終
【キリアン】
エイファと出会ったのは10歳のときだった。
婚約者を選ぶために開かれるお茶会、という名目のただの権力争いの場に、辟易した内心を隠しながら出席していた。
どの令嬢も華美に飾り立て、甘ったるい香水さえつけていた。その親である貴族たちは言わずもがなである。
息苦しさを押し殺して、まったく美味しくないお茶で唇を濡らしながら、次から次へと現れる令嬢の挨拶を受け続けた。
第二王子という立場は婚姻相手として適度に魅力があるのか、王太子である兄のときより人数が多いらしい。多少身分差はあっても選ばれるかもしれないという、つゆほどもありがたくない欲が貴族たちの間で働いている。
一通り終わったのか、ようやく人の波が途切れたとき、すばやく席を立った。
義務は果たしたはずだから、また捕まる前にさっさと引き上げようと短く挨拶して息詰まる場に背を向けた。
少しでも早くこの場から離れたかったので、廊下ではなくテラスから中庭を抜けて戻ることにした。
このときの、この選択を一生誇りに思うだろう。
ホールを出て外気を吸い込んで、強張っていた体の力がわずかに抜けたのを感じた。
周りを見る余裕ができてやっとテラスに先客がいたことに気がつく。
自分よりも年下の少女だった。
ついさっきまで見ていた令嬢たちとは違って、飾り気はないが清潔感のある品の良いドレスを着て、装飾品など何もつけていない。
その分艶やかな黒髪の緩い巻き毛が印象的な立ち姿だ。
耳をすませ何かを聞いているようだ。遠くで高く澄んだ鳥の声が聞こえるからそれだろうか。
近寄ってきた父親と思しき人物が声をかけると嬉しそうに笑う。
目を輝かせて満面の笑みで父親の耳元に口を寄せ何かを伝えると今度は二人で目を閉じ耳をすませる。
しばらくして目を開けた二人は楽しそうに笑っていた。
この世界に生まれて、初めて知っている風景に出会えた。
親と子が触れあって笑いあっている。何の含みも憂いもなくただ幸せそうに笑っている。
それだけなのに涙が出そうになった。
十年間一度としてそんなことはなかったから。
自分に『家族』はいなかった。血のつながりはあってもあの人たちは『家族』ではなかった。前世の記憶があるから『家族』と思えないのかもしれないと考えてもいた。愛情も触れあいもないがそれが当たり前なのかと。
けれどこの世界にも『家族』があることを今目の前で証明してくれていた。
後ろに控えていた侍従に確認すると男性はおそらくマクラウド侯爵であろうとの返事だった。そつのない侍従があいまいな回答をするほど、マクラウド侯爵は社交から遠ざかった貴族であった。
この場は該当する令嬢がいる高位貴族に対しては強制参加であったため出席していたが、実際には選ばれる気がないので挨拶の列にも加わっていなかった。
無遠慮な視線に気がついたらしい。
侯爵が少し慌てたように、娘の肩を両手でそっと支えて体ごと自分の方へ向き直らせた。
少女の森のような緑の瞳が自分を見ている。
「きみもお茶会の参加者?」
祈るような気持ちで目の前の少女に声をかける。これからもずっとその目に自分を映して欲しいと願う。
「はい。お初にお目にかかります、キリアン殿下。エイファ・マクラウドでございます」
そのときからずっとエイファに恋をしている。
最後の書類に目を通し、署名欄に自分の名前を書き記すと、待っていた執政官に渡す。
「ありがとうございます、陛下」
受け取った書類を丁重にしまうと、恭しく頭を下げて退室していった。
いま署名した書類は王制撤廃と議会統治制への更改を承認する旨の宣誓書だ。
思ったよりも長くかかったがやっと一区切りつく。ルフェヴ王国は今日で終わりだ。
この王宮からもようやく出られる。いや、もはや『王』はいなくなるのだから『王宮』というのもおかしい話だ。
侍従に無理を言って、忙しい三人を部屋まで呼んでもらった。夕暮れの空を窓から眺めているうちにそろってやってきた。忙しいはずの三人が短時間できたことに苦笑いがこぼれる。自分と同じように少し感傷的になっているのだろうか。
「コルム、オーエン、ニール」
待っている間に用意した酒を座らせた三人の前のグラスに注ぐ。手酌で自分の分を注いだのち、顔を上げてそれぞれをしっかりと見た。
「これまでの献身に感謝する」
「もったいないお言葉です」
「我々はそれぞれが自らの意志で陛下の進まれる道を選びました」
「一片たりとも後悔はありません」
月日を重ねた証拠が三人の顔にも、自分の手にも表れている。その手でもったグラスを掲げると三人も同じようにグラスを手にした。
「そうだ。もう陛下ではなくなるぞ、オーエン」
昔に聞いたような台詞がニールの口から出てきた。
「ニールの言う通りだ」
コルムもわざと聞いたような台詞を続ける。
「けれど、そんなに慎重になる必要はないな」
「ぐっ…。申し訳ありません、キリアン様」
含み笑いを含んだコルムの声に憮然となる生真面目なオーエンに思わず笑みがもれる。
初めて人を手にかけたあの日から背負った覚悟に値するものをなし得たかどうかはわからない。それは自分が決めることではないから。
それでも苦難の道を共に歩んでくれた友に心から感謝している。
「本当に、ありがとう。そして、乾杯」
「「「乾杯」」」
「まあ、お酒臭いですわ」
「久しぶりに四人で飲んだから、つい飲みすぎたかな」
寝室で待っていたエイファにすぐにとがめられた。父上があまり酒を嗜まれる方ではなかったから、エイファは酔っ払いが嫌いなのである。
「仕方ありませんわね」
それでも年を経ても変わらぬ緑の瞳に自分を映して、優しく笑って抱きしめてくれた。
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ルフェヴ王国最後の国王キリアンは即位後、さまざまな行政改革を行った。国土を正しく測量し、生産性に見合った税率の設定。軍費の無駄の排除。領地の境を越えた交通手段の整備。医療機関や教育機関の拡充。主に貴族だが平民も参加している評議会の設立。
そして最終的に王制廃止と寡頭制に移行することを発表し、王国の長い歴史は幕を閉じた。王家であったカルフーン家も一貴族として国の運営に携わり、次代は血統ではなく能力で決定することを遺訓とした。
最後までお読みいただきありがとうございました。




