前編
前編、後編で完結です。
『影を失くした男』の話を聞いたことがあるだろうか。私自身は少年時代に祖母から聞いたことがあるのみで、本やネットなどで見たことはない。いや、見つけられなかったというべきか。祖母が話してくれたものなので、それがどのくらいの知名度があるものか、正伝なのか異伝なのかも分からない。では私の知っている『影を失くした男』の内容を掻い摘んで説明しよう。
これは昔々のお話。この村から山を三つ、谷を三つ越えた所にある村での出来事だ。その村のお堂には天狗様が住んでおられた。見上げるような大男で肌は赤銅色、眼は真っ赤で夜でも光り輝いていたそうだ。様相はとても恐ろしかったが、心から頼めば田んぼに雨を降らせ、病気を治してくれた。天狗様のお堂にはとても珍しい宝物が置いてあり、いくら使っても減らない米びつ、姿を消してくれる蓑、暴風を起こす団扇など喉から手が出るほどの財宝ばかりだった。村人たち全員が欲しいと思ったが、天狗様を怒らしてはいけないと誰も口には出さなかった。
しかし怠け者の弥助は「少し借りるだけなら……」と思い、天狗様が留守のときにお堂へと忍び込んだ。お堂の中は煤臭く、ジメジメとしていたが、噂に聞いていたお宝がたくさん積んであった。弥助はその中で漆に塗られた箱を見つけ、隣のばあ様が言っていた『影提灯』に違いないと思い、外へ持ち出した。
ばあ様が言うには、『影提灯』とは不思議と蝋燭がなくとも煌々と周りを照らすが、影は出来ず、ただその提灯を持っている者の影を映し出すらしい。そしてその影は提灯を持っている者の言うことを聞いて働いてくれるそうな。
弥助は早速、自分の荒れ放題の田んぼへ行き、箱から煤まみれの『影提灯』を取り出した。ばあ様が言ったとおり、自分の影がむくり、と立ち上がってユラユラと弥助と肩を並べた。弥助は自分の田んぼを耕すように影に向かって命令した。影は文句も言わず田んぼを耕し始めた。その仕事の早いこと、弥助が一日かかる仕事をあっという間に終えてしまった。弥助は調子に乗って他の仕事も命じた。影はまたも文句も言わず仕事を始めた。その様子を見て安心した弥助は思わずウトウトと眠ってしまった。そのとき、うっかり提灯から手を離してしまった。弥助が、影を働かせている間は提灯から手を離してはいけないというばあ様の言葉を思い出した頃には時既に遅し。影が風のような速さで弥助の下へやってきて周りをゆらゆら回り始めた。影はぼぉぼぉと炎のような音を立てて弥助を包んでしまった。弥助はそのまま影になってしまい、地面に染み込んでしまったそうな。そのため、天気の良い日に地面に映った自分の影をジッと見つめていると自分の影だけではなく、弥助の影も見えてくるのだ。
私がこの話を聞いたとき、一つ疑問に思ったことがあった。それは、この話では弥助は影を失くしてはいないということだった。ただ、ルールを破って命を失っただけではないか。当時幼かった私は拙い言葉を駆使して祖母を問い詰めたことがあったが、祖母は「弥助は影を失くしたんよ……」と答えるのみで納得のいく答えをもらうことが出来なかった。
この昔話に対する疑問は喉元に引っ掛かった魚の骨のように、いつまでも私の心の中に在り続けた。そのような事があったためか、私はこんな誰が読むか分からない話を書いているのだが……。
私自身、何故この話にそこまで引かれるのか。話の内容としては、ただの怠け者は碌な目に遭わないという教訓と、エンメルトの法則のもっともらしい解釈という、極々ありふれたものだ。やはり、『影を失くした男』という題と内容が一致していないということに納得が言っていないのだろうか。そう、例えばだ。『桃太郎』の桃太郎が桃からではなく、瓢箪から生まれたらおかしな話だろう。その場合は題名を『瓢箪太郎』としておくのが適当だ。桃から生まれたから桃太郎なのだ。
つまり、内容とは食い違う題名だろうが、その形が残っているなら『影を失った男』という題はその内容に最も適したものに違いない。
では、私の読解力が足りていないのか。物語上では弥助は影を失っているのか。もしくは――祖母が間違っているのか。今や祖母も米寿を終え、野良仕事もあまり出ないで一日中テレビを見ているらしい。耳は遠くはなっているが意識ははっきりとしており、今でも私や父を叱ってくれる。さすがに、私が少年だったころのように箒で叩くことは無くなったが、そのバイタリティ、生命力は一見すると衰えてはいない。私が『影を失くした男』を訊いたのは幼いころだった。それから、改めてこの話を訊ねるのが何処か気恥ずかしく、聞けずじまいだったため、私の記憶違いなのかもしれない。祖母が元気なうちに再度聞いておくべきだろう。
ここまで私はノートに書き込んで筆を置いた。祖母の家まで車なら高速を使って四、五時間といったところだ。今からなら夕方には着くだろう。私はノートと携帯だけを手に、家を出た。何故もっと早く行動に起こさなかったのか、そんなことを思いながら。
祖母の家に近づくにつれて街灯が減り、店の明かりも消えていく。私が幼いときは今走っている道も舗装されておらず、揺れに揺れたものだが。
山間の町は何処か寂しく薄ら寒い。無性に人恋しくなるというのだろうか。若者が流出していっているらしいが、この町では仕方がないことだろう。確実にこの町は老い、死んでいっている。
舗装された道も終わりを告げ、剝きだしの土を走り続ける。周囲の畑には何も植えられておらず、闇が広がっている。自分の車のライトだけが先を照らしており――弥助はこの闇の中にもいるのだろうか。そんなことを考えてしまう。
そんな下らないことを考えているうちに祖母の家に着いた。こんな田舎では存在理由も分からない木製の門を潜り、車を停める。縁側から覗く障子から光が漏れており、祖母がまだ起きていることを教えてくれる。庭には大量の植物が植えられており、納屋には耕耘機が置かれている。あまりに変わっていない庭を見て、弟とかくれんぼをしたことを思い出してしまい、不覚にも頬が緩んでしまった。
あのころは良かった、なんて感傷にも浸ることもなく、玄関を開ける。ガラガラ、と来訪者の存在を告げる音は祖母の耳にも届いたようで、ガラス戸を引いて祖母が顔を出した。
「ただいま、ばぁちゃん」
「あれぇ、樹けぇ? 何でこんな遅くに。ばぁちゃん、もう寝るとこだよぅ」
長年の畑仕事のため曲がってしまった腰に手をあて、玄関口まで祖母が出てくる。
「いやさ、仕事も休みだし、ばぁちゃんに訊きたい事があってさ」
私が靴を脱ぎながら答えると、
「明日でいいけぇ? ばぁちゃん寝るから。戸締りして、洋室に布団引いて寝ぇ」
それだけ言うと祖母は自分の部屋へ行ってしまった。事前に連絡しなかった私も悪いが、孫を放っておくのもどうかと思う。六時に若者に対して眠れというのは酷だ。暇を持て余した私は火の消えた炬燵に座ってノートを開いた。
ここで私が書き残したことを記しておく。それは題名が持つ意味作用だ。前述では題と内容は切り離せないと記した。今もこの考えは変わらないが、題名とは内容と共に生まれたものではなく、内容が先んじて作られ、それに物語の性質を示す「題名」がつけられるのである。名を与えられるまではその話の性質は無いに等しい。非常に乱暴な言い方だが、名前が無くては事象は存在し得ないのだ。『浦島太郎』が『浦島子』だろうが、『舌切り雀』が『腰折れ雀』だろうが、それは性質を示すものにしか過ぎない。しかし、その題が消えた瞬間に、本質を表す内容は消え去ってしまうのだ。「名」は後に付けられるものだが、それが持つ拘束力はまるで呪いのように、自己が消滅するときに本質すら道連れにする。では中身、本質は何処に存在するのだろうか。いや、存在しえるのか。それこそ、存在していないのではないか。
「弥助」とは「名」である。そう考えると中身、本質は何処にあるのだろうか。臓物が本質だ、と言われて頷くものはいないだろう。脳が本質だ、と言われては頷くものもいるだろう。では、その脳を取り除き、弥助の横に置く。そして人々に「どちらが弥助だ?」だと訊ねたら十中八九、脳を取り除かれた弥助を指差すだろう。この問題はかつての賢人たちが三区分法を駆使し、賢者と王者の問答を書物に記したが未だに答えが出ていない。『影を失くした話』とは一体何を示しているのだろうか。以前、友人に考えてもらった答えは、「影とは弥助の本質であり、その認識作用を提灯が担い、バランスを取っていたが、その提灯を離すということは世界を見失うということであり、「名」から解き放たれた「本質」が己の「名」を求めたが、事実上繋ぎとめていたものが一時的に離れたことにより変質してしまったことで「弥助」と「影」は同一の存在で無くなってしまった。そのため自己否定を起こした」というものであった。
この考えは恐らく、正否はともかく辻褄は合っている。提灯とは本質を映し出す装置だとでも言えば非常にもっともらしく聞こえる。しかしそれでは『影を失くした男』ではない。それこそ『名と影を失った弥助』でも良いし、『影に食わるる弥彦の話』でも良いのだ。『影を失った男』なのだ。題名には弥彦ではなく「男」が使われ、失ったのは「影」なのだ。はっきりと「命」が失われたとは何処にも書かれていない。もちろん、内容としても死んだとは書かれていない。重箱の隅を突くような考えだが、私はここで妥協してはいけないような気がする。自分のこととはいえ、これでは偏執狂だ……。
朝、祖母が動いている音で眼が覚めた。朝と言っても季節は冬だ。まだ陽光は差しておらず、正直夜と変わらない。
祖母はこんな寒い中、箒とちりとりで家中掃除しているらしい。ザッザッと箒と畳が擦れる音が壁越しに聞こえてくる。枕もとの携帯が示す時間はまだ朝五時を過ぎたところだ。私も昨日は九時過ぎには床についたが、正直まだ眠い。もうすこし、もうすこし……居心地の良い布団の中でまどろんでしまう。
そんな私を知ってか知らずか、祖母が洋室へ入ってくるなり掛け布団を剥がしてしまう。この寒さの中では田舎特有の薄い毛布は何の意味もなさない。
「こら樹ぃっ、こぉな若いもんがみっともない。ほら、顔洗ってぇ」
その毛布すら奪われた私は渋々洗面所へ向かった。
朝六時、祖母と向かい合って食事を取っている。白米、大根の味噌汁、漬物、塩を吹いた梅干、納豆と非常にバランスが良い。小さい頃は大嫌いだったこの献立も、この歳になると美味しく感じるのだから不思議だ。
祖母は食事中は一切話さない。私自身も食事中は話してはいけない、と育てられたため、喋らない。黙々と食事を済ましていく。テレビもつけないため、聞こえるのは箸が食器に当たる音と、お互いの咀嚼する音だけだ。
「――ごちそうさま」
一足先に食事を終えた私は席を立ち、洋室へ向かう。携帯のメールチェックを済ますと居間へ向かう。正直、こんな朝早くすることが思いつかない。
居間の炬燵には既に祖母が座っており、眼鏡をかけて新聞を読んでいる。私も炬燵に足を突っ込んで、祖母に昨夜おあずけされた質問を再度問う。
「ばぁちゃん、訊きたい事があるんだけど」
祖母は眼鏡をくいっと下げ、
「洗い物。食器も冷やさんで……。ばぁちゃん、そんな子に育てぁ覚えないよ」
失念していた。自分が使った食器を流しの桶の中に漬けておくのがルールだった。私はそれを忘れていた。祖母には逆らえない、私は大人しく台所へ向かった。
そもそも「影」が示しているモノとは何なのだろうか。「本質」なのか、それとももっと別のものなのだろうか。仮に「本質」だとしたら「名」を用いることで支配しているのだろうか。前述した友人の話だと「名」が提灯を持つことで「本質」を使役した。これと形が似ているのが「真名」という概念だ。これは日本だけではなく、アニミズムが根付いている文化では良く見ることが出来る。本当の名前が「真名」であり、これを知られることは己が支配されるということなのだ。現に、一生自分の名前を誰にも教えず、仮の名だけを何度も変えて生きていく部族がいるぐらいだ。それほど、「名」とは重要なものなのである。これは「言霊」という文化とも繋がっている。言葉には力が宿っている。これの分かりやすい事例が「忌み言葉」だ。これは猟師など山へ潜る者たちが使ってはいけない、使えば良くないことが起こるとしてそのような「言霊」を差して言う。不思議なことだが、この言葉が力を持つと言うのは他文化で見られるものがある。その宗教では言葉とは神から剥がれ落ちた知識なのだと言う。それには力が宿ると言う。話が大分ずれてしまった。つまりは「名」ひいては「言葉」の持つ力は強大だと考えられているということだ。馬鹿馬鹿しい、心の何処かでそうは思うが、心の違うところでは全くだと思う。得てして、そんなつもりは無くともたった一言の言葉が絶大な力を持つことを私は、知っている。「死ね」と言われれば心は曇る。これも立派な「言霊」の力だろう。――そして『影を失った男』の「言霊」は未だに私を離してくれないようだ。
食器が洗い終わって居間へ戻る。祖母は未だに新聞を読んでいる。手持ち無沙汰になった私は七年前に亡くなった祖父の仏壇へ線香をあげる。この前のお正月に来たばかりだが――いや、お正月に来た、ということを理由に来るという努力をしていなかったのだろう。昨日だって『影を失くした男』のことをまとめていなかったら今は此処に居なかったに違いない。そう考えると私は、自分の都合の良いときだけ祖母を訪ねた自分がひどく恥ずかしく思えた。
「じぃちゃんも、喜んでるよぉ」
祖母がニコニコ笑っている。その笑顔がさらに私を恥ずかしくさせた。私はただ、何となく線香をあげたに過ぎない。手を合わせたときも特に何も考えてはいなかった。ただ、義務的に、無意識的に行動しただけであった。祖父に、申し訳無く思い、ほんの少し頭を垂れた。
祖母はみかんを皺くちゃの手でこねくり回しながらテレビを見ている。和室には似合わない大きな薄型テレビだ。何の意味があるか分からない地デジ化というものに付き合わされた挙句に購入したものだ。正直、毛穴まで見えるため非常に気持ちが悪い。代わりに子犬と子猫の映像でも流しておけばいいんじゃ……などと下らないことを考えてしまう。
「樹ぃ、ばぁちゃんに聞きたいこぉがあんけぇ?」
「え? あ、あぁうん。そう、ある」
突然話しかけられて少し吃驚してしまった。
「ばぁちゃん、『影を失くした男』の話って覚えてる? ほら、小さい頃話してくれた」
「あぁー、覚えてるよぉ。弥助が天狗様ァちょっかい出して消えちまった話なぁ」
「悪いんだけど、さ。もう一回最初から話してくれない?」
頼まれた祖母は昔のように、目をつぶって語り始めた。言葉遣いが違うが、私がノートに記したものと概ね同じだった。
「ばぁちゃん、その話の題名って昔から『影を失くした男』なの? 『影を失くした弥助』じゃなくて」
祖母は不思議なことを聞く奴だ、呆れたように答えた。
「ばぁちゃんのばぁちゃんが『影ぇ失くした男』って言ってからそうだぁなぁ。ばぁちゃんのばぁちゃんのおっかあさんが話してくれったってぇ」
「弥助はさ、死んだの?」
「あぁ、それはばぁちゃんのばぁちゃんが言ってたなぁ。神隠しじゃなくてぇ、死んでもなくてぇ、まだ生きてるけぇ、たまに弥助が見えるってぇ。んとぉ……」
――まだ、生きてるだって?
私の驚きをよそに、祖母がまた眼をつぶった。何かを思い出そうとしているようだ。
「ばぁちゃんが見たって言ってたなぁ。蔵ん中で見たって」
何を言っているのかが良く分からなかった。弥助は生きている? 見える? どういう事なのだろうか。
「……弥助が生きてるの? あと見えるってどういうことさ?」
思わず身を乗り出してしまう。ばぁちゃんはその分後ろに下がる。
「生きてるってのぁ、ばぁちゃんも知らんけぇ。見えるってのぁ、あん眼がチカチカするんじゃなくて、蔵ん中でばぁちゃんが見たって」
「蔵の中でって……ウチの? どんな風に?」
「ウチん蔵だけど、姿ぁ知らん。ばぁちゃんも聞いてなかぁ」
そこまで言うと祖母はみかんを剝き始め、一つを自分の口の中へ、もう一つは私の中へ押し込んだ。
「……ぐむ」
「そんあ知りたかったら、あん図書館か公民館へでも言ったらいいぁ」
みかんを飲み込み、
「いや、そっちは全部調べた。他にこの話知ってる人っている?」
あらかじめその手の郷土資料館は調べておいた。大きな図書館でもネットでも、果ては大学の古臭い資料まで紐解いてみたが全く情報が出てこなかった。似たような幾らでも出てくるのだが『影を失くした男』は一切出てこなかった。似たような話からどんな風に伝播したかも調べてみたが、それも功を為さなかった。まるであらゆるぽっかりと開いてしまった穴のように、情報を手に入れることが出来なかった。私にとって情報源は祖母しかいなかったのだ。
「んぁ、いんなぁ。いんけぇ。だってこの話ぃ、ばぁちゃんのばぁちゃんのおっかあさんが見てぇ、持ってきてもんやけぇ」
「……え? どういうこと?」
「ばぁちゃんのばぁちゃんのおっかあさんはぁ、ここへ嫁いだきたけぇ。そん村かぁ。だけぇ『影ぇ失くした男』は、ばぁちゃんのばぁちゃんのおっかあさんの村の話だもん」
次々に新しい情報が入ってきてピースが組み立てられない。
「じゃ、じゃあその村はっ!?」
「無いなぁ」
思考が、停止する。
「……な、無いって? どういう……?」
「ダムん沈んだけぇ、無いんよ」
――あぁ、辿り着けない。
私は「目の前が真っ暗になる」という言葉がそのままの意味を持っていることを初めて実感することとなった。




