第1話-4 鐘無き開戦
「どうしたんですかその怪我は!」
開口一番、ザイロの様子を見たイリオはそう叫んだ。「血だらけで……大丈夫なんですか」
「大丈夫」
そんなわけがないが、とりあえずそう答えた。いまはその話をしている暇はない。
ザイロは経緯をかいつまんで説明する。
「オールさんが?」
「そう、あいつがここに来るかもしれない。だから、とりあえずいまは逃げて」
「でもザイロさんは」
「俺は……大丈夫」
バカの一つ覚えのように、それを繰り返した。それ以外、何をいえばいいのかわからなかった。「魔法も使えるようになったし、たぶん逃げられるから」
イリオから返答はない。
ただ心配そうに口をへの字に曲げて、今にも泣き出しそうにするだけだった。
「こうしてる間にもあいつが来るかもしれない。だから、早く」
イリオは強く頷いてみせた。
「わかりました。ザイロさん、絶対に死なないでくださいね。私、待ってますので」
ザイロも頷いてみせると、イリオはすぐに出口に向かおうとした。
「ちょっと」
その背中を見て、ザイロは思わず呼び止めていた。
いや、いまじゃない。でも……それでもーー
「どうかしましたか」
イリオが振り返ってそう問う。
ザイロは一度、右側のなにもない空間を見た後、イリオに向き直って聞いた。
「近くの……湖の下に、木で作られた壁があった。たぶん、水をせき止めてるんだと思う。それが潰れたら、村が危ない」
「えぇ!」
イリオは驚きの声を上げ、素早く瞬きを二回した。
それを見たザイロは、視線を下に落とす。
「村の人達に伝えたほうがいい」
「そうですね。すぐに村にいってそのことをーー」
「知らなかったのか」
言葉を遮ったザイロの問い。それにイリオは戸惑いの表情を見せる。
「えっと、何がでしょうか」
「壁のこと。ここにずっと住んでたんだろ。気づくタイミングは、いくらでもあったはずだ」
ザイロの頭から離れなかったのはその疑問。
ここに住んでいるというのに、あれにまったく気が付かずにいままでいたというのは、考えにくい。
わかっていて黙っていたのなら、一体どんな目的があったのか。
オールがいつ来るかもわからない、危機的状況。
それでも、イリオがもし黙っていたというのなら、その心中を伺わずにいられなかった。
もしかしたら、ザイロは明日を迎えることができないかもしれないから。
「いや、私……気が付きませんでした」
イリオはゆっくりと語りだした。言葉を選ぶように。「やめてくださいよ。そんな、黙ってたら村の人達が危ないじゃないですか」
「わかってるさ。だから、なんでそんなことしたのか知りたかったんだ」
イリオの目が見開かれた。初めて見る、彼女の怒りに満ちた顔だった。
「適当なこといわないでください! わたっ……私は、知ってたら皆さんに伝えていました。こんなときに変なことを」
ザイロは目を閉じ、眉間に深いシワを寄せる。
そう、俺の勘違いなら、どれだけいいか。
でも、どうやら俺はーー
「イリオ、ごめん」
人の嘘を見抜くのが得意みたいだ。「君は嘘をつくときに、素早く瞬きをする。二回だけ」
すうっと、イリオが限界まで息を吸うのが聞こえた。
その瞼はピクピクと痙攣している。
「初めてあったときと……それから何度か、それを見てる。嘘をつくときの……癖だ」
言葉の一つ一つを発するのが重く、うまく出てこない。「俺に……心配をかけないように、嘘をつくとき……絶対にそうする」
数秒の間、自分の強く脈打つ心拍が綺麗に聞こえるほどの静寂が訪れる。
「ザイロさん……ザイロさんは、神様を信じますか?」
小さな震える声でそういうイリオの声は、今にも消え入りそうで、見開かれた瞳は暗く、どこまでも続く闇に見えた。「私はもう、わからなくなりました」
その顔は、笑っているような、それとも泣いているような。
魂の込められていない人形のように、淡々と、事の顛末を語り始めた。
イリオの両親は敬虔なライル教の信徒だった。
父は教の内部でもそれなりの地位にいたようだったが、イリオが生まれてすぐ、都市にある本部から離れ、この遠くの小さな村に移り住んだ。
その心中は完全にはわからないが、人間関係に疲れて来たのだろうと思う。
正直、生活は貧しかった。しかし、絶望はなかった。
両親も、村の人々も優しく、幸せに満ち溢れていた。
でも、物心がついてきたイリオは知り始めてしまった。貧富の差というものを。
父は顔が広く、よく遠方の人から祈りを頼まれる事があった。
その際は親子で出向くのだが、多くの人は家が大きく、権力と財力のある者だった。
病に伏せている地主のために、祈ってほしいという依頼。
ライル教には祈りに大きな力が宿るといわれ、特に敬虔なる信徒の祈りには価値が有る。
イリオも父と一緒にそばで祈った。その地主が健康になれるよう。
だが、その祈りのさなか、疑問があった。
果たしてこの行為に、どれだけの意味があるのか。
家は大きく、庭も広い。
横たわっているベッドは自分たちがいつも使っているものと違い質が高く、部屋は掃除が行き届いている。
食事も肉中心の豪勢なもの。
祈らなくても、この環境でゆっくり休んでいるのなら、自然と治るのではないか。
祈りに力が有るとするのなら、もっと持たざるべき人たちのために行ったほうが良いのではないか。
生まれた小さな疑念。それは連鎖し、大きな疑問へとつながっていく。
祈り。人。運命。天国。神。
それらすべてが偽りなのではないかと、うっすらと思い始めてしまった。
数日後、地主は元気になったと連絡があったが、祈りの成果とは思えなかった。
そんなとき、母が床に伏せた。
原因はわからない。ただもともと体は丈夫な人ではなかった。
母のために、毎日、一心不乱に祈った。
それ以外、イリオにやれることはなかった。
一ヶ月足らずで母は息絶え、その半年後、まるで後を追うように、父は流行り病にかかり死んだ。
あっけなかった。過ぎ去る風のような、一瞬の出来事に思えた。
なぜ両親はこんな簡単に死んでしまったのだろうか。
祈りは無意味なのだろうか。神はいるのだろうか。
もっとお金があれば、栄養のある食事があれば、清潔な寝床があれば、両親は死ななかったのではないか。
その時には、イリオは限界だった。
父が死んで少ししてから、自害をしようと考えていた。
だがライル教に自害は許されていない。
体に染み込んだ信仰心は、疑念があれど消えることはない。
彼女の過酷な境遇は、いつの間にか神を信じきれぬが、それでも離れられぬ歪な信仰者を生み出していた。
意味はあるのか。それを問いながら、毎日祈る日々は、胸が焦げ付きそうなほど辛かった。
そんな時、水をせき止める壁を見つけた。
崩れれば村に被害が出る。
すぐに知らせようと思った。だが、イリオはその道中、足を止めて考えた。
村には信徒がいる。もし神がいるのだとすれば、この壁が崩壊する前に、誰かに気づかせてくれるのではないだろうか。
奇跡の力で、村は守られるのではないか。
壁は永遠に決壊しないのではないか。
もし……神がいるのなら……。
「私は、試したんです。神様を」
神への疑念。それがイリオの理由だった。
なんと返していいかわからず「そう、か」とザイロはつぶやいていた。
イリオの心はだいぶ前から壊れていた。
思い返せばだが、彼女は決して暗い顔をしなかったが、その逆、満面の笑みも見ることはなかった。
心の中でこれがずっと引っかかっていたからだろうか。
考えていると、イリオはフフッと暗い顔のまま嘲笑してみせた。
「ひどいですよね。自分の疑問のために、村の人たちの命を危険にさらすなんて」
「別に、あれが決壊したからって、人が死ぬとは限らない……だろ」
慰めるための嘘じゃない。土砂崩れが起きたからといって、村まで大きな被害がいくかは実際わからない。
「だからって、黙ってていい訳ないじゃないですか」
至極真っ当な返答に、ザイロは口をつぐむ。
イリオは突然、くるりと踵を返し、出入り口の方を向いた。
「ザイロさん、逃げてください。オールさんは私のことも狙っているんですよね。だったら私が時間を稼ぎますから」
「何いいだすんだよ。これは俺の、転生者の問題だ。イリオがそんな、命をかけるようなことする必要はない」
「いいんですよ、もう。本当はどこかで終わらせられる時を探していたんです。これはいい機会かもしれません」
いい機会?
その言葉にザイロは目を見開き、すっと息を吸う。
湧き出る感情は、怒り。
何を勝手なことを言ってるんだ。
「私、すごく楽しかったです。同年代の友達なんていなかったから。だから、ザイロさんは私の代わりにーー」
「ふざけんじゃねぇ!」
教会内に、ザイロの怒号が響いた。
ゆっくりと振り返るイリオ、その目から涙が流れていた。
「でも……だって」
「知るかそんなこと!」
感情に任せ、近くの壁を力いっぱいに叩く。「ふざけんじゃねぇよ。簡単に死ぬと言いやがって。さっき、俺に死ぬなって言ってたじゃねぇか。それを、お前……自分は……簡単に」
イリオからは返答はなかった。ただ沈黙と重い空気がただよう。
「どいつもこいつも。なにもかも」
クソ……チクショウ。
拳を握り込み、床を睨みつける。
怒っていた。全てに。
参加させられた殺し合いも。勝手なことをほざくイリオにも。オールにも。この世界にも。
そして何より、自分の弱さにも。
やり場のない怒りが腹を捻り、今にも嘔吐しそうだった。
そんな時、ふと気がつく。
理由はわからない。だが、刺されていた腹。その血が止まっている。
あまりのことに小馬鹿にするかのような、呆れた笑みがこぼれた。
こんな煮詰めたドブを飲まされたような気分になるなら、いっそこのまま失血死したほうが楽だったのにと思った。
それだというのに、どうもイカれた神様はまだ死ぬなと、適当な気まぐれで俺を生かそうとしている。
その時である、ザイロの頭の中で、何かが一つ、切れた感覚があった。
一つ、長く震えた吐息をすると、そばの椅子にどかっと音を立てて座った。
「教会を出て、村に行け」
イリオはなんと返していいのかわからないのか、数秒の沈黙が続く。
「いいから行けよ!」
不意の叫びに、イリオがビクッと体を浮かせたのを感じた。
その後、ゆっくりとドアの方へと足音が遠のいていく。
「ザイロさん、その」
ドアを開くと、イリオはそう言った。「身勝手な事を言っているのは、わかってます……それでも……やっぱり、死なないでください。お願いします」
ザイロが背中を見せたまま、何も語らないでいると、ゆっくりとドアは閉じられた。
音一つない教会。
濁ったステンドグラスの前で、ザイロは静かに、怒りを溜め込んでいた。
何分かすると背後のドアがゆっくりと開いた。
それを開いたのは誰なのか、ザイロにはわかっていた。
「変わったじゃないか、ザイロ」
戸惑っているようなオールの声が、教会に響いた。「外からでも、君のひりついた魔力を感じた。女の気配がないが、それがーー」
「うるせぇ」
背を向けたまま立ち上がる。「べらべらと、おしゃべりしにきたわけじゃないだろ」
虚を突かれたのか、一瞬だけオールは言葉をつまらせたが、すぐにフンと鼻を鳴らした。
「ずいぶんな口ぶりじゃないか。どんな変化が君にあったのかは知らないが、そんな僅かな時間で僕を上回れるほどーー」
瞬間、地鳴りと共に大きく地面が揺れ、オールは体勢を崩した。
と同時、束の間に見えた不可解な景色に目を取られる。
少し上げられたザイロの右手。
それは先ほどまで魔法を使えなかった者とは思えぬほど、莫大な魔力をまとい、その掌は地面に向けられていた。
「な、なんだ。貴様の能力は……小石を浮かせる能力じゃ」
「知るかよ」
ザイロはそう返した。
説明する気はないし、原理も理屈も自分でもよくわかっていない。
ただ、わかる。
俺は今、全部潰せる。
「とりあえず、ここをぶっ壊す。不愉快だ」
そういうと、教会となりの木々。その地面が隆起し始めた。
理由は不明であるが、怒りの臨界点に達していたザイロの体からは、とてつもない魔力を放っていた。
それは能力の規模にも作用した。
ちょうど、教会の地面の深く。三メートル程下。そのあたりに小さな鉄鉱石が埋まっている。
それに魔力を込めると、力は伝播し、また他の鉄鉱石につながる。
水の波紋のようにザイロの魔力が広がると、山のほとんどの鉄鉱石を知覚することができた。
それらを思いのままに操作ができる。
今、この山はザイロの手の中にあるといってもいい。
隆起した土木は土石流となり教会にぶつかり、ステンドグラスがすべて砕け散る。
「死なないように、せいぜい頑張れ」
オールが叫ぶ間もなく、強烈な音を立てて壁は砕け、土木が流れこんできた。
とっさに、自分を飲み込もうとする土石流に『ギルラト』を放つが、それで止まる量ではない。
ドアの外まで走りなんとか飲まれることは避けたが、石や木々が体にあたり、その場に転がるように倒れると、大量の砂がかかる。
四つん這いになり、口に入った土をツバと共に吐き出しながら、肩で息をする。
「クソ! なんだ、なんでこんな……覚醒か? いや、強すぎる。どうしてここまでの魔法が使える!」
「そうだな、教えてくれよ」
オールが声の方を向くと、教会を飲み込んでできた小さな土の山、その上から見下ろすザイロ。
「お前のほうが詳しいだろ、魔法ってやつ。教えてみろよ」
「貴様ぁ!ーーグァ」
『ギルラト』を放つために手刀を構えるも、その前に風を切る速さで飛ばされた小さな鉄鉱石のかけらが、オールの体に三発撃ち込まれ、うずくまる。
「そんなに焦るなよ」
ザイロは、静かにそう答えていた。
もう、自分の感情や身体の状態がわからない。
体が昂りふるえているようで、それでいて冷たく、冷静であるような気もした。
ゆっくりと、ザイロの周りの土砂が隆起し、その土の中から大小の鉄鉱石だけが顔を出し、つながっていく。
「なんだ……それは」
震える声で問うオール。
「何だって? そうだな。あれだよ。鉄の人形。アイアンゴーレムってやつじゃないか」
鉄鉱石は紡がれ、全長三メートルほどの人形を作った。その肩のあたりに、ザイロは乗っている。
すぐさまオールはザイロに向かって『ギルラト』を放つも、ゴーレムの右手に防がれた。
右手は砕け散るも、ザイロには一切届いていない。
「そんな」
言葉を失うオール。
それに対し、ザイロは淡々と、静かながら確かな怒りをもち、独り言のように語る。
「くだらねぇ。くだらないんだよ、何もかも。神になるだの、殺し合いだの。お前も……この世界も、何もかも!」
ザイロが右手を上げると、砕け散ったゴーレムの右手が再集結し、同様に上がった。「そんなもん全部! 俺が全部ぶっ潰してやる!」
ゴーレムの右手は振り下ろされ、土煙と共に地面を揺らした。
イリオが村に降りると、村人たちは次々と家から出てきた。
見知らぬ人間などいない。皆、親戚のようなものだ。
彼女の蒼白の表情を見ると、心配し、瞬く間に彼女を取り囲んだ。
どうしたのか。体に異常があるのか。
たくさんの声をかけられるも、イリオは下を向き返答しなかった。
胸が氷のように冷たく、痛い。
皆を見殺しにしたかもしれないという罪の意識が、彼女の言葉を遮っていた。
なんと言えばいいのか。どう顔向けすればいいのか。
思案していた次の瞬間、ズシン、という地鳴りのような音が山から響いた。
「あれは……なんだ」
か細い声を出しながら、山を、教会のあたりを指さした村人。
その先を見ると石で出来た、巨大な人形のようなものが見えた。
ふと、我に返る。
脳裏によぎるのは湖の壁。
「み、皆さん! 逃げる準備をしてください!」
湖に壁があり、決壊しかけていることを口早に説明した。
「もしかしたら、土砂崩れが起きるかもしれません。皆さん、避難を!」
村人たちはすぐには状況を飲み込めなかったようだが、理解し始めたものから大声をあげて駆け出した。
イリオは再度振り返り、人形を凝視する。
「ザイロさん」




