第40話 祖母との約束
「貴女とばぁちゃん、すごく仲が良かったよね。その、話すことが出来る前から」
僕は夏に訪れた時に、時折見ていたその日常風景を思い出して言った。
ペルシャ猫は僕らなど見向きもせず、祖母の足許をするするすり寄っては、祖母の傍らをあまり離れることはなかった。あの時の僕は、たまに来た来訪者を警戒してるのだと思っていた。
「ふふ、そうね。私たちはすごく相性が良かった。それからは本当に楽しくて、すっかり寂しさなんてどこかに吹き飛んだわ」
猫の王はあどけない少女のような表情で、無邪気に語った。
「でもね、最後の命の、その最後の時が、きっと惜しくなっちゃったのね。急に私は悲しくなって、死ぬのが怖くなったの」
死ぬのが怖くなる。僕はその気持ちを知っている。未練ってやつだ。
「私、それをおばあ様に打ち明けたの。死にたくないわってね。そしたら――」
ばぁちゃんは、なんて答えるだろう。
「そしたら?」
僕はその答えを知りたくて、急かすように言った。
「――『命ある者、必ず最期があるの。だから不安になったり、怖がったりしても、結局は死ぬのよ。だったら最後の、本当の最期の時まで、笑って過ごした方が、きっと良い。だから私は今、あなたと一緒に過ごせてとても嬉しいわ』って、おばあ様はそう言ってくれたのよ」
その時のことを思い出したのか、猫の王は少し瞳を潤ませた。きっと祖母のその言葉は、彼女の心の琴線に触れたのだ。
その祖母を語る猫の王の様子から、羨ましくなるほど眩しい信頼関係を感じた気がした。
でも僕は、少し切ない気持ちになった。
きっとそう答えた祖母も、本当はとても寂しかったはずだからだ。
その頃の我が家は、とてもゴタゴタしていた。それを知っていた祖母はきっと、僕たち家族に迷惑をかけまいと気を遣い、迫りくる死期を悟られないようにしたのだと思う。
だから祖母は、自ら身辺整理を済ませ、僕らの足りないピースを埋める様に遺言を書いたのだ。
まるで飼い主に最期の死の瞬間を見せまいと、その姿を消す猫のように。
僕は祖母の訃報を聞き落胆した父と同じように、申し訳ない気持ちと、やるせない気持ちでいっぱいになった。
猫の王は話を続けた。
「その夜、おばあ様は言ったの。『最期の時まで一緒に過ごしましょう。私はあなたが居るだけでとても心強いのよ』って。だから私、約束したの。『死ぬ時までそばにいるわ。あなたの最後は私が看取ってあげる』ってね」
それはまるでプロポーズのようにも聞こえた。とても愛が籠った言葉だからだ。
「でもね。皮肉にも先に最期が訪れたのは私だった。だから結果的に、私は約束を破ることになってしまった……」
「猫の義務ってやつか……」
どうしても僕は、義務って言葉は苦手だ。
親としての義務とか、兄としての義務。
義務と付くだけで、まるで強制的に課せられた足枷のようなものを感じる。それは時に、好きなことを嫌いなことに変えてしまうほどだ。好きなものでも毎日続けることが義務になると、途端にやりたくなくなってしまう。
猫の義務。猫からすると同じようにそれは枷のようなものなのだろうか。
「そう。だから私はおばあ様の前から姿を消したの。とても後ろ髪を引かれる思いだったけれどね。でもそれは、猫の義務だから」
何故その身を隠す必要があるのか。
明確な理由があったとしても、僕には到底理解出来ない気がする。だってお互いに死を憂い、生への未練を抱え、避けようのない死を受け入れ、共に過ごそうと誓ったのだから。
自殺未遂を繰り返していた頃の僕は、出来るなら人に迷惑を掛けずそっと死にたいと願っていた。僕のそれと同じようなものなのだろうか。
「後でとても後悔したわ。だって――」
猫の王は肩を落としながら言った。
「――結局すぐにこの死後の世界で再会したのだもの。2人して笑っちゃったわよ」
なるほど、確かに死者の国を知っていればこそだが、その尊い想いも取り越し苦労になったのだ。笑うのも当然である。
「その時、こっぴどく叱られたわ。『私を置いて先に逝くのなら、せめてその最後の時くらい看取らせなさい。でもそういうところは貴女らしいけどね』とね。でも嬉しかった。王である私に対してではなく、友として言ってくれたのだから」
なんとも勇ましく、したたかなばぁちゃんなのだろう。
僕は2人の関係が、とても微笑ましく感じた。
そして僕は、あることに気がついた。いや、思い出したというべきだろう。
祖母は既に、こっちの世界に来ているのだということに。
「あの。ばぁちゃんは――僕の祖母は今どこに?」




