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明けて早朝、ケインは〝リサ〟と呼ぶ自分の声で目を覚ました。

それと共に伸ばした手は宙を切り、澄んだ空気を掠める。


その名が示す存在は当然、どこを見渡しても影も形もない。

どうしようもなく込み上げてくる激情が口をついて出そうになるのを、奥歯を強く噛み締めることでなんとか蓋をし、宙を掠めたその手のひらで両の目蓋を覆う。

深く息を吸い、長く息を吐く。

繰り返してようやく、唇が苦笑いの形に歪んだ。


居ないことが、一人なのがケインにとって〝普通〟だったはずが……。

己を嘲笑うことでこの思いに終止符を打とうとしたケインの視界の隅に、〝それ〟は入り込んだ。


ずっと、ケインと〝リサ〟がまやかしの日々を過ごしていた間もずっと眠り続け、微動だにしなかったその女性が、寝台の上からケインを見つめていた。

闇を閉じ込めたような漆黒の両の瞳で、確かに。




瞳まで黒なのか。

現実感に欠けるからか、絡んだ視線そのままにまずケインが思ったことはそれだった。




その瞳には〝リサ〟から感じた彩はなく、勝手な思いと分かってはいたが、落胆を感じざるを得なかった。

吸い込まれそうな双眸から、瞬きをすることで視線を外す。




そうだった。ケインは一人ではなく、この女性も居たのだ。

決して忘れていたわけではないが、ケインにとって〝リサ〟の存在感があまりにも強く光に満ちていたために、どうしてもこの女性の存在感が希薄になってしまっていた。

おそらく〝リサ〟の本体だとは分かっていても。


ケインはひとつ息を吐き、女性に近づきながら寝起き特有の掠れた声で言葉をかける。


「大丈夫か? 話せるか? 体におかしなとこはあるか?」


ケインに問われ、女性は言葉を発しようとしたらしいが、掠れた音がでるだけで喉をおさえて俯いてしまった。

それを見て喉を潤せば或いは、とケインは井戸から水を汲んでくるため、手早く外出着を羽織り戸に向かう。その間自分を追う女性の視線を感じながら。




寝台に上半身を起こした状態のままの女性に水の入った器を差し出すと、恐る恐るケインの手から受け取った。少しずつ口に含み喉を潤していく様子に違和感を感じてしまうのは、〝リサ〟がそれらの、人に必要不可欠なことを必要としなかったからか。


同じ容姿でも、雰囲気が変わるとこうも違うのだと、自分にとっての〝リサ〟は、あの〝リサ〟だけだということを、思い知らされる形となった。


――それでも、〝リサ〟はもういない。


今は女性のことを元居た場所に帰し、自分も以前の生活に戻る。そうすれば時が解決してくれることだろう。今はそのために動けばいい。




水を飲み干した女性の声は、まだ幾分掠れぎみではあるが、先ほどよりはましになっていた。


「あの、……私は、どうして……ここは、」

「雪の上に倒れていたのを、俺がこの家に連れてきた。……何か、覚えてることはないのか? 何故あんなところで倒れていたんだ? あのままだったら凍死していたぞ」

「……助けていただいて、ありがとうございます。でも、私……すみません、何故倒れていたのかは、……」

「……そうか」


ケインの言葉に目を剥き、辺りを見渡しながら呟くように言う女性の言葉は、あまり芳しいものではなかった。

だが言葉は通じるようだったので、まずは一安心といったところか。

とりあえず疑問の解消に、ケインは質問を重ねる。


「俺はケインだ。君の名前は? 覚えているか?」

「はい。私はリン、といいます」

 

若干覚束ない部分はあるが、どうやら〝リサ〟と違い記憶はあるようだ。

これならなんとかなるだろう。ケインは少し肩の荷が降りる気がしたが、それは次の質問で覆された。


「リンはどこから来た? 地面の雪がもう少し溶けたら、送っていこう」

「あの、……すみません。私に、帰れる場所は、……」

「どういうことだ? 覚えてはいるのだろう?」

「……何故、地上に出ていたのかは分かりませんが、……私は、飢饉の年に選ばれる〝人柱〟として地を統べる方の元に埋められました。……私が役目を果たせなかったことを村長に知られれば、妹が……」


怪訝そうに訊ねるケインに返された言葉は、思いもよらないもので、旧時代のことでもない限り〝人柱〟などという行為は、今ではもう聞くことのない因習だった。


古めかしい意匠の服といい、まさか、この女性は、今よりずっと以前の……。

ケインはありえないこととは思いつつ、頭に浮かんだその可能性を排除することができないでいた。

それは、あの不可思議な存在の〝リサ〟と過ごした経験も確かに影響しているのだろう。

本来ならありえないはずのことでも、起こる可能性はいくらでもあるのだと。


ことは簡単ではすまなくなった。

だが……。


ケインは大きく息を吐き、とりあえず記憶に問題はなさそうだ、となかば開き直るように、現時点で最重要と思わしきことから片付けることにした。

こういう、今までになかった思考も〝リサ〟の影響なのだろうな。


「親は? 妹の無事と、居場所は把握しているのか?」

「……私たち姉妹には親はもういなくて、私が、人柱になる役目と引き換えに、妹はそのまま村で暮らしてるはず……です。村長が、そう約束を……」


自分が人柱になるのと引き換えに、妹の命を守ったということか。

だがその妹も、ケインの考えが正しいとするならもう既にこの世には存在しない。そしてこの女性、リンにはどのみち帰れる居場所はない、ということになる。

それならば……。


「それなら、ここに居ればいい」


ケインが告げた瞬間勢いよく頭を上げたリンの信じられない、という表情に、再度言葉を続ける。


「俺はこの家に一人で暮らしてる。だから気にするような必要はあまりないと、思う。もちろん、……リン、君がいいならだが」

「……ありがとうございます。よろしくお願いします」


逡巡したのち、リンはそう言って頭を下げた。

ケインはその黒く艶やかな髪の毛がさらりと流れる様を、美しいと思った。


こうして、今度はリンとの共同生活が始まった。






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