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聖女の傀儡  作者: K
18/18

油断

 稲瀬と榊原は碇家を後にし、警察署へと戻ってきていた。警察署のこじんまりとした一室には一つのデスクが置かれており、その上にはノートパソコンに大量の資料らしき紙が山積みになっている。

 お世辞にも綺麗とは言えないその部屋で稲瀬と榊原の二人は人目を避け、話し合いをしていた。


「と、これが彼とのやり取りの詳細だ」


 稲瀬は碇家での佳とのやり取りを文字に起こした紙を榊原に手渡す。紙を受け取った榊原は、呆れたように呟いた。


「よくまぁここまで、流石の真面目っぷりすね」


「そんな戯言はいい、一見当たり障りのない応答だったが……」


 榊原の言葉を一蹴し、稲瀬は神妙な面持ちで言葉を続ける。


「櫂斗、お前は碇佳を見て何を()()()()()?」


 稲瀬の質問に榊原は少し考える素振りをし、先程までのふざけ気味の表情が一瞬にして消え彼の態度は冷淡なものへと変貌した。


「そっすね……()()ついていなかったですよ、ただ敵意をバリバリ感じましたね、相当警戒してましたよ、何か隠してる可能性は十分にあります」


「黒、か……」


 その言葉を発すると同時に、稲瀬の目に鋭い眼光が宿った。




 桜の季節が過ぎ、照りつける陽射しが肌を刺激する季節。

 狼との戦いから三ヶ月が経ち、右腕もすっかりと完治した佳は夏用の半袖の制服を見に纏い下校している最中だった。

 麗華とは定期的に連絡を取り合ったり、報告会という名の食事をしに行ったりしている。

 この三ヶ月、二人の前にバケモノが現れることはなかった。しかし、数は減ったが行方不明者は未だに出続けている。

 行方不明者の情報や死亡者の分析はしているものの未だ手がかりがない為、佳と麗華の二人は行動に移すことができずにいた。

 家が目前まで迫った所で彼は家の前で母が誰かと話している事に気がついた。どうやら相手は向かいに住む葉山さんの妻、洋子(ようこ)さんのようだ。


「佳、おかえり〜」


 母がこちらに気づき声をかける。その姿が仕事着であったことから、母は仕事から帰ってきて家に入ることなく会話を始めたのだろう。


「あら佳くん、お帰りなさい」


 続いて背を向けていた洋子さんもこちらに振り返り笑顔を向ける。その腕にはまだ一歳にも満たない息子の陽太を抱いている。


「あ、ただいまです」


 彼は足を止め、洋子さんに軽く会釈する。

 彼女だけでなく母に対しての応えでもあったが、二人同時に声をかけられた為、佳は砕けた敬語で返事をした。


「佳くん、最近学校はどう?」


 家に入ろうと再び歩き始めた佳に対し、洋子さんが話しかける。

 できれば早く帰宅してバケモノに関して色々と調べたり今までの情報を整理したい気持ちが彼にはあったが、母の唯一のママ友を蔑ろにしてまで優先することではない。


「まぁ、ぼちぼちですね」


 再び足を止めた佳はアバウトな彼女の質問に苦笑する。


「あ、そういえば聞いてよ洋子さん!佳ったらこの間交通事故に遭って」


 内容はアレだが、ママ友の他愛のない会話が再開したのを見計らい、三度(みたび)帰路に就く。


「えっ!?大丈夫なの?」


 しかし、内容的にこれが必然かもしれないが、会話の矛先は佳へと向けられる。彼女の表情には驚きと困惑、そして憂慮が入り混じっていた。

 動き出していた右足が不自然な挙動で地につく。声をかけられ、半歩の所で無理矢理静止したからだろう。


「えっ、ま、まぁ三ヶ月前なんでもう大丈夫す」


 そのせいか佳は素っ頓狂な声をあげかけた。(すんで)の所で抑えられたのは彼の反射神経の良さが発揮されたのだろう。

 その後、何度も家に入ろうと試みたものの二人の話題はことごとく佳に関することで、話を振られては答え話を振られては答えの繰り返しだった。

 それもこれも洋子さんが話題や会話の矛先をこちらに向けてくるのが原因だ。彼女曰く、「若い子と話すのが好き」なのだそうだ。といっても彼女自身まだ二十六歳だ。うちの母、咲に比べればまだまだ若い。それでも万尋と話すときにテンションを上げている彼女を何度か彼は目撃している。


(なんか少しずつおばさん化してきてるなぁ洋子さん……)


 心の中でそんな失礼な事を考えていた佳は、空が赤みを帯びている事に今更ながら気がついた。


「あらもうこんな時間! 晩御飯作らなきゃ」


 腕時計に目を向けた母が驚き声を上げる。母だけでなく洋子さんも声は上げなかったものの似たような反応を見せている。

 佳はやっと帰れると心の中で胸を撫で下ろしていた。その矢先……


「あ、そうだ! よかったら佳くんうちでご飯食べない?」


 そこに洋子さんの不意打ちが撃ち込まれる。しかし、これが初めてでなかった為、彼は言葉に詰まる事なく答えを返した。


「テスト近いんで今日は遠慮しときます」


 現在は七月で既に三分のニの日数が立っている。夏休み前のテストが間近に迫っているのだ。

 彼らが通う松ヶ丘高校はここら一帯では進学校として有名だ。佳は頭の良い方だが、それでも生半可な気持ちでテストを受けられるほど生温い授業は行っていない。下手をすれば赤点追試だ。

 そしてそれは同じ高校に通う万尋も例外ではない。


「そっかー、万尋ちゃんにも来て欲しかったんだけどテストじゃ無理に誘えないわね」


 流石の洋子さんも諦めたようで、片手を頬に当てる仕草をしている。


(仕草もおばさん化してるなぁ)


 そんなこんなでやっと解放された佳は母と共に家へと帰宅した。




 帰宅早々、佳は自分の部屋へ駆け込み、着替える事もせずスマホを手にして電話をかけた。相手は麗華だ。

 コールが三回もしないうちに電話は繋がった。


『あら佳、こんばんは』


 電話の向こう側からは麗華の声だけではなく、テレビから流れていると思われる音が聴こえてくる。


「悪いな麗華、取り込み中だった?」


『いえ大丈夫よ、未希ちゃんと一緒にテレビを見てたの』


 麗華は東条家のメイドを担う傍ら、鈴木家長女である未希の家庭教師を務めている。家庭教師と言っても未希の護衛兼監視がメインだ。バケモノを視認してしまった彼女が襲われないか常に目を光らせている。

 しかし当然のことだが毎日言っているわけではない。あくまでアルバイトという形をとっている為、シフトは火金土の三日だけだ。

 今日は七月二十三日火曜だ。麗華が鈴木家にいる事はむしろ分かっていた。


「仲睦まじいようで何よりだ」


 その後、数回の他愛無い言葉を交わした二人の会話は本題へと移った。


「それで、そっちは相変わらずか?」


『ええ特に変わりないわ、ただ……』


 口火を切った佳の質問に答える麗華の声色は僅かに不安を漂わせている。


「……ただ?」


 彼女の声色が暗いことに嫌な予感を覚える。だからといってここで尻込みするわけにはいかない。躊躇いつつもオウム返しで続きを促す。


『バケモノによるものと思われる事件の発生場所が完全にランダムになっているわ』


 バケモノによるものと思われる事件自体の減少は、佳が大狼と人狼を倒してから顕著に現れている。それでも完全になくなったわけではなかった。


『以前までは狼たちが根城にしていた廃墟から約七キロの範囲で被害が集中していて、廃墟に近ければ近いほど被害は多くなっていた、でも今は街全体に不規則に被害が出てる、しかもかなりの広範囲』


 麗華の話に静かに耳を傾けていた佳は、電話越しに顔を顰める。それと同時に彼のスマホから通知音が鳴り響く。

 佳は通話のスピーカーをオンにし、スマホ画面を耳から顔の前に移す。そこには麗華からバケモノによる被害や被害のあった日付、被害にあった人物の特徴がマッピングされた地図データが送られてきた。老人ホームや病院に被害があるのは変わらないが、狼たちの時に比べ日付も人物の特徴もかなりバラバラだ。


「なるほど、バケモノの居場所が特定できない分、状況は前より最悪だな」


『ええ、良子さんに協力してもらったけど居場所の特定はほぼ不可能ね』


 行動するには情報が今ひとつ足りない。だが、敵の正体を予測するにはかなり有益な情報だった。


「悠一さんがみた大きな鷹のバケモノ……」


 佳が独り言のようにスマホに向けて呟く。通話越しに麗華の唾を飲み込む音が聞こえた気がした。


『……そうね、()()()もそのバケモノの仕業だと考えているわ』


 彼女の言う私たちとは良子や芳賀も含めた言い回しだろう。つまり、バケモノ捜査に携わっている全員の意見が一致したということだ。

 鷹のバケモノ。それは悠一が初めて視認したバケモノだ。未だ悠一以外に鷹のバケモノを見たものはいない。容姿や大きさ、特徴なども全て悠一に聞いた情報で推測することが、今できる最大限の努力だ。


「一応、タカ科の習性とか調べときます、何かしら手がかりになるかも」


『ええ、わかったわ、私たちの方でも調査を続けておくわ』


 互いに別れの挨拶を交わし、通話を切る。

 佳はスマホを手放すことも一息つくこともなく、そのまま画面に指を滑らせた。




 すっかり日も暮れ、外ではスズムシなどの虫が活発に騒ぎ始めている。

 彼が目を覚ましたのはそんな虫たちの雑音をかき消すほどの大きな音が原因だろう。部屋の外から扉を叩きながら自分を呼ぶ声に佳は深い眠りから覚醒する。

 自分が眠りについていたことに彼はようやく気がついた。


「けーい、ご飯できたよー!」


 母の甲高い声が頭に響き渡る。軽く頭痛を覚えた佳は頭を押さえながらも身体を持ち上げる。


(記憶が戻ってるわけでもないのに頭痛い……)


 覚えのない痛みに理不尽さを感じながらも、二度寝を促す体に喝を入れてベッドから立ち上がる。


「今行く」


「冷めちゃう前に来るのよー」


 佳の力ない声に、母は相変わらず元気を感じさせる声でそう答えた。

 扉の前から遠ざかっていく足音が彼の耳に鮮明に届く。やがて足音が一階に到達したのを見計らい、佳は寝る前まで握っていたはずのスマホを探し始める。

 ベッドの上に無造作に置かれていたスマホへと手を伸ばす。しかし、


(この匂い……!?)


 突如、彼の鼻腔を汚臭が刺激する。咄嗟に伸ばしていた掌を戻し口と鼻を覆う。

 焦りを露わに部屋の中を見渡す佳。流石に何もいなかったが、確認せずにはいられなかった。何故なら臭いの発生源が余りにも近すぎるからだ。遠くても十五メートル以内にバケモノがいる。少なくとも彼の嗅覚がそう告げている。

 こんな近距離まで接近されたにも関わらず気付くのに時間がかかってしまった。それ程までに深い眠りについてしまったことを悔やみつつ、佳は部屋を飛び出し階段を無視して一階へ飛び降りる。

 決して低くはない高さを足を挫くことなく降りられた安堵感に浸っている心の余裕など、今の彼にはなかった。


(みんなっ!!)


 勢いよく開けた扉からリビングの光が一気に漏れ出す。その先では座ろうと椅子を引いていた万尋と、既に椅子に座って待っている母がいた。

 母は驚いた表情で、万尋は相変わらずの無表情で佳へ視線を向けている。


「ちょっと〜、大きな音したけどだい」


「父さんはっ!?」


 母の心配を他所に佳は今この場にいない父の安否を確認する。


「お父さんならまだ帰ってきてないよ」


 佳の慌てように唖然としている母に変わり、万尋が答えを返す。


「そ、そっか……はぁ…………」


 万尋の表情は無表情だが、彼女の眼光からは『あまり母を驚かせるな』と訴えるような怒りが感じられた。

 家族の安否が取れて気が抜けていた彼に対して、彼女の視線は少しダメージが大きいものだった。悪気がなかったとはいえ驚かせてしまったことに罪悪感を覚えた彼の口調は少し覚束なかった。

 家族が無事であったことへの安心感と、万尋の眼光を受けたことによるダメージで、溜息に込められた感情も曖昧なものだった。


「……ご飯、食べないの?」


 扉の前で突っ立ったままの佳に万尋が不思議そうに問いかける。


「あ、いや……食べる、よ」


 とりあえず家族の安否は確認できたが、バケモノの汚臭は未だに彼の鼻を刺激し続けている。落ち着きを取り戻せないのも仕方がないだろう。

 食卓を挟むようにしておかれている四つの椅子の一つ。彼がいつも座っているものに腰掛ける。

 そこからはいつも通りの風景だ。母と万尋が話し、そこに横槍を入れたり話題を振られたりする佳。今すぐバケモノの元へ向かいたい気持ちを抑え、家族の傍で感づかれないよう警戒心を強める。

 今この状況で彼にとって重要なのは、バケモノの追跡ではなく家族の命だ。バケモノを討伐しようとしているのは己の記憶を戻すという理由もあるが、結果的に家族を守ることが一番の目的だ。

 だから佳はこの場を離れるつもりはなかったが、そうもいかなくなった。


「あら? お父さんかしら」


 母はリビングに響き渡るチャイムの音にこう反応した。いつもならば父は鍵を使って家に入ってくる。しかし、一度だけ鍵を無くしてしまい、致し方なく帰宅時にチャイムを鳴らしたことがある。

 基本的にこんな時間(現在時刻は七時四十七分)に客が来ることは碇家にはない。だから母が父の帰宅だと勘違いしたのも仕方がないだろう。


(父さんじゃない……)


 佳の嗅覚は普通の人よりも強くなっている。しかし、犬のように個人の特定の匂いを嗅ぎ分けることは難しい。

 バケモノのような強烈な臭い、男性の加齢臭や女性の香水。そう言った強い匂い以外は曖昧にしか分からない。

 そんな彼の嗅覚でも玄関先にいる人物が父親ではないことはわかった。そしていつの間にかバケモノの臭いが遠ざかっていることに彼は気づいていなかった。


「俺が出るよ」


 椅子から立とうとする母を静止して佳は返事を待たずして玄関へと向かう。玄関前の廊下に設置されたカメラで外にいる人物を確認する。


(洋子……さん?)


 そこには焦った様子の見知った顔の成人女性がいた。来客が洋子だったということもあり、彼は警戒することなく玄関を開けた。


「洋子さん、どうしたんで」


「陽太が! 陽太がいなくなったの!!」


 彼女の異様なまでの焦りとその言葉で、佳は全てを察した。

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