【編ノ八】The Small Girl ~高女~
「おーす、チョビ。今日もちびっちぇなぁ。ちゃんと朝飯食ってきたのか?」
朝。
降神高校への登校の道すがら、そんな声と共に私…高斐 智世美の頭をポンポンと叩く奴がいた。
反射的にその手を払い除け、見上げるようにして声の主を睨む私。
案の定、そこには天敵がいた。
浅間 正登…私の幼馴染である。
容姿端麗、スポーツ万能。
おつむの方は、まあまあだが、女子の人気を集める程度の要素は十分持っている。
ただし…御覧の通り、性格は最悪だ。
もっとも、その性悪な部分は、もっぱら私にのみ向けられているようだが。
「気安く触んないで」
淡々とそれだけを告げると、私は構わず歩き始める。
幼馴染に対して行き過ぎたほどツンケンした態度に思うだろうが、コイツ相手ならこれでいい。
下手に相手にすると、図に乗るし、何よりムカつく。
対する正登の方も慣れたもので、微塵も堪えた様子も無くヘラヘラしている。
「おいおい、冷てぇなぁ。お隣さん同士なんだから、仲良くしようぜ」
そうなのだ。
いま、コイツが言った通り、私の家とコイツの家は隣り同士である。
それどころか、親同士で気が合ったのか、家族ぐるみの付き合いもある。
おじさんとおばさんは、私を実の娘のように可愛がってくれる人格者だが、コイツは中学生になると、徐々に私を弄るようになり、今はご覧の有様であった。
小さい頃は、仲良く遊んでいたものだが、こうなると煩わしいことこの上ない。
なもんで、よく漫画であるような、男女の幼馴染同士の甘い展開も私達には無縁なものだった。
正直、コイツと毎朝顔を合わせるくらいなら、とっとと引っ越して、別の登校ルートを確保してしまいたいくらいである。
「なら、私から二十歩以上離れて歩いて。あと、声も掛けないで。それなら、ミジンコ相手程の友好関係を考えてあげなくもないわ」
無感情にそう告げる私。
一方の正登は、にこやかに笑い、
「そう言うなよ。お前一人で歩いていたら、たちまち誰かとぶつかっちまうだろ」
「…どういう意味?」
怪訝そうに聞き返す私に、正登は邪悪な笑みを浮かべつつ言った。
「だってお前、ちびっ子過ぎて、みんなの視界に入らないじゃん?」
そうのたまいながら、爆笑する正登。
ピキ…と私のこめかみに血管が浮く。
始まった。
いつもの嫌がらせだ。
コイツは、自分がスラリとした体型をしているのをネタに、日常的に私をからかうのである。
私の名前「智世美」をもじって「チョビ」と呼んでくるのもその一環だ。
白状するまでもないが、私は背が小さい。
ただいま、身長140.9センチ…大体小学校3~4年生くらいの平均身長である。
そして、私は現在高校2年生であることを申し添えておく。
成長期もそろそろ折り返し地点に差し掛かる頃である。
が、職務放棄して久しい私の成長機能は、日課にしている小魚や牛乳の摂取というテコ入れ策にも、一向にやる気を出す気配がない。
くそう…納得いかん!
そんな私の鬱屈した思いを知った上で、正登は続けた。
「だから、俺が標識代わりに傍にいてやんないと危なっかしくて…いってえ!」
横を歩くゲス野郎の足の甲を、思いきり踏んでやる私。
足を押さえて跳ね回る正登を尻目に、私は冷淡に告げた。
「電線に引っ掛かって首でも吊ってろ、ウドの大木」
春先なのに、我ながらブリザードのような声だった。
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そんな、全く血圧が上がりっぱなしなやり取りが、ずっと続くと思っていたある日の朝。
「…よう、チョビ」
毎度のように、正登がそう声を掛けてくる。
まただ。
たまたま寝起きが悪く、髪の毛のセットも上手くいかなくてイライラしていた私の怒りは、容易に沸点へと達した。
「だから!私はチョビじゃな…い…!?」
先手必勝、振り向きざまに鞄のフルスイングを見舞ってやろうとした私は、咄嗟にその手を止めた。
そこに居たのはまぎれもなく正登だ。
だが、様子がおかしかった。
いつもの余裕ぶった小生意気で、人を見下した笑みは無く、どこか疲れたような力のない笑みだった。
「…」
「どした?」
無言の私に、懸命といった感じで笑い掛ける正登。
目の下にはクマも浮かんでいる。
「…別に」
出鼻をくじかれたようになり、前を向いて歩き始める私。
正登も、並んで横を歩き始める。
いつもなら、私の頭を叩くなり、小憎らしい軽口をほざくなりありそうなものだが、そんな様子も無い。
引きずるような足取りで、時たま溜息を吐きながらついて来る。
しばし無言で歩いた後、私は正登につられるように溜息を一つ吐いた。
「あのさ…何かあった?朝っぱらからそんな面で横を歩かれると、鬱陶しいんだけど?」
「え?いや、別に…」
また溜息。
「別に…」と言われても、傍から見ていると、それ済むような雰囲気ではない。
少なくとも、コイツのこんな様子は初めて見た気がする。
「…何よ、どっか具合でも悪いの?」
「いや…そういう訳じゃねぇんだけどさ。何か、ここんところ疲れやすくてよ…」
いつもは朝っぱらからアホみたいにゲラゲラ笑う癖に、今日は蚊の鳴くような声だ。
まるで、精気を吸い取られたかのようである。
いつもならクソ鬱陶しいだけの奴だが、あまりの覇気のなさに、こっちの調子も狂いそうだ。
「病気じゃないの?病院でも行ってきたら?」
「ああ…そうだな」
「あんたはどうなってもいいけどさ、おじさんとおばさんには心配かけんじゃないわよ?」
「ああ…そうする」
「ちょっと…ホントに大丈夫なの?」
ゾンビのような足取りで、うわ言のような返事をする正登に、私は思わず顔を覗き込む。
良く見れば、その表情は虚ろで、肌も血の気が無い。
明らかにまともな状態でない。
「ね、ねぇ?」
「ああ…分かった」
思わず問い掛けようとした私へ、意味のない返事をする正登。
足を止める私にも気付かないのか、正登はそのまま足を引きずるように歩いていく。
そして…
ドサッ
「ちょ、ちょっと!?」
目の前で。
正登は崩れ落ちた。
その後、正登は私が呼んだ救急車で、病院へと収容された。
医師によれば、恐らく過労ではないかとのことだった。
連絡を受けて駆け付けたおばさんにしこたま感謝され、私は病院を後にした。
正登は意識不明のままだった。
病室に寝かされた正登は、悪夢でも見ているのか、うわ言のように「やめろ」「来るな」と呟いていた。
いつもなら「たまにはいい気味だ」で終わる話である。
だが、私は見た。
力なく横たわる正登の首筋に、青黒い小さな痣があるのを。
それは不気味なキスマークのような痣だった。
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その晩。
目覚まし時計の音で目覚めた私は、素早く身支度を整え、こっそりと家を抜け出した。
自転車に跨り、夜の街へ走り出す。
目的地は正登が入院した病院だ。
程なくして見えてきた病院に到着すると、私は昼間のうちに確認しておいた正登の病室の下へ移動する。
正登の病室は東棟の二階にある。
当然、今はもう面会時間も終了し、病院全体の灯も落とされ、どの病室も真っ暗だった。
「さて…」
私は物陰に身を隠すと、腕時計を確認した。
もうすぐ午前二時。
草木も眠る丑三つ時だ。
そして…怪異が最も活発に活動する時間帯である。
ぽ
ぽ
ぽぽ
ぽぽ
ぽぽぽ
ぽぽ
ぽぽ
突然。
そんな不気味な声が聞こえてくる。
振り返った私は、そこに信じられないものを見た。
今夜は雲も無い月夜だ。
その下を、白い影が近付いて来る。
正登の病室を目指し、病院の中庭へと足を踏み入れた人影は、女性のものだった。
月光に浮かび上がるのは、白い鍔広の帽子とワンピース。
そして、黒く長い髪とワンピースに溶け込むような白い肌。
何よりも目を引いたのは…
「…でかっ」
思わず小声で呟く私。
そう。
その女性は長身だった。
それも、普通に背が高いというレベルではない。
恐らく2メートルを優に超える、あり得ないくらいのデカ女だった。
「ぽ」
女の唇から、意味不明な言葉が漏れる。
先程の不気味な声は、この女が発したもののようだ。
女の表情は、帽子の鍔と長い黒髪に隠れていてよく分からなかったが、その足は真っ直ぐに正登の病室に向けられていた。
病室の下まで辿り着くと、デカ女は病室の窓へ手を伸ばした。
「ちょっと、あんた」
物陰から姿を見せた私は、デカ女にそう声を掛ける。
動きを止めた女は、ゆっくりと私の方へ首を巡らせた。
「今日の面会時間はもうおしまいよ。あのバカも、もうとっくに寝てるわ」
「ぽぽ」
「はあ?関係ないって?」
「ぽぽぽ」
「あのねぇ…そんな言い分が通る訳ないでしょ?とにかく、大人しく帰んなさい。人に見つかったら、大事よ?」
「ぽ…ぽぽ?」
私の眉がピクンと跳ね上がる。
「私?ああ、私はあのバカの幼馴染よ」
「ぽ…」
私の言葉に、デカ女が固まった。
そして、ゆっくりと私に向き直る。
「ぽ、ぽぽぽ」
「はあ?何でそうなるのよ?」
「ぽぽぽ…!」
不意に。
デカ女が身構える。
あかん。
コイツ、人の話を聞かないヤンデレだ。
幼馴染というだけで、私と正登を恋人同士だと受け取りやがった。
「ぽ!」
「わ!」
突然、滑るように回り込んでくるデカ女。
そのまま、超高度から手刀を振り下ろしてくる。
慌てて避ける私に、もう片方の手刀が追撃してくる。
転がるようにしてそれも避けると、今度は恐ろしく長い足が飛んできた。
「ぐぇっ!」
サッカーボールのように蹴り飛ばされ、中庭を転がる私。
ベンチに激突して止まると、全身がズキズキした。
「いってーな、もう!」
「ぽっぽっぽ…♪」
口元に笑みを浮かべ、デカ女が奇妙な笑い声を発する。
こんにゃろう…!
何が「小さくて凹凸が無いと、ボールのように良く転がるわね」だ!
「ぽぽぽぽ」
今度は、豊かな自分の胸を誇示するように胸を張るデカ女。
ぶちっ!
「うっさい!誰がまな板だ!」
もうアッタマきた…!
同類と思って、人が親切にもわざわざ忠告に来てやったのに…!
私は立ち上がると、ずかずかとデカ女の前まで進み出た。
そして、その長身を見上げると、一言呟く。
「【摩天女峰】」
瞬間。
150センチにも満たない私の身体が、サイズアップされていく。
160…170…180…
「ぽ、ぽぽ!?」
見えない目を剥くデカ女。
その眼前を、デカ女以上に豊かになった私のバストが通り過ぎていく。
200…230…240…
「ぽぽ~!?」
遂にデカ女の頭上を越え、私はデカ女を見下ろす身長になった。
その身長から、見下ろされたことも無いだろうデカ女は、驚愕しなから後ずさる。
そう。
私は人間ではない。
“高女”という特別住民だ。
故に、その名の通り、身長を自由に変化させることができるのである。
「ふぅ…」
身長と共に長く伸びた髪を掻き上げ、アダルトな女性に変化した私は、余裕の笑みを浮かべ、デカ女…いや、既にチビ女というべきか…の頭をポンポンと叩いた。
「もう一度だけ言うわね、小さいお嬢さん」
にっこりと微笑み、私は優しく、しかし有無を言わせない口調で続けた。
「大人しくお帰りなさい?」
チビ女…文字通り「ぽっと出」の「都市伝説」娘は、後も見ずに一目散に撤退していったことを報告しておく。
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三日後。
「おーす、チョビ。今日もちびっちぇなぁ。ちゃんと朝飯食ってきたのか?」
そんなムカつく台詞に振り返ると、正登が近付いて来るのが見えた。
ヘロヘロだった三日前とは別人のように血色が良い。
そう言えば、昨日おばさんが「退院する」って言ってたっけ。
「もう身体はいいの?」
私がそう聞くと、一瞬言葉に詰まったようになる正登。
「ああ。おかげさんでな」
そして、小さな声で、
「その…サンキューな?」
と、付け加えてくる。
私は、
「そう…良かったわね」
それだけ告げると、正登に一歩近付いた。
「ねぇ、ちょっとしゃがんでくんない?」
「へ?何で?」
「いいから!早くする!」
私に急かされ、しぶしぶしゃがむ正登。
覗き込むと、正登の首筋から、あのキスマークのような痣はきれいに消えていた。
私は鼻を鳴らした。
「ふん…いっちょ前にマーキングなんて凝った真似するからバレんのよ、小娘が」
「はあ?」
「何でもない。ちょっと生意気で、ヤンデレな後輩の話」
そう言うと、私は再び歩き出そうとし、ふと足を止めた。
目の前に、跪いたままの正登がいる。
私は手を伸ばし、その頭をポンポンと叩いた。
「何処で目を付けられたのかは知らないけど…せいぜい、悪い女には気を付けなさい?ボク♪」
呆気にとられた正登の顔は、割と見物だった。