五話 三匹(中編)
長距離フェリーに乗るのは、初めてだった。
乗船口は、潮風に晒された鉄の階段に、ペンキを重ね塗りした無骨な船だが、エントランスホールは意外に豪華で、ホテルのロビーの様な作りになっている。
クリスマスが近いせいか、ホールにはツリーが飾られていた。
ジョン太は、出張で何度か乗っていると思っていたが、いつも新幹線か飛行機なので、この航路のフェリーは初めて乗ると言った。
思っていたより、船内はずっと広い。
車を積んで移動するカーフェリーなので、船自体大きい。
平日だが、冬休みに入っているせいか、乗客も多かった。
一般席は、場所の指定はきちんとあるが、遮る物のない広い所に毛布と枕が置いてあるだけだ。
何処にも隠れる場所がない。
寝台を取っておいて正解だった。
ハンニバルは逆に、周囲の見通しがいい方が都合がいいのか、一般席に場所を確保して、まったり缶ビールとか飲んでいる。
由樹は、近くに居た同年代の子供と、ゲームのカードを交換していた。
意外と楽しそうだ。
しばらくすると、ハンニバルは由樹の手を引いて、通路を歩き出した。
「トイレに行くかも。先回りしろ」
ジョン太は、鯖丸に電話で指示した。
「分かった」
仕事で魔界に入る時は、全く使えないので忘れていたが、ケータイって何て便利なんだろうと思った。
幸い、個室は全部空いていたので、中に入って待っていると、由樹が一人で来た。
ハンニバルは外で待っている。
気付かれない様に、そっとドアを開けて、由樹に声をかけた。
「由樹、大丈夫か?」
「鯖くん、来てたんだ」
由樹は嬉しそうに言ったが、鯖丸は口に指を当てて、黙る様に指示した。
「大きい声出さないで。トリコも来てるから」
由樹は黙ってうなずいた。
冷静な幼稚園児だ。
「平気。何か嫌な事とかされてない?」
「うん、別に」
平気そうに言ったが、すぐに泣きそうな顔になった。
「家に帰りたい。あのおじさん、何なの」
「長くなると変に思われるから、詳しい事は後で言うよ」
鯖丸は、しゃがみ込んで由樹に言った。
「お前の父ちゃんは、変な奴に体を乗っ取られてる。みんなで元に戻せる様にがんばるから、由樹も協力して」
「うん。どうすればいいの」
「普通にしてて。怖がったり泣いたりしたらダメだ。
大阪に着いたら、ジョン太がお前を連れ出す。それまで大人しくしてるんだ」
「ジョン太って、あの、犬のおじさん?」
「そう。強そうなワンワン」
本人が聞いたら、どうかと思う表現だ。
「ちょっと荒っぽい事になるかも知れないけど、怖がらないで」
「うん。平気だよ」
「そうか、由樹は強いな。じゃあ、戻って」
「待って、おしっこ」
トイレに来た本来の目的を果たしてから、由樹はハンニバルの所に戻った。
鯖丸は、二人が立ち去るのを確認してから、トイレを出た。
強そうなワンワンは、ちょっと考え込んでいた。
トリコがどうしたのかと聞くと、あー、やっぱりこれしかないか…と言って、大阪本社に電話をかけ始めた。
「中四国支所のウィンチェスターです。実はフェリーで移動する事になりまして…ええ、ターゲットが子供を誘拐して、フェリーに乗ったので、追跡する形で。
入港直前に奪回して逃げますから、そっちで港まで車、回してもらえます?
大阪南港、21時40分着です。十五分前までに迎えたのみます」
電話を切ってから、ジョン太は少しため息をついた。
ジョン太が、本社の社長とあまり相性が良くないのは知っていた。
魔法が使えないのに、中四国支所では所長の次に偉いポジションに居る事も、良くは思われていないらしい。
名刺には便宜上課長とか書いてあるが、実際には副所長だ。
というか、特に課が無いので中四国支所に課長は居ない。
営業的に、何か肩書きが有った方がいいからと、適当に名刺を作ったらしい。
ステキにええかげんな会社だ。
「奪回って、どういう事をするつもりだ」
不安になったのか、トリコは聞いた。
「港に着く直前に、由樹君を連れて強引に降りるだけだよ」
ジョン太は言った。
「いくら、外界で魔法が使えると言っても、外界じゃみんな魔力ゼロだからな。物理攻撃魔法じゃないと、当たっても意味がない。
そんなもん、全速力で走れば、二秒で射程外だ」
二秒もあれば、ジョン太がどれくらい移動しているか知っていたが、外界では銃を持ち歩けない。
「海斗の魔法は、物を操って来るぞ。お前は丸腰じゃないか」
缶コーヒーを三人分買って、鯖丸が戻って来た。
「由樹は無事。話も出来たよ。大阪に着くまで、大人しく待ってるって」
トリコは、安心したのか二段ベッドの下の段に座り込んだ。
寝台席は、一部屋にカーテンの付いた二段ベッドが八人分並んだ構成になっている。
特等船室や一等席と違って、それ程一般席と金額差がないので、夜間の便では予約が必要なくらい混んでいるが、昼間の移動でゆっくり寝たい人は少ないらしく、一部屋貸し切り状態になっている。
「まぁ、拳銃は持ってた方がやりやすいけど」
缶コーヒーを受け取って、ジョン太は言った。
「逃げるだけなら、必要ない」
缶コーヒーを少し飲んで、何だ微糖じゃないのか…とか文句を言ってから、付け加えた。
「トリコ、お前足手まといだから、邪魔するなよ。鯖丸、こいつはお前が責任持って保護しとけ」
「そうするけど、ジョン太、言い方ひどい」
鯖丸は反論した。
「いいよ、魔界に入るまで、私に出来る事はない」
トリコは言った。
「全部任せる。言ってる意味は分かると思うけど」
「ああ、分かってる。由樹君には傷一つ付けないし、なるべく怖い目にも遭わせない」
ジョン太は答えた。
「ハンニバルは、少し痛い目に遭わせるかも知れないけど、いいか?」
「いいよ、あんな物に乗っ取られるなんて、海斗には少し、反省してもらわないと」
「ジョン太、俺も行く」
鯖丸は言った。
「いくら魔法使えなくても、トリコは俺が守らないといけない程、バカじゃないよ。
俺だって、魔法使えなくても、そこそこはやれるし」
ジョン太は、少し考えた。
普通なら断って一人で行く所だが、自信家の鯖丸が、そこそことか言っているという事は、本音はハンニバルと外界で互角にやれると思っているはずだ。
話半分でも、戦力の足しにはなる。
トリコだって、身体能力は、外界では並の女に劣るくらいだが、危ない仕事を続けて来たから、状況判断では、いい所まで行くだろう。
「分かったけど、足は引っ張るなよ」
魔界でも外界でも、強さは同じなジョン太は言った。
「向こうに着く時間が近付いたら教えるから、お前ら休んでおけ」
「お前は、休まなくて平気なのか」
トリコは聞いた。
「残念ながら、二三日飲まず食わずで寝ないでも、平気なんだよね、俺。原型のハイブリットは、もっと丈夫らしかったけど」
ハイブリットが、何の為に作られたか知っていたら、笑えないセリフだ。
人間もロボットも耐えられない、宇宙開発現場での重労働をする為に作られたからだ。
ジョン太の様なタイプは、戦闘用に特化されていて、普通の人間と混血が進んだ今では、能力を保持している者の方が少ない。
たぶん、地球よりハイブリットの人口比率が高い宇宙なら、もう少したくさん居るだろうけど。
「お前らは寝てろ。時間が来たら起こす」
ジョン太は言った。
「うん、寝る。一時間前には起こして」
鯖丸は、本気で寝た。
いつでも何処でも寝られるし、何でも食えるというのは、ある意味すごい強味だ。
魔界とか外界とか宇宙とか、関係無しに何処へ行っても生きて行ける。
「いや…本当に寝るんだ、こいつ…」
ジョン太は呆れた。
「そりゃあ寝るさ。こういう奴だから」
トリコは言った。
「大体すぐ寝るよ、こいつは」
付き合いが長い自分より、トリコの方が鯖丸の事を良く知っているというのは、変な感じだ。
まぁ、四ヶ月も一緒に住んでいれば、そんなもんかも知れない。
仕事の時は変にあっさりした感じなので、こいつらが付き合ってる事、時々忘れるな…と、ジョン太は思った。
目が覚めた時には、外はもう暗かった。
部屋の奥にある小さな船窓から、暗い海が見える。
ケータイを出して時間を確認した鯖丸は、起き出して靴を履いた。
入港予定時刻の一時間半前だ。
向かいの寝台を見ると、トリコが変な姿勢のまま眠り込んでいた。
座っているつもりだったのが、いつの間にか寝てしまったのだろう。
きっと疲れてるんだろうなぁと思ったが、そろそろ起こす事にした。
「トリコ、起きて」
軽く揺すると、少し目を開けた。
「ああ…もう朝?」
普段早起きだが、低血圧でけっこう寝起きは悪い。寝ぼけて、だいぶ変な事を言っている。
鯖丸も、知っていたので早めに起こしにかかったのだ。
「夜だよ。あと一時間半で南港に着く」
トリコは、少しぼんやりしてから、急に我に返って飛び起きた。
「しまった。寝てたのか、私」
立ち上がろうとしたが、寝起きに急に動いたせいか、その場に座り込んでしまった。
「大丈夫、まだ時間あるから」
トリコを抱き起こして座らせた所に、ジョン太が戻って来た。
一瞬、抱き合っている様に見えたので「あ、ごめん…」と言って部屋を出かけたが、状況が分かったらしく、後ろ手でドアを閉めた。
「ハンニバルは、今の所動きがない。土産物を見たり、雑誌を買って読んだりしてる。由樹君は、隣にいる子供と、ゲームやってる。携帯ゲーム機の、モンスター狩るやつ」
小さい子供が居るせいか、おじちゃん割と詳しい。
「港に接岸する直前に仕掛ける。鯖丸、お前どうにかしてハンニバルの注意を引きつけろ。
その間に、由樹君を確保して逃げる」
「その役は私がやろう」
トリコは言った。
ジョン太と鯖丸は、驚いた顔をした。
「無理だろう、それは。気持ちは分かるが」
「危ないよ。やめて」
二人は、同時に言った。
「考えてみたが」
トリコは、割合冷静な口調だった。
「あれが海斗の記憶を持っているなら、たとえ体を乗っ取れても、五歳の子供が一人で生きて行けない事くらい分かっているはずだ。
私は保護者として必要だ。だから殺される事はないし、回復出来ない様な怪我を負わされる可能性も低い」
二人の顔を交互に見て、言った。
「多少の無茶をしても、私が一番安全だ」
ジョン太は、ほんの少しの時間、考え込んだ。
「分かった。ハンニバルの注意をそらすのは、お前に任せる。鯖丸は、トリコのサポート」
「ジョン太、そんな危ない事、魔界でならともかく、こっちでトリコにさせるのはちょっと…」
文句を言い始めた鯖丸を、ジョン太は制した。
「お前には、もっと危ない役割がある。俺が逃げる時、ハンニバルが邪魔して来たら、止めろ。二、三秒でいい。いくら外界でも、それくらい出来るだろう」
「出来るけど…」
鯖丸は、ちょっと不満そうだったが、結局うなずいた。
ジョン太が指定した接岸直前の時刻には、乗船客の大半が、昇降口近くに集まっていた。
鯖丸は、甲板に出て、夜の港を見渡した。
なにわナンバーの乗用車が、少し向こうに待機しているのが見えた。
運転席から降りて、煙草を吸っている男が居た。
一年ちょっと前に、一度会っただけだが、上方ハルオ、ヨシオの、どっちかだという事は分かった。
車は、中四国支所では絶対使わない、速そうなスポーツカータイプだ。
関西の魔界は、市街地が主なので、オフロードタイプの車は、めったに使わない。
事前に連絡先は聞いていたので、一応電話を入れた。
「中四国支所の鯖丸です。ジョン太から連絡はあったと思いますが、これから動きます。よろしく」
「ヨシオや。了解」
ヨシオ兄さんが来ているという事は、本社の怪我人は、彼以外の誰かだ。
ハルオ兄さんと、エンマ君以外に、本社の知り合いは居ない。
出来ればあの二人でなければいいなと思った。
「武器になりそうな物、取って来る。ここで待ってて」
鯖丸が言うと、トリコはうなずいた。
十秒もしない内に、ジョン太から電話があった。
「ハンニバルは、お前らの真下だ。見えるか」
二階甲板の真下は、通路になっている。
昇降口に集まっている人混みから少し離れて、由樹の手を引いたハンニバルが、海を眺めていた。
こうして見ると、昔と何も変わらない。
殿の弟子に体を取られてしまったなんて、何かの悪い冗談じゃないのかと思えるくらいだ。
「ああ、居るな」
トリコは答えたが、冷静な声は出せなかった。
「声をかけて注意を引け。ハンニバルが気付いたら、すぐに後ろに下がれ」
「分かったけど、鯖丸が戻ってない」
トリコは言った。
「何やってんだ、あのバカ」
人混みの中に、ケータイを握ったジョン太が居た。
こっちを見上げて、むっとした顔をしている。
「何か、武器になりそうな物取って来るって…ああ、戻って来た」
棒的な物を持ってないと、ケンカは超弱いと自称するだけあって、どこで見付けたのか、長い物を握っている。
良く見ると、デッキブラシだ。
こんな物でハンニバルと戦うつもりとは、いい根性だ。
「ジョン太が、海斗に声かけろって…」
「うん。こっちは準備いいよ」
鯖丸は、デッキブラシをゆるく握った。
魔界で真剣を扱っている時とは、全く違う構えだが、こちらの方が堂に入っている感じだ。
二回程、部の練習を見に行った事がある。
素人目にも、あの中で一番強いのがこいつだという事が分かるくらいだった。
バカみたいに自信家なのも、それなりの努力を地道に積み重ねているからだと言う事は、四ヶ月も一緒に暮らしているので知っている。
ジョン太の様に、魔界で魔法使い相手に戦える程ではないが、外界の標準では相当強いはずだ。
トリコは、手すりから身を乗り出した。
声をかける前に、ハンニバルがこちらに気付いた。
「海斗…由樹を」
次の瞬間、体がぐいと後ろに引っ張られた。
鯖丸が、体ごと後ろにかっさらったのだ。
甲板に倒れ込んだのはトリコだけで、鯖丸は一瞬で体を反転させ、立ち上がった。
トリコは肘をついて半身を起こし、今まで自分が掴んでいた手すりが、あり得ない形に歪んでいるのを見た。
手すりが、生き物の様にうねったかと思うと、次々と根元から抜け、蛇の様に踊りながら下の通路に垂れ下がって行く。
階段の様に、手すりを登って来る足音が聞こえた。
ハンニバルの魔法は、固形の物質を操り変形させる。
所長が使う魔法と同系統だ。
魔界に居る時と違って、直接触れている狭い範囲の物しか操れない様子だったが、それでも火炎系や大気系と違って、がっちり触れられる固体を動かせるのは強い。
ハンニバルの頭の先が見えた。
片手で由樹を抱いている。
相手が見えているのに、鯖丸が全く動かないのに気が付いた。
しまったと思った。
背後に居る私を庇うつもりだ。
急いで起き上がり、移動しようとしたが、間に合わなかった。
ハンニバルが、ぽんと飛び上がって甲板に立った。
にこりと笑って、二人を見比べた。
「また会ったねぇ、武藤雄次郎君」
違う、海斗はこんな話し方はしない。
分かってはいたが、リアルに別人だと思い知らされて、ぞっとした。
「外界で本名呼ばれたって、痛くも痒くもないよ」
鯖丸は、さらっと言った。
うわー、この嘘つき小僧。不審な挙動一切無しで、嘘の名前を押し通しやがった。
「由樹を返せ」
「嫌だね」
ハンニバルは、肩をすくめて口の端で嗤った。
「トリコ、こっちへ来い」
空いている片手を伸ばした。
「子供には母親が必要だ」
「行かせるかバカ」
鯖丸は、自分から離れようとしたトリコの腕を掴んで、背後に庇った。
「お前なんか、魔界で大人しく死んでろ」
ハンニバルの表情が、微妙に動いた。
ふうとため息混じりに笑った。
「てめぇの女気取りか?遊ばれてるだけだぞ、坊主」
このしゃべり方、いつもの海斗だ。
「知るか!! 俺は本気だ」
いつの間にか、ジョン太がハンニバルの背後に居た。
足音も気配も、全く無いまま移動して来ている。
「それから、最初に言っておく」
鯖丸は、デッキブラシを構えた。
「このブラシは、便所の掃除用具入れから持って来た」
丁度、タワシ部分がハンニバルを狙っている。
良く見ると、緑色のナイロンで出来たブラシの毛から、ぽたぽたと水滴が垂れていた。何の水だぁー!!
周囲の全員が、びくりと固まった。
鯖丸以外の全員に、精神的ダメージ10。
「ふふふ、これでびびるなんて、まだ人の心が残っているんだな」
鯖丸は、不敵に笑った。
いや…それ、心とか全然関係ないから。
ジョン太は、声に出さないで全力で突っ込んだ。
「行くぞぉー」
「うわぁぁ、振り回すなぁ」
ハンニバルは、悲鳴を上げた。
「鯖くん、変な汁が飛んでるー」
おそらく、ハンニバルが攻撃を受けると、精神的には同等のダメージを受ける由樹が叫んだ。
背後に潜んでいた、ダメージ的には六割か七割のジョン太は、他人が同じパンツを二日履いていても許せないきれい好きなので、とっさにその場に伏せた。
行きがけの駄賃に、注意が他へ向いてしまったハンニバルの手から、由樹を奪い取った。
デッキブラシが、ハンニバルのみぞおちに命中し、大柄ではないがごつい体が、物凄い勢いで後ろにぶっ飛んだ。
突きを入れた勢いで、最強のウェポンだったブラシ部分が外れてしまったただの竹の棒を、鯖丸は油断無く構え直した。
ジョン太が、低い姿勢から信じられないスピードで移動していた。
由樹を抱きかかえたままた、飛び上がり、手すりを踊り越えて空中で体を捻った。
一瞬、海に落ちると思ったトリコは悲鳴を上げたが、ギリギリの場所を見切って、下の通路の手すりに着地し、更に飛んだ。
接岸の為に括られたロープの上を、二歩、三歩走り、コンクリートの湾岸に柔らかく着地した。
鯖丸が、魔界でやる様な事を、さらっと素でやっている。
さすがに、ハンニバルを乗っ取った弟子も驚いたらしく、一瞬だけ動作が止まった。
それから、我に返って動き出した。
垂れ下がった手すりを掴み、魔力を通す。
手すりが、空中を蛇の様に動き、ジョン太と由樹を追った。
ジョン太が走り出した。
異常に速いが、ハンニバルも、攻撃を仕掛けたまま、後を追おうとしている。
鯖丸は、上段から斜めにハンニバルに打ちかかった。
自分の持ち技の中では、出足は遅いが一番威力のある袈裟懸けだ。
調子のいい時なら、畳を二枚重ねていても両断出来る自信がある。
得物が竹の棒でも、人一人くらい、どうという事もないと思っていた。
ハンニバルが、攻撃を受け止めていた。
床からせり出した壁が補強していたが、間に合わなかったのか、デッキブラシの柄を直接受けたのは、利き腕だった。
いくら地球育ちのごついおっさんでも、絶対骨にひび入ってる、こいつ。
ハンニバルは、怯まなかった。
もう一方の腕で、竹の棒を掴むと、そのまま魔力を通して来た。
竹が、節を残して一瞬ふくらみ、破裂した。
手の平に焼け付く様な痛みがあったが、通って来る魔法は、全く見えないし感じられなかった。
ジョン太が普段、どんな状態で魔法使いを相手にしているか分かって、愕然とした。
いつ攻撃が来るか分からない。
人間の反射速度では、避けられない。
ジョン太が、柵を跳び越え、赤いスポーツカーに飛び込むのが見えた。
ランサーエボリューション…俗に言うランエボは、腹の底に響く様なエンジン音を上げて加速した。
元々速い車だが、ヨシオ兄さんめっちゃ運転上手い。
派手な動作もなく、ただ滑る様に加速した車は、あっという間に夜の闇に消え去った。
由樹が無事確保されたのを確認したトリコは、叫んだ。
「もういい、逃げろ、頼むから」
「俺も、そうしたい…」
丸腰になってしまった鯖丸は、後ずさった。
ハンニバルは、ゆっくりと一歩踏み出し、それからやにわに体を回転させて蹴りを放って来た。
とっさに両手でガードして、自分から後ろに飛んで威力をそらしたが、着地した所に肘打ちを食らって甲板に転がった。
気が付いた時には、マウントポジションを取られていた。
やばいこれ。後は殴られ放題の、一番良くないパターンだ。
殴りかかって来たハンニバルの腕を、どうにか見切ってがっちり掴んだ。
動体視力も握力も、こっちの方が上のはずだ。
伊達に、振り下ろした真剣を、空中でぴたりと止められる訳じゃない。
次の瞬間、もう一方の手でがつんとぶん殴られた。
まさか、怪我をした方の手で殴って来るとは思わなかったので、まともに食らってしまった。
ハンニバルは、顔をしかめながら、にやりと笑った。
「なめるな、ガキが」
もう一発殴られたが、鯖丸は掴んだ腕を放さなかった。
「ナメてんのはどっちだぁ」
そのまま、力一杯掴んだ腕を、逆向きにねじり上げた。
「こっちも折るぞ、てめぇ」
「おぅ、出来るもんなら、やってみろ」
二人は、にらみ合った。
「トリコ」
鯖丸は、体を捻って後ろに居るトリコに言った。
「今しゃべってるの、どっちだ」
トリコは、はっとした。
「海斗だ。殿の弟子じゃない」
「そうか」
鯖丸はにっと笑い、強引に体を起こして、ハンニバルにがつんと頭突きを入れ、マウントポジションを振り解いた。
「じゃあ勝負だ。トリコも由樹も、お前には返してやんねぇよ」
今度はこちらから殴りかかったが、どうやら武藤君は、棒以外で人を殴るのは苦手らしく、へろへろのパンチはあっさり避けられた。
「お前、強いのか弱いのか、どっちなんだー」
飛びかかって来たハンニバルに、蹴りが入った。
格闘技的には、全くダメな蹴りだったが、何しろハンニバルよりだいぶ背が高い上に、身長の割に手足が長い。
これだけリーチに差があると、懐に入り込むしかないのだが、攻撃はダメダメでも、足さばきは剣道の達人だ。
本気になれば容易には近付けない。
二人は、距離を置いてにらみ合った。
「面白い」
ふいに、ハンニバルの表情が変わった。
如月海斗だった男の人格が、押し潰され、崩れ落ちた様に見えた。
外見こそ変化しなかったが、その場に居るのは、殿と同じ、異界の物だった。
消え去る直前のハンニバルが、少し抵抗してもがくのが分かった。
こいつら、完全には同化していない。
「面白いぞ、お前。魔力が高いくせに、外界でここまで戦えるのか」
殿の弟子が、にやりと笑った。
口の中に深淵がのぞき、鯖丸はひるんで一歩下がった。
すうっと、滑る様に移動して来た弟子は、耳元で低くつぶやいた。
「お前の方がいいな、もらうぞ」
次の瞬間、ハンニバルの体は、甲板から身を躍らせていた。
暗い波間に、小さな水しぶきが上がった。
「何があったんだ、君ら」
船の乗務員が、さすがに異変を感じて駆けつけていた。
トリコは、とっさに鯖丸にしがみついて、子供っぽい口調で叫んだ。
「助けて!! お兄ちゃんが変な人に襲われた」
「大丈夫だから、大したことないから」
額から、何か暖かい液体が流れ落ちて来た。
手の甲で拭って見ると、額がばっくり割れて、血が流れ出している。
「うわー。俺、大丈夫じゃないかも」
「とにかく、医務室に来て。歩けるかい」
乗務員は、本気で心配して肩を貸してくれた。
「歩けます」
ポケットに入っていた手ぬぐいを取り出した鯖丸は、普通に額に当てて止血すればいいのに、ものすごく慣れた手つきで、防具の下に被る時のやり方で頭に巻いてしまった。
ああ、全然大丈夫じゃないな、こいつ…と、トリコは思った。
「大丈夫」
船員の後を付いて行きながら、全く大丈夫ではない鯖丸は、言った。
「たぶん、由樹はもう、襲われない」
「え…?」
トリコは、鯖丸を見上げた。
困惑した顔をしていた。
「俺、大変な事になっちゃったかも…」
警察に行った方がいいと言う乗務員をどうにか振り切って、船を下りた時には、入港してからずいぶん経っていた。
先ほどのランエボとは打って変わった、地味な小型の乗用車が、道端に止まっていた。
運転席のドアが開いて、見知った顔が待ちくたびれた様子で降りてきた。
「あ、エンマ君だ」
「遅いわ、君ら」
文句を言ったエンマは、頭に大げさな包帯を巻かれた鯖丸を見て、少し驚いた顔をした。
「色々あったみたいやけど、まぁ乗り」
「うん、ありがとう。エンマ君久し振り」
後部座席のドアを開けた鯖丸は、トリコを先に乗せてから自分も乗り込んだ。
「ジョン太はどうしてる?由樹と一緒のはずだけど」
シートベルトを締めながら、鯖丸はたずねた。
「ホテルで待っとるわ。君らも今日は早う休んだ方がええな」
ハンドルを握っているエンマの袖口から、包帯を巻いた手がちらりと見えた。
「怪我した本社の人って、エンマ君?」
鯖丸は聞いた。
「ハルオ兄さんや。俺は軽傷」
車を転がしながら、エンマは答えた。
それから、ルームミラーで、ちらりと後部座席を確認した。
「そっちの人がビーストマスター?」
「ああ、トリコだ。よろしく」
「エンマです。ちゃんとした自己紹介は、明るい所に着いてから、さしてもらいますわ」
エンマは、アクセルを踏み込んだ。
車は、ベイエリアを抜け、繁華な市街地を走り続けた。
ジョン太は、今晩泊まる事になっているホテルのロビーで、イライラしながら待っていた。
適当なビジネスホテルなので、大して広くはないが、二階にエントランスがあるので、通りからは離れていて、落ち着いた感じの音楽が流れている。
落ち着いていないのはジョン太だけだ。
ヨシオ兄さんは、ソファーにかけてコーヒーを飲んでいた。
隣にもう一人、キャバ嬢みたいな感じの女が、座っている。
エンマと一緒に鯖丸とトリコが入って来ると、ジョン太は遅いと文句を言った。
「うわ、お前また、そんな怪我して…」
頭に包帯を巻いて、口元と眉の端に絆創膏を貼られた鯖丸を見て、ジョン太はうなった。
「こいつ、海斗とガチでケンカしちゃって…」
トリコは説明したが、キャバ嬢っぽい女の膝の上で由樹がすやすや眠っているのを見付けて、駆け寄った。
「良かった…無事で」
「若い母ちゃんやなぁ。ほら、ここ座り。大変やったな」
キャバ嬢風の女は、外見に似合わない、人の良さそうな顔で笑った。
いや…絶対この娘、トリコより年下だから…と、鯖丸は思ったが口には出さなかった。
「外界であれとガチでやるって、そんなんジョン太以外で出来る奴居ったんか」
ヨシオ兄さんは、驚いた感じで言った。
「まぁ、剣道三段、こいつ」
ジョン太は説明した。
「足止めするだけで、いいって言ったのに」
鯖丸に、少し文句を言った。
「そんな、こっちに都合のいい所で、止められる訳ないじゃん」
鯖丸はぶつぶつ言ったが、面識のない人も混じっている状況なので、先に自己紹介から済ませた方がいいと思ったらしく、とりあえず初対面のキャバ嬢に挨拶した。
「中四国支所の鯖丸です。本社の方ですか」
「ええ、名前はサリー。よろしくね」
眠っている由樹をトリコに返して、サリーはエンマの隣に立った。
エンマ君のパートナーらしい。
「上行って、ちょい打ち合わせしよか」
ごっつい灰皿で煙草をもみ消してから、ヨシオ兄さんは言った。
「あのー、宿泊されない方は、客室への出入りは…」
フロントに居た男が、止めに入った。
「細かい事言いな、今日中には帰るわ」
「どうせなら泊まったら、ヨシオ君」
サリーは、冷めた口調で言った。
「今から関空の近所まで帰るの、面倒やん」
ヨシオ君、意外と遠くから通っているらしい。
「後、あんたらも早よチェックインして」
仕切られた鯖丸とトリコは、顔を見合わせた。
上の階に上がるエレベーターの中で、エンマは鯖丸に話しかけた。
「変わったなぁ、君」
「そうですか」
別に、変わったのは童貞じゃなくなった事くらいだと思う。
ため息つかれる程変わったか?俺。
それから、エンマ君も相当変わってしまった事に気が付いた。
「あの…エンマ君、何か小さくなってないですか?顔も可愛くなってるし、声も女の子みたいですよ」
「だって、女の子だもん、俺」
エンマ君は、さらっと言った。
「男なのは、魔界に居る時だけや。外界ではおなべやねん、俺」
「そうなんだ」
魔界関係は、変わった人が多いので、今更驚かないが、ちょっと意外だ。
「来年辺り、下の方も工事しよかと思うてんけど、ちょっと考え中」
「工事って、土木工事ですかぁ」
思わず聞き返してしまった。
あんなかっこ悪いもん生やして、何が楽しいんだー。
「土木工事って、君」
エンマは、呆れた顔をした。
「そら、建設するけどなぁ。魔界に入って、いつも通り生えて来たら、二本にならんか心配で、踏み切れんね」
「うちは二本でもええよ」
サリーちゃんが、更に建設的な意見を述べた。
「俺は嫌」
エンマ君は断言した。
六階の部屋に入って、全員が面子を揃えた所で、鯖丸は言った。
「実は、狙われてるの、由樹じゃなくて俺になっちゃって」
全員が、ええっという顔をした。
「どうしよう…」
どうもこうもないが、五歳の幼児が狙われているよりは、余程守りやすい。
ていうか、鯖丸囮決定。
「そうだなぁ」
ジョン太は、納得した感じでうなずいた。
「遺伝的に近いから、乗り換えのリスクが少ないだけで、由樹君にはその他の利点が無いからなぁ。俺がハンニバルなら、迷わずこいつを選ぶよ」
選ばれて、こんなに嬉しくない事は初めてだ。
「魔力は高いし、身体能力も高いし、年齢も若い。子供じゃないから、外界で行動の制限もない。最高だ、お前」
「最悪だよ」
鯖丸はぼやいた。
「でもまぁ、由樹が狙われてるよりは、良かったかな」
「良かったんだ…」
エンマ君と並んでベッドに腰掛けていたサリーは、意外そうに言った。
「まぁ、わしら的にはその方が楽やけど」
向かい側のベッドで、あぐらをかいていたヨシオ兄さんは言った。
禁煙ルームではないらしく、部屋にあった灰皿を手に持って、相変わらず煙草を吸っている。
隣に座った鯖丸が、ちょっと煙を避けたので、ああ、すまんと言って、脇へ退けた。
「いえ…いいですよ。ここ三年程禁煙してるから、たまに吸いたくなるんで」
「三年前は、君、未成年やろ」
ヨシオ兄さんは言った。
「どないしたら禁煙できるん」
「貧乏です」
鯖丸は断言した。
「いや、子供が居るから消せ」
ベッドの端で寝ている由樹に、布団をかけ直してから、トリコはヨシオ兄さんを睨んだ。
「喫煙者には辛いご時世やのぉー」
ヨシオ兄さんは、素直に煙草を消した。
「ところで」
エンマ君は言った。
「俺ら何で、こんな狭い部屋に、七人もみっちり詰まっとんのや」
ツインルームとは云え、ビジネスホテルなので、部屋は狭い。
「魔界関係のややこしい話、フロントのおっちゃんとか、他の客に聞かれたないねん」
ヨシオ兄さんは言った。
「特に今度は、政府筋からの依頼やしな」
話し方からすると、今度の仕事を仕切っているのは、ヨシオ兄さんらしい。
通常、この面子ならジョン太が仕切る事になるのだが、元々本社で受けた仕事だし、支所からの助っ人なので一歩引いているのだろう。
壁に作り付けられたデスクに置いてある椅子に、反対向きに掛けて、背もたれに両手を乗せたジョン太は、皆を見回した。
「で、最初はどういう話だったんだ」
「如月海斗を確保せぇ…ちゅう話や」
ヨシオは言った。
「まぁ、政府公認魔導士なんぞ、魔法使えんかったらもやしっ子みたいなもんやし、どいつもこいつも、何の足止めも出来んで、あっさり逃げられたらしいわ」
「無事に帰って来たハンニバルを、強引に確保しようとした理由が、分からないんだが」
ジョン太は言った。
「理由なら分かる」
トリコが言った。
「依頼者は、浅間龍祥という男だったはずだ。魔界名はクイックシルバー」
「ああ、そいつや。大体、魔界名にかっこええ名前を付けるのは、いけすかん奴と相場が決まっとんねん」
ヨシオ兄さん、ネーミングにはこだわりがあるらしい。
「政府公認魔導士の魔界名は、自分で付ける訳じゃないんだけど…」
トリコは、意外な事を言ってから、続けた。
「海斗…ハンニバルと組む前に、私のパートナーだった奴だ。
出世の為に殿の弟子と取引して、事実を隠蔽する為に、ハンニバルに罪を着せて追放した。どうしようもない曲者だよ」
初めて聞く話だった。
「事実関係を知っているハンニバルが戻って来たら、たとえ中身が殿の弟子でも、都合が悪い」
「どういう取引だったのか、分かるか?」
ジョン太は聞いた。
「異界の情報をもらう代わりに、異界の物がこちら側に出て来るのを黙認するという内容だ。どんな情報をもらったのかは、分からない」
異界の情報が欲しい者は、政府にも民間にも、山ほど居る。
お手柄でさぞ出世した事だろう。
「殿の弟子が、ハンニバル以外の奴の体に入ってれば、丸く収まってたんだなぁ」
ジョン太は、鯖丸をちらりと見た。
「嫌な目でこっち見んな。いっぺん手に入れたハンニバルの記憶は、分離しても消えないんだろ。手遅れだよ」
「実は、その辺が曖昧なんだ。試した奴も居ないし」
トリコは、更に嫌な事を言った。
「鯖丸が狙われてる事は、隠した方がいい。あいつ、海斗の記憶が無くなるなら、鯖丸を殿の弟子に差し出すと思う」
鯖丸は、うつむいてちょっと考えていたが、顔を上げた。
「ううん、その浅間って奴には、俺が狙われてるって言おう。でないと、由樹が同じ目に遭うかも知れない」
狭い部屋に詰め込まれた皆は、ベッドの端ですやすや眠っている子供を見た。
「囮なんだから、狙われてる方が好都合だ」
「君、だいぶキャラ変わったけど、相変わらずかっこええなぁ」
エンマは言った。
「でも、アホやろ。死ぬかも知れんで」
「その辺は…」
鯖丸は、ベッドの上に正座して、両手を合わせて皆を拝んだ。
「お願い、守って」
「かっこ悪っ」
サリーちゃんがつぶやいた。
由樹の保護先については、サリーちゃんが手配してくれた。
「キャバ嬢とか、もうちょっとダークな仕事してる娘とか、あと、不法滞在のお姉ちゃんらの子供、預かってくれる所があるねん」
「ああ、表には出ないから、そういう場所の方が安全だな」
トリコはうなずいた。
「あんたの所も、そこで預かってもらってるの?」
サリーちゃん、子持ちには見えないが、女同士だとそういうのは分かるのかも知れない。
「うん、前はね。うち、こんなやから、元ダンナに子供取られてん」
色々大変らしい。
「助っ人呼んだのは、依頼者にも言うとるからな」
ヨシオ兄さんは、話題を切り替えた。
「君ら明日、呼び出されるはずや。今日はもう、ゆっくり休み。わしらは帰るわ」
「うん、ありがとう」
鯖丸は言ったが、出かける用意を始めた。
「何や、どこぞ行くんか」
ヨシオ兄さんは、聞いた。
「晩ご飯食ってないから、何か買って来る。腹減って寝れないもん。後、着替えとか全然持って来なかったし」
「ああ、そんならメシ食いに行こか」
ヨシオ兄さんは、ジャケットを手に持って立ち上がった。
「四国の田舎と違ごて、夜中までどっこも空いとるでぇ」
「私は残るよ。由樹も寝てるし」
トリコは言った。
「抱っこして連れてけや。皆と離れん方がええし、どうせその子もメシ食うとらんのやろ」
「そうだけど、こんな夜中に」
トリコはぶつぶつ言ったが、結局皆に付いて来た。
食い倒れの街に、鯖丸を放牧する危険について、皆は全然意識していなかった。
はっと気が付くと、両手の全部の指の間に、串カツを挟んで、変なポーズを決めている。
「何だそれは」
ジョン太は一応聞いた。
「えーと、何か悪魔召還士的な感じで」
両手を、胸の前でクロスさせて、変なポーズを決めた鯖丸は、何時の間に買ったのか定かではない串カツを食い始めた。
ああ、ゲームのあれか…と、ジョン太はうなずいた。分かるのもどうかと思うが。
「食うな、バカ」
トリコは、串カツを取り上げた。
「ええーっ、仕事の時くらい、好きなだけ食べてもいいじゃん」
鯖丸は、文句を言った。
「もちろんいいが、夜中は別だ。お預け!!」
鯖丸は固まった。
「良く躾けてあるなぁ」
ジョン太は、感心するというより呆れた。
「当たり前だ」
取り上げた串カツを、周囲の皆に配りながら、トリコは言った。
「こいつの食生活って、アスリート失格。何で誰も突っ込まないんだ」
「それは、アスリートじゃなくて、武道家だから」
言い訳した鯖丸の後頭部に、がすっとチョップが入った。
「一緒じゃ、ボケー」
姐さん、いい突っ込み。
「ええなぁ、強力な突っ込みがおって」
ヨシオ兄さんは、羨ましそうに言った。
どうやら兄さん、ボケらしい。
「お前も、突っ込んで欲しいか」
トリコは聞いた。
「基本的にお断りするけど、たまにはお願いします」
ヨシオ兄さんは、複雑な事を言った。
居酒屋風の店で、色々と食事や酒を注文して、ホテルに戻ると翌日になっていた。
割と郊外に住んでいるらしいヨシオ兄さんは、終電が出たので泊まる事に決めてフロントで手続きをしている。
エンマ君とサリーちゃんは、近くの家に帰ると言うので、微妙な面子になってしまった。
ヨシオ兄さんが、部屋割りに悩んでいたら、ジョン太が強引に鯖丸とトリコを一部屋に放り込んだ。
「あ、それでええのん」
「いいの。こいつらすっかり出来ちゃってるから」
二人と由樹を、一部屋に放り込んだジョン太は、にやーと笑った。
「一緒に泊まるの、久し振りだねぇ、ヨシオ君」
「嫌ぁぁぁ」
兄さん泣きそうだ。
「わし、ハルオともそういう意味のリンクは張ってないんや。かんべんしてぇぇ」
「冗談だよ」
ジョン太は冷静に言って、さっさと部屋に入った。
「お前の冗談は、笑えんわ」
ヨシオ兄さんは、肩を落とした。
「あんたも芸風変わったなぁ、ジョン太」
「あんなバカと連んでたら、変わるわ」
ジョン太は、ぶつぶつ言った。
「あー、それはそうと、サインしてもらっていい?」
どこで買ったのか、色紙を出して来た。
「うちの嫁が、微妙なお笑い芸人、大好きで」
「微妙言うなぁ」
兄さん、本気で泣きが入った。
翌朝、頭の包帯を外して顔を洗っていた鯖丸は、血が止まらなくなって、結局病院で四針縫われる事になった。
「ケンカで頭突きしたって…君。こんな怪我する程」
医者は、呆れて言った。
「普通なら、とっくに脳震盪で倒れて、救急車に乗ってるはずなんだけど…」
「食生活の改善で、頭蓋骨まで頑丈に…」
鯖丸は、ガッツポーズを決めた。
「さすがだ、トリコ。これからは、頑丈人間鯖丸と名乗る事にしよう」
「お前は、元々頑丈なんだよ」
ジョン太は、釘を刺した。
「頭蓋骨はともかく、中身が雑だからなぁ」
「雑じゃないよ。割と賢い方だよ」
鯖丸は、反論した。
こんなで、学校の成績も悪くないらしいのは、謎だ。
「文武両道のバカ」
ジョン太は言った。
いいキャッチフレーズが出来てしまった。
病院を出て、トリコとサリーちゃんが合流した。
由樹を預けて来た所らしい。
「エンマとヨシオ兄さんは、ハンニバルを捜してるから」
サリーちゃんは言った。
「そろそろ連絡入ると思うけど、先に公認魔導士の事務所に行こか」
鯖丸とジョン太は、うなずいた。
トリコは、少し複雑な表情をしている。
まぁ、それはそうだろうなぁ…と思った。
元同僚も、たくさん居るだろうし、ハンニバルの事では、色々わだかまりもある様子だ。
公認魔導士の事務所は、阪急梅田からほど近いオフィスビルの五階だった。
泊まっていた天満からは、たった一駅で、鯖丸だったら迷わず走って行ってしまう距離だ。
淀川の向こうに広がる、日本最大の魔界が一望出来る。
驚いた事に、魔界の中を通り抜けて、電車が走っていた。
オフィスビルまで三人を案内したサリーちゃんは「うち、あの人ら苦手やねん」と言って、近くの喫茶店で待っている事に決めてしまった。
「だったら別に、ここまで送ってくれなくても良かったのに」
ジョン太は言った。
サリーちゃん、早起きは苦手らしく、さっきから欠伸をしている。
「だって、四国の田舎から来た人らだけで、電車にちゃんと乗れるか心配で」
「どんだけ田舎者じゃ、俺ら」
ジョン太は突っ込んだが、自動改札機でもたもたしていた鯖丸を思い出して、そこで止めた。
地球に来て以来、修学旅行と部活の試合以外で地元を離れた事がない鯖丸は、めずらしそうに辺りを見ている。
「大阪って都会だねぇ」
とか、当たり前の事を感慨深げに言っている。
「まぁ、都会だけど」
アメリカの都会に、けっこう長く住んでいたジョン太は、別に何の感慨もないので、宇宙の田舎者を引率して、さっさとエレベーターに乗った。
トリコは、何度も来た事がある場所なので、慣れた感じで後に続いた。
三人を待っていたのは、トリコの予想通り浅間という青年だった。
「久し振りだな…」と、トリコに一言云って、後の二人に目をやった。
「西谷魔法商会では、一番腕利きのコンビだと聞いたが…」
三人に、向かいに掛けるよう勧めて、自分も座った。
仕立てのいいスーツをかっちり着込んでいるが、荒っぽい事を生業にしている雰囲気は、消せていない。
けっこう男前だが、魔法使いでなければ、ヤクザに見えるタイプだ。
「君が鯖丸か。民間のランクSは、今の所国内で四人だけなんだが」
四人の中には、もちろんトリコも含まれている。
「我々の組織に加入した経歴がないのは、君だけだ。学生だと聞いているが、どうだね、三年ならそろそろ就職活動に入っているはずだが」
「お断りします」
椅子にかける前に、鯖丸は即答した。
「魔界関係の仕事に就く予定はありません」
「まぁ、気が変わったら、何時でもおいで」
浅間は、その話は一応終わらせて、三人を見た。
「依頼の内容は聞いていると思うが、トリコが居るのでは、話が変わる」
顔の前で組んでいた両手を、ぐっと握った。
両手の指に、シルバーのリングがはめられている。
お洒落もあるだろうが、明らかに魔力を増幅させるアイテムだ。
「めんどくせぇんだよ、トリコ。何時まで俺の邪魔をする気だ」
「別に。貴様にやましい所があるから、邪魔だと思うだけだろう」
クッションの効いたソファーに深くかけて、トリコは鷹揚に言い放った。
「それより、仕事の話をしようや、龍ちゃん」
姐さん、かっこいいー。
ジョン太と鯖丸は、同時に思った。
浅間は、舌打ちしたが、話を続けた。
「ハンニバルを確保しろ。中身も同時にだ。生きていても死んでいてもかまわんが、確実にだ。
ただし、トリコから聞いた話はオフレコだ。情報が漏れたら、只では済まないと思え」
「ええー、何の話ですかぁ。俺、バカだからわかんないー」
鯖丸は、憎らしい感じで言った。
こっちの仲間じゃなかったら、殴り倒したくなる口調だ。
「挑発すんなよ。大人の対応で行こうぜ」
ジョン太は、その気もないのに一応なだめた。
「まぁ、そっちが法規を越えて仕掛けて来るんなら、こっちもそれなりの対応はさせてもらうけどね。昔のコネも色々あるし」
浅間は、少しの間、黙り込んだ。
「何で、お前みたいな奴が、ここに居るんだ。魔法も使えないくせに。
木星戦争の英雄も形無しだな、ウィンチェスター中尉」
「そんな大昔の話、持ち出すなよ」
ジョン太は、浅間の言葉をさらっと流した。
「依頼者の秘密は守る。仕事もきちっと片付ける。それ以外に何か希望があるか」
ジョン太に睨まれると、けっこう怖い。
「特にないが、契約書にサインしろ」
浅間は一瞬怯んだが、テーブルの上に置かれた書類を差し出した。
ジョン太は、さっと雑に目を通してから、首を横に振った。
「十四行目と三十六行目を書き直せ。ふざけてるのか、お前ら」
書類を投げ返した。
「依頼者にそういう態度は、良くないと思うが」
浅間は言い返した。
「このまま通すなら、出る所出るぞ。告訴社会で育ったマイノリティーをなめるな。たちの悪い人権擁護団体や弁護士なら、山程知り合いが居るぞ」
はったりかも知れないが、本当に居そうで怖い。
「くそっ、ハイブリットがいい気になりやがって」
浅間はうなった。
「はい、今の録音しちゃった」
ジョン太は、ケータイをかざしてにやーと笑った。
「訴えたら、勝てるよ?」
「相変わらず、詰めが甘いなぁ、龍ちゃん」
トリコは、気の毒そうにため息をついた。
「ま、仕事はちゃんとやるから」
ジョン太は言った。
「口出しはしないで、金だけ出せや」
物凄く悪い笑顔だ。
根性の悪さでは自信のあった鯖丸も、ちょっと引いた。
やっぱ、ジョン太ってすげぇな…と、思った。
公認魔導士の事務所を出た所で、ジョン太ははぁーとため息をついた。
「やっぱり、繊細な俺には、こういうの向いてないんだよなぁ」
「繊細という言葉の意味を、今ちょっと考えてる」
鯖丸は言った。
「お前の百倍くらいは繊細だよ」
ジョン太は反論した。
「大体、あの部屋の中、全員トリコの穴兄弟じゃねぇか。引くわ、そんな設定」
「穴とか言うなー、棒のくせに」
トリコは、言い返した。
「そうだったのかー」
鯖丸は、今頃気が付いた。
「どうせ、てめぇの男の数え方は、一本、二本だろうが」
最低な反論をしたジョン太は、鯖丸がまた、変な方向へ暴走し始めたのに気が付いた。
「じゃあ、あいつもライバル決定でいいんだね」
「誰彼構わずライバルにするな。あんな奴、とっくの昔に切れてるよ」
トリコは言った。
「昔は私もさ…若かったから、あんな奴でも、ちょっと男前だというだけで、いい気になってたんだ」
「俺だって、そこそこかっこいいよ」
バカは、張り合うつもりだ。
「うん。お前は、スタイルもいいし、背も高いから、遠目にはかっこいいよ」
トリコは、妥協案を出して来た。
遠回しに、顔が残念だと言っている。
「よーし、かっこいい俺参上」
変なポーズまで決めている。ていうか、人の話は最後まで聞け。
バカは放っておいて、トリコはちょいちょいと合図して、ジョン太をかがませ、耳元で言った。
「浅間の動きには、注意しててくれ。仕事の事もだが、あいつ鯖丸を強引にスカウトするつもりかも知れん」
ジョン太は、ちらりとバカを見た。
「欲しいか?あんなバカ」
言ったものの、自分が政府公認魔導士の要職にあったら、絶対欲しい人材だ。
「トラブルを起こして学校に居られなくしたり、就職先つぶして回ったりくらいは、平気でやる奴だ」
「まぁ、あれもバカだけど、その辺はけっこう機転が利くから、大丈夫だとは思うが」
ジョン太は、振り返って鯖丸の肩をぽんと叩いた。
「色んな奴に狙われて、人気者だなぁ、お前」
「え…何が」
バカは怪訝な顔でたずねた。
喫茶店には、エンマ君とヨシオ兄さんが来ていた。
他にもう一人、ねずみ色の「背広」としか表現しようのないスーツを着た、小柄で地味な男が座っている。
髪の毛をびっちり七三に分けて、黒縁の眼鏡をかけている。
あまりにも没個性なので、かえって目立つ男だ。
若いのか年寄りなのか、それさえ分からない。
「こっちや、こっち。早よ座り」
サリーちゃんが、立ち上がって大げさに三人を呼んだ。
まだ若いのに、動作がすっかりオーサカのおばちゃんだ。
席に着いたジョン太とトリコは、コーヒーとカフェオーレを注文した。
鯖丸は、メニューを広げて思案している。
「ええと…ホーレンソウとベーコンのパスタと、エビピラフと、それから…」
テーブルの下で、トリコに向こうずねをがすっと蹴られた鯖丸は、我に返って言い直した。
「あ、今のなし。ミルクティー。アッサムで」
お上品な注文に変えて、残念そうにメニューを閉じた。
「ジョン太は知ってる思うけど、二人は初対面やな。こちら、マイティーマウスの海老原さん」
ヨシオ兄さんが紹介した。
「どうも」
地味な男は、軽く頭を下げた。
トリコと鯖丸も、それに習った。
「トリコです。こっちは鯖丸」
「海老原です。本名やないから、魔界でもこの名前で呼んでください」
「海老原さん、本社で社長の次に偉い人だから」
ジョン太が小声で二人に教えた。
とてもそうは見えない。
今度の仕事は、ヨシオ兄さんが仕切っていると思っていたが、海老原さんが出て来ているという事は、本気の大仕事だ。
「ハンニバルが、今朝九時頃、十三大橋のゲートを通過して魔界に入りました」
海老原さんは言った。
新しい情報だ。
「正規のルートでですか?どうやって」
ジョン太はたずねた。
「公認魔導士やった頃のパスポートを所持していた様ですね。外界の国際パスポート程、チェックは厳しないですから」
トリコの様に、正式に辞める場合は、公認魔導士のパスポートを返却して、一般で取り直す事になるが、行方不明になっていたハンニバルは、当時のパスポートをそのまま所持しているらしい。
たいがいのゲートでは、係員はパスポートの詳細まではチェックしないのが常だ。
「私らも、午後から魔界に入ります。皆さん、十二時までに準備を整えて、ゲートの前に来てください」
カップの底に残った紅茶を飲み干して、海老原はクラッチバックを片手に、席を立った。
「昼食は、打ち合わせを兼ねて、向こうで取りますんで」
鯖丸の方を、ちらと見た。
「それまで、あんまり買い食いとか、ひらい食いとか、せんように」
いくら食い意地の張った鯖丸でも、ひらい食いはしないと思う。
海老原は、その場で何秒か立ち止まっていたが、ため息をついて伝票を手に取った。
「田舎の人は、誰も突っ込んでくれん」
「ええ?今の、突っ込む所だったんですか」
鯖丸は驚いた。
ここで驚いたら、普段日常的にひらい食いしてるみたいじゃないか…と、ジョン太は思った。
いや…それに近い事は、しているかも。
「すいません、こいつ天然ボケなんで」
どうして、オーサカ本社の人間と付き合うには、お笑いのスキルが必要なんだー…と、釈然としないままジョン太は言い訳した。
アメリカ人に関西のお笑いを強要する、本社の芸風が、理解出来ない。
そこそこ付き合えている時点で、もうすっかり同類…というか、本社の誰も、ジョン太が日本人じゃない事なんか、認識していない事実を、本人は知らなかった。
関西人にとって、関西人以外は、外人と同じなので、些細な問題だ。
「あ、海老原さん。病院行くなら、僕も行きますから」
ヨシオ兄さんは、あわてて席を立った。
「病院って…?」
今朝既に、病院のお世話になった鯖丸は聞いた。
「ハルオ兄さんと、キャットさんが、入院してるから」
エンマ君が、説明してくれた。
「キャットさんは、海老原さんの相方で、奥さんやね」
本社の怪我人は、軽傷のエンマ君を除けば、その二人らしい。
「僕らも行くけど、君らはどうする?」
「ああ、行きます。ハルオ兄さんは、俺が怪我した時、応援で来てくれたから、挨拶くらいはしておかないと」
鯖丸は言った。
ジョン太もうなずいたので、ハルオとは全く面識のないトリコも、同行する事になった。
病院は、梅田から三駅離れた場所にあった。
十キロ以内は徒歩圏内だと言い張る鯖丸には、公共の交通機関を使わなくても行ける、全然近所だ。
「田舎の人は頑丈やねぇ」と、サリーちゃんは言った。
「頑丈なのは、こいつだけだから」
ジョン太は、説明した。
「普通の田舎人間は、車がないと生活出来ないから、些細な移動にも車を使い続けて、足腰弱ってる。
都会の人の方が、駅まで歩くから、まだ丈夫だ」
徒歩五分の場所にも、車を出すのが田舎人間の特徴だ。
エンジンをかけて、車を出して駐車場に入れる手間を考えたら、絶対、歩いた方が早いのだが。
「うちの嫁なんて、最近十分以上、歩いた事ないと思う」
「歩けや、十分くらい」
ヨシオ兄さんに怒られた。
「ナースだから、仕事中はいっぱい歩いてると思うよ」
ジョン太は言い訳した。
「お前ん所の嫁はん、ナースやったんか」
ヨシオ兄さんは、意外そうに言った。
秘密ではないが、誰も聞かないから、特に公表はしていない。
病院関係には詳しそうなジョン太と、地球に来て以来、低重力症と、解離性同一性障害の治療で、病院からは縁の切れなかった鯖丸は、病院内の構造に慣れているらしい。
初めて来る病院内で、迷わず受付で聞いた場所に近付いた。
ヨシオ兄さんは「わし、ダンジョン苦手やねん」とか言って、何度も来た場所で迷いそうになっていた。
近付いた所で、鯖丸は顔をしかめた。
重症患者しか扱わないエリアに、入ってしまったからだ。
そんなひどい怪我人が出たとは、聞いていなかった。
「あの…これ、集中治療室…」
「集中せんと、治るもんも治らんやろ」
気合いを入れればカメハメ波が出せると言い切る小学生と、同じレベルの事を、ヨシオ兄さんは言い切った。
賛成してあげたいが、集中治療室に入る様な人に、精神論は通用しない
「ええかげんにせぇや。わしをピン芸人にするつもりかぁ」
ヨシオ兄さんは悪態を付いたが、ベッドの上で寝続けている男は、何の反応も無い。
ハルオさんって、こんな顔だったかなぁ…と、鯖丸は思った。
全然記憶がない。
海老原さんが、別の病室から出て来た。
普通の入院患者が居る部屋だ。
キャットさんとかいう人は、ハルオ兄さん程重傷ではないらしい。
皆で見舞いに顔を出そうとしたが、海老原さんは止めた。
「うちの奥さん、人見知りでしてね。お気持ちだけありがたくいただきますわ」
じゃあ行きましょうかと言って、病院の廊下を、先に立って歩き出した。
ハルオ兄さんが、思っていたよりひどい状態だったので、鯖丸は少しショックを受けた様子だった。
危険な仕事をしている自覚はあったのだが、今まで、周囲で死にそうな怪我人が出た事は無かったし、魔法でどうにかなると思っていたのだ。
海老原さんに、電車で行くか、車に同乗して行くか聞かれた時も、ぼんやうなずいていたので、電車組に組み込まれてしまった。
本人的には、きっと歩いて行くつもりだったに違いない。
電車は、魔界の中で降りるチケットだけ、通り抜けて向こう側の外界に出るチケットと、購入方法も手続きも違っていた。
手続きが終わるのを待っている間に、トリコは「ちょっと…」とか言って、駅中のテナントを見に行ってしまった。
けっこう有名なブランドや、老舗の菓子屋等も入っている。
「女性の買い物は、長いですからねぇ」
海老原さんはため息をついたが、トリコは五分くらいで戻って来た。
ドラッグストアの袋と、可愛いリボンの付いた、クリスマスっぽい紙袋を持っている。
紙袋の方を鯖丸に「はい」と言って渡し、ドラッグストアの袋は、自分のショルダーバッグに仕舞った。
「えーと、何」
渡されたうすっぺらい袋を、鯖丸は怪訝そうに見た。
軽くて柔らかい。
「お前、いつも薄着で、襟のない服ばっかり着てるだろう。巻いとけ」
袋を開けると、芥子色のマフラーが入っていた。
「わぁ、もしかしてクリスマスプレゼント?初めてもらった」
すごく嬉しそうな顔で、首に巻いている。
通常の女は、ドラッグストアに買い物に行くついでに、五分でクリスマスプレゼントを買ったりはしないと思う。
単に、勘違いでラッピングされたんじゃないのか…と、ジョン太は思ったが、トリコのやる事なので、本当の所は分からない。
「ええ品ですね。カシミヤやないですか」
海老原さんは誉めてから、関西人が必ず言うセリフを口にした。
「で…なんぼしました?」
「50パーオフから、更に千円引き」
トリコは、勝ち誇った様に言った。
「そゆこと、もらった本人の前で言うなよ」
ジョン太は止めたが、本人は気にしていない様子なので、生暖かく見守る事にした。
電車は、川を越えて魔界の外縁に入った。
四国の魔界と違って、都市部にある為か、出現したのが二十数年前と、比較的新しいせいか、随分様子が違う。
外界には持ち出せない武器や備品の保管は、倉庫にあたる様な建物は無くて、普通にビルの一角を借りているらしかった。
別に、魔界関係の業種がテナントに集まっている訳でもなく、上下をお好み焼き屋と美容院に挟まれた、良く分からない構成になっている。
鍵を開けて中に入ると、十畳間二部屋程の室内は、様々な荷物や備品で半分方埋まっていた。
「狭っ」
土地が余っている田舎の倉庫の様には、いかない様子だ。
入り口近くのスチール机に、中四国支所からの荷物がきちんと乗っていた。
陸路を来たので、船に乗った人間より先に届いている。
ジョン太は、箱を開けて荷物のチェックを始めた。
鯖丸の刀がかさばるので、嫌に縦長い段ボール箱から、見慣れた装備が取り出された。
一通り点検したジョン太は、普段地元で仕事をする時と違って、服は着替えないで装備だけ身に着けた。
「おーい、所長が延長ケーブルまで送って来てるぞ。お前これ、持って行くのか?」
どちらかというと、送ってくれたと云うより、詰め物の代わりにされていたケーブルの束を、ジョン太は取り出した。
「ううん、必要だったら取りに戻るよ。変換プラグだけ持ってく」
さすがに十メートルもあると、ケーブルも相当かさばる。
変換プラグの入ったケースをポケットにねじ込んで、鯖丸は刀を背負った。
海老原さんは、特に装備品は使わないタイプの魔法使いらしく、入り口の近くで待っていた。
トリコが、奥で着替えて来ると言うと「では、外で待っとりますよ」と、出て行った。
中々紳士的だ。
ジョン太と鯖丸も外の廊下で待っていると、身支度の早いトリコは、すぐに出て来た。
「ほな、下の店に行きましょか。みんな待っとります」
海老原さんは、先に立って階段を下りた。
一階のお好み焼き屋に、サリーちゃんとエンマが席を取って、既に何か焼いていた。
ヨシオ兄さんの姿が見えない。
「兄さん、先に行って痕跡を見付けて来る言うてな」
「ああ、彼は追跡系の特殊スキルを持ってますから」
ジョン太は知っていたが、海老原さんは鯖丸とトリコに説明してくれた。
「お昼を食べて、吉報を待ちましょ。ああ、お姉さん、ネギ焼きお願いします」
「俺もネギ焼き」
ジョン太は、便乗した。
「豚キムチ焼きそば」
トリコは言った。
「えーと、豚玉そば入り。大盛りって出来るの?」
「出来ますよー」
店のお姉ちゃんは答えた。
「じゃあ、それとごはん」
鯖丸、食う気満々だ。
「ごはんは普通でいいからねー」
そんな事、別に念を押さなくても…。
「相変わらず食うね、君」
エンマ君はぼやいた。
「何言ってんだ。君、弱った怪我人の状態のこいつしか、見てないだろ」
ジョン太は言った。
「これでも最近、少し小食になったんだよ」
「うわー、体育会系って、怖っ」
「普通だよ、これくらい」
鯖丸は、ぶつぶつ言った。
腹が減った状態で、目の前で焼いていると、けっこう待ち時間は長いが、いい塩梅だと云う感じで、海老原さんは打ち合わせに入った。
「ヨシオ君が痕跡を見付けて来たら、追跡に入りますが…」
中四国支所からの助っ人三人を、一人一人見て、話を続けた。
「正直、ハンニバルの確保は、君ら三人でやってもらわんとあきません」
その為に呼ばれたのは、充分に分かっていたので、三人はうなずいた。
「あれは、ハンニバル本人の物質系魔法と、殿の弟子とか云う異界人の、空間操作魔法を同時に使います。
どない早よ動いても、距離を詰められて、お手上げですわ」
海老原さんの二つ名、マイティーマウスは、伊達ではない。
破壊力では鯖丸の方が上だが、純粋にスピードだけなら、海老原さんが圧勝だ。
魔力ランクはA3(ランクA中、五段階で)だが、スピードのある魔法使いは使い勝手がいいので、ランクSと互角に戦えるランクAとして、けっこう有名だ。
それが、お手上げだと言っている。
船の上で、すべる様に移動して来たハンニバルを思い出して、鯖丸はぞっとした。
外界では、魔法が使えなくても対処出来る範囲内だったが、魔界であれが、どの程度の距離を操作して縮めて来るのか、予想が付かない。
たぶん、ジョン太なら対応出来るだろうけど…。
目が合うと、ジョン太は少し、居心地の悪そうな顔をした。
ジョン太はジョン太で、何か考えている事があるらしい。
「あのー、こんな時、悪いんだけど」
皆を見て、ジョン太は言った。
「今の戦力じゃあ、収拾がつかない様だったら、俺、魔法使える様にするから」
ジョン太が魔法を使えない事は、皆、知っていた。
この業界内では、けっこう有名だ。
「ちょっと時間くれ」
「ジョン太、自分の言ってる事、分かってる?」
鯖丸は聞いた。
「まぁ、お前が分かってる程度にはな」
ジョン太は答えた。
先にごはんが来たので、一緒に来た漬け物と、ほぼ焼けた部分のそば入り豚玉をおかずにしながら、鯖丸は言った。
「トリコ抜きでリンク張ったら、絶対暁が出て来るよ」
「出すな。本気になれば止められるだろ?お前」
「まぁ」
本当に、止められるらしい。それを聞いて安心した。
「何で、この娘とリンクせぇへんの。その方が楽やろ」
サリーちゃんが聞いた。
「一回失敗してるし、急ぐなら、今はちょっと…」
トリコは、ぶつぶつ言った。
「本当は、あと四五日余裕あるはずだったんだけど、なんか急に生理になっちゃって」
一緒に暮らしている鯖丸はともかく、嗅覚が犬並みのジョン太にも、もれなく知られてしまうのが、ちょっと嫌だ。
まぁ、ジョン太も別に知りたくないのは分かっているので、仕方ないと思うが。
ていうか、おぢちゃん排卵日まで分かってしまうらしく、今回ちょっとずれ込むのも、事前に知らされてた。
便利だが、釈然としない。
「日程に余裕があるなら、終わってから…」
「無いよ」
ジョン太は言った。
「だってあいつ、段々腐って来てるから」
恐ろしい事を言われて、トリコは固まった。
体を乗り換えたがっているのは分かっていたが、乗っ取られているとはいえ、ハンニバルが本当に死んでいると宣告されたからだ。
じゃあ、時々出て来るあの海斗は、誰なんだ…。
いや…痕跡なのは、ちゃんと分かっていた。
認めたくなかっただけだ。
とにかく、ヨシオ君の帰りを待ちましょうと、海老原さんは言って、上品な仕草でネギ焼きを食べ始めた。
皆が一通り食い終わる頃、ヨシオ兄さんが戻って来た。
「見付けたでぇー。おっ、わしの分も焼けとるやんか」
席に着こうとしたヨシオ兄さんを止めて、海老原さんは立ち上がった。
「行きますよ」
「殺生な、食わしてくれぇ」
「おっちゃん、これ包んで。それとおあいそ」
サリーちゃんが、鉄板の隅に焼き上がっているお好み焼きを指差した。
「まいどおおきに」
サリーちゃんから、五千円札を受け取ったおっちゃんは、小銭を寄越した。
「はい、おつり三十万円」
大阪のお金の単位が分からない。
刀を手に取って店を出かけた鯖丸は、ヨシオ兄さんに捕まった。
「わし、これ食うよって、君が運転してくれや」
ランエボの鍵を渡された。
スポーツカータイプの車は、運転するのも乗るのも、初めてだ。
「はい…」
外へ出ると、赤いスポーツカーと、丸っこい小型車が、道端に堂々と路駐してあった。
周囲は大半がそんな感じで、道路の半分が埋まってしまっている。
外もそこそこひどかったが、魔界の中なので警察が居ないせいか、無法地帯だ。
いつも座席の高い四駆にばかり乗っていたので、低い位置の運転席に乗り込もうとした鯖丸は、入り口でしこたま頭をぶつけた。
普段ならあいたた…で済む所だが、今朝額を縫われたばかりなので、超痛い。
「いやー、君は本当に、おいしいとこしっかり押さえとるなぁ」
ヨシオ兄さんは、頭を抱えて悶絶している鯖丸に言った。
「天然はずるいで、ほんま」
欲しかったら、こんなポジション、いくらでも代わってあげるのに…と、涙目になりながら鯖丸は思った。
どうやら、後ろの小型車は、運転手がエンマ君に決まっているらしく、迷わず運転席に乗っている。
残ったメンバーをざっと見たヨシオ兄さんは、二つの車に人を振り分け始めた。
「えーと、ジョン太とわしとサリーちゃんはこっち。海老原さんとトリコ姉さんは向こう」
きちんと中四国支所からの助っ人のデータには目を通しているらしく、トリコが実際は子供ではない事は、分かっているらしかった。
姉さんと呼んでいるから、意外とヨシオ兄さん、見た目より若いのかも知れない。
「いや、トリコこっち乗れ」
ジョン太は、トリコとサリーちゃんを取り替えた。
「魔界に入ったら十キロちょっと重くなるだろ。サリーちゃんと海老原さんの方が軽い」
車の馬力に合わせて、メンバーを振り分けていたらしい。
「お前は、私の個人情報を、何だと思っているんだ」
トリコは、ジョン太を睨んだ。
「太ってるとは言ってねぇよ。乳が重いだけだろ」
更にいらん事を言ったジョン太は、殴られた。
皆で車に乗り込んで、元々は結構広いはずなのに、路駐と不法投棄や変な屋台でごちゃごちゃした道を走り出した。
四駆と違って、けっこうシビアな設定になっている車を楽々と転がしている鯖丸を見て、安心したらしいヨシオ兄さんは、助手席でお好み焼きを食い始めた。
後部座席では、携帯が通じる間にと、トリコが由樹に電話をかけている。
「そうか、もう友達出来たんだ。良かったな。…うん、しばらく電話通じないけど、あんまりゲームばっかりして、夜更かししない様にな。…分かった。いつもごめんな」
電話を切って、ケータイの電源も落として、ポケットに仕舞った。
境界が目の前にあった。
人によって、見え方には差があるが、四国の魔界と、基本的には変わらない。
ただ、市街地を横切って広がっているので、見た目にはかなり違って見える。
車が境界を突き抜けた。
いつも通り、トリコの外見が変化した。
ジョン太と鯖丸は見慣れているが、ヨシオ兄さんは、おお…という顔で、後部座席を振り返った。
「トリコ、頭痛いから、ちょっと治しといて」
車を運転しながら、鯖丸は言った。
「うん」
後部座席から手を伸ばして、後頭部に触れた。
鯖丸は、頭に巻いた包帯とガーゼをむしって、その辺に放り出した。
それから、車を運転しながら、ポケットから病院で処方してもらった薬を取り出した。
「鎮痛剤入ってるけど、使う?俺、もう要らないし」
「ああ、もらっとこうかな」
トリコは、薬の袋を受け取って、ちょっと顔色を変えた。
「お前、本名が書いてある袋とか、魔界に持って来るなよ」
「あ、しまった」
ジョン太が、横から袋を取り上げた。
中身だけ出してトリコに渡し、手の中で薬局の紙袋をぐしゃりと握りつぶして、ちょっと力を込めた。
手の平の上で、小さな紙の固まりが燃え上がった。
あっという間に灰になったそれを窓から捨てて、ジョン太はため息をついた。
「気を付けろよ。ハンニバルに本名知られたら、洒落にならんし」
「いや…ジョン太。あんた今、魔法使こてなかったか」
ヨシオ兄さんが、驚いた顔で言った。
魔法が全く使えないのが、ジョン太のいい所でもあるし、欠点でもある。
「本社には報告しとらんやろ。どういう事になってん、あんた」
「微妙」
ジョン太は言った。
トリコとリンクを張るのに失敗して以来、本当に微妙な程度の魔法は、使える様になってしまった。
魔力のランクとしては、最低なので、百均のライターを使った方が大きな火を起こせる程度だ。
別に、使えても使えなくても、大勢に影響はない。
「微妙でも、魔法使えたら、社長の態度も変わるのに」
ヨシオ兄さんは言った。
「微妙なら、使えない方がましだ。その分魔法防御が下がってるからな」
うんざりした感じで、ジョン太は言った。




