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閑話2 パワハラ動画事件と天才後輩の謎装備

オフィス襲撃事件の数日前。

マリトは北海道は旭川にある客先での打ち合わせを終えた後、オフィスに寄らずに札幌にある自分の部屋に直帰しようとしていた。

途中、スマートフォンにコリーンからのメッセージが着信した。


『明日の17時にオフィスに来てもらえますか?』

『お願いしたいことがあります』


マリトは前職時代に、彼女に返しきれないほどの大きな借りがある。

彼女の助けになることならできる限り引き受けたい。

しかし、客先での障害の原因調査中で、明日もそのための打合せが入っていることを伝えた。


『先輩のその予定ですが、障害は解決しておきました』

『午後の打合せはなくなってます』

――なぜだ。つい二時間前まで『原因不明で調査継続』だったはずだ。


『Phytonの最新のバージョン9の仮想マシンのバグ』

『現場調査では見つけるのは難しかったはずです』

まったく、基礎レイヤのバグが枯れてないのは本当に困る。

『そのPythonのパクリ言語、バージョン更新頻度が高すぎだろ』


『パクリ言語ではないです!』

『独自開発のボタニカル指向言語です!』

怒りのスタンプ付きでメッセージが送られてきた。

『明日の件は了解。17時にオフィスで』


◇


翌日の午後、外出先での作業を終えるとマリトはオフィスに向かった。

彼の務める会社、パーセプモーションは、札幌の中心部である大通に面したビルの7階に入っている。


オフィスはワンフロアで、50名ほどの社員が働いている。

手前が営業とコンサル、奥がテクニカル部門だ。


手前側はオープンスペースでスーツを着ている社員が多い。

共有ディスプレイの画面を見ながら議論をしているチームもあれば、その周囲でノートPCを使って個別作業をしている社員もいる。


ふたつのエリアのちょうど中間、窓側に配置されたやや広めのデスクが社長の席だ。


パーセプモーション・テクノロジー社長の友田真路(ともだまこと)は、40代後半の精悍な男性だ。

友田社長は、マリトの大学時代の指導教官であり、前職で挫折した自分に新しい機会を与えてくれた恩人でもある。


ビジネスカジュアルを身につけ、机の上に足を載せた姿勢のまま、何やらブツブツつぶやきながら、両肘をついて指先を動かしている。

スマートグラスに移し出されている画面を見ながら操作をしているようだ。


社長室は別にあるのだが、社員との一体感を持ちたいという理由で、二週間ほど前にこちらに移ってきた。

社員はやりにくくて仕方がない。


マリトと目が合うと、社長は手を軽く上げて軽く合図を送ってきた。

小さく会釈を返し、そのまま奥へ進む。


挿絵(By みてみん)

◇参考挿絵:パーセプモーションのオフィスの様子


奥へ進むと雰囲気は少し変わり、ジーンズとTシャツといったラフな私服姿が増える。

ローパーティションで区切られ、社員ごとの個性が見える。

仕切りの上にガンプラが何体も並んでいる席もある。


コリーンの席は一番奥にある。

彼女は機密性の高いプロジェクトに関わることが多いため、ドア付きで鍵がかかる部屋で仕事をしている。

普段はドアは開いており、部屋の中の丸テーブルで技術的な相談に乗っていることが多い。


今も、部屋の前のデスクには順番待ち社員が座っている。

相手にしているのは10歳以上も年上で、しかも実績も折り紙付きの社員ばかりなのだが、彼女の前では格下に見えてしまう。

マリトにとって大学時代から見慣れた光景だ。


◇


質問コーナーが終わるのを待っていたときに、後輩のコンサルタントが声を掛けてきた。

たまたま、テーブルにいるのを見かけたらしい。


提案資料についての相談を受ける。

彼が悩んでいたのは、AIの動作についてどう説明すればクライアントに伝わるかという点だった。


「そこは脳のイラストでも貼り付けて、その上に『AI』って書いておいておけば十分ですよ」

「技術的な話はどう書いても理解されないので、ブラックボックスで良いんです」


マリトが後輩に伝えたのは、前職のコンサルティング会社で、上司に手厳しく言われた内容だ。

――あの頃は『そんな説明でいいわけがない』そう反発したものだったが……


マリトがメンタルに出社できなくなった原因であるその上司のことを思い出すと、いまだに心臓が締め付けられる思いがする。


頭をよぎった昔の記憶を振り払いながら、コリーンの方を見ると、相談者への対応を終え、装着していたスマートグラスと手首のベルトを片付けている。

こちらの方に顔を向けると、唇を動かした。

『センパイモナ』――


マリトは、にやりとした。

後輩へのアドバイスが聞こえていたらしい。

『自分だって大して理解していないだろう?』そう言いたいようだ。

まあ、否定はしない。


◇


帰り支度を整えたコリーンがこちらに歩いてくる。

「お待たせしました。先輩」にこりともせずに言った。

彼女は感情をほとんど顔に出さないタイプだ。

マリトには、ときどき目の奥で少し笑っている印象を受けるように思うのだが賛同者は少ない。


彼女は、通常の鞄に加えて、ゴルフバッグを小さくしたような、長さ60センチ、幅15センチくらいの細長い黒いショルダーバッグを持っていた。

「変わった形のバッグだね」

「はい。先輩にはこのバッグで回収してきてほしいものがあるんです」

「詳しいことは、外でお話します」


◇


向かった先は、札幌によくある味噌ラーメンの店だ。

店の入り口で、コートと帽子に付いた雪を軽く払い、奥へと進む。

20席ほどの小さな店で、ふたりはテーブル席に陣取り、ラーメンを注文する。


カウンターの奥にあるテレビでは、ニュース番組が流れていた。

聞くともなしに内容が聞こえてくる。

「アンドロメダコンサルティング」の話題でSNSが炎上しているという話だ。

マリトとコリーンの前職だ。

その社名を聞いただけで、マリトは今でも心拍数が上がり息が詰まるような感覚になる。


「昨年『パワハラ動画事件』が話題になりましたが、その当事者がSNSに謎のメッセージを流して失踪したというニュースです。」

聞く気はないのに、音声が耳に入ってくる。

あの会社のパワハラは、自分もその犠牲者だったとマリトは思っている。


コンサル業界は、ハイレベルなクライアントに対して、それ以上の知見を提示することが求められる。

そのため、社内の資料品質のチェックは極めて厳しい。

組織文化が未成熟で、上位者の自制心が欠けていると、パワハラは蔓延する。


――オレも結構、精神的に追い込まれてしまったな……

そう思ってテレビを見たときに、ちょうど流れていた流出動画に目が釘付けになった。

「君の作ったこの資料ゴミだね」と言いながらこれ見よがしに資料を引き裂いている。

顔が分からないようにぼかしているが、マリトにはそれが誰か分かった。


小堀汎昭、彼の元上司だ。

心臓が止まりそうになった。

それは、かつての直属の上司で、自分にパワハラを浴びせ続けた張本人だ。


――引きこもってニュースを見なかった時期に、世の中ではそんなことがあったのか。

このパワハラ言動の動画がSNSで拡散し、会社と名前が特定され、『ゴミですね』というネットミームとして拡散を続けているというのだ。

そのためか就活生の人気ランキングの上位から滑り落ちたという。


――そんなことが起こり得るのだろうか?

そんな動画があること自体おかしいし、それが外部に流れるなど、ありえないとしか思えない。


そして、アナウンサーは新たなニュースとして、動画に映っている当事者が、不可解なメッセージをSNSに流して、行方不明になったことを報じた。

『この世界での私の物語はここで終わる。勝ち誇るがいい。だが覚えておけ。次に報いを受けるのはおまえ達だ』


「本人の車が海岸の近くで発見され、岩場からは身につけていたと思われる品も見つかっていますが、本人の消息は不明ということです」

「ネットではこのメッセージの意味について、『おまえ達』がネットユーザーを指すのか、特定の人物を指すのか、様々な憶測が飛び交っています」

アナウンサーはそう締めくくり、次の話題に移った。


「あの動画が流れたときの社内の反応はどうだったの?」

「私が辞めてからのことなので、社内でどんな騒ぎになったかは、よくわかりません」

「でも、これはちょっとやり過ぎですよね」


「アンドロメダは、皆の憧れの人気企業だからなあ……」

マリト自身、この会社に内定をもらったときには、とても得意な気持ちになったものだ。

嫉妬ややっかみが裏にあると、ネットが加熱するのは、いつものことだ。


コリーンが、じっとこちらの顔をのぞき込むんできた。

「……『自業自得だ』とかは思わないんですよね。先輩は」

「そうだな。人を追い込む感じはいやだったけど、指摘自体はおかしくなかった」

「オレは自分の作ったものが、最終的に使われず、何の役にも立てなかったことが、一番つらかったかな」


「そのあたりが、先輩のいいとこなんですけどね」

「死にそうな顔してましたよ。本当に心配したんですから」

「わたし、怒ってたんですよ。すごく」


挿絵(By みてみん)

◇参考挿絵:パワハラ動画事件のニュースが流れる


「では、そろそろ本題に入りましょう」

「先輩に回収してもらいたいのは『右腕のプロトタイプ』です」

ラーメンを食べ終えたコリーンが、静かに口を開いた。


マリトは数日前の米軍の関係者との遠隔会議を思い出した。

「ああ、中佐が回収したいと言ってたエーテルアームの初期プロトタイプのことだね」

「大学の研究室の研究の実験で使っていたものを取りに行くということなの?」


「はい。当時のエーテル・リム・プロジェクトで作られたプロトタイプのことです」

「あれを、明日中に私の手元まで届けてほしいんです」


「でも、あれは大学の研究棟にあるんだろう。明日、東京まで行ってその時間に戻るのは無理じゃないの?」

「まだ、千歳からの飛行機はあるので、今日のうちに東京に移動してください」

「チケットは手配済みです。ホテルは汐留にとってあります」

――えらく手回しが良いな……


「回収には、こちらを使います」

コリーンが差し出したのは、外からの見た目はただの頑丈なバッグだが中身は違っている。

上部のジッパーを開けると、内部にある堅牢な金属製のケースが見える。


「では、時計を付けているほうの腕を出してください」

マリトは言われるまま左腕を出した。

コリーンは腕時計を外して、代わりに別のスマートウォッチをマリトの手にすばやく装着して、うなずいた。


「重要なのは一点です。腕の回収後は、このバッグをこのスマートウォッチから2メートル以上離さないでください」

「離れたら?」

「内部保護機構が作動します。格納物のデータは不可逆的に破壊されます」

――ちょっと待て。物騒な話になってるぞ……


「その時計は盗難防止用です。

「それが近くにないと、この格納ケースの開け閉めはできません」


「時計ごと盗むことは……」

「その時計は私が持っているキーがないと外せません」

「先輩の腕が盗まれなければ大丈夫です」

「うそ……」

――たしかに開け閉めできる機構がない……


コリーンは金属製の円筒形のケースを開いた。

そして、内部に黒いスプレー缶のような形状のものをセットした。


「この中に、回収したエーテルアームを入れて閉じてください。ロックがかかります」

「その後は、2メートル以上離れるとケース内にこちらの噴霧器のガスが放出されます」

「ガス?」

「はい。腐食性のガスで、格納されている腕の内部データを化学的に破壊します」

――腐食性だと!?


「安全なの?」

「理論上、ガスが噴霧されたときには、2メートル以上、離れていますから大丈夫です」

「でも、そうなったらこの回収は失敗なので、離さないようにしてください」


「飛行機に持ち込めるの?」

「問題ありません。機内持込できることは確認済みです」


「それとこのスマートグラスを使ってください」

「連絡用です。骨伝導で私と話ができます」

「基本的には私が常時モニタリングしますが、顎の下あたりで指をタップすれば、私に話をしたいという意図が伝わります」


「『モニタリング』って何をするの?」

「はい。周囲三メートルの状況を、光学的・電磁的にリアルタイムでセンシングします」

「ちょ、ちょっと……オレのプライバシーは……?」


「もう、先輩と私の関係で、いまさらやないですか。心配いりませんて」

「ちょっと待て。都合が悪くなったんで、関西弁でごまかしたな」

「オレたちは別に、どんな関係でもないだろ!勘違いされたらどうするんだよ!」

――あれ?誰かに勘違いされると困るんだっけ、オレは?

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