第十一章: 緊急事態(スクランブル)
シャングリラに到着してから三日間、北斗たちはゆったりと過ごして疲れを取った。
別に誰かの体調が悪いなどと言う事は無かったのだが妙にまったりとしてしまい、結局ほとんど屋敷から出ずに、アリスやパトリシアとゴロゴロして過ごしてしまったのだ。
雅臣は到着の翌朝から忙しくアチコチ飛び回り、夜遅く屋敷に戻って来ると
「北斗、私と代わってくれ」
と、アリスを寝かしてから晩酌の相手をする北斗に向かって羨ましげに愚痴った。
また、アリスとパトリシアもすっかり仲良くなり、「アリス」「パティ」と呼び捨てあう仲になったのは北斗にとっては意外だが、また嬉しい誤算でもあった。
そんな二人を見て、
「どうだい、マリア。私の言った通り、二人は仲良くなっただろう」
雅臣がマリアに得意げに言うのを見掛け、北斗は苦笑しつつも自分のとある考えに確信を抱かされた。
そして四日目の朝。北斗とアリス、パトリシアの三人はシャングリラ内の端部に設置されている自然公園エリアへと向かった。
このエリアは、地球の自然豊かな各地をモデルにした気候風土を複数のブロックで再現しており、他のエリアから入るには三つのエアロックを通る事になる特殊なエリアだ。
北と南の極地に相当するエリアは無いが、北米大陸、アフリカ大陸、ユーラシア大陸など、様々な特徴を持つ地方を再現し、動植物も自然の姿に近い状態で養育されている。
もちろん猛獣も多いので、人間の立ち入りには許可と管理官及びレンジャーの案内が必要だが、厳重な管理のもとでシャングリラ住民の憩いの場所としての役も担っている。
今回、北斗たちが訪れるのはアフリカ北部を再現したエリアで、立ち入り許可が下りる人間は非常に限られている。
そしてここには、アリスの親友の兄妹――そう、あの今は亡きバーバリーライオンの仔、エルザの兄レオと姉ナラの家族が棲んでいるのだ。
案内所と管理棟を兼ねるネイチャー・センターから、レンジャーの運転する大型SUVに乗って生息地帯へと出発した直後、
「私も会うのは久しぶりなんだよ」
リアシート中央に座った北斗の左隣でアリスが楽しそうに言うと
「それにしても、まさか『プライド』を形成するまでになっているとはね」
北斗が、感嘆のため息をつく。
「でも、そのバーバリーライオンって、とても大きいんでしょ? 食べられたりしないかなぁ……」
すると、北斗の右隣ですでにビクビクと怯えかかっているパトリシアが呟いた。
「大丈夫だよ、パティ! レオもナラも、私の友達なんだから!」
アリスが、パトリシアに向かって楽しそうに言う。と、
「ええ、レオとナラだけでなく、プライドのどの個体もアリスに対しては服従の姿勢を取りますから、心配有りませんよ」
助手席に座っていた中年女性が、振り向いてパトリシアに笑い掛けた。
この女性は、かつてアリスがレオとナラ、そしてエルザと出会った研究所のチーフだった女性で、現在はこのブロックの管理統括責任官をしている鈴木聡美と言う日本州・福島地区出身の才女である。現在の年齢は三十七歳、仕事柄か化粧っ気はまったくなく、視力回復手術が当たり前のこの時代に古風な黒縁眼鏡を愛用している独特な雰囲気を持った女性だ。
ただ、目鼻立ちはくっきりと整っており、また体力を使う仕事だからかすっきりとスリムな体型をしているため年齢より若く見え、それなりに化粧して身なりを整えればかなりの美女だと思われる。この聡美とアリスはエルザの件以来の付き合いで、お互いに歳の差を超えた友情を持っているのだ。
「聡美、服従なんかじゃないわ。レオとナラの子供も、私の大切なお友達よ!」
「はいはい、そうだったわね」
聡美の発した服従、という言葉に口を尖らせて抗議するアリスを慣れた調子でいなし、
「ごめんなさいね、私は研究者だからどうしてもこう言う表現が出てしまうの」
聡美はアリスに向かって謝った。
「うふ、いいよ! 私はそんな聡美を尊敬してるんだから」
すると、アリスも聡美に向って楽しそうに返す。
(良い関係だな)
北斗は、そんな二人の会話を聞いて微笑ましく思いつつ、
「聡美さん、『プライド』には何頭くらいのバーバリーライオンがいるんですか?」
と訊ねてみた。
『プライド』とは、ライオンがつくる群れの呼称である。
通常、一頭から三頭くらいの成熟したオスライオンを中心に、複数のメスライオンとその子供たちからなり、基本的には血縁の有るライオンで構成されるが、まれに若いはぐれライオンなどを迎え入れることもある。獲物の狩りは主にメスが行うが、手強い獲物や、仲間を襲う敵対者に対してはオスが『群れ(プライド)』を守る為に戦うのだ。
「そうですね、現在はリーダーのレオと、姉であり妻であるナラの二頭の他にオス二頭、メス四頭の計八頭でプライドが構成されています。子供はすべてレオとナラの仔ですが、今のところ遺伝病などの問題は検出されていません」
聡美は、北斗の質問にスラスラと答えた。
「なるほど……」
それを聞いた北斗は、アリスといつも一緒にいたエルザの事を思い出し、少し疑問を覚える。
「今、姉であるナラ、と言いましたよね?」
そして、引っかかった疑問に思い当り、聡美に向って質問を重ねた。エルザが生きていた当時、確かレオが長兄で次に長女ナラ、そしてエルザの順番で兄妹だった記憶があるのだ。
「ええ、レオとナラの遺伝子情報などを精細に調査していたら、ナラの方がわずかに早く生まれていたことが判ったんです。ですから、ナラ、レオ、そしてエルザの順番で生まれていた事になりますね」
聡美は振り返り、北斗にウインクしながら答えてくれた。
「なるほど、ありがとうございます」
北斗は聡美に礼を言い、自分も何度も抱いた3頭の仔ライオンを思い返した。
そう言われてみれば、確かにナラは常にレオとエルザを気遣うような素振りを見せていたような覚えもある。だが北斗自身、レオとナラに会う事自体が10年以上振りなので、姉弟がどれほど成長しているか想像も出来ない。
「そろそろ到着します。このエリアには他に猛獣は生息していませんが、一応十分気をつけて下さいね。それと、アリスと私から絶対離れないで下さい。プライドの若い個体たちも人間を襲う事はまず無いと思いますが、万が一という事も有りますから」
今度は振り向かず、真剣な声で発せられた聡美の警告に
「ひょええ……」
情けない悲鳴を漏らし、パトリシアが顔色を変えて震え上がる。
「パティ、大丈夫だってば」
真っ青になって頭を抱えるパトリシアに向かい、アリスが苦笑しながら声を掛けた。
しばらく木立の中や草原を走った後、レオたちのプライドがよく寛いでいるという場所に到着し、聡美が高倍率電子双眼鏡を取り出した。
「じゃあ、ちょっと待っててね」
聡美はそう言うとサンルーフから身を乗り出し、双眼鏡で周囲を見廻し始める。
「んー……あ、いた! あそこ!!」
と、あっという間に発見したらしい聡美の指さす方向を見ると、木立の中に光を受けて輝く黄金色のたてがみがチラチラと見え隠れしていた。
「レオ!」
アリスがドアを開けて車から飛び出し、大声で友達の名を呼ぶ。
するとアリスの声が届いたか、ピクリ、と動きを止めた黄金のたてがみの持主が木立からバッと飛び出て一直線に車へと向かって駆け出して来た。
「ほにゃあああ!?」
木立から抜け出し、草原にはっきりと姿を現したその巨体の迫力にパトリシアが情けない悲鳴を上げる。
「これは……」
北斗も、予想していたどころではないその大きさに少々驚き、思わず唸った。
動物園や映像で見た事のあるライオンに比べ、倍ほどもあるのではないかと思わされる巨大な体を軽々と走らせ、アリスに向かってくるレオの迫力と圧力は尋常ではない。
(なんだ、あれは……グリズリーよりデカいんじゃないのか?)
かつて、北アメリカ州アラスカ区で間直に遭遇した、体長3メートル超、立ち上がった時の高さが4メートルを超える巨大な灰色熊よりも大きく感じるレオに、北斗は軽い戦慄を覚えた。
また、レオの圧倒的な迫力に押されて気付くのが遅れたが、その後ろにはレオより一回りほど小さいが、やはりメスとしては破格の大きさを持つナラとその子供たちが続いて来ている。
「あはははははひえぇぇぇぇぇ!?」
パトリシアに至っては、混乱の余りか奇声を発しながら北斗の背中に齧りついて顔をぐりぐりと擦り付けており、北斗はTシャツを通して感じるパトリシアの涙と鼻水の熱い感触にうんざりさせられた。
だが、おかげで人類――ホモ・サピエンスの遺伝子に刻み込まれた『喰われる』と言う、根源的な恐怖から来る硬直を解く事が出来たので、
「パティ、お前は車の中にいろ」
「ふえ?」
涙と鼻水でぐしょぐしょになっているパトリシアを背中から引き剝がし、車の外に踊り出た。
「ほっほくとっ!?」
慌てたパトリシアが後を追ってこようとするのを制し、ドアを閉めてからアリスの隣に立つ。
脅えや恐怖など全く見せずに両手を広げて友達を待つ少女の様子を見て、改めて驚愕した北斗の眼前に巨大なバーバリーライオンが迫って来た。
「レオ! ナラ!」
嬉しそうに二頭の名を呼ぶアリスに応え、レオがグオンと小さく吠える。
北斗は一瞬、駆けて来た勢いのまま飛び付かれてアリスが潰されるのではないかと思い、身構えてアリスの前に出ようとした。が、
「大丈夫だよ、北斗。レオもナラも頭良いんだから」
アリスはそう言って、微笑みながら北斗の腕を優しく抑えた。
次の瞬間、とうとうたどり着いたレオとナラがアリスの直前で見事な急ブレーキを掛けて停止し、巨大な頭をアリスに押し付け顔をベロベロと舐め出す。
「あは、くすぐったいよ!」
レオの頭を抱きしめ、嬉しそうな悲鳴を上げるアリスの隣で、北斗は直近に見るバーバリーライオンの巨大さにあらためて圧倒されてしまった。
四つ足のままアリスに纏わりついているというのに、レオの鼻の位置はアリスの首筋とほぼ変わりなく、前足からたてがみを含めた頭頂部までの高さは160センチを超えるだろう。
他種のオスライオンよりも格段に立派で、腹のあたりまでも伸びるくすんだ黄金のたてがみはバーバリーライオンの大きな特徴の一つだ。
たてがみの無いメスのナラの体高はもう少し小さく、150センチほどだろうか。
それにしても、この二頭が後ろ脚で立ち上がったら、いったいどれほどの高さとなるのか。
どこまでも広がる草原の光の下、ゴロゴロとのどを鳴らす巨大な百獣の王と、彼らにジャレつかれて嬉しそうに笑うアリスの姿に聖女画の如き荘厳さすら感じ、北斗はぼうっと見惚れてしまった。
「ああ、怖かった……」
レオ達とたっぷり2時間ほども戯れてから、ネイチャーセンターに戻ってパトリシアが発した第一声である。
「えー? でも、パティだって子供たちに懐かれてたじゃない」
それを聞き、ニコニコとパトリシアに笑い掛けるアリス。
「うぅ……確かに可愛かったけど、でもやっぱ怖かったよぅ」
パトリシアは、そんなアリスを上目遣いで見ながら、疲れ果てた声で呟いた。
あの後、アリスの廻りで寝転んで腹を撫ぜてもらったり、聡美が用意して来た肉を貰って食べたりして落ち着いたレオやナラ、それに子供たちのまったりとした様子を見て恐る恐る車から降りたパトリシアだったが、物珍しさからかあっという間に子供たちに囲まれて押し倒され、全身をベロベロに舐め散らかされてしまったのだ。
「ああ、パティは大人気だったな」
その時の様子を思い出し、ぷっと吹き出しながら言った北斗をパトリシアがギン! と睨み、
「……北斗、ボクが脱がされた時大笑いしてたよね? 絶対許さないんだから」
ぶつぶつと怨みがましく呟く。
あの時、恐る恐る車から降りたパトリシアはライオンの子供たちに纏わりつかれて
「ひーあー」
とか言う情けない悲鳴とともに地面に転がされてしまい、懐かれ遊ばれ舐められ甘噛まれ。
だんだんとか細くなるパトリシアの悲鳴にさすがにまずいと思ったアリスと聡美が仔ライオンたちを引き剥がした。が……
ようやく解放された時には、上半身はブラまで剥がされ、下半身に履いていたサファリパンツも片足に引っ掛かっている程度まで脱がされて、無事だったのは白に猫のワンポイントイラストが入ったショーツだけと言うあられもない恰好で、茫然と草原に横たわっていたのだ。
「っぷ……いや、すまんすまん。しかしパティ、おまえやっぱもうちょっと色気の有る下着にした方が良いと思うぞ」
と、またしても小さく吹き出しつつ、相も変わらずデリカシーの無い言葉を北斗が吐いた時、
「……北斗? 女の子にそんな事言っちゃダメだよ?」
にっこりと笑いながら、アリスが北斗に注意した。
天使か女神と見紛うほど美しいその笑みに、何故かパトリシアは先ほどライオンたちが駆けて来た時とは違う冷たい恐怖を感じ
「ひぃ」
と小さく悲鳴を上げてしまう。
「……ごめんなさい」
北斗もパトリシアと同じものをアリスから感じたのか、余計なことは言わずにぺこりとパトリシアに向かって頭を下げて詫びた。
「今日はここに泊めてもらえるんだったね」
アリスによろしい、と許してもらった北斗が冷や汗を拭きながら聡美に尋ねると
「ええ、昼食は材料が間に合わないのでレーションで我慢してもらうけど、夜は外でパーっとバーベキューしましょ! 寝るのはテントとコテージ、どちらが良い?」
聡美が満面の笑みでフランクに答えた。
「へぇ、テントか! そりゃ良いね……」
それに対し、北斗が嬉しそうに言いかかったが、
「ぜっっっったいにコテージで!!」
北斗をどん、と突き飛ばしたパトリシアがくわっ! と聡美に迫り叫ぶ。
「あはは、パトリシアさん、そんなに心配しなくても人を襲う様な猛獣はレオ達のプライド以外いないから心配ないわよ。まあ、もしかするとレオ達が一緒に寝ようとやってくるかもしれないけど」
「いやーーーーっ!!」
笑いながらパトリシアを押し戻す聡美の無慈悲な言葉に、パトリシアは頭を抱えて泣き叫んだ。
時間は流れて21時半、バーベキューも終わりシャワーを浴びた一行は早々とネイチャー・センター宿泊棟のベッドに入っていた。
本来泊まるはずだったコテージは照明などの電機系が故障していて、それに気付いたのが夕方だったので修理が間に合わなかった。
もともとこのエリアはレオ達のプライドが暮らすようになってからは特別管理区域に指定され、一般客が泊まることは無くなったので、観光用施設の管理がおろそかになっていたのだ。
「ま、別に寝られればどこでも構わないよ」
「私も」
コテージの故障に気付いた聡美が申し訳なさそうにそのことを告げると、北斗もアリスも笑いながら聡美に問題無いと返事をし、
「あ……ありがとうございますっ!」
パトリシアに至っては、ログハウス的造りで解放感溢れるコテージではなく、しっかりとした外壁と設備を持つ宿泊棟に泊まれる事に小躍りして喜び、逆にお礼を言ったほどだ。
だがその直後、
「やっぱ、せっかくだからテント泊にしないか?」
と提案した北斗に、パトリシアは半狂乱となって殴る蹴るの暴行を加えたが、いつも通り自分の手と足を痛めてしまい、半泣きで蹲って呪いの言葉を吐き出した。
宿泊棟は、主に研修や仕事絡みで訪れる関係者用の簡素なもので、食堂や大小の会議室、シャワールームの他、四畳弱程度の酷く狭いシングルルームが十部屋、八畳程度の普通のツインルームが五部屋、そしてVIP用に十六畳程度で三~五人が過ごせるかなり広い特別ルームが一部屋有る。
だが、ツインルーム五部屋とシングルルーム三部屋は研修に来ているフラビオン国立大学・野生生物学部の教授と学生が使用しているため、部屋割は北斗が一人でシングルルーム、アリスとパトリシアが広い特別ルームと決められた。
「不公平だ! 男女間格差だ!」
と不満の声を上げ、アリスとパトリシアの二人となら問題なかろうと、自分も特別ルームに入れるように主張した北斗だったが
「じゃあ、私もたまには宿泊棟に泊まろうかな」
ネイチャー・センター管理棟に私室を持つ聡美もアリスたちと一緒に泊まって『女子会』を開くこととなり、北斗の不満は却下されてしまった。
「おやすみ、北斗」
「バーカ。狭い部屋でさっさと寝ちゃえ!」
北斗に向かってにっこりとほほ笑むアリス、ンベっと舌を出し憎まれ口を叩くパトリシア。
「ごゆっくり」
そんな二人を見て笑う聡美が北斗に手を振り、特別ルームへと入って行く。
「……おやすみ」
北斗は苦笑しつつ三人に言ってから、
「さて、仕方ないから寝るとするか」
と、自分に宛がわれた狭い狭いシングルルームへ入ってベッドに寝転んだ。
「ふわあ……明日はまた、レオたちと遊ぶのかな?」
北斗の脳裏に、夕日の中バーバリーライオンの群れに囲まれて楽しそうに微笑うアリスの姿が蘇る。
アリスの美しい金髪とレオのたてがみが夕日に煌めき、荘厳さすら感じたその光景を思い出しつつ、北斗は深い眠りに落ちて行った。
眠りについてからどれほど経っただろうか、北斗は雅臣から渡された緊急用のマイクロレシーバーの呼び出し音で目を覚ました。
「……ん?」
壁に掛っている時計を確認すると午前3時ちょい、まだ窓の外も真っ暗だ。
「なんだよ、こんな時間に……」
机の上に置いておいたレシーバーを取り、空中に投影されるエアロ・ディスプレイを表示するとレベル8、超重要緊急通信である。それを見て、北斗の脳と肉体が一瞬にして覚醒した。
「はい、こちら北斗」
(一体、何が有った?)
アリスたちは向かいの部屋でぐっすり眠っているはずだし、アリス以外の事で雅臣がレベル8を発するなど、何が起こったか予測も出来ない。
北斗がそこまで考えた時
『マリアです。お休み中に申し訳ありません』
通信機から、アンドロイド、ノワール・マリアの美しいソプラノが流れ出て来た。
「ああ、レベル8って、何があったんだ? 雅臣はどうした?」
北斗が、マリアに向かって矢継ぎ早に質問する。
「はい、緊急事態です。天王星軌道の手前、フラビオンから約5億キロメートルの位置に設置されているET:αが正体不明の物体から攻撃を受け、応戦中との事です。マスターは現在、事実関係を確認中です」
「なん……だって?」
北斗は、マリアの冷静な報告に、脳天を殴られたような衝撃を受けて絶句した。
『北斗か、私だ』
レシーバーを耳に当てたまま立ち尽くしていた北斗の耳に雅臣の声が響く。
「! 雅臣か、状況は?」
だが、茫然としつつもシャングリラからET:βまでの距離や所要時間などを計算していた北斗は、我に返って雅臣に現状を確認した。
『良くはない。ET:αを収納している管理コロニー、コークボトルの防衛隊が対抗しているが、敵の姿を捉えることすら出来ていないようだ。幸い、敵の攻撃行動は断続的で、コークボトルへの直撃が一回だけで、現在は小康状態らしい』
エレメント・トンネル・システムは、その呼び名から受ける印象とは異なり宇宙船が潜るような巨大なトンネル状の装置と言うわけではない。
エレメント・トンネル本体は直径10メートルほどの球形状のもので、この装置が時空振動を発生して、対象物を対になるもう片方のエレメント・トンネルへ転送する働きをするのだ。
また、エレメント・トンネルそのものが宇宙空間にそのまま浮かぶのではなく、システムを中に納め、管理運営するための専用コロニーが必要となる。この、エレメント・トンネル専用コロニーは古い時代の炭酸入り清涼飲料水の容器に似たその形状から、『コークボトル』の愛称で呼ばれている。
現時点では、敵と思われる者からの攻撃によりコークボトルの外壁が少々破壊されたくらいだが、このままではもしかするとエレメント・トンネル本体にまで被害が及ぶかもしれない。
雅臣の説明でそこまで把握した北斗は、「応援は?」と尋ねた。
『もう出している。が、距離が有り過ぎる。おまけにフラビオン防衛軍のほとんどが、現在地球付近で連邦地球軍と演習中なのだ。機体は有っても残念ながらパイロットが足りん。北斗、すまんが今からこちらへ戻って、インター・セプターで追加応援に出てくれないか?』
雅臣から、緊迫感のある声で頼まれた北斗は
「解った。だが、車とかでそっちまで戻る時間が惜しい。ここの格納庫に入っている作業用ウイングの緊急飛行許可をもらえないか? 機体番号と登録番号は今送る」
と、ここに着いてすぐ格納庫に収まっているのを確認しておいた最初期型ウイングのデータをレシーバーに入力し、飛行許可の取得を頼んだ。
『うむ、5分で許可を出すから、大至急、着いた時と同じ神崎家専用港へ向かってくれ。現地に最新型のインター・セプターをスタンバらせておく』
「了解。じゃあ、とりあえず港に着いたらまた連絡する」
通信を終えた北斗は30秒で身支度を整え、静かに宿泊棟を出て、24時間交代制でスタッフが詰めている管理棟に向かう。
北斗が管理棟の正面扉に辿り着くと同時に、管理棟内から夜勤スタッフが現れ
「先ほど神崎総帥から連絡を受けました。格納庫内のウイングは最初期型のポンコツですが、いつでも使えるように整備はしてあるのでご安心下さい。飛行許可ももう出ています」
と北斗に告げた。
「ありがとう。じゃあ、借ります」
北斗はスタッフからウイングの起動カードを受け取り、格納庫に走った。格納庫のシャッターは、管理棟からの遠隔操作ですでに開いている。
広い格納庫の片隅に置かれたウイングの搭乗用タラップを駆け上り、コクピットに飛び込んだ北斗は
「本当の最初期型ウイングか。良く実働状態で残ってたな」
起動カードを挿入し、次々と点灯する古風なLED照明の各部チェックランプを確認しながら、感心して呟いた。
「よし、オールグリーン! ウイング、出るぞ!」
コクピット内の照明が落とされ、全モニターが点いたのを確認して、北斗はウイングを歩かせて格納庫外に出る。
『お気をつけて!』
通信スピーカーから響いて来たスタッフの声に
「ありがとう!」
と答え、北斗は微妙なコントロールとアクセルワークでふわ、と静かにウイングを浮かせ、高度200メートルまで上昇してからアクセルを一気に全開まで踏み込んだ。
スラスターから青白い炎を噴射し、猛加速するウイングが見えなくなった頃。
「……北斗……?」
宿泊棟で聡美、パトリシアとともに眠っていたアリスの瞳が、すっと開く。
「……始まるの、ね」
そして、ベッドの上に身を起こし、アリスは呟いた。
「私も、行かなきゃ……」
アリスの左右のベッドでは、パトリシアと聡美がぐっすりと眠っている。
二人を起こさない様に静かにベッドから降り、昼間の夢でも見ているのか、寝汗びっしょりでうぬぬぐぬぬとうなされているパトリシアの耳に
「ごめんね、パティ……私は行きます」
と囁き、自分の着替えを持って部屋を後にした。
パタ、とほとんど音を立てずにドアが閉まった時
「ん……あれ?」
(何か、聞こえたような……)
パトリシアがふと目を覚まし、寝ぼけ眼を擦ってベッドから起き上がると、隣のベッドに寝ていたはずのアリスの姿が消えている。
「……トイレ、かな?」
何か、どこか違和感、と言うか胸騒ぎを感じたパトリシアだったが、眠気に勝てずぱさ、と再びベッドに倒れ込んだ。
「ん……ほくと……」
そのまますぐに夢の中に戻ったパトリシアの口から、愛しい男の名が漏れ出たのは、強力なライバルの姿が消えたからだったろうか。
パトリシアが幸せな夢に完全に埋もれた頃、ネイチャー・センターの上空に一瞬眩い光が溢れ、何者かが明け方近くの空に残ったウイングの航跡を追うように飛び去って行く。
ウオオオオーーーン……
その光の下、草原に伏せて眠っていた誇り高き百獣の王がむくり、と起き上がり、友を見送るための遠吠えを響かせた。
次回更新は明日9日(金)の予定です。
よろしく!




