机の上に向けると「ま、まさか、無断でVRのプレイしたのか!」と声を荒げ、顔を赤くした。
「ごめんなさい。でも、マーティンには驚くような話があるんだ! だから怒らないで」と僕は視線を床に落としてバツが悪そうに答えた。
「すごい発見をしたんだ! VR開発者の兄さんには吉報だよ!」
ロバートは悪びれる様子もなく意気揚々としていた。
「ほら、見てよ! NRWの記録は俺たちが実際にVRの仮想現実の世界へ行ったことの証明だ」
ロバートは腕に装着していたNRWを外してマーティンに手渡した。
「この記録が何の発見と繋がっているんだ?」
「嘘みたいな話だけど、僕たちはVRの世界でディナ・シー族という妖精に出会った。そして彼等が言うには、緑の丘、海、湖、沼、泉、森などの自然界はすべてティル・ナ・ノーグに繋がっていて、この星には神々が住まう四つの世界と一本の世界樹があると。そして僕たちがプレイしたVRは、実は幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグへの入り口だと分かったんだ!」
「兄さんの開発した『ロビンフッド・冒険の旅』だけど、プロットに妖精を入れていたの?」
「いや、妖精は入れてないぞ」
「おい、フィリップ。妖精はコンピューターウイルスみたいに兄さんの開発したファイルに侵入して、バグったんだ」
「妖精に出会って、バグった? 何の話だ?」
マーティンは素っ頓狂な様子だった。僕たちはプレイしたときの細かな話をマーティンに説明した。妖精が登場するところ以外、彼が開発したプロットとほとんど同じだった。ゲームのストーリーにはディナ・シー族やティル・ナ・ノーグは登場しないことが分かった。
「興味深いな。その妖精が言うにはフィリップが獲得した写本は『オガムの書』というもので何か重要な手がかりが書かれているんだな」
「うん。でも古英語みたいで読めないんだ。だからマーティンの助けを借りたい。この文書を翻訳してくれる?」
「NRWの記録は自動的にパソコンのHDにセーブされる。セーブされているフィリップのファイルを機械翻訳にかければすぐになんて書いてあるか分かるさ」とマーティンが言った。彼はすぐにキーボードをカタカタと叩いてファイルをクリックし、写本を翻訳ツールにかけてくれた。写本は非常に薄かったのですぐに翻訳が完了し、ファイルを開いて読み上げてくれた。
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①我々はディナ・シー族(妖精族)で、全妖精界に君臨するものである。
②我々はシー(妖精の丘)に住み、ティル・ナ・ノーグ(常若の国)に仕えている。
③緑の丘、海、湖、沼、泉、森などの自然界はすべてティル・ナ・ノーグに繋がっていて、我々は魔術、占い、予言ができる妖精だ。
④万物は四つのエレメントである風、火、水、地から成り、我々は自然界を支配し、思うままに操れる。
⑤世界を統治しているティル・ナ・ノーグ。この星には神々が住まう四つの世界と一本の世界樹がある。
⑥ここは幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグへの入り口。神殿の玉座に座する魔法使いの王は、自由に魔法を操り、魔法の杖、魔法の馬、魔法の剣を持っている。一角獣の馬が海岸線を駆け巡り、良質な葡萄を栽培してワインを作り、外的から国を守る砦の史跡がある。君たちはこの国を守る義務がある。
いずれ、この文書が誰かの手に渡り聖剣を求める者が表れるだろう。ティル・ナ・ノーグに住む世界の神々を支配する王は、世界に散らばった四大聖剣の行方を捜している。
・グラム
・護身剣
・ペンタグラムの剣(破敵剣)
・フィンマックールの剣
第二章
僕たちは週末、マーティンと一緒にロンドンにある英国国立図書・博物館に足を運ぶことにした。ノッティンガムからロンドンへは電車で片道一時間半ほどのため日帰りで決行した。ロンドンのセント・パンクラス駅には午前十時半に到着した。駅を出てすぐに英国国立図書・博物館へ向かい、館内へ入った。土曜日のためロンドンの大学に通っている学生のほか、観光客も大勢いて混み合っていた。僕はパンフレットを手に取り、館内の地図を目当てに古代・中世・近代文書・文学集の展示ブースがある二階へ向かった。
「あ、ここだ」と僕は言った。そして目を皿にして、綺麗に磨かれたガラスのケースを眺めた。古代から近代までの歴史的文献や文書が大事に保管されている。原書は展示してあり眺めることしかできないが、一部レプリカとして複製されたものは有料でコピーしてくれるサービスがある。
「フィリップ、ロバート。見つけたぞ。ほら、オガムの書と書いてある」と言ってマーティンが指さした。
「僕がNRWに記録したものと一緒だ!」
「やっぱりディナ・シー族が言うように、俺たちが住むこの星は、本当に幻想と現実が交差している空間なのかも知れない」
「す、すごい発見だ! 俺の開発したVRの世界と現実がリンクしている!」とマーティンは言った。彼はガラスケースの中に展示してあるオガムの書を見つけるや否や、暫くの間へばりついて離れようとしなかった。彼は血湧き肉躍り心が高ぶっていた様子だった。僕たちはオガムの書が現実に存在することが分かって手を取り合い、勝利の美酒を味わった。仮想現実の空間と現実がリンクしているという大発見をしたからだ。近くにいた観光客は何事か、といった様子で僕たちを見つめていた。
その後、僕たちは図書館に所蔵してあるオガムの書に関する文献を漁ることにした。博物館と図書館は渡り廊下を介して繋がっていた。階段を上がって渡り廊下をわたり、図書館の建物へ移動した。
「書棚には凄い数の本が収納されているな」とロブが壁一面を見渡していた。
「パソコンで検索しよう」とマーティンが言った。館内に置いてあるパソコンのマウスでスクロールし、キーボードに「オガムの書」と入力した。するとちょうどこの階の右手奥の棚に置いてあると分かった。僕たちは何冊か目星をつけた本を手分けして読み漁った。
「ねえ。これ、読んで」と僕はマーティンとロブに言って本を手渡した。本の表紙には「世界に散らばった四大聖剣」と書かれてあった。NRWや博物館に展示されているオガムの書と同じように、四つの聖剣に関することだった。それに加えて行方が分からない剣のことについても触れてあった。
「グラムは北欧神話に出てくる名剣グラムのことで、護身剣や破敵剣は日本の平安時代に鋳造された霊剣。破敵剣は別名ペンタグラムの剣とも呼ばれている。平安京の内裏で火災が起きた際に紛失してしまった。その行方は今も謎に包まれている。フィンマックールの剣も行方が分からないが、ケルト神話が由来だということは分かっている」
「名剣グラムは僕がVRの世界で見つけたぞ。きっと現実の世界でもどこか……たぶんデンマークに展示されているはずだ。すると護身剣は日本だ」
「じゃあ残りの剣はどこにあるんだ?」と言ってロブが腕を組んだ。
「そのヒントはある文献に隠されているらしいと、まことしやかに囁かれている」
僕は続けた。
「作者不明でいつの時代に書かれたものかも分からない。でもその本には剣のことが書かれているみたいなんだ。きっとこの行方が分からなくなっている剣と関わりがあるのかも知れないと専門家は話している」
「しかし、護身剣は日本に存在していると分かっている。日本の文書や文学を漁ってVRの世界へ再アクセスすれば手がかりが分かるかも知れない」
マーティンが目を輝かせていた。
「やっぱ、頭いいな。マーティンは」とロブが膝を叩いた。
そして僕たちは再び館内に設置してあるパソコンにキーワードの「日本、平安時代、剣」を入力して手がかりになりそうな本を検索した。
第三章
僕とロバートとマーティンの三人で手当たり次第、オガムの書を解明する手がかりになりそうな文献や作品を探したが見つからなかった。一度は落胆したが、マーティンの提案で日本の京都にある神社に直接連絡を入れて護身剣のことを尋ねてみることにした。もしかしたら何か打開策があるかも知れない。ネットで護身剣と繋がりのある神社のことを検索してみると、京都市右京区のとある神社と関係があることが判明した。幸いにもネット上に神社のホームページがあったのでそこから問い合わせをすることにした。神主は女性で「シズコ・モトムラ」。平安時代にさかのぼる陰陽師の末裔であるらしい。一週間ほどしてからマーティン宛てに返信があった。
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マーティン様
イギリスからお問い合わせありがとうございます。
当神社の歴史や由緒ある剣についてご興味を抱いて頂き大変光栄でございます。
元村派陰陽道の始祖である元村清彦が平安時代宮廷に仕えていた際、内裏が出火して二本の剣が消失してしまいました。出火後、しばらくしてから幸いにも護身剣は見つかりましたが、もう一本の剣は今でもどこへ行ってしまったのか分かっておりません。護身剣は我が家先祖代々の家宝として大事に保管しております。
元村静子
追伸:
当神社の巫女である土方久美という者がロンドン在住でございます。何かございましたらそちらへ直接お問い合わせください。
メールアドレス kumi.Hijikata@london.XXXXX.com
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マーティンから神社からの返信内容を聞かしてもらったが、わざわざ日本に出向かなくてもロンドンで神社と繋がりのある「土方久美」という女性と連絡が取れると分かった。僕たちは元村静子を介して土方久美と連絡を取ることにした。マーティンが言うには、彼女はロンドンでアマチュアの作家らしい。日本に帰国すると神社や元村静子の手伝いをしていると話している。僕たちは一度直接会って話がしたいとメールをしたら、彼女の方も僕たちが興味を抱いている「オガムの書」について関心があると言っているので、今月末にロンドンで会おうことにした。
僕たちは久美から教えてもらった住所と地図を手にして、セント・パンクラス駅で地下鉄に乗り換えてコヴェントガーデン駅に向かった。駅を出ると多くの人で道はごった返していた。知り合いがショップのオーナーだという「アリスのガーデン」で話をすることにしたのだ。
駅から十分ほど歩いて店に到着すると、オーナーらしき女性と日本人女性の久美が僕たちを出迎えてくれた。店内はさほど大きくないものの、オーガニックの商品が並べられていて、清潔感が溢れていた。店の奥にある部屋に通されると僕たちはテーブルに着席し、コーヒーをご馳走になった。
「それで、オガムの書とは一体どんなものなの?」
久美がマーティンに尋ねた。久美は留学生としてロンドンに滞在していたが、今では大学を卒業し、この店でアリスと一緒に働きながら創作活動をしていると話していた。久美は日本語混じりの英語を話していたが会話にはまったく問題がなかった。黒髪のショートヘアでボーイッシュな印象だ。
「私はノッティンガムの大学に通う学生ですが、学生の傍らVRゲームの開発をしています。先日、私の試作品をこの二人がプレイしたところ不思議な体験をし、その謎について現在解明をしているところです。ゲームはヴァーチャル・リアリティと言って仮想現実の世界で私が制作したゲームのプロットを元にゲームをプレイします。VRの世界は現実とはかけ離れたゲームの中における仮想空間なのですが、この二人がプレイ中に仮想現実と現実の世界が実際にリンクしていることに気づいたのです。なぜならば、私のプロットには出てこないディナ・シー族という妖精が現れ、現実と仮想が交差したこの場所は、ティル・ナ・ノーグという異世界の入り口だと言っているのです。ゲーム中に獲得した魔道具に「オガムの書」が出てくるのですが、この内容が現存する原本と一致しました。また、ディナ・シー族がフィリップとロバートに話していたことが、オガムの書にもきちんと言及されています」
マーティンは一通り手短に事情を説明した。
「不思議な話ですね。お話しているオガムの書と妖精ですが、なぜ久美の神社と関係があるのかしら?」
金髪碧眼のアリスはカップに注がれた紅茶を一口すすった。
「はい。オガムの書にはディナ・シー族とティル・ナ・ノーグのほかにも世界に散らばった四大聖剣についての記述もあるんです。そのうちの一本が護身剣でした。その剣は久美の叔母である静子が管理していると分かりました。これも仮想現実と現実の話が実際にリンクしているということの証明です」
「凄い話ね。それであとの三本はどんな剣なの?」
久美が目を輝かせた。
「グラム、ペンタグラムの剣、フィンマック-ルの剣です。グラムは北欧神話由来でデンマークにあります。四本のうち、二本の剣の所在は分かっていますが、ペンタグラムの剣(別名:破敵剣)とフィンマックールの剣が行方不明となっており、私たちはこれらの剣とオガムの書との関連を調べています」
「ペンタグラムの剣って……破敵剣のことなの!? 叔母が話していた火事の際に消失した剣は二本あって、一本は護身剣でもう一本は破敵剣だったの! ペンタグラムの剣も実際に行方が分かっていないのね。本当だ。マーティンの言うとおりだわ!」
「凄い話になってきたね、マーティン! ペンタグラムの剣と破敵剣は同じ剣のことを指している。どちらも実際には見つかっていない」
僕は驚きを隠せなかった。
「俺たちは先日もロンドンにきて剣に関する文献や書籍を読み漁ったけど手がかりが途絶えてしまった。専門家が言うにはある文献にヒントが隠されていると話しているんだ。だけど商業出版している書籍ではないみたいで見つからなかったんだ」と言ってロブは肩を落とした。
「そういえば、久美って創作活動しているって言っていたけど、どんな本を書いているの?」僕はまさか……と思いながらも一縷の望みをかけて言った。
「コヴェントガーデンの街角で」というタイトルで、私小説みたいな内容なの。登場人物は私や友人、もちろんアリスも登場するのよ! 商業出版はしていないけど」
「内容は?」
「私の友人がやっぱりロンドンで不思議な体験をしてね。そのことを日記みたいにして書いたのよ」
「不思議な体験?」
「あの世とか幽霊とか実際に存在するのかって話。金縛りとか幽霊談を盛り込んだの」
「あー、分かります。じゃあ久美って霊感みたいなものあるの?」
「たぶんね。幽霊も見たことあるし」
「僕とロバートも妖精見たことあるよ!」
「あ、話の中に妖精の丘と言われているニューグレンジが出てくるわよ!」
久美は忘れかけていたことを突然思い出したように言った。
「やっぱり! そこがティル・ナ・ノーグかも知れない」
僕は合点がいって膝を叩いた。
「その話に剣のこととか書きました?」
マーティンは少しぼんやりとした何かが見えてきたような予感がしていた。
「いいえ。でもケルト神話が元になっているから、フィンマックールの剣とは何か繋がりがあるかも知れないね」
「その本を借りることできますか?」
「いいわよ。自費出版して何冊か友人に配ったの。アリスの店にも何冊か置かせてもらっているから一冊持っていっていいわよ」
「ありがとう」
「また何かあったら連絡ください。私もわくわくしてきたわ」
僕たちは久美とアリスに話を伺い、久美が書いた小説をもらってロンドンを後にした。世に出回っていないこの小説こそが、妖精が話していたオガムの書の解明の手がかりになると予感がしていた。
第四章
僕たちは久美からもらった「コヴェントガーデンの街角で」というタイトルの本を基に新たなVRの旅に出ることにした。マーティンは早速本の内容をパソコンに取り込んで次回作の開発に乗り出した。要領は得ているので制作にはさほど時間がかからなかった。企画やデザインの構想はすでに練ってあったし、シナリオは手元にある。開発段階でもアプリのプログラミングやテンプレートはすでに出来上がっていた。マーティンが久美に「コヴェントガーデンの街角で」のテストプレイをすると報告したところ、彼女も参加させて欲しいと連絡が入った。体験版を公開する日、彼女はロンドンからノッティンガムまで駆けつけてくれた。
久美はミディアムショートの黒髪で、背も中学生の僕と同じくらい高く、一七0センチほどあった。普段から化粧も派手ではないので可愛らしい男の子のような印象を受けた。久美はマーティンのお母さんと軽い挨拶を交わし「VRの体験版を拝見するためロンドンから来た」と話していた。マーティンのお母さんは突然の来客で、新作が話題にでもなってインタビューでも受けるのかしら、と言った様子で嬉しそうな笑みをこぼしていた。僕たちは体験版をプレイする前に、マーティンのお母さんが淹れてくれた紅茶とビスケットをつまんで軽い談笑をしていた。
「この体験版だけど、私が書いたストーリーが基になっているの?」と久美は言った。
「もちろん。ロビンフッドのときのように又妖精が現れて何か手がかりがつかめるかも知れない。久美や久美の友達も登場するから期待していて」とマーティンが誇らしげに言った。
「私も体験版に参加したらVRの世界の自分と対面することになるのかしら?」
「そうなるね。でも名前やアバターは自分で設定できるから他人に成りすまして物語の中の自分と出会うことになる」
「なんだか楽しそう! 今日はフィリップとロバートのプレイを観察して記事を執筆しようと思っていたんだけど、私も参加しても大丈夫?」
「今回の物語は久美が執筆した作品だし頼りになる」と僕が返した。
「NRWの使い方は俺たちが説明してあげるよ」とロブも続いた。するとマーティンは机の引き出しの中から予備のNRWを引っ張り出した。
「腕に装着するタイプで、タッチセンサーで作動するんだ。ホーム画面にはメニューボタン、アバター、プレイヤー名、レベル、ヘルスポイント、コインなどが表示されている。メニューボタンにはホーム、強化、メッセージ、フレンド等の各設定ボタンがある。例えばこのボタンは魔道具を意味していて、プレイ中に獲得した武器、装備、スキル、アイテム等がここに記録される」と言ってマーティンは手短に説明した。すると久美はNRWの物珍しそうに眺めていた。
「じゃあ、早速久美のアバターを設定しよう。髪や目の色はどうする?」とマーティンがパソコンをいじりながら尋ねた。
「髪と目の色は栗色で、髪の毛はボブショートでお願い」と久美が言った。
「名前はどうする?」
「VRの中の久美と同じだとややこしいから、ケイでいいわ。ケイって中性的な名前だし私にはぴったりだと思わない?」
久美は鼻息が荒くずいぶん意気込んでいた。
「それから一つだけお願いがあるんだけど、あらかじめ魔道具のアイテムにペンタグラム(五芒星)のシルバーペンダントを入れておいて欲しいの。星の中央部分にはラピスラズリが嵌め込まれています。子供の頃から身につけているお守りなの」
「分かった。それから職業はどうする?」
「陰陽師でいいわ!」
「オンミョウジ?」
僕たちは一瞬オンミョウジってなんだろうと思って頭を捻った。
「あ、占い師にしておいて」
「わかった」とマーティンは返事をしてパソコンのキーボードを叩いた。
その間、僕たちはHMDを頭にかぶり、腕にはNRWをつけた。またVRの世界であの妖精たちに出会い不思議な旅になるかも知れないと感じていた。マーティンは僕たちがプレイする初期設定をしていてTVモニターには僕たちの姿が映し出された。場所は現代のロンドン。見慣れた場所だけれど現実とは違ったVRのゲームの世界のロンドンは僕たちの知るロンドンとは隔世の感がある。これから始まるVRのゲームに僕も久美もロバートも喜びや希望などで心を踊らせていた。
第五章
僕たち三人は現代のロンドンにいる。ケイが率先してロンドンの街を案内してくれている。ケイは日本人なのにVRの世界では僕たちと同じイギリス人のような錯覚さえする。もともと背は高いし、アバターで髪や瞳の色を変えたからだ。どこかコスモポリタン風の中性的な人物に見えた。僕たちはチューブに乗ってコヴェントガーデンまでやって来た。そう、あの日僕とロブとマーティンが久美とアリスの店を尋ねた時のように。コヴェントガーデン駅を降りると大勢の人で賑わっていた。石畳が連なる道沿いでは大道芸人がパフォーマンスをしていた。ケイはちらっと流し目でパフォーマーを見たがすぐに顔を背け、足早にアリスのガーデンに向かった。ドアを開いて店内に入るとアリスが「いらっしゃいませ」と声をかけた。僕たちは「タロットカードで占いをしているって聞いたので今から占いをしてもらえませんか?」と尋ねた。すると「なんとなくそんな予感がしていたのよね」とアリスが第六感で僕たちが今日タロット占いにやって来ることを前もって知っていたかのような口ぶりで答えた。
「久美、今からタロットに入るから店番頼むわね」とアリスが声をかけた。すると店内の奥から久美が顔を出してケイの顔をまじまじと見つめていた。「以前、あなたとどこかで会ったことがあるような気がするわ」とケイに言った。
僕は内心(そりゃ、そうだよ。だって自分の分身のようなもんだからな)と思って久美とケイを興味深く観察した。
「そうね。なんだか親近感が湧くわ。私たちなんとなく顔も背丈も似ているし、双子みたいね。私の名前はケイ、よろしくね」
「も、もしかして、私のドッペルゲンガーじゃないわよね」と久美の顔が青くなり、一瞬顔を強ばらせた。
「ドッペルゲンガーじゃないわ。安心して」とケイが快活に答えた。
この物語ではジョウという青年が自分の分身であるドッペルゲンガーと遭遇して自分の死が近いことを悟って恐怖に陥っていた。そのため、ケイは久美がドッペルゲンガーのことで極度に敏感になっていることをひしひしと感じていたので笑い飛ばして否定した。僕たちはアリスに店の奥の部屋に通されてテーブル席についた。午後の日だまりで店内は暖かく少し汗ばむくらいだった。僕とロブはタロットなどまったく興味がなく、学校のクラスの女子が今日の運勢や恋愛、金運などを知るために遊び感覚でやる低俗な占いと内心思っていた。この物語の内情をよく知るケイが口火を切って事情を話し始めた。
「実は私たち、ある不思議なことを体験してその謎を解明しようと思っているんです。ここならそういったお話をしても受け入れてもらえると思って。妖精とか魔術書、聖典、神秘主義思想など一般的にはあまり受け入れてもらえない話ですからね」
「そうね。でも私はそういった思想は否定しないわ。私の身近な人たちの間でもそういった類の話は枚挙に暇がない。ケイ、あなたたちが今日相談しに来ることもなんとなく感じていたのよ。ある文書のことじゃない? それには色々と不思議な繋がりがあるような気がするわ」
「なんで分かったの!」
僕とロブは口を揃えて言った。
「言葉では説明しづらいんだけど感じるものがあるのよ。タロットは補助的な道具であって、私の占いの本質は自分の中から湧き出てくるものがある。それをタロットと組み合わせて自分なりに解釈し、相談にのってあげているの」
僕はタロットをただの子供だましのような占いだとばかり思っていただけに、アリスが本質をついたことを言うたび心底驚いた。オガムの書のことも僕たちが言う前から分かっていたとは……彼女は本物かも知れないと感じ始めていた。
「実はある文献を偶然手に入れることが出来たのです。それには世界に散らばった四大聖剣に関する記述がありまして」と僕はゆっくりと事情を話し出した。
「ということは、四つの剣を探しているの?」
「はい。グラム、護身剣、ペンタグラムの剣、フィンマックールの剣の四本です。グラムは北欧神話が由来でデンマークにあり、護身剣は日本にあると分かりました。あとの二本はどうやら行方不明で謎に包まれています」
「護身剣が日本なのね。もしかしたら久美なら分かるかも知れないわ。ちょっと待っていて、今彼女を呼ぶから」とアリスは言った。するとアリスは大きな声で久美に声をかけて小部屋に呼び寄せた。そして僕は手短にこれまでの経緯を話して四つの剣を探していると伝えた。すると久美は開口一番、「それなら知っているわ!」と言ったので僕たちは驚嘆した。「一体どういうことなの?」とケイも口を揃えた。久美は僕の言葉に酷く驚いて耳を疑っていた様子だった。
「私の親族は代々神職で、京都の平安時代にさかのぼる陰陽師の家系でね。ある年の暮れ、神職の叔母の手伝いをするため京都へ帰ったとき先祖代々脈々と受け継がれている門外不出の奥義書のことや始祖である元村清彦のことを知ったの。その当時、平安京は日照りや飢饉などが続き長い間天災に見舞われていて、宮廷内では厄災から都を守るため陰陽師という怨霊や物の怪を封じ込める仕事をしていた者たちに祓いや占いを行わせていたの。元村清彦も陰陽師として宮廷に仕えていたのだけれど、ある日の晩、都は火災に見舞われてしまい内裏にあった二本の剣が燃えてしまったと信じられていたのね。二本の剣とは護身剣と破敵剣のことで、護身剣はその後見つかったのだけれど、破敵剣は今も行方不明で……」
「護身剣!」と僕たち三人は歓喜の声を上げた。
「それは今どこにあるの?」ケイが会心の笑みを漏らした。
「叔母の神社に家宝として大事に保管されているわ。けれど破敵剣の方はどうなったのか誰も行方を知らない」
「オガムの書の記述によると、ペンタグラムの剣とは別名破敵剣とも呼ばれているんだ。どちらの剣も行方不明のままだ。辻褄が合う話だな」とロブが続いた。
「で、破敵剣って一体どんな剣なのかしら?」ケイは頭の中でペンタグラムの剣と破敵剣を思い巡らせていた。
「叔母の話によると五芒星の文様が刻まれている霊力を秘めた剣らしいわ」と久美が顔を赤らめて興奮気味に言った。
「五芒星! それは本当の話なの?」と言ってケイは目を輝かせた。
「霊力を秘めた凄い剣みたいなの!」
僕たちは、久美の案内で急遽京都へ行くことになった。久美の叔母が神職を努めている神社に家宝として大事に保管されている破敵剣を見に行くことにしたのだ。久美も大学のタームがちょうど終わったばかりで日本に帰省しようかと考えていたらしい。僕たちは急いで航空券のチケットと京都市内のホテルを予約し、荷物をまとめて来週早々にはイギリスを発つ予定だ。久美とは当日の朝、空港のカウンターで待ち合わせをしていた。
第六章
成田空港に到着すると小雨が断続的に降り続いていた。六月は日本では時期的には梅雨(雨期)なのだ。しかし、僕たちが到着した日の午後には、雲の合間から初夏を思わせるような日差しが照りつけていた。僕たちは成田空港から東京へ移動し、そこから新幹線に乗り換えてその日の夜遅く京都へ到着した。久美の実家から近くて比較的良心的な値段のビジネスホテルに宿泊し、翌朝ホテルのロビーで久美と待ち合わせして一緒に神社へ訪れることになっていた。その日は飛行機と電車の移動で疲れがピークに達し、ホテルへ到着すると僕はそのままベッドに倒れ込んで朝まで眠った。ロブとケイもそれぞれ自分の部屋へ直行したが、その後はどうしていたか分からない。翌朝、僕はホテルのロビーの椅子に腰掛けていた。すると、ロブとケイも各部屋から出てきたので僕らは気だるい声で「おはよう」と軽い挨拶を交わした。時刻は午前九時半。しかし、二人とも時差ぼけで眠いような目をしていた。暫くすると久美がホテルのロビーに到着したので、僕たち四人は神社へ行く前に遅めの朝食を取ることにした。
僕は初めて日本に来たのだが、日本の文化や歴史に興味を持っていたので日本のことは本を読んだりテレビ番組を見たりして知っていた。象徴的な高層ビルやスーツを着たビジネスマン、ネオンは陰を潜め、神社や仏閣、古い町並み、繁華街へ続く細い道や石畳、京都市内を縦に流れる鴨川や鴨川に架かっている橋など風光明媚だった。現代の日本に来たはずなのに京都市内を歩いているとタイムトリップして本当に平安時代にやって来たような錯覚さえした。市内にあるカフェに入り、僕とロブはベーコンエッグにトースト、コーヒーを注文した。ケイはパンケーキに紅茶。久美は朝食を済ませてきたのでコーヒーだけ注文していた。窓の外に目をやると、古い家屋や商店の門構えをしている町並みが見えた。古都に相応しい神社には提灯や灯籠があったが、レトロな町並みの中にときどき西洋建築も垣間見ることができた。また、京都市内は山々に囲まれているので少し足を伸ばせば自然を満喫することができ登山客や観光客で賑わっている。五山の送り火で有名な大文字山、牛若丸の伝説が残る鞍馬山、天台宗(延暦寺)の始祖・最澄で有名な比叡山や京都の西端にある愛宕山は山岳信仰の対象にもなっているパワースポットだ。
「ところで、久美の叔母さんの神社はどこにあるの?」
ケイが紅茶をすすりながら言った。
「京都市右京区にある神社で自然に囲まれている場所にあるの。そんなに大きな社ではないけれど地元ではそれなりに有名な参拝場所になっているの。朱色の鳥居をくぐると拝殿まで続く参道があり、参道の脇には灯籠や狛犬が置かれ、社務所や納札所、手水舎、絵馬の掛け所があり、神殿の背後には鎮守の森。この森には神様が鎮座しているとされていて神社の中でも最も重要な場所になっているから一般の参拝客は立ち入り禁止になっているのよ」
久美は台本を読み上げるみたいに答えた。きっといつも人から聞かれることが多いのだろう。頭の中に台詞が刷り込まれているみたいだった。
「由緒あるお社みたいね」
ケイが相づちを打った。
「それなりにね。平安時代から続く元村本家の陰陽道は占い、祓い、祭りを執り行ってきたの。静子叔母さんは先祖代々脈々と受け継がれてきた陰陽道を大切に守ってきたのだけど、先師たちによって家伝されてきた特別な奥義書についてはずっと口を閉ざしていたのよ」
「奥義書?」
僕とロブとケイは声を揃えて言った。
「それについてはおいおい分かるはずよ。今、私の口から言えるのは、行方不明になっているペンタグラムの剣、つまり平安時代の火事で焼失したとされている破敵剣と元村家の陰陽道の命が吹き込まれている五芒星の印には何か不思議な繋がりがあるような気がするのよ。実際、叔母の神社では五芒星が刻印されたお守りやペンダントが社務所で頒布されているわ」
久美は首に下げていたペンダントを見せてくれた。それはケイが首に下げているものとまったく同じものだった。シルバーの五芒星のネックレスで中央にはラピスラズリが嵌め込まれ胸元で輝いていた。僕たちは遅めの朝食を済ませると店の外に出てバスに乗り神社前のバス停で降りた。バス停を降りて信号を渡ると鳥居の背後に小高い丘が見え、背後の森には睡蓮や花菖蒲、半夏生など季節の花々が色鮮やかに咲いていた。朱色の大きな鳥居をくぐると小鳥のさえずりが聞こえ清々しい気持ちになり、改めて霊験あらたかな霊場であると全身で感じ身が引き締まる思いがした。鳥居をくぐり拝殿に続く参道を歩いていると、小石の混じった土を蹴り上げる音がして土埃が舞った。神社へ参拝する前には必ず手水舎で穢れを落としてから参拝するのが礼儀で僕たちは久美を真似て禊の作法を学んだ。手水に置いてある柄杓を右手に持ち、水を左手に注いで清める。次に柄杓を左手に持ち替えて右手を清める。最後に清めた右手で柄杓を持ち左手の掌をすぼめて水を注ぎ、その水で口をすすいで口を清める。平日のためか参拝客はちらほらいる程度で僕たちは久美に案内されて特別に拝殿に通された。一般参拝客は通常拝殿の中には入らず外に設置された賽銭箱に賽銭を投げ入れて参拝するのみだ。
拝殿に入る前、僕たちは靴を脱ぐように言われた。これは日本の習慣で土足で家屋の中には入らないようにと久美から注意された。拝殿の白壁とイグサの香りが漂う畳は初夏の匂いを運んでいた。「静子叔母さん」と久美が声を掛けると装束姿の女性がこちらにやって来た。僕は彼女があの「シズコ・モトムラ」だとすぐに分かった。
「はじめまして。僕はマーティンの友人のフィルといいます。こちらはマーティンの弟のロブ。そして友人のケイ」
僕は緊張した面持ちで厳かに言った。
「マーティンさんや久美から話は聞いております。わざわざイギリスから来てくれてありがとうございます」と言うと静子の頬が緩んだ。
静子は、以前久美に見せた奥義書を手に持っていた。ある年の暮れ、久美がイギリスから日本へ帰国すると、元村家の先師から受け継がれてきた門外不出の奥義書の存在を彼女に明かしたのだった。その本には陰陽道の奥義である五行の方位、五芒星、十二支、占星術、宿曜、神式、呪術などが書かれており東洋の神秘的な魔術書とも呼べるような内容だったため、みだりに本の内容を口伝してはならないようだった。しかし、僕たちが破敵剣やオガムの書のことを解明するために活動していると分かると快く協力してくれた。
「オガムの書に四大聖剣のことが書かれてあり、そのうちの一本である護身剣がこちらの神社にあると知りました。久美から聞いたところによると、以前、こちらの神社には破敵剣もあったそうで」と言って僕は口火を切った。
「正確に言えば、ここにあった剣ではありません。平安時代、元村家の始祖である清彦が宮廷に陰陽師として仕えていたときのお話です。奥義書によれば、護身剣と破敵剣が収められていた宝物殿に誰かが松明に火をつけて投げ入れたとのこと。貴重な剣でしたが消失してしまったと考えられています。幸いにも、その後、護身剣は見つかりましたが……破敵剣は今でも謎に包まれています。きっと火事で燃えてしまったのでしょう」
「でもね、静子叔母さん、オガムの書によると破敵剣は行方不明になっていて消失してしまったかどうか定かではないのよ」
「一体どういうことなの?」
「つまり、平安時代に火事で焼失したと思われていた破敵剣ですが、世界のどこかに存在している可能性があるのです。久美の話によると破敵剣には五芒星の文様が刻まれているそうですね。別名ペンタグラムと呼ばれていることからもその可能性は高いです。ペンタグラムとは星形五角形という意味ですから」と僕は付け加えた。ケイも静かに頷いて僕の話を聞いていた。
「マーティンの話だと、古代バビロニアが起源だと言っていたぞ。魔術やオカルトのシンボルにもなっていて神秘主義者たちは悪霊などから身を守ったりするために護符を身につけているという話だ」
ロブも鼻息荒く気負った様子で続いた。
「日本では魔除けの呪符として陰陽道で用いられていたもの。星形五角形という形には洋の東西を問わず不思議な魔力を秘めているのね」と静子は感慨深げに言った。そしてこの神社に大事に保管してある護身剣を僕たちに見せてくれた。
「当時、元村清彦が鍛冶に命じて鋳造させた剣で、柄には四神の聖獣が刻まれているのが護身剣。清彦がこの剣を譲り受けて以来ずっと我が家の家宝として受け継がれてきた剣よ」
第七章
僕は『ロビンフッド・冒険の旅』のとき、デンマークの難破船で偶然見つけた写本「オガムの書」を手に入れた。そこに書かれてあったのはディナ・シー族と呼ばれる妖精や幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグ(常若の国)、神々が住まう四つの世界とそれを統治する王、そして世界に散らばった四大聖剣の行方であった。オガムの書によれば、僕は第一の剣である名剣グラム(LVは(4)まで上げた)を獲得することが出来た。この剣は鋼のショート・ソードでルーン文字が刻まれている。そして今回、ケイのNRWには第二の剣である「護身剣」が新たに加わった。青龍、朱雀、白虎、玄武の形が刻まれた護身剣は久美の先祖である元村清彦の生命が吹き込まれ、すでにLV(5)であった。青龍は川、朱雀は池、白虎は道、そして玄武が山を表している。これは平安京が四神相応の地であることの表れであり、同時に中国の五行説である方位を守護する聖獣でもあった。僕たちはオガムの書に書かれている四大聖剣を巡る旅に一歩踏み出したのだった。
僕たちは元村静子さんから剣を見せてもらった後、久美に神社周辺を案内してもらい散策することにした。京都という土地柄なのか、自然の中に身を委ねていると大昔から人々が信仰をしている日本の八百万の神の存在を感じたような気がする。人も動物も自然もみな霊魂を持っているという考え方だ。何か不思議な力が作用して自分を守護してくれたと感じたとき、そこに神を見出してきたらしい。キリスト教の考え方とは随分違う。一神教の考え方では唯一絶対の存在の神の意向に従って生き、神を信じない者は異端者として重い罰を下される。しかし、日本ではあらゆるものに霊魂が宿り自分が奉るものが神と見なされた。神社の裏には参拝道が続き、所々札所があって巡礼地巡りのようなコースになっている。周囲は自然に溢れ季節の花々が咲き乱れていた。僕たちはハイキングも兼ねて小高い丘の頂を目指して登っていくことにした。石段には苔が生え、朝露で湿った泥土と落ち葉に足を取られないようにゆっくり登って行った。森の奥に入って行くと木々の隙間から射していた太陽の光が遮られ、森の中へ進むたびに霧が深くなっていった。僕たちは途中札所に立ち寄り、長椅子に腰掛けてうっすらと額にかいた汗を拭った。一息ついて木立をぼんやりと眺めていると一陣の風が吹き、葉擦れのサラサラとした音が聞こえた。そのとき、何かが木々の間からちらちら見えたような気がした。次の瞬間、小石が空から降ってきた。僕たちは思わず声を上げ両手で頭を覆った。座っていた椅子はガタガタと揺れ出し、何かの羽音が聞こえた。
「風を切って飛ぶ鳥の音かも」とケイが言った。
頭の上に組んだ両腕の肘の隙間から青々としたブナの垂れた枝葉が見えた。ブナの木立に強い風あるいは大きな鳥が通り抜けたのだろうと僕は思った。
「きっと鳥の仕業よ」と久美もうつむきながら言った。
しかし、椅子の揺れは酷くなるばかりで収まる気配は見られなかった。樹木が前にも増して大きく前後左右に揺れ、風がうなり、大きな音を立てていた。すると背後の森から今度は大きな石が転がり落ちてきた。僕たちは一斉に背後を振り返ると、人のような鳥のような姿をした生き物が森の中を駆け抜けて行った。僕たちは呆気にとられたまましばらく身動きもせずに押し黙っていた。そして久美が「天狗かもしれない」と蚊の鳴くような声で言った。
「天狗!」
僕とロブは同時に声を上げた。ケイは寝耳に水で、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「日本の民間信仰において伝説の生き物とされているの。赤い顔をして鼻が高く、鳥のように空を舞うことができると言われている」
「天狗って妖怪や魔物って言われている生き物だろ?」と僕は久美に尋ねた。
「山地を住処としている天狗は自由自在に空を飛ぶことができ奇怪な現象を起こすことから妖怪とも言われるし、逆に山の神とも言われている。一般的には天狗は高い鼻を持っていることから傲慢の象徴とも言われ、あまり良い印象を受けないわ」
「追いかけて捕まえてやる!」
ロブは意気揚々と森の茂みの中をかき分けて入って行った。僕たちも天狗と言われる生き物を捕まえるためにロブの後に続いた。天狗の仕業なのか、羽音は前にも増して激しく鳴り響き、木立も大きく揺れていた。森の中へどんどん入っていくと霧はさらに濃くなり視界がひどくこれ以上進むのは危険だと感じた。
「不気味な所だな、引き返そうぜ」
ロブが難色を示した。
「でも森の中に迷ったみたい。どうしよう!」
ケイの顔が青くなった。
「大丈夫。以前こういったことがあったから心得ているわ」と久美が僕たちを安心させるかのように優しい声で言った。僕は『コヴェントガーデンの街角で』の内容を思い出し、言わんとする事が分かった。ロブもケイもはっと我に返っていた。しかし「北」はどっちの方角だろうかと思い、一心不乱に目印になりそうなものを探していると見覚えのある声と顔が僕たちの目の前に表れた。
「我々はディナ・シー族(妖精族)で、全妖精界に君臨するものである」と第一の妖精が言った。
「我々はシー(妖精の丘)に住み、ティル・ナ・ノーグ(常若の国)に仕えている」と第二の妖精が言った。
「緑の丘、海、湖、沼、泉、森などの自然界はすべてティル・ナ・ノーグに繋がっていて、我々は魔術、占い、予言ができる妖精だ」と第三の妖精が言った。
「万物は四つのエレメントである風、火、水、地から成り、我々は自然界を支配し、思うままに操れる」と第一の妖精が言った。
「世界を統治しているティル・ナ・ノーグ。この星には神々が住まう四つの世界と一本の世界樹がある」と第二の妖精が言った。
僕は再びディナ・シー族と対面した。そして、これはきっと現実だ。時々幻想と現実が頭の中を交差したが気を取り直して妖精に向かってこう言った。「神話や伝説に出てくる妖精だな」
「ここは幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグへの入り口。神殿の玉座に座する魔法使いの王は、自由に魔法を操り、魔法の杖、魔法の馬、魔法の剣を持っている。一角獣の馬が海岸線を駆け巡り、良質な葡萄を栽培してワインを作り、外的から国を守る砦の史跡がある。君たちはこの国を守る義務がある」と第三の妖精が言った。
第八章
僕たちは京都の鎮守の森の中で再びディナ・シー族と出会った。ロビンフッドたちが住むシャーウッドの森の中で初めて出会った時と同じように鬱蒼と枝葉が茂る深い森の中だった。ディナ・シー族が言うように、緑の丘、海、湖、沼、泉、森などの自然界は妖精の住処であり、幻想と現実が交差するティル・ナ・ノーグと呼ばれる異世界への入り口なのかも知れないと胸騒ぎがした。
「また森の中で出会ったな!」とロブが声を張り上げた。
「僕たちはオガムの書を手に入れて不思議な霊力を秘めた四本の剣の存在を知った。今日は世界に散らばった四大聖剣の謎を解明するためにイギリスから京都へ来たんだ」と僕は言った。
「少しずつ事情が明らかになってきた。護身剣とともに火事で焼失したと思われていた破敵剣は別名ペンタグラムの剣と呼ばれていることから世界のどこかに存在しているはずだ。名剣グラムと護身剣のことは分かったけど、ペンタグラムの剣とフィンマックールの剣のことが分からないんだ」とロブも続いた。
「最後に君たちディナ・シー族に会ったとき剣が災いの元になっていると言っていたよね。四大聖剣にはどんな力が秘められていて、なぜ災いの元になっているの? ティル・ナ・ノーグの王って誰?」と僕は矢継ぎ早に言った。
「オ、オガムの写本には世界に散らばった四大聖剣のことが書かれてあって、世界の神々を支配する王が四大聖剣の行方を捜しているって記述があったけど」
ケイは驚嘆した表情を顔に滲ませながら妖精に語りかけた。
「ようこそティル・ナ・ノーグへ。ようやく世界を統治しているティル・ナ・ノーグへ案内することができる。ここは幻想と現実が交差する異世界への入り口。この星には神々が住まう四つの世界と一本の世界樹があるのだ」と三角帽をかぶった第一の妖精が言った。
「四つの世界と一本の世界樹ってどういうこと?」と久美も口を挟んだ。
「万物は四つのエレメントである風、火、水、地から成っている。四つのエレメントはそれぞれ東西南北、四つの剣と相対しているのだ」と赤い上着を着た第二の妖精が言った。
「つまり、名剣グラムは北欧神話由来で北の方角にあたり、護身剣は日本だから東ね。分かったわ!」と久美が膝を打った。
「それじゃあ残りの二本の剣は西と南の方角にあるはずよ!」とケイも続いた。
「そうか、フィンマックールの剣はケルト神話だから西だ。そして謎に包まれているペンタグラムの剣は南だ!」とロブは鼻息荒く興奮気味に話した。
「それじゃあ一本の世界樹って?」と僕はつぶやいた。
「世界樹とは樫の木、つまりドルイドの聖木のことだ。そしてこの星には世界の神々を支配する魔法使いの王がティル・ナ・ノーグの神殿に座している。我々はシーと呼ばれる妖精の丘に住み、ティル・ナ・ノーグに使えている」と革のブーツを履いた第三の妖精が言った。
「オガムの書によれば、王は自由に魔法を操り、魔法の杖、魔法の馬、魔法の剣を持っていると書いてあったけど」と言って、僕はポケットの中からオガムの書を取りだして妖精たちに見せた。
「ドルイドとはケルトの宗教階層の人たちのことで、樫の木でできた杖を用いて魔術や精霊を操るという話を聞いたことがあるわ。つまりティル・ナ・ノーグにはドルイドの王が君臨し、樫の木でできた魔法の杖で魔術を操り、魔法の馬と剣を持っている」
久美はジョウという友人のことを回想しながら話していた。「コヴェントガーデンの街角で」という物語の中で、久美とジョウはドルイドやケルト神話について考察していたからだ。
「久美、その通りだ。君はとても感がいい女性だね」と妖精が口をそろえて言った。
「そうか。ティル・ナ・ノーグに君臨しているドルイドの王が四大聖剣の行方を捜しているということだな」とロブが念を押すように言った。
「しかしなぜ?」とケイが訝しげに言った。
「分かったぞ。それは剣が災いの元になっているからだよ!」と僕は名探偵のように謎を解き明かした。
それから、ディナ・シー族は深い森の中へ僕たちを案内した。妖精たちに誘われて暗く長いトンネルのような穴の中を通り抜けて行くとまぶしい光がだんだんと遠くから差し込んできた。暗い穴を通り抜けると光が僕たちを照らしつけた。燦々とした明るい光に慣れるまで少し時間がかかったが少しずつ目を見開くと、目の前には金色に輝く神殿があった。
第九章
僕たちが妖精の後をついて行くとドルイドの王がいる神殿に案内された。久美の顔を見ると何か心当たりがあるような神妙な顔つきをしていた。僕たちはティル・ナ・ノーグの神殿の中にいた。神殿の内部は天井が高くドーム型の丸天井には装飾が施され、支柱には四大天使や旧約聖書の預言者と思われる絵が描かれていて、天井のガラス窓から光が差し込んでいた。宮殿は大理石広間から成り、絵画や彫刻が展示されていた。神殿の中に通されるとしばらくの間、荘厳な神殿に目を奪われた。目の前には高さの異なる段違いになった水平な床が広がり、小さな石段を上がると前方に純金の一角獣がまるで神を賛美しているかのように箱の右隣に置かれていた。箱の左隣の玉座には王と思われる男が座していた。そして「これは契約の箱だ」と低い威厳のある声で静かに言った。
契約の箱の中には神の十戒を刻んだ二枚の石版が納められていると言われていた。
「あなたがティル・ナ・ノーグに君臨しているドルイドの王ですか?」と僕が訪ねると、王は手に持っていた杖を握りしめ静かに首を縦に振った。
「も、もしかしてここは妖精の丘と言われているケルトの地ではないでしょうか?」
久美は緊張していたのか唾を飲み込んだ。
「以前、友人とここに来たことがあるような気がして。私の友人のジョウという青年はある日ニューグレンジの巨大な古墳の前で意識をなくしたことがあります。ひょっとしたら妖精の仕業ではないかと思っていました」
「ニューグレンジは幻想と現実が交差し、ティル・ナ・ノーグと呼ばれる異世界への入り口の一つである。ティル・ナ・ノーグの入り口は妖精の丘や西方の海底など世界にはたくさん存在しているが人間の目には見えない」と第一の妖精が言った。
「やっぱり、妖精の仕業だったのね」と久美がため息をもらした。
「久美の小説の中に出てきたキングス・クロス駅のプラットフォーム9と3/4番線。あそこもティル・ナ・ノーグの入り口だった……」とケイが続いた。
僕たちが調べていた不思議な出来事は散在する点であったが、だんだんと点と点がつながって一本の線になりつつあった。僕たちが心配そうな顔つきで思案していると、ドルイドの王は玉座から立ち上がり手に持っていた杖を高く振り上げた。すると突然、神殿は暗くなり壁は映画館のスクリーンのようになった。夜空にめらめら燃えさかる炎が轟音を立てながら火の粉を散らして大聖堂を飲み込んでいる映像が映し出され、人々は祈りを捧げていた。
「こ、これは!」とロブが語気を強めた。
「不思議な魔力を持つ四大聖剣の行方を捜している」とドルイドの王は顔色を変えずに淡々と言った。
「オガムの書には四本の聖剣の記述があったはずである。君たちは北欧神話の名剣グラムと日本神話の護身剣を手に入れたようだが、あと二つ必要なのだ」
「劫火に焼かれ、消失したと思われているペンタグラムの剣ですね」と僕は答えた。すると壁に映し出された映像には右往左往する人々が「火事でペンタグラムのシンボルが刻まれた剣が行方不明です!」と叫んでいた。
「それから西方に眠っているフィンマックールの剣だ」と言ってロブも得意げな表情を浮かべた。
「魔法使いの王は、自由に魔法を操り、魔法の杖、魔法の馬、魔法の剣を持っている」と第二の妖精がいつもの決め台詞を言った。
「そして君たちはこの国を守る義務がある……だろ!」とロブも念仏を唱えるように吐き捨てた。「どうやら俺とフィルはマーティンの開発したゲームの中で不幸にもディナ・シー族と出会い、この国を守らなければならない使命を与えられた!」
「どうやらロブ、そのようだね」と言って僕は肩をすぼめた。
「幻想と現実がリンクするヴァーチャル・リアリティの世界。ワクワクするわ」とケイが気を取り直して言った。
「でも、どうして聖剣を探しているのですか?」
久美は間髪入れずにドルイドの王に尋ねた。
「この星には神々が住まう四つの世界がある。世界の神々は人々の間で神聖化され敬われてきたため次第に力を持つようになり、その地位を利用して軍勢を率い、権力闘争や王位継承権といった争いに明け暮れ、欲望に駆られていった。そして私を追放し、ティル・ナ・ノーグを統治しようとしているのだ。しかし、それには世界に散らばった四本の聖剣の不思議な魔力が必要なのだ。そのため聖剣が悪の手に渡ることを阻止しなければならない」
「それで、この神殿に使えているディナ・シー族を遣いによこしたんですね」と僕は言った。
「その通りだ。幻想と現実はリンクしている。現世での謎はアカシック年代記にすべて収納されているが記憶媒体が必要だ。中世における最大の蔵書を誇るストラトフォード図書館へ行けば手がかりが見つかるはずだ」と第三の妖精が答えた。
僕たちはオガムの書に書かれていたディナ・シー族やティル・ナ・ノーグ、魔法使いの王、そして世界に散らばった四大聖剣の謎を解明することができた。そして、悪の手に聖剣が渡ることを阻止するため、これから西方に眠っているフィンマックールの剣を探す旅に出かけることになった。
第二部終わり