第42話 黒き者
「なんだ……あの馬鹿でかい黒い怪物は」
城壁の上から覗き込むように見下ろし、その怪物をまじまじと見つめながら兵長は言った。
怪物の体は黒く怪しく揺らめいており、実体ははっきりしなかった。
しかし胴体だけでも、丈は猫20匹、幅は猫30匹ほどはあるだろうか。
禍々しい黒い胴体からは、すらりと延びた8本の長い脚。それを不気味にカサつかせ蠢くその姿は、まるで巨大な蜘蛛を思わせた。
その大きさからは予想もつかないほど動きは俊敏で、城壁の上の砲台より、轟音と共に放たれた砲弾たちは、ことごとく綺麗に躱されていた。
時折、その長い前脚で付近の岩を持ち上げては、城壁の上をめがけて投げつけてくる。
しかし飛距離が足りないのか、その岩は城壁の表面を削るのみだった。
城壁の上にいた一人の弓兵の猫が、岩を投げつけてくる時に出来る、怪物のその一瞬の隙に狙いを定め、胴体の中心部を射った。
しかしその矢は、怪物の体に刺さることなく、黒い胴体の闇の中に飲み込まれるように消えていった。
「兵長! 果たしてこちらの攻撃は有効なのでしょうか!? まるで手ごたえが感じられません!」
兵士の猫はその様子を見て、兵長の猫に言った。
「わからん……こいつを見るのは初めてだ。だがどうやら本当らしいな……前哨基地の奴らが、この黒き者にまるまる飲み込まれたというのは」
そう言うと兵長の猫は、壁に立てかけてある長い投擲槍を手にし、天に掲げた。
「しかし! なんとしても、ここで食い止めるぞっ!!」
兵長の猫はがなり声を上げる。
「うおおぉぉぉぉぉ!!」
その声に応じるように、兵長の猫の周囲にいた猫たちは雄叫びを上げた。
その音と振動を察知したのか突然黒い怪物は、カサカサと不気味な動きで城壁の近くに向かってきた。
それを目視した兵長は、即座に振り返り助走をつけた。
そして城壁の淵まで走り切った兵長は、城門下にまで迫る黒く大きな怪物にめがけ、ブゥンッと投擲槍を投げつける。
その槍はとてつもない勢いで、怪物の中心を目指し、まさに射抜かんとしていた。
だがその槍は何にぶつかるわけもなく、まるで異空間に繋がる穴に落ちていくかのように、その怪物の体の黒い闇の中へ落ちていった。
その奇妙な光景を見届けた猫たちは、ごくりと生唾を飲み込む。
「クソッ! なんなんだ、アイツは」
兵長の猫は、苦い顔で舌打ちをする。
するとその瞬間、怪物はすごい勢いで後ろ脚を伸ばし、城壁の上の高さまで飛び上がる。
「おいおい……マジかよ」
兵長をめがけ跳躍した怪物は、飛距離がわずか足りず、その巨大な体を城壁と激しく衝突させ、そのまま落ちていった。
城壁の上にいた猫たち一同は、その衝撃の振動で体をよろめかせ、立っていられない者はその場に座り込んだ。
怪物は城壁の下に仰向けで落下し、腹を見せ砂けむりを上げながら蠢いていた。
「おい、火を放て! 火だ!」
がなり声を上げる兵長。
それに反応した一人の弓兵の猫が、黒い怪物の腹に火矢を射た――だがもちろんその火矢も、無情にも怪物の黒い体の闇に消えた。
城壁の下の怪物は、その気持ち悪い8つの脚をバタつかせ、城壁にへばりつくようにして、ひっくり返った体を返し起き上がる。そしてひとたび前脚をその城壁のくぼみに引っ掛けると、カサカサとその城壁をものすごい速さでよじ登ってきた。
「ひぃいいぃぃっ!!」
「うわぁぁああぁぁ!!」
兵士の猫たちは、その怪物の不気味な姿に悲鳴を上げた。腰を抜かして動けない者や、逃げ惑う者たちで城壁の上は混乱に陥った。
もはや統制を失い、無秩序に逃げ惑う猫たちの群れに、たった一人その怪物に対峙する者がいた。
兵長の猫だ。
兵長の猫は腰に差していた剣を抜き、黒い大きな怪物へ走りこむ。
怪物は前脚でブォンッと風を唸らせ、上から兵長を叩きつけるように振りかざす。
兵長は姿勢を低くし、それをなんとかぎりぎりで躱し、そのまま怪物の真下に滑り込んだ。
空振りした怪物の前脚は、ドシンと大きな音を立てて床石をえぐり、地面に穴が開いた。
兵長は怪物の真下の腹の辺りから、その巨大な胴体を支える脚の根元辺りを、思い切り力を込めて剣で斬りつける――だが、その太刀筋は揺らめく黒い靄と共に空を切った。まるで手応えを感じない。
「ッ!?」
突然、怪物は真下にいる兵長を押し潰すように、腹を地面にこすりつけた。
「兵長!? 兵長ッ!!!!」
怪物が覆いかぶさった兵長の体は、その黒い靄で実体のはっきりしない胴体の暗闇に、飲み込まれるように消えていった――。
「くそぉぉおおおおお!!」
手に持った斧を振りかざし、黒い怪物に突進する兵士の猫。
周りで立ち尽くしていた猫たちがそれを見て、そこらに散らばっている剣や槍を手に、後へ続く。
怪物の振りかざした前脚で、何人かが城壁の内側に吹き飛ばされていった。
「ぐ……あぁ……」
次々に猫たちは、蜘蛛のような脚に捕まり、無力にも大きな怪物のその黒い体に取り込まれていった――何人も何人も。
その姿はまるで、空腹の獣が餌を貪るようだった。




