第47話 シュレディンガーの猫
机の下の書物のトンネルを、僕らは匍匐前進のようにしてずりずりと進む。それはまるで何かのアトラクションのようで、不思議と探求心が僕を掻き立てた。
だが目の前には大臣の大きな尻が見えるだけで、決して気分の良いものではない。
どれほど掃除をしていないのだろうか、埃まみれで息が苦しい。狭いし暗いし、強く息を吸ってしまうと噎せ返りそうだ。
大臣は少し太り過ぎではないだろうか。たまにつっかえて動かなくなる。
前を行く大臣がつっかえると、次に続く僕もつっかえる。そうするともちろん僕の後ろにいる助手の猫もつっかえる。そうなると助手の猫は、しきりに僕のお尻をぐりぐりと押してくる。決して気分の良いものではない。
十メートル近くは進んだだろうか、大臣の尻の向こう側からわずかに差し込む光が見えた。
よっこらしょっと大臣の呻き声にも聞こえる合図と同時に、視界が開けた。
目の前に広がったのは一面に所狭しと不思議な文字が描かれた壁。
立ち上がって後ろを見返すと、書物の山とその壁の距離は約三メートルほどの長細い空間が広がっていた。
山のように書物が積んである大きな机には、端に少しだけスペースがあり、何か不思議な形をした器具が乗っていた。その器具はどこかで見たことがあったが、僕はすぐに思い出す事が出来なかった。
突然、頭上からキュキュッと音がする。
何の音かと見上げると、ヨレヨレの白衣を着て、牛のような黒の斑点模様の白黒柄の猫が、脚立の上で数式のようなものを無心で壁に書き込んでいた。
「博士。連れて参ったぞ」
大臣の呼び声が聞こえないのか、その博士と思しき猫の、数式を書く手は止まることを知らない。
僕の後ろでようやく助手の猫が、机の下の書物のトンネルを抜け出てきた。
助手の猫は、大臣の呼びかけに返事もしない博士を見て、そこらにあった分厚めの本を一冊、スッとおもむろに手に取ると、脚立の上にいる博士にブンッと投げつけた。
僕と大臣はそれを見てギョッとして、ただあんぐりと口を開けた。
助手の猫が投げたその分厚めの本は、見事博士に命中。博士の脇腹にドスッと鈍い音を立てめり込んだ。
僕と大臣はあわわと慌てふためくも、博士を乗せた脚立はぐらりと傾き始める。
おろろ? と両手をバタつかせバランスを取る博士。
パラパラとページがめくれながら、ドスンと重い音を立てながら開かれる分厚い本。
ちらりと見えたその本の表紙には『プリンシピア 自然哲学の数学的諸原理 アイザック・ニュートン著』と書いてあった。
ガッシャーンッ!!
倒れた脚立がびっくりするほどの大きな音を立て、研究施設内の静寂を破った。
少し遅れてシュタッと見事に着地する博士。さすが猫だ。
と思ったが、足元に転がっていた、先ほどまで博士自らが持っていたペンを踏み、バランスを崩した博士はよろめき倒れた。
「まさかニュートンの本により、自らが落下に至るとは。ふはは! 実にとんちのきいた事象だ。ふふふ……しかし、助手よ。大事な書物を投げるのは関心できんな」
博士は説教じみた口調でそう言うと、腰をさすりながら立ち上がり、ヨレヨレの白衣の襟を正す。
「博士。大臣と、そのお連れ様ですよ」
つんと素知らぬ様子で助手の猫は丸眼鏡をくいっと上げながらそう言うと、博士ははっとして僕の方に駆け寄ってきた。
よく見ると博士の顔には、鼻とひげぶくろの辺りにチョビ髭に見える模様があった。僕はそれを見て、思わず吹き出しそうになった。
博士は自分の顎を触りながら、僕の周りをぐるぐると品定めをするように見ながら、大臣の顔をチラッと見て言った。
「そうか、とうとう連れて来たか。ということは『彼女』は上手くやったのだな?」
「ああ、恐らく問題ない。しかし博士。本当にこれでなんとかなるのだろうな?」
大臣はとても不安そうにして、博士に確認する。
「私の仮説が正しければな。だがまずは検証せねばならない」
そう言って大臣をいなすと、博士はくるっと僕の方を見て言った。
「初めまして。私はシュレディンガーの哲学する猫――人はみな私を博士と呼ぶ。そして私がキミをここへ呼んだ張本人だ」




